柿本 人麻呂 万葉集。 東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ/柿本人麻呂/万葉集解説

人麻呂の代表作は?

柿本 人麻呂 万葉集

柿本人麻呂の歌(一) こんにちは。 左大臣光永です。 日曜日の夜、心穏やかにお過ごしでしょうか? 私は本日、池袋に出たついでに雑司ヶ谷霊園を歩いてきました。 木々の葉が、だいぶもう黄色く赤く染まってますね。 夕暮れ時で、墓石の夕陽に向かった面がいっせいに赤く染まって輝いているのが、いい感じでした。 さて、先日再発売しました。 「聴いて・わかる。 日本の歴史~飛鳥・奈良」。 すでに多くのお買い上げをいただいています。 ありがとうございます。 特典の「解説音声 額田王の歌」は、11月10日お申込みまでです。 お申込みはお早目にどうぞ。 本日は『万葉集』より柿本人麻呂の歌(一)です。 柿本人麻呂は飛鳥時代の持統・文武天皇の時代に活躍した宮廷歌人です。 後世「歌の神様」と言われ、三十六歌仙に数えられます。 特に持統天皇の行幸に付き添い多くの歌を残しました。 身分の低い役人だったようですが、その生涯についてはほとんどわかっていません。 667年に天智天皇により琵琶湖のほとり大津に都が遷されますが、672年壬申の乱の後は都は飛鳥にもどり、大津の都は日に日に荒れ果てていきました。 この歌は柿本人麻呂がおそらく持統天皇の時代に、荒れ果てた大津の都を通ったのです。 そこで人麻呂は、昔日の大津京の繁栄を想い、かつて君臨した偉大なる帝王・天智天皇を想い歌を詠みました。 長歌と付随する反歌二首ならなります。 「楽浪」は琵琶湖西岸一帯を楽浪(ささなみ)と言ったことから、「志賀」「大津」「長柄」などの地名にかかる枕詞。 「辛崎」は大津京にほど近く、船が出入りしたと思われます。 そして反歌二です。 ささなみの志賀の大曲(おおわだ)淀むとも 昔の人に またも逢はめやも ささなみの志賀の大曲…琵琶湖から大きく入り込んだ入り江に水は昔のままにたたえられているが、昔の人にふたたび会うことができるだろうか。 できない。 「大曲」は岸が大きく入り込んだ入り江。 そこがどんなに昔のままに水がたくさんあっても、昔の人に会うことはもうできないと、最後は強く否定しています。 「昔の人」は天智朝の人々。 天智天皇や大友皇子、草壁皇子、額田王や軽皇子(文武天皇)を指すのでしょう。 それら華やかなりし「昔の人」を宮廷歌人として間近に見てきた人麻呂ですから、「昔の人」この一言には万感の思いがこめられていることでしょう。 畝傍山の「うね」を導く。 橿原宮で即位。 同音により「次々に」を導く。 「ももしき」自体も皇居をさす。 伊勢行幸を想像する歌 持統天皇が伊勢に行幸した際、柿本人麻呂は藤原京で留守を命じられます。 持統天皇4年(690)3月のことでした。 ああ…天皇は今頃伊勢にお着きになられただろうか。 伊勢の海はどんなだろうかと、想像をふくらませて、柿本人麻呂は三首の歌を詠んでいます。 持統天皇の伊勢行幸 伊勢国に幸(いでま)しし時に、京(みやこ)に留まれる柿本朝臣人麿の作れる歌 嗚呼見(あみ)の浦に 船乗りすらむ おとめらが 珠裳の裾に 潮満つらむか (巻1・40) 嗚呼見の浦で、今ごろは船遊びをしていらっしゃるかもしれないな。 持統天皇のお伴をする乙女たちの美しい裳の裾が潮で濡れたりしているだろうか。 想像をふくらませているのです。 嗚呼見の浦は三重県鳥羽市の小浜町(おはまちょう)と言われています。 さらに柿本人麻呂の想像は続きます。 「天皇一行は今日はどのあたりまで進んだかな。 嗚呼見(あみ)の浦から海をわたって、登志島(とうしじま)まで行ったかもしれないな。 都人が、伊勢の海女たちにまじって、海藻を採ったりも、してるかもしれないな」 持統天皇の伊勢行幸 くしろ着く 手節(てふし)の崎(ざき)に 今日もかも 大宮人の 玉藻刈るらむ (巻1・41) 「くしろ」は石や鉄でできた腕輪のことで、次の「手節の崎」を導く枕詞になっています。 腕輪だから、手を導くというわけです。 その、腕輪を巻く手節の崎で、今日は都人たちが美しい海藻を刈っているだろうかなあ。 手節の崎は鳥羽湾の東北に浮かぶ登志島(とうしじま)。 さきほどの嗚呼見の浦から海を渡ったところです。 さらに人麻呂の空想は続きます。 「登志島に行ったら次は伊良湖崎だろう。 私の愛しい人もその船に乗っているのだろうなあ」 持統天皇の伊勢行幸 潮騒に伊良虜(いらご)の島辺(しまへ)漕ぐ船に 妹(いも)乗るらむか荒き島廻(しまみ)を (巻1・42) 潮騒の響く伊良虜の島のあたり、漕ぎ渡る船に、私の愛しい人も乗っているのかなあ。 荒々しく波が打ちつける中を、島巡りをして。 それにしても、持統天皇なんで人麻呂を連れて行ってあげなかったのか…そこが気になります。 明日は柿本人麻呂の歌(二)です。 お楽しみに。 発売中です 聴いて・わかる。 日本の歴史~飛鳥・奈良 第一部「飛鳥時代篇」は、蘇我馬子や聖徳太子の時代から乙巳の変・大化の改新を経て、壬申の乱まで。 第二部「奈良時代篇」は、平城京遷都・長屋王の変・聖武天皇の大仏建立・鑑真和尚の来日・藤原仲麻呂の乱・桓武天皇の即位から長岡京遷都の直前まで。 教科書で昔ならった、あの出来事。 あの人物。 ばらばらだった知識が、すっと一本の線でつながります。 特典の「解説音声 額田王の歌」は11月10日お申込みまでの早期お申込み特典です。 お申込みはお早目にどうぞ。 本日も左大臣光永がお話ししました。 ありがとうございます。 ありがとうございました。 発売中 百人一首 全首・全歌人 徹底解説 百人一首のすべての歌を、歌の解説はもちろん、歌人の人物・歌人同士の人間関係・歴史的背景など、さまざまな角度から解説しました。 単に「覚える」ということを越えて、深く立体的な知識が身に付きます。 李白 詩と生涯 中国の詩である漢詩 唐詩 を日本語書き下しでだけ読んで、本当に味わったと言えるでしょうか?やはり中国語でどう発音するのかは、気になる所だと思います。 詩吟愛好者の方にもおすすめです。 杜甫 詩と生涯 杜甫の詩28篇を漢文書き下しと現代語訳、中国語で朗読し、解説を加えたものです。 杜甫の詩の世界にどっぷりひたりたいという方、詩吟をされる方にもおすすめです。 聴いて・わかる。 日本の歴史 飛鳥・奈良 蘇我馬子や聖徳太子の時代から乙巳の変・大化の改新を経て、壬申の乱までの飛鳥時代篇。 そして奈良時代篇では長屋王の変。 聖武天皇の大仏建立。 鑑真和尚の来日、藤原仲麻呂の乱。 と歴史の流れに沿って語っています。 中国語・現代語訳つき論語朗読 「子曰く…」倫理観や道徳が失われつつある現代だからこそ、読み直したい古典中の古典。 お子さんやお孫さんへの読み聞かせ用にも。 聴いて・わかる。 日本の歴史 鎌倉と北条氏の興亡 鎌倉幕府の成立から滅亡まで。 約140年間の歴史を35章に区切って語ります。 聴いて・わかる。 日本の歴史 院政と武士の時代 白河上皇による院政のはじまりから、保元の乱・平治の乱・平家一門の繁栄・源平の合戦(治承・寿永の内乱)を経て、源頼朝が鎌倉に武士の政権を開くまで。 聴いて・わかる。 日本の歴史 平安京と藤原氏の繁栄 桓武天皇による長岡京・平安京遷都から、勢いをのばす藤原氏、摂関政治の全盛期を経て、白河上皇による院政のはじまる直前まで。 約300年間の歴史を語ります。 朗読『孫子』 「戦わずして勝つ」現代のビジネスや人間関係にも応用される、『孫子』の極意とは? 現代語訳つき朗読「おくのほそ道」 『おくのほそ道』は本文だけを読んでも意味がつかめません。 原文朗読に加え、現代語訳と7時間半にわたる詳細な解説音声によって、『おくのほそ道』の理解を徹底サポート。 語り継ぐ日本神話 日本神話の「国造り」から「神武天皇」までを、『古事記』『日本書紀』をベースに、楽しく、わかりやすく語っています。 「『古事記』に興味はあるけど、難しそうで…」「解説書を読んでもいまいちわからなかった」という方にはおすすめです。 『伊勢物語』 全125段 徹底詳細解説 全125段から成る断片的な物語が、相互に響きあい、つながりあい、そして浮かび上がってくるテーマとは? 現代語訳つき朗読『方丈記』 「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」誰もが聞いたことのある鴨長明『方丈記』の書き出し。 しかし、書き出し以降の内容をちゃんと読んだことが ある方は、意外と少ないのではないでしょうか?.

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万葉集の引力! 柿本人麻呂の挽歌と六皇子

柿本 人麻呂 万葉集

万葉集の代表的歌人の一人として有名です。 出生などはわかっていません。 万葉集のには、石見 いわみ 国で死に臨んだときの歌があります。 この歌の直後に「 和銅四年 西暦711年 ・・・」の題詞があるので、人麻呂が亡くなったのは、それ以前ではないかと考えられます ただし、はっきりとしているわけではないようです。 - He is famous as one of the representative poets of Manyoshu. His birth is unknown. of Manyoshu has a poem about death in Iwami. Immediately after this poem, there is the title of " Wado 4th year A. 711... Therefore, it seems that Hitomaro died before that time though it seems not clear. 年代のわかっている歌には、次のようなものがあります。 持統3年 689 : 日並皇子尊 ひなみしのみこのみこと:草壁皇子 くさかべのみこ の殯宮 あらきのみや の挽歌 ばんか• 持統10年 696 : 高市皇子尊 たけちのみこのみこと の城上 きのへ 殯宮 あらきのみや の挽歌 ばんか• 文武4年 700 : 明日香皇女 あすかのひめみこ の殯宮 あらきのみや の挽歌 ばんか 0029: 0030: 0031: 0036: やすみしし我が大君のきこしめす....... 長歌 0037: 0038: やすみしし我が大君神ながら神さびせすと....... 長歌 0039: 山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に舟出せすかも 0040: 0041: 0042: 0045: 0046: 安騎の野に宿る旅人うち靡き寐も寝らめやもいにしへ思ふに 0047: ま草刈る荒野にはあれど黄葉の過ぎにし君が形見とぞ来し 0048: 東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ 0049: 日並の皇子の命の馬並めてみ狩り立たしし時は来向ふ 0131: 石見の海角の浦廻を浦なしと....... 長歌 0132: 0133: 0134: 石見なる高角山の木の間ゆも我が袖振るを妹見けむかも 0135: つのさはふ石見の海の言さへく....... 長歌 0136: 0137: 0138: 石見の海津の浦をなみ浦なしと....... 長歌 0139: 石見の海打歌の山の木の間より我が振る袖を妹見つらむか 0140: な思ひと君は言へども逢はむ時いつと知りてか我が恋ひずあらむ 依羅娘子:よさみのおとめ 0167: 天地の初めの時ひさかたの....... 長歌 0168: ひさかたの天見るごとく仰ぎ見し皇子の御門の荒れまく惜しも 0169: 0170: 0194: 0195: 敷栲の袖交へし君玉垂の越智野過ぎ行くまたも逢はめやも 0196: 0197: 0198: 0199: かけまくもゆゆしきかも言はまくも....... 長歌 0200: ひさかたの天知らしぬる君故に日月も知らず恋ひわたるかも 0201: 0202: 哭沢の神社に三輪据ゑ祈れども我が大君は高日知らしぬ 0207: 天飛ぶや軽の道は我妹子が里にしあれば....... 長歌 0208: 0209: 0210: 0211: 0212: 0213: うつそみと思ひし時にたづさはり....... 長歌 0214: 0215: 0216: 家に来て我が屋を見れば玉床の外に向きけり妹が木枕 0217: 0218: 楽浪の志賀津の子らが罷り道の川瀬の道を見れば寂しも 0219: そら数ふ大津の子が逢ひし日におほに見しかば今ぞ悔しき 0220: 玉藻よし讃岐の国は国からか....... 長歌 0221: 0222: 沖つ波来寄る荒礒を敷栲の枕とまきて寝せる君かも 0223: 鴨山の岩根しまける我れをかも知らにと妹が待ちつつあるらむ 0227: 天離る鄙の荒野に君を置きて思ひつつあれば生けるともなし 0235: 0239: やすみしし我が大君高照らす....... 長歌 0240: ひさかたの天行く月を網に刺し我が大君は蓋にせり 0241: 大君は神にしませば真木の立つ荒山中に海を成すかも 0249: 御津の崎波を畏み隠江の舟公宣奴嶋尓 0250: 0251: 0252: 0253: 稲日野も行き過ぎかてに思へれば心恋しき加古の島見ゆ 0254: 燈火の明石大門に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず 0255: 0256: 笥飯の海の庭よくあらし刈薦の乱れて出づ見ゆ海人の釣船 0261: やすみしし我が大君高照らす日の御子....... 長歌 0262: 矢釣山木立も見えず降りまがふ雪に騒ける朝楽しも 0264: 0266: 0303: 名ぐはしき印南の海の沖つ波千重に隠りぬ大和島根は 0304: 大君の遠の朝廷とあり通ふ島門を見れば神代し思ほゆ 0423: つのさはふ磐余の道を朝さらず....... 長歌 0426: 草枕旅の宿りに誰が嬬か国忘れたる家待たまくに 0428: 0429: 山の際ゆ出雲の子らは霧なれや吉野の山の嶺にたなびく 0430: 八雲さす出雲の子らが黒髪は吉野の川の沖になづさふ 0496: 0497: いにしへにありけむ人も我がごとか妹に恋ひつつ寐ねかてずけむ 0498: 今のみのわざにはあらずいにしへの人ぞまさりて音にさへ泣きし 0499: 百重にも来及かぬかもと思へかも君が使の見れど飽かずあらむ 0501: 0502: 0503: 玉衣のさゐさゐしづみ家の妹に物言はず来にて思ひかねつも 1710: 我妹子が赤裳ひづちて植ゑし田を刈りて収めむ倉無の浜 1711: 百伝ふ八十の島廻を漕ぎ来れど粟の小島は見れど飽かぬかも 1715: 楽浪の比良山風の海吹けば釣りする海人の袖返る見ゆ 1761: 三諸の神奈備山にたち向ふ御垣の山に....... 長歌 1762: 明日の宵逢はざらめやもあしひきの山彦響め呼びたて鳴くも 2634: 里遠み恋わびにけりまそ鏡面影去らず夢に見えこそ 3606: 玉藻刈る処女を過ぎて夏草の野島が崎に廬りす我れは 3608: 天離る鄙の長道を恋ひ来れば明石の門より家のあたり見ゆ 3609: 武庫の海の庭よくあらし漁りする海人の釣舟波の上ゆ見ゆ 3610: 安胡の浦に舟乗りすらむ娘子らが赤裳の裾に潮満つらむか 3611: 大船に真楫しじ貫き海原を漕ぎ出て渡る月人壮士.

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万葉集の代表的な短歌・和歌20首 額田王,柿本人麻呂,山上憶良,大伴家持

柿本 人麻呂 万葉集

0046 安騎の野に宿れる旅人 たびと うち靡き寝 い も寝 ぬ らめやも古へ思ふに 0047 ま草苅る荒野にはあれど黄葉 もみちば の過ぎにし君が形見とそ来し 0048 東 ひむがし の野に炎 かぎろひ の立つ見えて反り見すれば月かたぶきぬ 0049 日並 ひなみし の皇子の命の馬並めて御狩立たしし時は来向ふ この前に長歌があるわけですが、全体の流れを説明すると、既に亡くなってしまった草壁皇子の頃である昔、1首目の「古」(いにしへ)を思うと心が波立って夜も眠れない。 そして、故草壁皇子のかたみの地にやってきた。 すると、「東 ひむがし の野に炎 かぎろひ の立つ見えて反り見すれば月かたぶきぬ」という情景があり、作者は、皇子に成り代わって、その地に立ってみている。 すると、代は変わって草壁皇子の子、軽皇子が、あの時草壁皇子が行った時のように今この地に来て、狩りにおいでになるときがやってきた。 そういう流れになり、天皇の世代交代がこの歌の題材であるところなのです。 神話的な世界 一連は、朝から夜、翌朝という時間的な構成をとっており、大切なのは、作者の目的に合った抽出がなされており、これが歌の世界の中に言葉で創造された神話的な世界であるということです。 まずは、この一首の、「東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」の、人の立っている位置から、見えるものについて考えてみましょう。 人の立つ位置 「かぎろい」というのは、東の空が明るんで、太陽が昇る、または上ろうとしているところです。 春,晴れた日に砂浜や野原に見える色のないゆらめき。 曙光(しよこう)。 この2番目の方の意味となります。 そして、西の空には、「月傾きぬ」というのは、月が空に傾く、つまり、沈もうとしているところで、その眺めをいったものです。 この景色を見ている人は、太陽と月のはざまの中心に居ることとなります。 こういう状況はありえなくはありませんし、時間差を持ってみれば、月と太陽の両方を見ることも可能です。 しかし、作者は意識してこのような情景を歌の舞台として取り入れたのです。 このような壮大な光景、天と地のはざまを描いたとき、そこに登場するのは、天皇の他を置いては誰もいないのです。 「かえり見」の動作の意味 再度、上の情景を負ってみると、景色は東から西へと視点が移り変わっています。 そして、歌の中の人物「われ」、作者自身は、東に向かって立っているが、そこからさらに西に「かえり見」をして、初めて太陽と月を含む全体が確認されるようになっています。 「かえり見」の行為をする人物がいなければ、「月」と「太陽」が同時に見えるこの景色は成立しない。 なので、その舞台のしつらえのために、「かえり見」とそれをする人=作者が登場しているのだと思われます。 時間的な遡行を表す「かえり見」 また、前の歌に「安騎の野に宿れる旅人 たびと うち靡き寝 い も寝 ぬ らめやも古へ思ふに」とあるように、現在の地点から「古(いにしえ)を思う」という、時間的な遡行を象徴する「かえり見」も、東から西への見渡し同様に、同時に成り立っていることがわかります。 この一連は、軽皇子が安騎の野に泊ったという出来事を詠んだものですが、安騎の野はまた、その父、故草壁皇子の形見の地であるということで、「古を思う」というのは、その天皇の一族の生死、移り変わりを象徴しているのです。 「東と西」「過去と現在」の中心点 この歌の「かえり見」とは、つまり広大な空間の東西を結ぶ中心にあるということ、そして、古代と今との時間的な流れの中心にあるということです。 いわば、この地を世界の中心として描き出したのが、この歌の情景です。 柿本人麻呂のスケールの大きさ 太陽と月との運行、昼と夜との転換、古代から現在への流れの、それらを今まさに感得できる空間を描き出すのが、一連とこの歌のモチーフであり、柿本人麻呂の描き出した歌の情景のスケールの大きさ、また、この視点の不思議さに、改めて驚かずにはいられません。 このようなスケール感を持つ歌人は、万葉集以外でも人麻呂の他にはいないでしょう。 「つきかたぶきぬ」と万葉集の読みについて 「つきかたぶきぬ」の読みは賀茂真淵の訓読に今も倣ったというもので、実際にこの歌の通りに読めるかどうかというのは、今でも不確実であるそうです。 結句は、原本の万葉仮名では「月西渡」であり、「月西渡る」の可能性もある、否、おそらくそのとおりであったかもわかりません。 太陽が昇り、月が沈むというモチーフであれば、月が西に行くことをはっきり示す方が適当ともいえます。 万葉集の歌の読み方、訓読というのは、簡単なものではなく、平安時代にはその頃の読み方が既に読めなくなっていました。 その後は、江戸時代にも賀茂真淵の研究を経て、これまでずっと読み伝えられ、さらに修正が重ねられてきて、やっとこのように読むということが分かったものが多くあり、未だにははっきりわからないものもあるということです。 古典が残るということ、古典を読むということの貴重さを、このエピソードからもうかがい知ることができます。 一連の歌 この短歌の含まれる、長歌と短歌を再度挙げておきます。 軽皇子安騎の野に宿らせる時に柿本朝臣人麿が作る歌 0045 やすみしし 我が大王 高ひかる 日の皇子 神ながら 神さびせすと 太敷かす 都を置きて 隠国 こもりく の 泊瀬の山は 真木立つ 荒山道を 石 いは が根 楚樹 しもと 押しなべ 坂鳥の 朝越えまして 玉蜻 かぎろひ の 夕さり来れば み雪降る 安騎の大野に 旗すすき しぬに押しなべ 草枕 旅宿りせす いにしへ思ほして 短歌 みじかうた 0046 安騎の野に宿れる旅人 たびと うち靡き寝 い も寝 ぬ らめやも古へ思ふに 0047 ま草苅る荒野にはあれど黄葉 もみちば の過ぎにし君が形見とそ来し 0048 東 ひむがし の野に炎 かぎろひ の立つ見えて反り見すれば月かたぶきぬ 0049 日並 ひなみし の皇子の命の馬並めて御狩立たしし時は来向ふ 長歌も含めて読んで、初めて流れがつかめると思います。 流れと背景をつかんでみてください。 万葉とその時代のもっとも偉大な歌人、柿本人麻呂の作品は、引き続き鑑賞していきたいと思います。

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