もう 二度と 食べる こと の ない 果実 の 味 を。 もう二度と食べることのない果実の味をネタバレ【迸る15歳の性!】

【感想・ネタバレ】もう二度と食べることのない果実の味をのレビュー

もう 二度と 食べる こと の ない 果実 の 味 を

昔から賢い姉と比較されてきたため劣等感を抱いている冴は勉強することでしか不安を解消できません。 勉強だけに集中していたはずの冴だったのですが、同級生の土屋くんと2人きりになってしまいます。 土屋くんに異性の匂いを感じた冴はここから欲情を抑えられなくなってしまいました。 耽美な世界観を存分にご堪能ください。 『もう二度と食べることのない果実の味を~甘くて苦い、15歳の衝動~ 』の魅力紹介(ネタバレ含む) 前編 15歳の夏、いつものように山下冴が学校に到着すると土屋くんがすでに勉強していました。 学生時代、群れずに自分の意思を貫き通すことは難しいかもしれません。 そんな勇気ある行動を自然体でこなす土屋くんはカッコイイキャラクターですね。 冴が勉強と向き合う自分を土屋くんの姿から肯定できているシーンにも共感することができました。 自分のペースを乱さない中学生の恋愛を描いていく 『もう二度と食べることのない果実の味を~甘くて苦い、15歳の衝動~』! ここから冴が誰にも予測不能な行動を取り始めます。 意外な彼女の一面に驚きながら続きをご覧ください。 後編 理科準備室の掃除を始めた冴と土屋くんだったのですが会話は全くありません。 冴はもっと話してみたいのですが、声をかけられない雰囲気が漂っています。 「それから私たちの逢瀬ははじまった」 勉強ばかりしていた土屋くんと冴の濃密な関係が始まりました。 欲情した中学生の2人はどこまで関係を進展させるのでしょうか!? 妖艶なここから先の展開は実際に漫画を読んでお確かめください。 『もう二度と食べることのない果実の味を~甘くて苦い、15歳の衝動~ 』はこんな人にオススメ 登場人物は中学生なのですが濃密な大人の恋愛模様になっています。 そのため本格的で奥の深いラブストーリーを読みたい人にオススメですよ。 絵もストーリー展開も上手なので読んでいて飽きることがない物語です。 中学生とは思えない妖艶な2人の恋を描写した 『もう二度と食べることのない果実の味を~甘くて苦い、15歳の衝動~』! 大人ではない男女だからこその恋模様をじっくりとお楽しみください。

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『もう二度と食べることのない果実の味を』第15話

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作品紹介・あらすじ 15歳、一生忘れられない人に出会った 『ふたりを誰よりも深くむすびあわせ、同時に破滅をもたらしたもの。 それが、セックスだった。 』 17歳で「女による女のためのR-18文学賞で鮮烈なデビューを飾った雛倉さりえ。 あれから6年たった今、満を持して刊行する衝撃作。 高校受験のために勉強に励む冴は、学年で2位を誇り、クラスの中で近寄りがたいと浮いた存在。 ある日、クラスの女子に掃除当番を押しつけられた冴は、学年トップの土屋くんと教室で二人きりに。 受験のストレス、クラスで浮いた存在、姉へのコンプレックス、様々な鬱屈が絡み合い、好きでもない、ただそこにいただけの土屋くんにキスをしてしまう。 二人は、その後、学校や家の人に隠れて逢瀬を重ね、危険な遊びへ身を投じていく。 二人に切なすぎる結末が待ち受ける。 刊行前から話題騒然。 3月よりデジタル少女漫画誌「&フラワー」でコミカライズ連載開始。 4月よりCanCam.jpでも大型試し読みを予定。 装幀写真は今、話題沸騰の写真家、岩倉しおり氏。 【編集担当からのおすすめ情報】 これほどまでにみずみずしく、リアルに思春期の思いを綴れる作家がいただろうか。 雛倉さんの描く、冴と土屋くんが放つ15歳の繊細さと剛胆さ、不器用さが胸に迫る。 恋だったのかどうかわからなかったけど心をざわつかせてくれた人に、もう一度、会いたくなる物語。 ブクログの献本で頂きました。 性的な描写は確かに全面に出ているのですが、あまり下品な印象もなく、透明な水の底で交わらされているような、不思議な陶酔感がありました。 これから磨かれていく作家さんだと思います。 正直、性愛でしか埋まらないなにかもあるように、性愛でなくともどうにか出来る問題も、あるので。 この時期の冴と土屋くんには、この方法しかなかったのでしょう。 此処から先、どうやって「それ以外」の鬱屈との向き合い方を知るのか、そしてそれを身に着けてから、もう一度愛する人とのベッドに身を投げる時、大人になった冴は何を思うのか、の方を、私は読みたい気もします。 読み進めてゆくと、土屋くんは離れていくし、冴も死にはしないだろうな、と、ある時点ではっきり解ります。 そして、そのことがとてもつらかったですね。 女は結局、いくつであっても、好きな人でなければ抱かれないし、身体で表す愛情だけだと思っていても、気が付ないままに、こころも惹かれているものだと、つくづく思い知らされる作品でした。 男性は、ここまでにしておかなければ、俺にとってヤバイな、と思えば「好きだったよ。 さよなら。 」で終われます。 そして、綺麗にそれを脱いで、次の女を愛することも出来るでしょう。 女の心の中の葛藤とか、振り向く思いとの戦いは、その底からが本番。 あの時の絶頂感は、あの時のせつなさは、と、こうして言葉に出せるようになるのに時が必要で。 そんなこともあった、と無色透明な思い出にするには、もう一段階時が必要です。 冴がいつか、何も失わない交わりに、幸せに溺れていける日が来ますように。 その時彼女が、別れなくていい大人でありますように。 雛倉さりえさんの最新作。 ジェリーフィッシュは途中で挫折してしまったけど、今度こそ…!と意気込んで読んだら、全然そんな必要もなくみるみる世界にどっぷり入り込んでしまい、あっという間に読了。 性の目覚め。 自分の中に眠っていた欲望に気づき、それらを爆発させる術を覚えてしまうこと。 自分の以外の体温の心地よさを知ってしまうこと。 優越感や、多幸感や、背徳感や、罪悪感や、そういうものをずっと抱えながらも貪るように性行為に耽っていたあの頃。 神社の裏で、自分たちだけ大人になったつもりで、あれほど神聖で特別で禁忌だったはずの行為は、本物の大人になった今は一体何に変わってしまったのだろう? これは物語だから、正直どこかで先生や親にバレたりしてほしいな〜なんて意地悪く期待するところもあったけれど、まぁ冴と土屋くんの世界が守られたままで良かった。 破滅ってほどじゃないよ。 大人になってからの方が人生は長い。 一瞬重なりすれ違っただけなのだとしても、きっといつまでもその交差した瞬間の、まるごとの全身で体感した熱は、傷跡のように消えることはないのだと思う。 私も作者とともにそう確信している。 デビュー作のジェリーフィッシュ、ジゼルの叫びと両方読んでいます。 今回はブクログさんからの献本でいただき一足先に読ませていただきました。 前二作は未熟すぎる部分が出すぎていて読める作品ではなかった、けど、読者であるわたしの心に何か残る、後味の悪さがあったのだけど、今作は言い方変だけどちゃんとしてた。 というものの、わたし自身も子供の頃から性への関心が強かったからかもしれません。 冴とどこか自分を重ねてしまったからかな。 土屋君とのラスト綺麗だった。 再会がありそうだとしてもまた同じ道を交わらせないところも好き。 土屋君の、僕も、山下さんのこと、好きだったよ。 も好き。 逃げ腰の好きだよに返す言葉がだった、がよかった。 淡くて、今にも壊れそうなほど脆い中学時代の恋とも呼ばないもの。 セックスを怖いと思うかそうでないか。 不安定な中学時代、たまに切なく、悲しくなる。 いつもそばにある出口のない地獄。 冴のもつ地獄はどことなく共感できる。 だけど土屋くんのもつ地獄は深く暗い。 それは土屋くんの地獄が生きていくための生きがいのようなものと重なっているからだと思う。 それが自分の意思なのか、亡き父の意思なのか、母である美由の意思なのか、それとも誰も願っていないのかさえもわからない恐怖がある。 だから自分が自分であることからは逃れられないことに誰よりも気付いている。 土屋くんの将来の姿が幸せかどうかはわからない。 だけど幸せになって欲しいと願ってしまう。 一人一人そばにある地獄は異なる。 他人から見ると重い地獄と軽い地獄がある。 だけど本人からすれば地獄は地獄で、重いも軽いもない。

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【もう二度と食べることのない果実の味を】最新刊1巻を全巻無料で読めるか試してみた!

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上から下へ落ちていく物語 きらら……最新作『もう二度と食べることのない果実の味を』は、中学生の男子と女子の初体験を、官能的に描いた恋愛小説です。 大人びた濃密な物語に引きこまれました。 雛倉……ありがとうございます。 『きらら』の編集者の方から、真面目な学生同士が墜ちていく話を書いてくださいとご依頼をいただいて、本作を構想しました。 前作『ジゼルの叫び』は天才バレエダンサーの物語でした。 バレエは上昇運動なので、イメージとしてひたすら「上」をめざす小説になりました。 なので次の作品は、「下」へと落ちていく話にしようと思いました。 ご依頼いただいた内容とも、合致するように感じられました。 きらら……上から下への、転換ですね。 雛倉……そうですね。 落下のイメージは、物語の舞台にも関わっています。 主人公たちが住んでいる、海と山に挟まれた街は、国内のある有名な温泉街をモデルにしています。 バブル期は温泉ブームで沸いていましたが、だんだん衰退して、経済力も人口も減っていきました。 ゆるやかに転落していく様子は、少女の退廃的に墜ちていく恋愛と相似関係にあります。 上から下の世界へ落下する構造を、さまざまな部分で意識しながら執筆を進めました。 きらら……舞台となっている街には、開湯伝説が残っています。 赤い雌と白い雄の2頭の龍が交合して、温泉が湧き出ていると伝えられています。 雛倉……本作を書く前に、中沢新一さんのノンフィクション『アースダイバー』を参考にしました。 そのなかに、伊豆山の下に龍がいる、という神話に言及した記述があります。 地下の深くで、龍が鼻とか口とか耳とか体じゅうのあらゆる穴から、お湯をとうとうと流しながら交合しているという。 その情景が、すごく面白いと感じました。 個人的に、龍というか爬虫類が好きというのもあって、今回は物語に取り入れました。 あと廃墟とか、水槽とか、前作までに私が好んで書いたモチーフも出てきます。 私自身の趣味が、いろいろと詰まった作品になりました。 相手を好きになった理由はわからない きらら……主人公の冴は中学3年生。 学年で成績2番の優等生です。 けれど心に、大きなコンプレックスを抱えています。 雛倉……小説の人物を考えるとき、まず最初にコンプレックスを決めます。 冴は、にきびにしようと考えました。 きらら……増え続ける顔のニキビに悩む描写が、たびたび出てきますね。 雛倉……にきびは、埋まっていたものが噴き出てくる症状です。 内面の抑圧がくすぶっている状態と重なっているようにも思えました。 芯を取ってもすぐにあふれ、増殖するにきびは、ある意味で官能的だと感じます。 温泉の湯が湧き出したり、果実の果汁がはじけたり、膜を破って体液が出てきたり……抑えられていたものから、何かがこぼれて噴き上がる瞬間は、とてもエロティックだという感覚があります。 きらら……意識せず、はじけ出るものですね。 雛倉……そうですね。 冴はずっと、欲望を抑えこんでいます。 それが無自覚に、外に飛び出そうとしている様子を、にきびはそのまま表しています。 また2頭の龍の交合から湯が地表にあふれるというイメージと対比させると面白いのでは、という狙いもありました。 きらら……冴のコンプレックスは、9つ歳の離れた姉の瑞枝にも向けられています。 勉強の成績も周囲からの愛情の量も、姉にはまるで敵わず、深く嫌っています。 雛倉……瑞枝は教科書製作の会社に勤めています。 冴は、姉の上へいこうと勉強を頑張っていますが、教科書をつくるという仕事はその源泉にある営みです。 もちろん歳も追い越せない。 絶対的な存在として、姉は冴の心にのしかかっています。 そんな冴の前に、さらに成績で勝てない存在として同級生の土屋が現れます。 きらら……土屋は成績が学年1位の秀才です。 理科準備室で、冴とひょんなことからキスを交わし、やがてふたりは惹かれ合います。 雛倉……冴がどうして土屋を好きになったのか。 私にも、よくわかりません。 同じような抑圧に耐えている似た者同士だからとか、もっともらしい説明はできるかもしれませんが、たぶん特に理由はないのだと思います。 冴が、土屋を好意的に感じているのはたしかだと思います。 だけど恋愛感情だけではない、身体の内奥から突き動かされる何かで、交わっているように感じます。 一般的には、若い方たちの恋愛は爽やかで切なく、華やかなイメージがあるかもしれません。 でも、もっと醜くて汚い、生々しい関係があってもいいはず。 むしろ醜くて汚い恋愛の方が、多いのかもしれない。 その醜さをとことん突きつめたい。 おしゃれじゃない恋愛を書いてみたかった。 恋愛という言葉ではくくれない、生身の男女の関係性に迫りたいと思いました。 近視眼でとらえる細部の描写に惹かれる きらら……男子の肉体の質感や、セックスの恍惚を、近視眼的なほど精密にとらえた描写に息を呑みました。 雛倉さんの描写力は、若手作家のなかで頭抜けています。 雛倉……描写は書くことも読むことも大好きです。 実際に私は近視なので、視界のピントが近いのかもしれません。 微細なものを、好んで描写しています。 本作でいえば、土屋くんの「ごつごつした骨と、筋ばった肌。 のたうつ毛。 どれもわたしの体にはない、異質なものだ」など、接近して見ることで、冴は他者としての男の子を感じ取ります。 きらら……冴と土屋は罪悪感を抱きながらも、繰り返しセックスを重ねます。 その衝動は、性欲だけではないように思われます。 雛倉……10代半ばぐらいの方たちは、進路のことや、抽象的な未来にたいして不安を抱くことも多いかと思います。 その裏返しとして、手でさわれるものにすがりたい、すぐ傍の他者にふれたい、という欲求が切実にでてくる。 目の前にあるもののリアリティを感じたい。 それはつまり、自分の存在を実感したいということなんだと思います。 冴と土屋は、お互いに交わりながら、よるべない自分の行き場所を、探しているのかもしれません。 もがいたからこそ本質に気づいた きらら……冴の心に決着がつく、ラストは余韻ぶかいものでした。 雛倉……もしかしたらありえたかもしれない未来、とはすこしずれたラストになりました。 けれど冴を描くにあたって、この結末しか考えられなかった。 ハッピーエンドかどうかはわかりませんが。 きらら……上へ行こうともがき続けた果ての、少女の選択に胸を打たれます。 雛倉……冴は成績でも精神面でも、ずっと「上」を目指して努力していましたが、頑張るほど、「下」へとずり落ちてしまう。 けれど無駄ではなかった。 彼女なりに苦しんで、もがいたからこそ、本質的なことに気づけたのだと思います。 結局この世界には、「上」も「下」も存在しないのだと思います。 どちらも考えかた次第で、置換可能なものだと思います。 「上」だと思っていた世界は、意外と頭上ではなく、真横だったり、足元にあったりします。 地獄は「下」の世界にあるのではなく、むしろ上下の区別がない世界こそが、朗らかで明るい地獄なのだということが、この小説の芯にあるものなのかもしれません。 きらら……雛倉さんの作家としてのテーマでもあるのでしょうか。 雛倉……上と下というより、ふたつの領域のあいだに横たわる「境界線」は、テーマのひとつだといえるかもしれません。 書くときは何よりも五感を大事にしています。 けれど、自分の生活に近いことは書きにくいです。 デビュー作の『ジェリー・フィッシュ』の頃からそうですね。 書く動機は、「ここではないどこか」へ行くことかもしれません。 できるだけ、自分のいる場所から離れたところを書こうとしています。 実体験や実際の景色だけではなく、言葉そのもので臨んでいきたい。 私は滋賀県の田舎に育ちました。 ふだんから植物や水を眺めることが好きだった半面、賑やかな都会や、海の景色など、遠いところに憧れつづけてきました。 そういう経験も、遠くの方に手を伸ばしたいという思いにつながっているのかもしれません。 昔から、純文学が好きでした。 自分の小説がエンターテイメントか純文学か、どちらをめざすべきかわからず、悩んだこともありました。 でも二者択一にこだわる必要はないのかもしれません。 いまは自分だけに表現できる領域の話を、気張らずに書こうとしています。 『もう二度と食べることのない果実の味を』が、その第一歩となる作品になれば、とても嬉しく思います。

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