頭が良すぎる。 彼の頭が良すぎて萎えて別れた

頭が良すぎるから医療少年院送致|にトはち|note

頭が良すぎる

青春を失うと人間は死ぬ 青春を失うと人間は死ぬ。 だらだらと惰性で生きていることはない。 三十歳になったら自殺を考えてみよう。 だが、あと十年生きたとて何になるのか。 今の、何の激しさも、情熱ももっていない状態で生きたとてそれが何なのか。 とにかく動くことが必要なのだろうが、けれどもどのように動けばよいのか。 独りであることが逃れることのできない宿命ならば、己れという個体の完成にむかって、ただ歩まなければならぬ。 頭が良い人・感性が鋭い人は、常に生きる意味や目的を探しています。 高野さんも 「青春を失うと人間は死ぬ。 だらだらと惰性で生きていることはない。 」と断言しています。 僕の大好きなニルヴァーナのカート・コバーンも 「徐々に色褪せていくなら、いっそ燃え尽きた方がいい」と言って27 歳で自殺してしまいました。 似ていますよね。 彼らは「小さな幸せに感謝しながら、のほほんと毎日を生きる」というのができないんでしょうね。 でもその頭の良さや感性の鋭さゆえに人を感動させる文章や音楽が書けるんですよね。 なんとも皮肉なことですが…。 人は何故こんなにしてまで生きているのだろうか ああ、人は何故こんなにしてまで生きているのだろうか。 そのちっぽけさに触れることを恐れながら、それを遠まきにして楽しさを装って生きている。 ちっぽけさに気付かず、弱さに気付かず、人生は楽しいものだといっている。 「楽しさってなんだろう?」と深く考えれば考えるほど、虚しさが押し寄せてきませんか? 僕はアラサーになって特に思うんですよね、好奇心や刺激を感じる心が明らかに老化してるなと。 小学生の時はそれこそ「ちんちん」で3 ~4 時間爆笑していられましたし、中学生の時は好きなコとキスをするだけで自分が世界の中心だと思えました。 高校生の時には隠れてタバコを吸うだけでドキドキして、大学生の時は飲み会がめちゃくちゃ楽しかった。 でも大人になると、「ちんちん」も「キス」も「タバコ」も「飲み会」も全て新鮮味が無くなっていきます。 若い頃はそれらの楽しみのために生きていられましたが、それらがもはや楽しみでは無くなってしまった今、何をモチベーションにムカつく取引先や代わり映えのしない日常に耐えればいいんでしょうか? そのモチベーションを見つけるのが人生なんでしょうけど、なかなか難しいもんですよね。 スポンサーリンク でも自殺することは結局負けなのです どうしてみんな生きているのか不思議です。 そんなにみんなは強いのでしょうか。 私が弱いだけなのでしょうか。 でも自殺することは結局負けなのです。 死ねば何もなくなるのです。 死んだあとで、煙草を一服喫ってみたいといったところで、それは不可能なことなのです。 と言っていた高野さんは結局20 歳6 ヶ月で鉄道自殺してしまいました。 ちなみに僕の親友も20 代前半で自殺しています。 頭が良くて、誰よりも優しい奴でした。 彼はお酒を飲むのが好きで、平日でも何軒もハシゴ酒をしたがりました。 僕は5 回に1 回くらいはとことん付き合いましたが、ほとんどは1 ~2 軒で帰ってました。 「次の日早いから」と。 どうせ大した仕事もしていなかったんだから、全部付き合ってやれば良かったなあと最近よく思います。 でも彼はもうこの世にいません。 今の僕なら何軒でも飲みに行けるのに、どんなネガティブな相談だってとことん付き合えるのに、それももうできません。 僕も本気で死にたいと思ったことはあります。 マンションから飛び降りれば、僕自身は色んな苦悩から解放されて楽になるでしょう。 でも絶対に死にません。 誰かが僕と飲みに行きたいと思っても、それをかなえてあげられなくなるからです。 「自殺は負け」かどうかは分かりませんが、自分が死んで傷付くのは自分だけではありません。 頭が良いとか感性が鋭いとか、そんな下らないことは自分の大切な人の心に一生残る傷跡をつけていい理由にはなりません。 僕はこの「二十歳の原点」を読んで、絶対に強く生き抜いていこうと思いました。 でもできれば、高野さんの詩や本をもっと読みたかったな。 もうそれもかなわないけれど。

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頭が良すぎるから医療少年院送致|にトはち|note

頭が良すぎる

私は暴行致傷、窃盗、監禁の罪で19歳のときに逮捕された。 所謂、オヤジ狩りというやつだ。 事件を起こしたのは18歳のときだったが、住所不定でフラフラしていたため「居場所を特定するのに時間を要した」と刑事は言っていた。 事件の内容からして警察は当初、男子の犯行だと思ったらしい。 私の名前は男女にあり得る名前のため、警察は家宅捜索に来た際「こんなに華奢な女の子だったのか」と驚いていた。 私は昔から内向的で、親に何を聞かれても「大丈夫」と答えていた。 友人を積極的に作るタイプでもなく、中学1年生の頃は暗いからという理由でいじめを受けていたほどだ。 しかし、人間いつまでも我慢はできない。 怒りたくなることもあれば、泣きたくなることもある。 親にすらひた隠しにしてきた感情は思春期を迎え、反抗期に突入すると、隠しきれないものへと変わっていった。 私が非行に走るきっかけになった理由のひとつに、両親の離婚がある。 それだけではなかったものの、大きな理由であったことには違いない。 母に引き取られた私と妹は、それまでのセレブ生活から絵に描いたような貧乏に変わった。 そのギャップに小学生がついていけるわけもなく、中学2年生で大爆発したという感じだ。 反抗期は高校生になっても続き、少年院から出てようやく社会人として真っ当に生きる気になった。 母との確執は10年に及び、仲良く笑い合えるようになったのはここ最近の話である。 早く出るために嘘をついたのが、病気だと思われた 私は逮捕された当時、警察がなにを言っているのか本気で分からなかった。 暴力沙汰を起こすことは頻繁にあり、共犯者の友人と車中泊をして暮らしていたため、なんの話だかを思い出すことすらできなかった。 更に、私を担当した刑事との相性が最悪だったのだ。 通常少年事件には少年課の刑事が対応するが、私の起こした事件は内容が悲惨であったため、暴力事案を扱う課から移ってきたばかりの刑事が担当したのである。 少年事件を対応する刑事と、成人を対応する刑事には大きな違いがある。 少年担当の刑事が親だとしたら、成人担当の刑事は昭和の教師 成人を対応する刑事は、とにかく高圧的な刑事が多い。 見くびられたら困る、威圧的でないと制せない犯罪者もいる、そのような理由から強気に出てくる刑事が多い。 例えるなら、愛がない昭和の教師だ。 しかし、少年事件の刑事の対応は親に近い。 容疑者を「あなた」や「お前」と呼ばずに、名前や苗字で呼ぶことにより心の距離を縮める。 そうすることで子どもは心を開き、事件の全容をペラペラと話すからだ。 残念なことに私を担当した刑事は高圧的で、常に上からだった。 相手をしてやってる、というくらい頭の回転に差があることはすぐに分かった。 最終的に刑事をイライラさせることが楽しくなり、調書にサインを拒否した途端、激昂した刑事を忘れることはできない。 もちろん罪を犯す人間が悪いのは当然であって、見下されて当然といえば当然であろう。 しかし、事件の全容を解明したいのであれば、彼が大きな間違いを犯していることには気付いていないようだった。 留置場で取り調べを受けている時間は、私にとって刑事をからかうだけの時間に過ぎなかった。 なにを言われてもなにを出されても事件を思い出せず、私はヘンテコな回答をして笑っているだけであった。 私がやったという証拠は十分にあったものの、私は頑なに犯していないと罪を認めなかった。 そうして記憶喪失=病気という判断が下され、医療少年院に送致された。 弁護士の話では、刑事事件として差し戻される可能性があり、そうなると刑務所行きは避けられないとのことだった。 ところが弁護士の予想とは異なり、医療少年院に1年間の送致が決まったのである。 19歳と6ヶ月、雲ひとつない晴れた夏の日だった。 医療少年院は楽だと知って、出院まで居座る方法を考えた 医療少年院送致が決まってから、少年院にも種類があり、医療は「楽勝」であることを知った。 そうと分かれば出院までの時間を医療少年院で過ごすために、なにができるかと考えた。 (通常完治した少年は初等、中等少年院に装置される。 医療に送致されたからといって、出院まで医療で過ごす少年ばかりではない。 ) 医療少年院では入院してすぐに精密検査を受ける。 どこのなにが病気かを調べるためであるが、私はどこにも異常がなかった。 そして最後に脳波を測ったのだが、ここで思い付いたのである。 「殺したいという感情だけで頭をいっぱいにしたとき、脳波計に変化は起こるだろうか。 」 頭に器具をたくさん付けて横になり「ゆっくりして」と言われたが、私は頭の中を殺したいという感情でいっぱいにした。 特定の誰かではなく、殺意だけで自分を満たした。 すると数分後、医師が「おっ」と声をあげたのである。 それが要因のひとつにもなり、私は出院までを楽勝といわれる医療少年院で過ごした。 犯罪者のくせに!という感じだが、当時の私に一切記憶はなかった。 ただ判決が下った以上、刑事事件として差し戻されるリスクを負ってでも無罪を訴えるのは、あまり賢明とはいえない気がした。 とにかく早く出るための道を模索した結果、私を主犯だと指差した友人は中等少年院に2年の刑期、私は医療少年院に1年の刑期となったのである。 あなたは頭が良すぎるから、賢さを正しく使う方法を学ぶのよといわれた 刑務所も同様であるが、送致されて一週間ほどは単独で過ごす。 食事やプログラムも個別に組まれ、環境に適応できるよう準備期間があるのだ。 医療少年院に送致される少年のほとんどは、この準備期間に一度は問題を起こす。 現実に反抗してのことだが、私は優等生のように大人しくしていた。 とにかく早く出るため、そんなことをしている暇はなかったのだ。 しかし、奇声をあげたり自称行為をする少年が多い中、大人しい私を刑務官たちは不思議そうに見ていた。 少年院生活にも慣れ始めた頃、刑務官は私にこういった。 「あなたみたいな子は初めてだけど、頭が良すぎるからここへ来たんだと思うわ。 賢さは正しく使うから意味があるんであって、あなたはその方法を学ぶのよ。 」 計算して医療少年院に入ったといえば聞こえはいいが、その考え方自体が犯罪者である。 しかし、この賢さは視点を変えれば、社会で生きるのに役立つというのだ。 少年院で賢く使う方法を学べたかは定かでないものの、得られた経験がかけがいのない宝物であることは確かだろう。 犯罪者のIQを調べていると面白い発見がある 少年院に入って思ったことのひとつに、IQがある。 勉強ができるできないではなく、頭の回転の速さだ。 罪を犯す多くの人間は、回転が遅い。 だから捕まるともいえるが、回転が速すぎるあまりに捕まる人間もいると知った。 賢い人は頭の回転が速い。 1から10のものを吸収するため、快楽も苦痛も回転が遅い人よりも必然的に多くなる。 となると、好奇心を刺激され「もっともっと」となるのは人間のサガといえるだろう。 この世には、救いようのないバカもいる。 学歴に関係なく、頭の回転が遅い人たちだ。 特に勉強ができるバカほど厄介な存在はおらず、都合よく事実を捻じ曲げていく様は、政治家によく見る光景だ。 そういった子たちが、少年院に送致されることも多い。 声高々自慢げに、さも俺が事件を起こした!ように語っていても、よく聞けば利用されているだけのことも多かった。 最近流行りの詐欺の受け取り役なんかは、明らかに回転が遅いバカの代表だろう。 彼らは犯罪などせず平凡でありきたりな毎日を過ごせばいいものの、ほとんどが目立ちたがりや寂しがりが原因で、要らぬ苦労を背負っている。 しかし、回転が速すぎるあまりに犯罪者になる人もいる。 そういった彼らの使い道を考察すると、意外と国の役に立ったりもするのだ。 最近はハッキングで逮捕される少年も多いが、更生させる必要はないと個人的には思う。 彼らの持つ才能を、国が変えてあげればいいだけなのだ。 まさに、物は使いよう、その一言に尽きる。 それが例え犯罪者であっても、マイナスをプラスに変えることはいくらでもできるのだから。 私の賢さが世間の役に立っているかは不明だが、こうして誰かへ向けて経験を伝えられるだけ幸せだろう。 と思えるようになったのも、医療少年院のおかげというのが泣くに泣けないが。

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頭が良すぎる

Quoraのユーザー、、知能の高い人は「『知らない』と声に出して言うことを恐れない。 知らないから、学ぶことができる」のだ。 これは、学術誌『Journal of Personality and Social Psychology』に掲載されたジャスティン・クルーガー(Justin Kruger )氏とデイビット・ダニング(David Dunning)氏の、知能が低いほど自身の認知能力を過大評価しがちだというも支持している。 一方で、上位4分の1の学生は予想と現実の点数が大きく乖離することはなかった。 ただ、激しく好奇心が強いだけだ」と語ったと言われている。 Quoraの。 「頭の良い人というのは、他の人間が当たり前だと思っていることに興味をそそられる人だ」 学術誌『Journal of Individual Differences』にによると、幼少期の知能と、おとなになってからの知的好奇心を含む、経験に対する開かれた姿勢の間にはつながりがあるという。 科学者たちはイギリスで生まれた数千人の人を対象に50年間の追跡調査を行い、11歳のときにIQテストで高得点を取った人は、そうでなかった人に比べて50歳のとき、経験に対してより開かれた姿勢を持っていたことが分かった。 なぜなら、彼らは関係のないアイデアとアイデアを関連付けることができるからだ。 が書いている。 「刺身とスイカには何の共通点もない? そんなことはありません。 どちらも一般的に生で冷やして食べられています」 興味深いことに、ジャーナリストのチャールズ・デュヒッグ(Charles Duhigg)氏は、こうしたつながりを作っていくことこそだと主張する(尋ねる相手にによっては、と結びつけられることもある)。 デュヒッグ氏は、大ヒットしたディズニー映画『アナと雪の女王』の製作過程を調べ、この映画がよくできた、オリジナリティー溢れる作品に見えるのは、「古いアイデアを新しい方法で1つの作品としてまとめ上げた」からだと結論付けている。 なぜなら、彼らはもっと重要なことに時間を費やしているからだ。 興味深い意見だが、一部の科学者たちも知能の高い人は仕事上でも意味があると思えば、物事を先送りにすると指摘している。 ペンシルベニア大学ウォートン校の心理学者アダム・グラント(Adam Grant)氏は、先送りはイノベーションのカギであり、アップルの共同創業者スティーブ・ジョブズ氏もこれを戦略的に行っていたと言う。 グラント氏は以前、。 「スティーブ・ジョブズが決断を先送りして可能性を検討したときは、独創性も疑う余地もない、ありきたりなアイデアに飛びつくのではなく、より多様なアイデアを出すために時間をじっくり使ったということだ」.

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