夕陽 の カスカベ ボーイズ。 カスカベボーイズとかいう映画www

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夕陽 の カスカベ ボーイズ

本当にクレヨンしんちゃんは下品で子供に見せたくないアニメですか? ぼくが中学生の頃には新聞で子供に見せたくないランキングに入っていたもので、 それは本当に解っていないと授業の発表で反論していました。 映画版はちょっとした非日常を取り入れてパワーアップしていて楽しめるので、 たくさんの人に見てほしいし、今お子さんがいる人は一緒に見てみるというのも面白いと思います。 そんな中でもちょっぴり切ない系の『クレヨンしんちゃんの夕陽のカスカベボーイズ』 待ってました!とぼくなんかは思っちゃう、かすかべ防衛隊が活躍します。 『しんのすけ』『風間くん』『ボーちゃん』『ネネちゃん』『まさおくん』の5人です。 クレヨンしんちゃんの映画の中では割と地味と言われているようですが、 『友情』『甘酸っぱい恋』『映画の中の映画』 が詰まった暖かい作品なので、是非見てみて下さい! Amazonプライム・ビデオでクレヨンしんちゃんの映画も20作品以上見れるのでおすすめです。 最新の配信状況はサイトにてご確認ください。 『クレヨンしんちゃん夕陽のカスカベボーイズ』の簡単なあらすじ 公開日:2004年4月 上映時間:1時間36分 興行収入:12. 8億 ある日しんちゃんたちは一軒の古びた廃映画館「カスカベ座」を見つける。 誰もいないはずの劇場では、ひたすら荒野が映し出されているだけの映画が、 ひとりでに、ひたすら無音で上映されていた。 それを見つめるかすかべ防衛隊。 だが、トイレに立ったしんのすけが劇場に戻ると、 風間くんたちはどこかに姿を消してしまっていた。 映画の中の時間が止まった西部劇のような街 『ジャスティスシティ』に引き込まれて春日部に戻れなくなってしまったのです。 しかも風間くんは敵? はたしてしんちゃんは春日部にカムバックできるのか! 『クレヨンしんちゃん夕陽のカスカベボーイズ』予告編• みさえの調子乗りっぷり笑• ボーちゃんのヘアースタイル• ボーちゃんをハンマー代わりにするな笑ねね 『クレヨンしんちゃん夕陽のカスカベボーイズ』のいろんな感想レビュー 夕陽のカスカベボーイズまた見たらめちゃくちゃ面白かった — 倉地千尋 kurachidesu 間違えて女性専用車両に乗ってしまい夕陽のカスカベボーイズ並みに睨まれた — リボルバーズ 丸谷 kumintyo7gmailc 夕陽のカスカベボーイズ テーマは西部劇。 前作から監督を務める水島監督が個人的に好きな西部劇を題材にしているだけあり、西部劇描写の細かさは流石のもの。 また、本作のヒロインであるつばきちゃんは、しんのすけが恋愛感情を抱くというレアなヒロイン。 オチも含めて刺さる人には刺さるかもしれない — タイツマン TAICHUMAN 『クレヨンしんちゃん夕陽のカスカベボーイズ』感想レビューのまとめ こんな人におすすめ.

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クレヨンしんちゃん 爆盛!カンフーボーイズ〜拉麺大乱〜

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しかし、それが実現 してしまうと何故か、「元の生活に戻りたい」と思います。 ではもしそれが強制的にかなえられてしまったら? …私ならそこでイベントを開催するかも知れません。 グヘヘヘ、働かないと死んぢゃう んだよぉぉぉぉぉ仕事をおくれぇぇぇぇぇ ガッ ツーツーツーツー…。 さてはて今日も元気に鬼ごっこをしているしんちゃん達。 鬼はオレオレ詐欺だったり 闇金融だったりと聞いているだけで防犯の知識がつくような、なかなか侮れない内容 です。 うーむまさにリアル鬼ごっこ。 オレオレ詐欺といえば私の友人 20代 のところにもオレオレ詐欺の電話がかかって きたようで、「私の名前はそんなに年寄りに見えるのか」と友人かなり落ちこんでおり ました。 オレオレ詐欺犯人の皆さん、勘弁してやって下さい。 そんな話をしているうちにしんちゃん達は裏通りに入り、「かすかべ座」という映画館 を見つけたようです。 あれですねぇ、「ほらあれがオリオン座だよ」というその隣に かすかべ座。 というか映画館の名前って星座でノリツッコミできそうなのは何でなんでしょうか。 しらねーよ もうつぶれてしまって人もいないのですが、それを気にするしんちゃんではございません。 というか気にしていたら話が続きません。 ところがどっこい、人がいないはずの映画館では、どこか荒野のようなシーンをひたすら 上映中でした。 私なら引き込まれる前に5秒で飽きそうな感じです。 しかしそこはまあ しんちゃん達ですから珍しがって見入ること数分。 ちなみにしんちゃんはおトイレに 行きたくなってスキップスキップ。 用を済ませて「あ スッキリスッキリスッキリ」と言いながら 帰ってくるのですがこれがまた妙にノリが良くて、何故か口ずさんでしまいます。 やめれ そのうち「スッキリと口ずさみながら歩く変態現る」で全国ニュースになるかも知れません。 そうなったら写真はしんちゃんのモノマネをしているところを使ってもらおうと思っています。 写真じゃわかんねーよ しかし、しんちゃんが帰ってくると風間君達はいなくなってしまっていました。 あわてて帰路に着くしんちゃん。 ところがさらにびっくりくりくりくりっくり。 風間君達は誰も帰っていない。 しんちゃんの話からそのかすかべ座が怪しいとにらんだ野原一家は風間君達を探しに 行きます。 いやあ風間君のお母さん達に声もかけず飛び出していくところは、なんか 一生懸命って感じで好感持てるんですが、懐中電灯くらい持ってけよ。 風間君達の姿はなく、映画をぼんやり見つめているうちに、野原一家はいつの間にか 荒野に立っていました。 太陽サンサンいい気持ち。 この世界で日焼け止めを売ったら結構な 財産出来そうですね。 やはりここはジャパネットタカタ社長にお越しいただいて、「日焼け止めに サングラス、サンバイザー、手袋をお付けいたしまして価格はなんと1000円!金利手数料は ジャパネットタカタが負担!」と豪快にやっていただきたいものです。 …それにはまず、社長に かすかべ座に来ていただかないといけないわけですが。 えー何の映画でしたっけ。 あ、しんちゃんですね。 そんなこんなでどこかの街にたどり着いた野原一家。 まるまる西部劇に出てくるような 町並みにビックリです。 いつも思うんですが、あの酒場のドアは風の強い日には砂埃が吹き込んで、たまったものでは ないような気がするんですけども。 ウエスタンだと竜巻とかもありますしねぇ…。 やっぱりここは ジャパネットタカタ提供、自動ドアに しつこいな。 酒場で話を聞こうと入ったひろし。 絡まれて大変な目に遭います。 まあこういった町は アラクレ者が多いですし、余所者には目を光らせているのが常です。 犯罪者などが逃れて やってくることがあったため そんでまあ乱闘騒ぎになってですな、ひろしが鹿の頭かぶって変な顔に突進ですよ。 わけわかんねぇ そーいや名探偵コナンの、「ベーカー街の亡霊」にもバーが出てきましたがあれは現代の 言葉でいう「パブ」であり、ウェスタンの酒場の元となったものでもあると思います。 もともとはヨーロッパからの移住でウエスタンが出来たはずなので 日本でパブというと化粧をする時に使うのはパフで、赤ちゃんが言うのはバブバブで、えー 要するにきれいなねーちゃんがいるオシャレな飲み屋というイメージがありますが、イギリス などでは居酒屋と同じニュアンスです。 向こうのリーマンは普通にパブに寄る習慣があります。 それはさておき、収拾のつかない騒ぎになりかけたところで保安隊が乗り込んできます。 皆様おなじみ、星のバッジをつけた警察の前衛です。 そこに風間君の姿を見つけてかけよるしんちゃん。 が、風間君は「誰だお前」とそっけない 態度。 彼はしんちゃんのことを忘れてしまったのでしょうか…? ともあれ慌てて逃げる野原一家。 井戸に隠れてなんとか難を逃れたところへ、水汲みに きた少女の投げたオケがひろしのコカンにヒットして別の意味でピンチです。 少女の名はつばき。 彼女もここにいつの間にか迷い込んでしまった1人でした。 ここへ きたら帰れないと告げるつばき。 彼女はこの町がジャスティスシティということ、ジャスティスという知事が治めていることを 伝えます。 まあ見る限りジャスティスというのは善人には見えませんが。 いわゆる悪代官と いったところです。 ちなみにどうもジャスティスと言われるとジャスティス学園を思い出してしまうので困ります。 マイクによると皆は映画の中に入り込んでしまったこと、この街と周囲くらいしか存在 しないこと、どうやら大変な事態のようです。 よくヘタなロールプレイングでは、世界の端っこまでいくとマップが作ってなくて船がそこで 止まってしまうなどなんともお粗末なものだったりしたものですが、あんな感じなのでしょう。 ちなみに私はドラクエのどれだったか忘れましたが、地球のように北を目指して進んだら 南にぐるっと回っているということに気がつかず、10分くらいひたすら上に向かって船を進めて いたことがあります。 北の果てはなんと遠いのだろう、さすがドラクエ、世界も広いと勝手に 思い込んでいました。 まわるぅーまーわるぅーよ世界ぃーはまわるぅー。 この映画から抜け出す方法が分からず途方にくれる野原一家。 一応手がかりがつかめる までこの世界で暮らしていかなければなりません。 でも、しんちゃんがこの映画に来た時点で物語りは少しずつ動き出していくような気がします。 通りにおにぎり…もといマサオ君の姿を見つけて声をかけるしんちゃん。 家に行くのですが 結婚していると聞いて大ショック。 いやそんなそこまで落ち込まなくても…つかそれは何気に マサオ君に失礼やろというような落ち込みっぷりですが、相手がネネちゃんだということを 知ってひとまず安心。 ああ、リアルおままごとの続きみたいな感じですね。 つーか幼稚園児 でも働けるのかよこの街は。 ちなみにボーちゃんは街の外れに住んでおり、ちゃんと記憶も持っていました。 がしかし 少しずつ忘れていっているみたいです。 いつもの掛け声も思い出せなくて困っているようですね。 街の外れまでいってみて、確かに他の町がない事を確認してがっかりのひろしとみさえ。 外の景色を見ていると、桶川博士という人が馬に引きずられていく光景を見かけます。 ついこの間も同じ光景を見た、という2人にマイクはいつも繰り返されていると説明します。 それを1日過ぎたという目標にしているみたいですね。 嫌な時計だな。 ただ、時間も止まり日々人々が同じ事を繰り返す世界というのも確かに嫌なものです。 一番最初にした行動が繰り返す行動になってしまうわけですよね。 ということは例えば 原稿描きに追われていたらそれが永劫繰り返されるのでしょうか。 そんなんならまだ 同じ映画を見させられる方がいいんですけども いい方に回るな。 ひろしとみさえはそれぞれ働いています。 ひろしはマイクと働きながら、ここから抜けだす 方法を探しています。 みさえは酒場で歌を歌っていますがこれがまた、この街を全滅させるために送り込まれた 刺客じゃなかろうかというくらいすごいデストロイっぷりです。 視線で人が殺せます。 ゴルゴも真っ青です。 私もあんな破壊力を身につけたいものです。 そして悪人を片っ端 からなぎ払い、この世界を我が物に、ワッハッハてお前が悪人になっとるやん。 マサオ君もネネちゃんも風間君も、帰る気のないまま、日々は過ぎていきました。 太陽も動きません。 ボーちゃんは頑張っています。 しんちゃんも頑張っていますが、 ぶりぶりざいもんの顔が描けなくなってしまいました。 何もかもが止まった街。 どうでもいいんですが、知事の腹の出具合と桶川博士の腹の出具合が気になります。 ビールの飲みすぎではないのかと。 よしそこでアブフレックスをジャパネットタカタが 以下略。 みさえさんは記憶をなくしたのか執着をなくしたのか、酒場で働くことに夢中です。 いや ホント、そのデストロイっぷりを考えると雇う方も雇う方ですが、よく考えたらそろそろ 閉店にしたいが客が帰らないという時にいいのかも知れません。 しかしやりすぎると 客が全員失神して再起不能になるという、諸刃の剣でもあります。 ふと酒場に知事がやってきました。 みさえさんの歌を絶賛し、自宅に招きます。 本心 でしょうか? 心配になったしんちゃんがついていきますが、やっぱり知事はみさえを褒める気は ありませんでした。 ただみんなの前でバカにしたかっただけなのです。 いるんですよ ねえ、こういう悪代官。 しんちゃんが飛び出してきますが知事のムチの方が強かった。 みさえとしんちゃんは 屋敷の下水から川へ捨てられていきました。 悪代官許すまじです。 ボーちゃんに「 つばきちゃんに ホレたな?」と突っ込まれてごまかしながらも実は マジで焦ってたりするしんちゃん。 かわいいです。 ななこおねいさんといい、好みの レベルが高いですね。 流石は天然たらし系しんちゃん。 将来は俺は海賊王になる!と 言いながら実は何も考えてない天然バカになるのか ファンの方申し訳ありません 、 「氷帝」コールの中颯爽とジャージを脱ぎ捨てて「俺様の美技に酔いな」と、オメー いっぺん病院行けよ ファンの方申し訳ありません ってな人になるのか、将来が 楽しみです。 それはさておき、しんちゃんの「この映画途中で止まってんじゃないの?だから 太陽さんも動きたくても動けない」という言葉にマイクは、「ひょっとしたらこの映画は 未完成であり、自分達の手で映画を完成させればいいのではないか」ということに 思い当たります。 その頃、またも馬で引きずりまわされていた桶川さんをつばきちゃんは思い切って 助けました。 少しずつ、キャラクター達が違う動きをはじめたのです。 桶川さんとつばきちゃんが井戸に到着すると、マイク達が映画の終わりについて 論じているところでした。 まあ「終わりー」と叫んで映画が終わるなら、皆さん映画館で座布団をスクリーンに 投げまくりですよ それは相撲だ。 ところが、「これでダメならジャスティスを倒すしかない」とマイクらは言うのですが、 それが出来るなら誰だってしています。 そこへ桶川博士が走りよりました。 「自分はそのために研究をしていたのだ」と。 太陽が、静かに動き始めました。 推定速度:地表に換算して時速100km。 ちょっと早すぎませんか…つか目に見えて 影が移動するってどうなのよ 少しずつみんなの中にも記憶が戻ってきました。 ジャスティス打倒の決意をかためる一同。 桶川博士はヒーローになれるパンツ 5枚組 を持ってきます。 マイクが立候補しますが お前はく前にどう考えても無理だって気づけよ。 そう、そのパンツをはける人物とは、しんちゃん、ボーちゃん、マサオ、ネネちゃん。 あと1人が足りませんが、かすかべ防衛隊再結成です。 そこへ風間君率いる保安隊がやってきました。 反乱分子を処分する、ということでしたが、 逆に返り討ちにあい、風間君は置き去りにされて保安隊は去って行きました。 最初から 風間君を見捨てるつもりだったようです。 流石はジャスティス、伏線作りに余念があり ません 身も蓋もない。 で、風間君が揃ってパンツも揃ったものの何故か力が出ません。 それは、まだ5人の 心がバラバラだからです。 現実世界が嫌で帰りたくない風間君が原因なのかもしれ ません。 そうこうしているうちに知事が来て街は大混乱。 本当に映画の終わりはこないのでしょうか? つばきちゃんの話により、町外れに蒸気機関車で行こうということになりました。 最初に 野原一家がやってきた時に見た、ガチガチに鎖で縛られた大きな扉とロボットのあった 場所ですね。 今度は蒸気機関車による壮絶なカー ? アクションの予感です。 アンチジャスティスだった ガンマンも協力してくれて、すっげぇカッコイイシーンです。 ひろしは馬で囮になっていて 追いついてきたのですが、飛び移るのに失敗してなんか大変なことになってます。 まあ 何とか引き上げてもらえましたが。 いやああやうく前髪の後退が進むところでした。 そこへ自動車の登場です。 西部開拓の終わりごろには自動車が登場していたので 時代考証的にはおかしくない マイク談 とのことですがいい迷惑です。 ちなみに蒸気では重過ぎてスピードが出ないのでガソリンを使っている方の自動車 ではないかと思います。 この最初のガソリン自動車の発明者はベンツです。 まああそこまで速かったかは知りませんが。 連結部分を攻撃されて列車の前のほうへ飛び移ったものの、風間君は間に合わず 放り出されていきました。 そこへ走ってくる変な顔の車。 絶体絶命か!?と思われた瞬間風間君を救ったのはそう、しんちゃん。 その時ヒーローパンツが発動しました。 とはいえ変身後の姿は街を歩けばまず間違いなく 警察官に補導されると思います。 ちゅーかなんやねんこのセンスは。 ボーちゃんなんか モヒカンやぞ。 まあ、映画を見て クソガキ子供さんに「ボクもカスカベボーイズごっこしたいー!」 とダダをこねられたお母さんには優しい設計だと思います。 それはさておき、「カスカベボーイズ」誕生です。 さあ元気よく「5人そろってゴレンジャイ!」 違うし バッタバッタと敵をなぎ倒し、知事はどこかへ逃げていきました。 つばきちゃんとラブラブなしんちゃん。 結婚を前提に付き合って欲しいと言いかけますが、 ななこさんのこともあるし…と悩みどころです。 ところがどっこい、いなくなっていたはずの知事が戻ってきました。 巨大ロボにのって います。 や、流石に西部開拓後期といってもそれはまだ発明されてないやろ…ちゅーか 今現在、パラパラ踊れるアシモ君でとまってるんですけども。 ともあれ、ロボには流石のカスカベボーイズも歯が立たず、おまけに蒸気機関車は 倒されそうになって大ピンチ。 パワーアップするための掛け声が欲しいところですが、しんちゃんはどうしても思い出せ ません。 なんかどさくさにまぎれていろいろ犯罪まがいっぽい言葉も並びましたが、何とか思い出せた ようです。 「かすかべ防衛隊、ファイヤー!!!!!」 とまあ知事をやっつけたのはいいんですが、その直後蒸気機関車がレールを超えて ひっくり返るあたり、渋い映画になりきらなくていい感じです。 全員ダッシュ中 さて、封印が解けた先には…光り輝く「おわり」の文字が。 ようやく映画は終わりを告げたのでした。 「これで帰れるね」というしんちゃんに黙って微笑むつばきちゃん。 まばゆい光に包まれて、ふと気がつくと皆は現実世界に戻っていました。 静かにエンディングの曲が流れます。 ワルツから軽快なポップスへ。 そしてまたワルツに戻り、静かにこの映画は終わりました。 今度こそ、本当に。 もし私があのエンディングの場にいたなら、しんちゃんにこう言うと思います。 「つばきちゃんはこれからも映画の中にいて、しんちゃんと同じように迷い込んできた人を 導く役目をしているんだよ。 だからずっとずっといつまでも、映画の中にいるんだよ。 それは終わりじゃなくて、またいつでも会えるということだと思う」 最後に。 映画宣伝のポスター、明らかに映画のストーリーが出来る前に作りましたね!? しんちゃんカムバーックって言うからしんちゃんが戻ってこないのかと思ったやんけ! ウエスタン好きな人には、見覚えのあるキャラが出てきてニヤリとできる映画です。 毎回この細かい演出がいいんですよね。

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『クレヨンしんちゃん夕陽のカスカベボーイズ』あらすじ/感想レビュー|好いかげんぴくぴく

夕陽 の カスカベ ボーイズ

映画館「カスカベ座」で遊んでいたかすかべ防衛隊だが、トイレに行ったしんのすけを残して、みんな忽然と姿を消してしまう。 夜になり行方不明になったみんなを心配した野原一家。 映画館を探しに来たが、延々と上映されている西部劇の映像に目を奪われているうちに、気が付けば一家は映画と同じ西部劇の街に立っていた・・・。 春日部に戻ろうと街をさまようしんのすけたちの前に、変わり果てたかすかべ防衛隊のみんなが!風間くんは乱暴な保安官に、マサオくんとネネちゃんは・・・なんと夫婦になっていた。 みんなは春日部の記憶を失っており、それぞれ新しい生活を送っていたのだ。 唯一記憶が残っていたボーちゃんと帰る約束をするが、この世界での生活が長引くにつれ、徐々に春日部の記憶を失い、この世界の生活に馴染んでゆくしんのすけたち。 C 臼井儀人/双葉社・シンエイ・テレビ朝日・ADK 2004 野原一家が映画の中の世界に入ってしまうというお話です。 以下は本編のネタバレを含みます。 夕陽のカスカベボーイズを初めて観たのがいくつの頃だったのかはもう覚えていません。 当時、映画を観終わった後、なんともいえないさみしい気持ちになったのを覚えています。 野原一家の大切な一員としていつも一緒に描かれているシロと、 映画の中の住人の椿ちゃん。 そのシロが本作ではほとんど出てきません。 おそらくシロは現実世界、椿ちゃんは映画の世界をそれぞれ象徴するキャラクターなのでしょう。 なのであえてシロは家に残したのではないかと思います。 映画の中に入って間もない頃のしんちゃんのセリフに、 「シロ置いてきちゃったんだ。 えさあげなきゃいけなかったのに。 きっとないてると思うんだ」 というものがあります。 以降はシロに関するセリフが出てこず、しんちゃんが現実世界のことを どんどん忘れていっているということを表しているのではないかと思います。 そしてその分、映画の中の住人である椿への気持ちが大きくなっていく。 しんちゃんの映画には毎回いろいろなメッセージがあります。 うまく言えませんが、この映画にもたくさん込められていると思います。 それはほかの方が素敵な言葉でレビューを書いてくれていると思うので、 個人的に何よりも切なかったことを書きます。 この映画で一番うるっとしたのは、映画の終わり方でした。 現実世界に戻ったしんちゃんは、椿ちゃんがいないことに気づき、 椿ちゃんは映画の中の住人だったということを知り、肩を落とします。 そこに、現実世界の象徴であるシロが現れて、しんちゃんはすぐに笑顔になります。 そのあと、子供たちも続いて、まるで何もなかったかのように映画館をあとにする。 ここが本当に淡々としているんです。 おそらくそう作ってあるのかと。 そして最後に、ひろしが映画館のドアを閉めるシーン。 「あれ?ここで何をしていたんだっけ」 という顔をするのです。 それがとても切ない。 映画の中の世界での時間は、現実世界での時間に置き換えるとほんの数分、数時間のことなのでしょう。 現実世界に戻ってきたあと、映画館の外の描写は一切ありませんが、 春日部から来た人が映画の中の世界で2年ほど過ごしていることや、 えさをあげていなかったシロが元気に映画館にやってきたことで、何となく察することができます。 映画の中の世界で、春日部からきた人たちは現実世界のことをゆっくりと忘れていきました。 つまり現実世界ではその逆で、映画の世界のことをほんの一瞬で忘れてしまう。 あんなに大好きだった椿ちゃんを、しんちゃんは現実世界に戻ってきて、 シロに会ったのをきっかけに一瞬で忘れてしまったのです。 おそらく、幼ければ幼いほど、人生を過ごした時間がまだ短いので、記憶が消えるのが早いのではと思います。 ひまわりが途中でしんちゃんを忘れてしまったように。 なので、しんちゃんと同じくらいに、春日部防衛隊の子供たちも映画の世界でのことを忘れてしまい、 映画館の外に出た。 現実に戻ったんだと思います。 そして最後に、大人のひろしも、 あれ、何をしていたんだっけ? と、映画館のドアを閉めて、現実世界に戻って、終わり。 あんなに長い時間を過ごした映画の中の世界のことをみんな忘れてしまうんです。 この終わり方は、とても胸が締め付けられます。 名作といわれている、戦国やオトナ帝国などに比べると たしかに盛り上がりはあまりなく、中だるみする場面なども多いのですが、 じんわりと胸に沁みるものがある作品です。 おすすめです。 ストーリー自体はシリアス3:コメディ7くらいで見やすいものになっている。 誰もいない映画館で上映されていた映画を見ていたら、映画の中の世界に取り込まれるというところから物語は始まり、そこで出会った少女ツバキちゃんや、敵であるジャスティス・ラブたちとの戦いを描いている。 なぜレビュータイトルで指折りの名作と謳ったかというと、理由はしんちゃんの本気の顔が見れるからだ。 この作品にはしんちゃんの恋物語も含まれており、その関係でしんちゃんが普段見せないような顔をするのがミソだ。 映画の中の世界で出会った少女ツバキちゃんに段々と惹かれていくしんちゃん。 物語終盤では「春日部に戻ったらオラと・・つ・・つ・・・つ・・・つぅううううう!」「・・・私なんかでいいの?」という掛け合いもあったり、その時の顔が完全に恋する少年の顔なのが新たな一面と感じれて良い。 ただ、人によってはツバキちゃんへの感情を恋と認めたくない人もいるだろう。 それはななこさんの存在があるからだ。 個人的にはどっちも恋だとするのは違うと考えていて、しんちゃんを二股するような軽薄な男にしたくないというのが大きい。 ヒロシを見ていても色んな女性に鼻の下を伸ばしはするものの、結局みさえ一筋というのは分かるし、そのヒロシの息子であるしんちゃんがあっちもこっちもと手を出すような男だとは到底思えない。 だからななこさんへの感情は大人の女性への憧れ的なもので、ツバキちゃんに対しては本気の恋だったのではないかと思う。 極めつけは最後の映画館でツバキちゃんを探すシーン。 映画ということもあって仕方ない結末だったのは理解しているが、思わず胸がきゅっとする展開だった。 しんちゃんの恋物語が見れる良い作品。 しんちゃん達が映画の世界に入り、どうやって映画を終わらせようとするのか模索する内容です。 子供の頃からしんちゃんの映画の中で一番好きです。 子供の頃は終盤のジャスティスのでっかい人形との戦闘シーンやカスカベ防衛隊ファイヤーの号令と共に覚醒するシーンが大好きでした。 まぁ今も大好きなんですが。 大人になった今見ると、何ともせつない物語です。 映画の住人は映画にしか居場所は作れないし、現実世界の住人は現実世界にしか居場所は作れない。 二つの世界が永遠に繋がれることはない一時の夢みたいなもの。 でもそれって、映画を視聴するのと同じなんじゃないかって思います。 人生の契機になるくらい、影響力の強い映画ってのは山ほどあります。 映画の世界の住人に恋をしたり、考えや思想に感心したり、色々ありますが結局は相容れることのない対岸の出来事なんですよね。 二時間という人生の中ではほんの一握りの時間だけど、その中で出会うものは素晴らしい。 そんな感じのテーマを書いた内容だったんじゃないかな、って思います。 しんのすけとつばきのカップリングが好きな人にとって夢のない考察だけど「つばきに対しての恋心はあくまで映画のしんのすけのものであって現実のしんのすけのものではない」というのが個人的な見解。 本作は「現実と映画の対比」、「現実と映画がお互い登場人物を引き寄せる」という要素がある。 対比というのは現実のナナコ、映画のつばき。 映画で欠けたシロと現実で欠けたつばきちゃん。 引き寄せる法則というのは作品内で説明があった「映画の中にいると現実の世界のことを忘れてしまう」ということ。 しかし説明はされていないが現実側にもこの法則が存在するという根拠がある。 それがシロと再会することを引き金に豹変し劇場から出ていく際の表情は失恋の悲しみなど微塵も感じさせないいつもの表情。 理由はシロが映画にいないしんのすけにとって強い接点のある存在だったから。 シロが現実側の強い磁石としてしんのすけを現実に引き戻した描写と思われる。 この反対のことを映画の中でしていたのがつばき。 これに似た経験は多くの人にあると思う。 何か用事があったはずなのに思い出せず諦めて他のことをする物忘れのまさにそれ。 わざわざラストシーンにこれを持って来たのは「登場人物らにとってこの劇場内での体験は非現実のものになる」というメッセージ。 どういう現象なのか館内を調べる、同じことが起きないように機材を壊すなどを誰もしない。 これでは誰かが現実で映画に人を閉じ込める陰謀を巡らせていた場合また同じことが起きても不思議ではない。 しかしながら野原一家はもちろん、約2年映画の中で日付をカウントしたり脱出方法を考えたマイクですらそれをしない。 メタ的な視点で見れば考察の余地を残すためだろうけど作品的にはスッキリしない点。 作品的に説明をつけるとすればやはり現実に引き寄せられて映画の体験が薄れていってるとしか思えない。 そして冒頭のしんのすけの恋心について。 終盤でしんのすけがつばきに告白、「でもナナコお姉さんが」とつばきに返され対するしんのすけのリアクションは「そうだった」。 ナナコのことを一瞬忘れるくらいには映画及びつばきに没頭していた、でも現実を思い出したきとで現実と映画の狭間で揺れる、言い換えれば自分がどっちなのかわからなくなっていたシーンだと思う。 単純に「しんのすけが両方同じくらい好きで迷っていた」という考えも否定は出来ないが本編及び劇場版で沢山のヒロインと出会っても本命が一度もナナコからブレなかったことを考えれば現実と映画それぞれのしんのすけの初恋だったと考えるのが自然じゃないだろうか。 後の劇場作品「宇宙のプリンセス」で歴代ヒロインの中につばきがいるのでしんのすけの記憶から映画のことが消えているわけではない。 ただあくまで映画のことは現実の人にとって映画の出来事。 現実のしんのすけの記憶にあるつばきは「映画の中に出てきた可愛い子」止まりだと思う。 でもそれぞれのしんのすけが存在する考え方でエンディングを見返すと最後に幸せそうに踊る二人がゆっくりと薄れて消えていくのは映画の終了と同時に「映画のしんのすけ」は映画の人物としてつばきと一緒に消えていったようにも見える。 こう考えれば切ない、悲しい失恋エンドではなく永遠に幸せな二人を想像出来るハッピーエンドだなと思った。

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