あら まほ し 意味。 少しの事にも先達はあらまほしきことなり~日経新聞の読み方のポイント2つ~

古典文法 助動詞「たし・まほし」まとめと問題

あら まほ し 意味

願望の助動詞「たし」「まほし」 願望の助動詞「たし」「まほし」の活用や意味を確認していきます。 「まほし」と「あらまほし」、願望を表す助詞の「ばや」との違いについても見ていきます。 「たし」は現代語でいう「~たい」に近いもので、中世によく使われた助動詞です。 「まほし」は平安時代によく使われた助動詞です。 未然形は「ず/む/ば」、連用形は「き/けり/て」、連体形は体言、已然形は「ども/ば」に続く形です。 ・「あらまほし あり+まほし 」… あってほしい、いてほしい、などの「ある、いる」の意味がある ・「あらまほし 形容詞 」… 望ましい、好ましい(「あり(ある、いる))の意味が含まれていない) 助動詞の「まほし」に命令形はありませんが、形容詞の「あらまほし」は命令形(あらまほしかれ)があります。 文脈から助動詞か形容詞かの違いを判断します。 どちらの意味で訳せるものもありますが、「~うるはしく、あらまほし」とあれば前に「うるはし」という形容詞があることから、あらまほしも形容詞と考えられます。 助詞「ばや」との違い 終助詞の「 ばや」は「 たし」「まほし」と同様に願望の意味があります。 未然形に接続し、助詞なので活用しません。 「たし」「まほし」との違いは願望が 話し手自身の願望に限られるところです。 【問題編】助動詞「たし」「まほし」の活用・意味 問1 助動詞「たし」「まほし」の活用表を完成させましょう。

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徒然草 現代語訳つき朗読|第十段 家居のつきづきしく、あらまほしきこそ

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私に粘着してくる曹洞宗の学者は、古くても日本の江戸時代の話ばかりして、 それか道元以前の臨済宗や中国の話はしても 肝心な道元の時代の頃や、鎌倉時代の初期の曹洞宗のことは、触れようともしないし、 政治的には右だったり、人権問題に力を入れている曹洞宗の公式見解とは かなり外れているひとだということがわかってきた。 梵網菩薩戒経をつかって、差別的な見解を強調したり。 そんな人に粘着されているのであった。 そんな人は先達にはなりません。 兼好法師は仏教の思想としては縁覚を批判しているということにもなるでしょうか。 縁覚は縁とは書きますが、独りで、十二因縁を観察して覚る修行者のことです。 犀の角のような。 道元を引用して、道元のほうにばかり肩入れするより、道元に批判されている弟子とか のほうに共感するほうがテキストの多義性が読み込めて面白いと思います。 投稿日時 - 2015-01-31 06:00:58 質問タイトルが、終止形の「あらまほし」ではなく、連体形の「あらまほしき」となつてゐるのは、後続の体言は何をお考へなのでせうか。 私としましては、3番目が望みです。 このたびの分裂については好ましく感じません。 両方閲覧するのは面倒なので、これからはgooのほうが多くなりさうです。 ちなみにgooの登録名はplapotiです。 記憶にあるなかで、いちばん古いのは、『蜻蛉日記』です。 975年ごろの成立とされてゐます。 いくつかありますが、たとへば、康保3年(966年)とされる以下の記述。 「ここにぞ、いとあらまほしきを、何ごともせむに、いと便なかるべければ、かしこへものしなむ。 」 (川村裕子訳注『蜻蛉日記』角川ソフィア文庫I76ページ) 他の回答者のかたがたが御指摘のとほり、『徒然草』や『源氏物語』にもたくさん用例があります。 『源氏物語』での初出は、「桐壺」で、『徒然草』の初出は第一段です。 「おとらず、もてかしづきたるは、あらまほしき御あはひどもになん。 」 (山岸徳平校注『源氏物語』岩波文庫一36,37ページ) 「ひたふるの世捨人は、なかなかあらまほしきかたもありなん。 」 (西尾実・安良岡康作校注『徒然草』岩波文庫18ページ) 私が好きな用例は、『枕草子』のことばです。 「いとをかしう覚ゆるにぞ、げに千とせもあらまほしき御ありさまなるや。 」 (池田亀鑑校訂『枕草子』岩波文庫38ページ) 「すっごい素敵って思えるからさァ、ホント、千年もこのまんまだったらなァ...... っていう御様子なのよ。 投稿日時 - 2015-01-31 12:17:07 plapota様、ありがとうございます。 >「質問タイトルが、終止形の「あらまほし」ではなく、連体形の「あらまほしき」となつてゐるのは、後続の体言は何をお考へなのでせうか。 」 「ことなり」かと思っていましたが。 >「このたびの分裂については好ましく感じません。 両方閲覧するのは面倒なので、これからはgooのほうが多くなりさうです。 ちなみにgooの登録名はplapotiです。 」 そういうことでしたか。 初めて伺いました。 (Q&Aサイトは、他にもありますよね) >「他の回答者のかたがたが御指摘のとほり、『徒然草』や『源氏物語』にもたくさん用例があります。 『源氏物語』での初出は、「桐壺」で、『徒然草』の初出は第一段です。 」 そうなんですか。 「学校で習った知識」では、太刀打ち出来ませんね。 >「私が好きな用例は、『枕草子』のことばです。 「いとをかしう覚ゆるにぞ、げに千とせもあらまほしき御ありさまなるや。 」 (池田亀鑑校訂『枕草子』岩波文庫38ページ) 「すっごい素敵って思えるからさァ、ホント、千年もこのまんまだったらなァ...... っていう御様子なのよ。 」 「だったらなあ」なんですね。 しかし、「Q&Aサイト」って、一口に言っても多岐に渡るでしょうから、分裂とは大変なことですね。 投稿日時 - 2015-02-03 00:46:25.

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あら^~とは (アラーとは) [単語記事]

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仁和寺にある法師、年よるまで石清水を拝まざりければ,心うく覚えて,ある時思ひ立ちて,ただひとり,徒歩よりまうでけり。 極楽寺・高良などを拝みて,かばかりと心得て帰りにけり。 さて,かたへの人にあひて 「年ごろ思ひつること,はたし侍りぬ。 聞きしにも過ぎて,尊くこそおはしけれ。 そも,参りたる人ごとに山へ登りしは,何事かありけん,ゆかしかりしかど,神へ参るこそ本意なれと思ひて,山までは見ず」 とぞ言ひける。 すこしの事にも,先達はあらまほしきことなり。 みなさん,こんにちは いきなりですが,今日は『徒然草(つれづれぐさ)』から入ってみました。 鎌倉時代に,兼好法師(けんこうほうし)によって書かれた随筆(エッセイ)集です これが今読んでも,「そうそう,そうだよね!」と思えるようなことがいっぱい。 例えば上のお話は,こんなお話です(全訳ではありません)。 仁和寺というお寺にいるお坊さんが,年をとるまで石清水八幡宮という有名なお寺に参拝したことがなかったので,思い立ってひとりで参拝してみます。 石清水八幡宮は山の上にあるのですが,そのお坊さんはふもとの極楽寺や高良というお寺に参拝して,これが石清水八幡宮だと勘違いして帰ってしまいました。 帰ってから同僚のお坊さんに, 「長年八幡宮を拝みたいと思っていたのを,ついに達成しましたよ。 聞いていた以上に尊かったです。 しかし,参拝していた人がみんな山に登っていたのは何かあったんでしょうかね? 気になったんですけど,お参りすることが本来の目的なんで,山までは見ませんでした」 と話したのだそうです。 という笑い話(本当は,みんな山の上の八幡宮に参拝していたんですね)。 さて,このお話を,兼好法師はこうしめくくっていますね。 「すこしの事にも,先達(せんだち)はあらまほしきことなり」 「先達」は今の日本語では「せんだつ」と読みます。 辞書を引いてみてください。 どんなちいさなことでも,先輩や案内人があってほしいものだ,ということです。 このお坊さんも,案内人がいたり,また行く前に実際に行った人から話を聞いていたりしたら,こんな勘違いはせずにすんだわけですよね。 最近は私も,論文の準備に本格的に取り掛からなければならなくなってきたのですが,その時に自分だけでは何をどうしていいのかわからない,と悩んでいました。 そんな時に思い出したのがこれ,「先達はあらまほしきことなり」。 今の時期にはどんなことをすればいいか,どんな計画で勉強を進めればいいか,実際に論文を書いたことのある先輩に伺ってみよう!と思い立ったわけです。 それからというもの,先輩を見かけるたびに捕まえて,「去年の今頃は,どんなことをしていましたか?」と伺うようにしました。 すると先輩方は,快く答えてくださるばかりか,ご自分の反省も含めて, 「理想的にはこんなこともやった方がいい」 「これをやっていればもっとよかったと思う」 などと,ご自分なりの味付けも加えてのアドバイスをくださいました アドバイスをいただいた私の方でも,今まで何からやっていいかわからないような状態だったのですが,こんなことからやればいいのだな,とやることが見えただけで,かなり道が開けたような気分になってすっきりしました みなさん,先輩は怖いだけの存在だと思っていませんか? 1年や2年生まれた年が先だというだけで偉そうに,と思っていませんか? (実は私も思っていました……) ですが,やっぱり1年でも2年でも,生きてきた経験が長いというのは本当に大きいこと。 みなさんも, 困ったことがあったらぜひ身の回りの「先達」をつかまえて,アドバイスを求めてみましょう。 先生,家族,先輩などなど,いろんな「先達」がいますよね。 また,同い年の友達も,もしかしたら何かの経験に関しては「先達」かもしれません。 実際に経験したことのある人からアドバイスをもらうというのは,とても貴重な体験です。 周りの人はみんな自分の先生だという姿勢で,成長していきましょう それでは,また!•

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