百聞 は 一見 に 如 かず 続き。 百聞は一行にしかず: 人生冒険家の独明院釈円融

「百聞は一見に如かず」の類義語は?

百聞 は 一見 に 如 かず 続き

ことわざの意味 百聞は一見にしかず (ひゃくぶんはいっけんにしかず)、とは 人から何回も聞くよりも 自分で実際に一度見たほうが正確に分かる という意味です。 山がきれいだった、などの簡単なものから 進学や就職で、学校や仕事場がいいところかどうか、 こういったものは人から聞くこともできますが 一度でも実際に見てみると、より分かりやすいです。 使い方としては 「あれこれ説明するのはむつかしい、 百聞は一見に如かず、実際に見に行こう」 といった感じです。 私がこの言葉を聞いて思い出すのは 小学生のころの工場見学ですね。 課外授業でパン工場やエンピツ工場、 浄水場や下水処理場に行ったのですが こういったものがどうやって作られているか 水道の水はどこからやってきて、どこに行くのか これらは教室で聞いて教えてもらうよりも 実際に見たほうがはるかに分かりやすかったです。 こういったことを思い出すと 百聞は一見にしかず、 という意味がよく分かります。 もとは漢書にあった言葉 あまりにも有名なことわざなので いつの間にか作られて、人々の間に伝わって できたものかと思っていましたが 実は由来ははっきりとしています。 それは中国の「漢書」、 これに出てきた言葉なんです。 この中で、当時の将軍が 敵とどうやって戦うか聞かれたとき 「百聞は一見に如かず、 自分で実際に戦いの場所まで見に行ってから 戦い方を決めることにします」 というようなことをいったのがはじまりです。 漢書は二千年近く前に書かれたものですから それほど昔から言い伝えられている つまりそれだけ大事なことということですね。 如かず(しかず)とは? 当たり前に使われることわざですが あらためて考えるとよく分からないのが 「如かず」という言葉。 これは およばない、かなわない、足りない といった意味があります。 百聞は一見に如かず、だと 「百回聞いても、 一度見ることにはおよばない(足りない)」 ということですね。 文法的な話をしますと 動詞の「如く(しく)」の未然形「しか」に 打消しの助動詞である「ず」をつけて 「如かず」となります。 この単語だけなら漢字では 「若かず」「及かず」とも書きますが 元の漢書に書かれている漢文が 「百聞不如一見」なので ことわざの場合は 「百聞は一見に如かず」 と書くのが本来の書きかたでしょう。 スポンサーリンク 解釈のしかた、考え方はこのふたつ このように昔の中国の言葉でしたが 現代において、 百聞は一見にしかず、というと 主にふたつの意味合いがあります。 ひとつめは 「言葉として耳から聞くよりも 実物を目で見たほうがより分かる」 というもの。 これは、絵画や映画など、 また、綺麗な花、山、 有名な観光地などがそうですね。 こういったものは どういったところが素晴らしかったかを 言葉で聞くよりも 実際に自分で見に行ったほうが分かります。 聞いただけで納得したりせず、 自分で見ることが必要ということですね。 ふたつめは 「人から聞いた話は 間違っているかもしれないので 自分で見て確かめたほうがいい」 というもの。 こちらは人の評判などがそうですね。 「あの人は嫌な人だ」 と他人から聞いたとしても それはその人の考えや意見です。 自分で会って話してみると 案外いい人だったりします。 他人の意見や評判に流されず 自分でしっかり見て考えることが 大事ということですね。 もとの漢書から考えると ひとつめのものが本来の意味に近いですが ふたつめの使い方もされることも多いです。 なお、このことわざには続きがつくられています。 英語にどう訳すかはこちらで述べています。 似た意味のことわざとして 聞いた百より見た一つ というのがあります。 似ているというか、ほとんど同じことを 違う言い方にしているものですね。

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百聞は一見に如かず 百見は一行に如かず

百聞 は 一見 に 如 かず 続き

ことわざの意味 百聞は一見にしかず (ひゃくぶんはいっけんにしかず)、とは 人から何回も聞くよりも 自分で実際に一度見たほうが正確に分かる という意味です。 山がきれいだった、などの簡単なものから 進学や就職で、学校や仕事場がいいところかどうか、 こういったものは人から聞くこともできますが 一度でも実際に見てみると、より分かりやすいです。 使い方としては 「あれこれ説明するのはむつかしい、 百聞は一見に如かず、実際に見に行こう」 といった感じです。 私がこの言葉を聞いて思い出すのは 小学生のころの工場見学ですね。 課外授業でパン工場やエンピツ工場、 浄水場や下水処理場に行ったのですが こういったものがどうやって作られているか 水道の水はどこからやってきて、どこに行くのか これらは教室で聞いて教えてもらうよりも 実際に見たほうがはるかに分かりやすかったです。 こういったことを思い出すと 百聞は一見にしかず、 という意味がよく分かります。 もとは漢書にあった言葉 あまりにも有名なことわざなので いつの間にか作られて、人々の間に伝わって できたものかと思っていましたが 実は由来ははっきりとしています。 それは中国の「漢書」、 これに出てきた言葉なんです。 この中で、当時の将軍が 敵とどうやって戦うか聞かれたとき 「百聞は一見に如かず、 自分で実際に戦いの場所まで見に行ってから 戦い方を決めることにします」 というようなことをいったのがはじまりです。 漢書は二千年近く前に書かれたものですから それほど昔から言い伝えられている つまりそれだけ大事なことということですね。 如かず(しかず)とは? 当たり前に使われることわざですが あらためて考えるとよく分からないのが 「如かず」という言葉。 これは およばない、かなわない、足りない といった意味があります。 百聞は一見に如かず、だと 「百回聞いても、 一度見ることにはおよばない(足りない)」 ということですね。 文法的な話をしますと 動詞の「如く(しく)」の未然形「しか」に 打消しの助動詞である「ず」をつけて 「如かず」となります。 この単語だけなら漢字では 「若かず」「及かず」とも書きますが 元の漢書に書かれている漢文が 「百聞不如一見」なので ことわざの場合は 「百聞は一見に如かず」 と書くのが本来の書きかたでしょう。 スポンサーリンク 解釈のしかた、考え方はこのふたつ このように昔の中国の言葉でしたが 現代において、 百聞は一見にしかず、というと 主にふたつの意味合いがあります。 ひとつめは 「言葉として耳から聞くよりも 実物を目で見たほうがより分かる」 というもの。 これは、絵画や映画など、 また、綺麗な花、山、 有名な観光地などがそうですね。 こういったものは どういったところが素晴らしかったかを 言葉で聞くよりも 実際に自分で見に行ったほうが分かります。 聞いただけで納得したりせず、 自分で見ることが必要ということですね。 ふたつめは 「人から聞いた話は 間違っているかもしれないので 自分で見て確かめたほうがいい」 というもの。 こちらは人の評判などがそうですね。 「あの人は嫌な人だ」 と他人から聞いたとしても それはその人の考えや意見です。 自分で会って話してみると 案外いい人だったりします。 他人の意見や評判に流されず 自分でしっかり見て考えることが 大事ということですね。 もとの漢書から考えると ひとつめのものが本来の意味に近いですが ふたつめの使い方もされることも多いです。 なお、このことわざには続きがつくられています。 英語にどう訳すかはこちらで述べています。 似た意味のことわざとして 聞いた百より見た一つ というのがあります。 似ているというか、ほとんど同じことを 違う言い方にしているものですね。

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百聞は一見にしかずの意味とは?由来や続き、類語、英語表現まで

百聞 は 一見 に 如 かず 続き

「百聞は一見にしかず」って言葉は有名ですよね。 百回聞くより実物を一回見たほうが良いってやつ。 確かにそうですよね。 人の情報を聞くより実際自分で見た方が明らかにわかりやすい。 この「百聞は一見にしかず」ですけど、続きがあるんです。 「百聞は一見にしかず」 「百見は一考にしかず」 「百考は一行にしかず」 「百行は一果にしかず」 「百聞は一見にしかず」は、繰り返しになりますが、百回人の話を聞くより自分の目で一回見た方が良い。 次の「百見は一考にしかず」は、百回見ても見たことについて全く考えなければ意味がない。 で、「百考は一行にしかず」は、色々なことを見たり聞いたりして、そのことについてたくさん考えても行動に移さなければそこまでになってしまう。 そして最後の「百行は一果にしかず」。 多くの行動をとってもそこに成果が無ければ成長は望めない。 そうなのです、成果まで出して、成果まで結びつけることができて初めて自分の中に落とし込むことができ自分のノウハウとなり成長することができるのです。 そのためにはどうすればよいのか? 物事を成し遂げるためには努力が必要となってきますが、この努力のやりかた、正しい努力が成果へとつながるのだと思います。 行動をとっているのだけれど、考えも浅はかにただガムシャラに動いているだけ。 動いてはいるのだけれど浅ーくやっているので、次から一人でやってくれと言われても、まともに結果を出すことができない。 あなた自身の成長についても成果は必要となるのですが、もし組織をひきている立場であり、部下に成長を望んでいるのに、なかなか伸びないという悩みを抱えているのであれば、成果や結果を出させることを考えてみるといいかもしれません。 多分、自分自身も仕事をものにできたとか、成長できたと感じるときって、やっぱりキッチリとした成果が出せたときじゃないでしょうか? となると今後成長してほしい部下についても同様で、考えさせ、行動させ、結果まで出させる、それを部下の主体的な動きで出させ、成果を感じさせることができれば、1段階成長するのではないかと思います。 思い起こせば自分自身もそうだったのかなーと思います。 で、一旦、主体的に動いて成果まで出せるようになると、10年経った今でも同様の業務を任せられれば、仕切って結果まで出せる自信はあります。 これってヤッパリ過去に担当したときに、やりきった、成果まで出せた、っていうところなんだと思います。 「百聞は一見にしかず」 「百見は一考にしかず」 「百考は一行にしかず」 「百行は一果にしかず」 まぁ、なんかこれを語れるだけでもカッコよく見えますけどねー。。 (見えないか?!) youchun-0513.

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