アルテ マンドリン。 コンサート情報

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アルテ マンドリン

ご存知の通り、アルテは井上先生がNPO法人理事長兼音楽監督として組織されています。 組織のトップが演奏面だけでなく運営面でもトップダウン形式で動いていることが想像されます。 権力が超集中しているので、アルテをどう動かすにも井上先生のさじ加減一つで全て決まってしまうという意味になります。 もちろん、クラブ・サークルは表向き学生の自治に任せている体をとっていますが、それでも勉強や就職活動に比重を重く置くべきというアドバイスをツイートして、影響力を存分に発揮しています。 それにしても、 「個の力」がますます重要になっていく時代の流れの中で、未だに組織を重要視する井上先生の考え方については、はなはだ疑問です。 組織の望む結果を無理やり出させられて、それで結果として個人が望まぬ人生の送り方を強制されては、まるで意味がありません。 それは人間のやる事ではありません。 ロボットがやる事です。 そもそも、こうした課外活動というのは、現状 主に学業や仕事 が嫌だから逃げる行為であって然るべきです。 課外活動に逃げることによってとりあえず「生きがい」を持って、それで嫌な仕事をなんとか乗り切るのが課外活動の存在意義だったはずです。 んでもって、課外活動で自信がついてさらに活動範囲を広げていけば、いずれは「会社に雇われなくても生きていける手段」を持つことができます。 最近脚光を浴びているプロブロガーやユーチューバーは、いずれも「遊び」が出発点でした。 こんなご時世に、「会社でも活躍できる人間w」なんて養成していたら、東京オリンピックが終わったあたりにバッドエンドを迎えることは火を見るよりも明らかです。 「会社でも活躍できる人間w」なんて、ぶっちゃけ「虎の威を借る狐」ですからね。 好かれる事よりも嫌われない事を優先する八方美人は、結局「会社」だったり「アルテマンドリニスティカ」という看板がないと何もできませんからね。 タイタニックみたいに船が沈んだら、自分もまた船と運命を共にする方向に行ってしまいます。 仕事なんて、ぶっちゃけ会社をクビにならない程度で十分なんですよ。 そもそも雇用契約なんて、「時間を奪う行為に対してお金を支払う」という発想なのですから、会社の仕事を行っているだけですでに義務は果たしています。 ですから、会社が「義務を果たせ」なんて言ってきたら、「そちらこそ、福利厚生の義務を果たせ」と言い返せばいいのです。 余談ですが、井上先生は「間違ってもプロマンドリニストにはならないように。 儲からないから。 」というツイートもしていましたが、それは単に井上先生の稼ぐ能力が劣っているだけで、マンドリンが原因ではありません。 自分の能力の低さをマンドリンのせいにするな!と、筆者は思わずiPadの画面の前で叫んでしまいました。 この「稼ぐ努力を怠る」という行動パターンも、サラリーマンの特徴ですね。 余談その2。 ここまで井上先生のツイートを掲載しなかった理由。 それは、 井上先生のツイッターアカウントが非公開アカウントだからです。 エラそうなツイートをしているクセに鍵をかけて身内しか閲覧できないようにしているあたり、井上先生の小者感がにじみ出ています。 JUGEMテーマ:•

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ヌリア・リアル、アルテマンドリン/ヴェネツィアの香り

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オザキ譜庫発売マンドリン合奏譜 オザキ譜庫発売マンドリン合奏譜 254.「麦祭り 合唱つき 」大幻想曲 M. マチョッキ作曲 原編成 第一・第二マンドリン、マンドラ、マンドロンチェロ、ギター、男声合唱 スコア 原編成と同じ パート譜 原編成;と同じ 解説 マリオ・マチョッキは、1874年4月4日ローマで生まれ、1955年11月9日にパリで亡くなったマンドリンとプレクトラム・オーケストラのための啓蒙者で作曲家。 ギターに堪能であった父から手ほどき受け、早くからマンドリン、ギターをBRONTOLIと、 CONSORTIから、ソルフェージをBENEDETTIに学び、聖チェリア音楽院でCETACCIOLI教授から作曲と指揮を学んだ。 17歳で、有名な ローマ五重奏団(Quintette Romain )の研修チェリストとなり、プロのトレーニングを受け、数年間南アメリカに赴いた。 その後ベルギーのリエージュでオーケストラ指揮者をつとめ、1900年パリに教授所を設立し、ギターの教則本を出版した。 1905年にパリに定住し、彼はいくつかのオーケストラを指導した。 彼自身の作品も、マンドリンオリジナル作品、クラシックの編曲作品など約800曲にものぼる。 あまりの多作に、オルガ・デリス伯爵夫人(Comtesse Olga Delys)の別名でも多くの作品を残している。 彼のロマンチックなスタイルの音楽は、明るさとドラマが混在したものであり、母の血をひくスペインの民族音楽に触発されており、19世紀後半から20世紀初頭にかけて非常に人気があり、アマチュアを主体そするマンドリン界に評価された。 「麦祭」は彼の代表的な作品の一つである。 曲は四楽章からなり、作者により次の解説が掲載されている。 1. 黎明 麗しい陽の一瞥は黄金の鋲を ちりば めた大空を灰色に染めてゆく。 黎明の光はまたたいている。 そして夜の暗闇が物した喪のかおぎぬは静かに消えてゆく。 突如明るい陽は流れて会堂の風見の雌鶏が紫に美しく彩られた。 これが安息した夜の終りで、又活動すベき日の初めである。 2. 楽しき目覚め 新緑の夏と豊満な収穫とを讃美する鐘の音は歓声の様に響いてくる。 これを聞くと村人達は疾く起き出でて祭神の衣を着ける。 そして輝かしい面を見せて村道を右往左往する。 やがて彼方の牧場から今日の祭りに到る牧人の笛の一曲が聞こえてくる。 それから会堂の御告の鐘が遠く響いてゆく。 村人はやはり村道を往ったり来たりしている。 3. 麦の歌 会堂の鐘を合図に集まった村人達のミサが終ると若い人達は一団となって、古風な野趣を帯びた麦の歌を合唱する。 これは伝統的なものであるが、形式、韻律などは一定していない。 4. 祭の後に 一同は再び料亭に会合する。 互に心からの喜悦を尽すとやがて名残を措しんで散会する。 そして彼方へ此方へ森へ畑へ・・・・・と急いでゆく。 幾組かの若い夫婦達は麦の歌を高唱しながら仕事に親しむ。 255.「路傍にて」セレナータ T. 1890年からフィレンツェでマンドリン・ギター楽譜を出版、ムニエル、マルチェルリ、F. フランチア等の作品を紹介し、マンドリン音楽の隆盛に伴って成功したマウリ社からTociのこの作品が出版されている。 おそらくムニエルと同時代の人であったと考えられる。 この曲の他に、フルート、マンドリン、ギターのための曲で"Sogno di Gioia"(楽しい夢)がある。 八分の六拍子のセレナータで、転調後に叙情的なメロディを歌う部分があり、後半からは終曲まで快速につき進む。 わが国のマンドリン界隆盛期には独奏曲として愛奏された。 マウリ社からマンドリンとピアノ(ギター)、マンドリン四重奏などのかたちで楽譜 パート譜)が出版されている。 256.「夏の庭」黄昏 P. シルヴェストリ作曲 原編成 クァルティーノ、第一・第二マンドリン、マンドラ・テノール、マンドラ・コントラルト、マンドロンチェロ、ギター、ベース、ティンパニー、シストロ スコア 第一・第二マンドリン、マンドラ・テノール、マンドロンチェロ、ギター、ベース、ティンパニー、シストロ パート譜 スコアと同じ 解説 作者はイタリアの作曲家。 1871年5月9日モデナに生まれ、1960年2月6日に没した。 14才から音楽を学び始め、ギターをセルミ教授について習い、その後次第にマンドリンに関心を持つようになった。 ペサロの音楽院でビアンキーニからピアノと和声、対位法を学び、卒業後はモデナのウンベルト一世吹奏楽団の指揮者に任命されるが、後にモデナ・マンドリン合奏団を創立する。 1901年、ロディにおける国際マンドリン独奏コンクールの会長に推される。 1910年ごろには、アルドラバンディ教授の後を受けてボローニャのマンドリン音楽研究誌「イル・コンチェルト」の主幹となり、イタリア・マンドリン界を啓蒙すると共に数多くのマンドリン佳曲を発表した。 和声に優れた作品が多く、「夏の庭」や、「ノスタルジー」「静けき夜」「夜の静寂」などが知られる。 「夏の庭」は1941年シエナでおこなわれた作曲コンクールに第三位入賞した作品。 この時の第一位がU.ボッタッキアリの「夢の魅惑」第二位がC.オテッロ・ラッタの「英雄葬送曲」であった。 とき既に第二次世界大戦最中のことで、イタリアではマンドリン音楽も衰退し、これら入賞曲も演奏されることなく埋もれていたが、同志社大学マンドリンクラブOB岡村光玉氏が声楽修行中、シエナのアルベルト・ボッチ氏の書庫で1940、1941年の二回にわたっておこなわれたシエナでの作曲コンクール入賞曲を見いだし、わが国にもたらしたものである。 原曲の編成はクァルティーノ、マンドラコントラルト等も入り夫々が二部にわかれ大編成になっているが、クァルティーノは第一マンドリンに含め、マンドラコントラルトはマンドラテノールの第1部とした。 題名にふさわしい幽遠な抒情曲である。 257.「美わしの詩人」序曲 G. アンチロッティ作曲 M. ミラノのモンツィノ楽器商会に関係し、1925年から、同社の発行するマンドリン誌"Mandolinista Italiano"から多くの小曲を発表している。 特に、イタリアの著名なギタリストであるマンリオ・ビアジの編曲によるマンドリン合奏曲に代表作があり、本曲のほか、"Mattutino al Villaggio 村の朝の祈り "、"Impressioni Toscane(トスカーナの印象 "などが知られている。 Poeta Galante,sinfonia(「美わしの詩人」序曲)は、1932年2月に"Mandolinista Italiano"誌にスコアが発表された。 作者アンチロッティについての、詳細はわからないが、編曲者ビアジは1896年8月27日ウンブリア州南部のTerni(テルニ)で生まれミラノに定住し、1942年ミラノで没した。 生涯で約200曲を作曲・編曲した。 258.「詩人の瞑想」 G. この号に、曲の紹介として次のように記されている。 イタリア陸軍軍楽隊長ジュゼッペ・マネンテの『詩人の瞑想』 アンダンテ・アパッショナート、あたたかさに満ち、イマジネーションが響き渡る。 落胆をともなった高揚。 ときに力強く、しかしけっして乱暴ではない。 ニュアンスに満ちた作品であり、演奏では、この美しい作品が持つメロディーの魅力とハーモニーの豊かさを十分に際立たせなければなりません。 因みに作曲者から中野二郎氏に贈られた「楽興の時」自筆スコアには「わが愛する娘に贈る」と記されている。 演奏の参考に作者自筆スコアから作成した「楽興の時」スコアおよびパート譜を添付する。

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黄金のリラ〜バロック・アリア、モーツァルト歌曲集 ヌリア・リアル、アルテマンドリン エコー・クラシック受賞などを誇る素晴らしく美しきソプラノ、ヌリア・リアル。 天真爛漫な純真さを感じさせてくれるその素晴らしい表現は絶品。 今回もバロックの「天使の歌姫」らしく、バロック・オペラやカンタータからの美しいアリア、そしてモーツァルトの歌曲が選曲されています。 このアルバムでのサポートは、古典マンドリン・アンサンブルである「アルテマンドリン」が務めています。 3人の古典マンドリン、バロック・ギター、ヴィオローネ、鍵盤楽器の計6人のアンサンブルは、バロック〜古典派時代のマンドリンの演奏スタイルなどを研究し、当時のマンドリンの「栄光の時代」を現代によみがえらせます。 当時行われていたであろう、宮廷や家庭などで楽しむ小編成のためのオペラ・アリアのように、マンドリン・アンサンブル用に編曲し、新たなる再現を試みています。 モーツァルトの歌曲も、マンドリン伴奏用の作品が選ばれ歌われています。 (DHM) 【収録情報】 1. アリゴーニ:マンドリンのための協奏曲 2. フックス:『Diana placata』〜アリア「Si vedrai quelnome altero」 3. ガスパリーニ:『L'Astianatte』〜アリア「Io non vi credo」 4. コンティ:『Il Gioseffo』〜アリア「Bramo un core che impari dal moi」 5. ボノンチーニ:『Griselda』〜アリア「Nonso se piu mi piace per fede o per belezza」 6. カルダーラ:『Il Giuoco del quadriglio』〜アリア「Ah se tocasse a me」 7. ハッセ:マンドリンのための協奏曲 8. ヘンデル:『アレグサンダー・バルス』〜アリア「Hark! Hark! He Strickes the Golden Lyre」 9. ガスパリーニ:『Lucio Vero』〜アリア「Dolce sembiante no il tiuo rigore」 10. アルビノーニ:『Eracleo』〜アリア「Dopo i nembi e le porcelle」 11. レオーネ:ソプラノとイタリア風シンフォニーによるカンタータ 12. モーツァルト:『おいで、いとしのツィターよ』 K. 351 13. モーツァルト:『満足』 K. 349 14. パイジェッロ:歌劇『セヴィリアの理髪師』〜アリア「Rien ne peut calmer ma peine」 ヌリア・リアル(ソプラノ:2-6,8-14) アルテマンドリン(古典マンドリン・アンサンブル) 録音時期:2014年2月、9月 録音場所:ミュールハイム、マルティンス教会 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション) Powered by HMV.

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