愛にできることはまだあるかい歌詞。 【RADWIMPS/愛にできることはまだあるかい】歌詞の意味を徹底解釈!深すぎるメッセージが心に響く!

#27. 『愛にできることはまだあるかい』 (English Version) 和訳|Takafumi Ito|note

愛にできることはまだあるかい歌詞

邦楽の英語カバーといえば、馴染みの曲が他の言語で歌われるという新鮮さだけで十分魅力的ではあるのだが、それと同時に見逃せないのは、 「日本語の歌詞が英語になるとどのように表現されるのか」ということだ。 日本語と英語は一対一では対応しない。 日本語で楽に言えることでも、英語にはどうも訳せない例はたくさんあるし、似たメッセージを伝えられても、日本語で言うのとは違う言い方で表現しなくてはならないことが、実によくある。 まして歌には、元々のメロディに歌詞が合わなければならないという、たいへん大きな制約がある。 日本語では何小節もかけて使う表現も、英語にすると 1 語にしかならないようなこともあるので、 同じ小節数の中でも、英語での方がもっといろいろ言えてしまう。 だから日本語の曲が英語でカバーされたときには、 「歌詞が足されたために生じた変化」が必ずどこかに現れる。 『愛にできることはまだあるかい』は、もともと口数の少ない曲で、抽象的で曖昧な部分もたくさん残されていた歌詞。 それが英語になったことによりどのような変化があったのか、そういったことに注目していざ聴いてみると、いろいろと面白い発見がある。 ということで今回は、一度英語に訳された曲を再度日本語に翻訳することで、オリジナルの歌詞がどのように変わっているのかを、わかるような形にした。 (*訳の日本語は、原曲のものに沿うようにしつつ、なるべく英語で表現されていることは取りこぼさぬよう配慮した。 (僕らはどこで息を吸う?) Governors and gods alike (支配者も神もそろって) Trying to turn the other cheek (そっぽを向いているけれど) But even if you look away (いくら目を逸らしたって) The truth is always facing you (現実はいつも立ちはだかる) Courage and the strength of hope (勇気や希望の強さ) The magical bond we share (魔法のような絆も) We grow up only to forget (大人になればみんな忘れて) How we ever use them here? (いまは使い方すらわからない) But same as you were on that day (それでもあの日と同じように) I see you still standing there (君はそこにまだ立っている) Glowing in your innocence (無垢な輝きに満ちて) You were always standing there (君はいつでもそこに立っていた) When the world turns its back on you (世界に背を向けられてもなお) You find a way to stand and fight (立ち向かうすべを見つけて) Ready to face it all (すべてに向き合おうとする君が) I see you here shining bright (僕には輝いて見えるんだ) I need to know i f there's still anything that love can do? (愛にできることはまだあるかい?) I need to know i f there's still anything that I can do? (僕にできることはまだあるかい?) You are the one who found m y courage and I knew (君が見つけてくれた勇気だから) I want to pay it back and spend it all on you (君のために使って、お返しがしたいんだ) You gave me love we share (君がくれて分け合った愛) It's all because of you (すべて君のおかげだから) You are the reason (君こそが理由だから) Let me share this love with you (この愛は君と分かち合いたいんだ) I need to know if there's still anything that love can do? (愛にできることはまだあるかい?) I need to know if there's still anything that I can do? (僕にできることはまだあるかい?) What if our destiny (もしも僕らの運命[サダメ]が) Was just a roll of the dice (サイコロの出た目で決まるなら?) Or if it's up to the Gods (はたまた、神々の) And if they feel like playing nice (気まぐれで決まるものなら?) A mission that we didn't choose (望んでもない使命だろうか) Like karma that we can't remove (まるで消せない因縁のような) Or maybe it's a distant wish? (もしくは遥かな願いだろうか) Something that we can't refuse (拒むことのできないような) Prayers that are never heard (果たせぬ願いと) Reunions that never occur (叶わぬ再会と) Arguments that never clear (解けぬ誤解と) Hate that doesn't disappear (消えることのない憎悪と) I hear the voices that forgive (許し合う声が聞こえる) I see them standing hand in hand (手を取り合っているのが見える) But with its arm, open wide (その大きく開いた腕で) The earth embraces all again (この星はすべてを抱えている) I need to know if there's still anything that love can do? (愛にできることはまだあるかい?) I need to know if there's still anything that I can do? (僕にできることはまだあるかい?) You are the one who found m y courage and I knew (君が見つけてくれた勇気だから) I want to pay it back and spend it all on you (君のために使って、お返しがしたいんだ) This love we raised together (二人で育てたこの愛は) Shaped by me and you (君と僕とでできているから) You are the reason (君こそが理由だから) Let me live this love with you (この愛を君と生きさせてほしい) I need to know if there's still anything that love can do? (愛にできることはまだあるかい?) I need to know if there's still anything that I can do? (僕にできることはまだあるかい?) So insignificant just you and me (こんなにちっぽけな僕たちに) So why are we given this dream? (なぜこの夢は与えられたのか?) And if this life is just going to hell (もしも堕ちてゆくだけの人生なら) Tell me, why are we allowed to feel hope? (なぜ僕らは希望を感じるのだろうか?) And if it just gonna slip back on my hands (いずれ手からすり抜けるだけならば) Then why even give it to me? (そんなものなぜ僕に与えるのか?) 'Cause ain't it sad, how we try to hold on (だって、いずれ消えるとわかっていながらも) Knowing one day, it all be gone (しがみつくなんて悲しいだけじゃないかい?) Or maybe it's beautiful? (それとも、きれいかい?) Answer me! (答えてよ!) All these love songs we hear (愛の歌もすべて) Already, they've been sung to death (歌われ尽くした) All the movies that we've seen (すべての映画も) They said everything they can (できることはもう語り尽くした) But somehow you and me (でもどういうわけか僕たちは) Fell into this wilderness (この荒野に生れ落ちてしまった) But still, I need to know (それでも、僕は、知っておきたいんだ) I need to know if there's still anything that love can do? (愛にできることはまだあるかい?) I need to know if there's still anything that I can do? 細かい変化を挙げればキリがなくなってしまうので、気になった部分を 2 箇所だけ取り上げ、以下に註釈を加える。 原曲の歌詞では、「支配者」や「神」あるいは「オトナ」という存在が、「他人顔」をして何かから「目を背け」ていると書いてあり、 「(一般市民・子どもとしての)語り手がそういった者たちを非難している」ように解釈できる。 しかし英語版の歌詞を見てみると、最初の 2 行でこそ "governors" 支配者 や "gods" 神 がそっぽを向いている者として出てくるものの、次の 3 行目からは "look away" 目を背ける する主体が "you" に変わっている。 " と歌われている。 「わたしたちはみな成長すれば(勇気や希望や絆の魔法)を忘れてしまう。 原曲の歌詞で遠くの人に向けられていた非難の的は、英語版では自分たちの方に向いている。 ひと言でいえば、 「他人事」として批判している原曲に対して、 「ジブン事」として噛みしめている英語カバーという感じだろうか。 この部分は、個人的に、英語版の歌詞を聴いていて一番胸に響いた箇所だ。 原曲ではあまり気にも留めなかった歌詞が、英語の歌詞で聴いた瞬間、グッと心を打ってきた。 まず原曲の歌詞は、(直接そうは書かれていないが)「僕たち」に「夢を見させ」たり「希望を持たせ」たり、「手をすり抜けるものばかり与え」たりするものとして想定されているのは、おそらく神であろう。 何も持たずに、終わりある人生を生き、つかんだものさえ失ってしまう人間に対し、神様はどうしてそんなことをするのだろうと、考察しているような歌詞である。 また、「なぜ夢を見させたか」「なぜ希望を持たせたか」、「ものばかり与えたか」、と 3 行立て続けに「~(せ)たか」という音が繰り返されるが、こういった語尾はふだん日常的には使わない文語なだけに、どこか哲学者が思想にふけっているようなイメージが湧く。 先ほどの「神」が主語であることと相まって、原曲版のこの歌詞からは、全体的に 「世界を客観的に、俯瞰しているような静かな印象」を受ける。 " この人生が地獄に堕ちてゆく運命なら、教えてほしい、なぜ僕らには希望を感じことが許されているのか? でも、"we" が主語となり受身の形で表現されている。 つまり、原曲の方が 「(神は)どうして~したのか」と言っているのに対し、英語の方は一貫して 「僕たちはなぜ~されたのか」という表現の仕方を取っているのである。 この二つのうちどちらの言い回しの方が、聴いている者の身に迫るように感じられるかは、言うまでもなく後者だろう。 " いずれは手からすり抜けてゆくなら、そんなものどうして僕に与えるのか? と続く。 理不尽さを訴える主体が「僕たち」から( "me" が出てきたことにより)「この僕」個人になった点に注目したい。 「神の行いの真意を考察しているかのような」原曲と対照的に、英語版の歌詞は徹底的に 「理不尽を被る僕(たち)が、神に切実に問いかけている」イメージである。 この部分は、英語版の歌詞において、最も語り手の感情が発露している箇所だと思うが、ここで原曲の歌詞と決定的に違うのは、オリジナルでは 「醜いかい」となっているところが、英語版では 「悲しくはないかい」と表現されているということだ。 見え方の問題ではなくて、明らかに個人の感情に焦点が当たっている。 指の間からすり抜けていくものに必死でしがみつこうとする行いは、 「醜いだろうか、きれいだろうか」と問う原曲と、 「そんなの悲しいことじゃないのか、いやもしかして、それって美しいのだろうか」と問う英語版。 後者の方からは語り手のより切実な気持ちが感じられる。 ぼくがこの部分全体にとても心を打たれたのは、おそらくこういった表現の違いが影響しているのだろうと思う。 日本語の曲が英語になると、言葉の数が増えるだけでなく、英語の性質上「誰がそうしたのか」とか「誰がそう感じたのか」という主語に言及する回数が多くなるので、必然的により主観的に感じるのかもしれない。 同じ曲で同じ歌い手とはいえ、歌う言葉が変わっただけで、このような変化がもたらされる。 こういう違いに目を向けることが、邦楽の英語カバーを聴くにあたっての大きな醍醐味の一つである。 どちらが良いとか悪いとか、そういう話では決してなく、比べてみるとこんなに違うという事実が、ただ単純に面白いなと感じる。 それは、オリジナル版で、「愛にできることはまだあるかい/僕にできることはまだあるかい」という歌詞が、最後の最後で、「愛にできることはまだあるよ/僕にできることはまだあるよ」という風に変わる部分。 これが英語版には反映されなかったことだ(こちらでは今までと同じフレーズが最後にもう一度繰り返されるだけ)。 あの部分をどのように英語にするか、気になっていた人は自分だけではないと思うので、最後に YouTube で同曲の英語カバーを出している Anonymouz さんので歌われている歌詞を引用して終わりたいと思う。

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RADWIMPS『愛にできることはまだあるかい』歌詞の意味と内容を考察|Moriの音楽ラボ

愛にできることはまだあるかい歌詞

あっという間に終わる7分間でしたよね。 では、さっそく楽曲考察に移っていきましょう。 楽曲名「愛にできることはまだあるかい」とは 「愛にできることはまだあるかい」とは 愛で可能なことは、沢山し尽してきたけど、それでもまだ愛にできることはあるのか? という、問いを含めた意味になっています。 本楽曲が主題歌とされている映画「天気の子」は、天気の調和が狂った世界観が描かれています。 そんな大変な世界だからこそ 「人間一人一人の愛」の大切さを謳っているのでしょう。 また、この題材は我々が身を置く現代社会に置き換えることも大切。 メカニカル的なテクノロジーの進歩により便利なモノが増えたご時世ですが、今ではその代償として人間の温かさが失われつつあるとも言われています。 今後、AIが発展していく中で 我々人間 愛 ができることはなんなのか。 といったことを考えさせられます。 「愛にできることはまだあるかい」というタイトル。 本当に感慨深いですね。 それでは、本題の歌詞に迫っていきましょう。 歌詞 愛にできることはまだあるかい 何も持たずに 生まれ堕ちた僕 永遠の隙間で のたうち回ってる 諦めた者と 賢い者だけが 勝者の時代に どこで息を吸う 支配者も神も どこか他人顔 だけど本当は 分かっているはず 勇気や希望や 絆とかの魔法 使い道もなく オトナは眼を背ける それでもあの日の 君が今もまだ 僕の全正義の ど真ん中にいる 世界が背中を 向けてもまだなお 立ち向かう君が 今もここにいる 愛にできることはまだあるかい 僕にできることはまだあるかい 君がくれた勇気だから 君のために使いたいんだ 君と分け合った愛だから 君とじゃなきゃ意味がないんだ 愛にできることはまだあるかい 僕にできることは まだあるかい 運命とはつまり サイコロの出た目? はたまた神の いつもの気まぐれ 選び選ばれた 脱げられぬ鎧 もしくは遥かな 揺らぐことない意志 果たさぬ願いと 叶わぬ再会と ほどけぬ誤解と 降り積もる憎悪と 許し合う声と 握りしめ合う手を この星は今日も 抱えて生きてる 愛にできることはまだあるかい? 僕にできることはまだあるかい 君がくれた勇気だから 君のために使いたいんだ 君と育てた愛だから 君とじゃなきゃ意味がないんだ 愛にできることはまだあるかい 僕にできることは まだあるかい 何もない僕たちに なぜ夢を見させたか 終わりある人生に なぜ希望を持たせたか なぜこの手をすり抜ける ものばかり与えたか それでもなおしがみつく 僕らは醜いかい それとも、きれいかい 答えてよ 愛の歌も 歌われ尽くした 数多の映画で 語られ尽くした そんな荒野に 生まれ落ちた僕、君 それでも 愛にできることはまだあるよ 僕にできることはまだあるよ 作詞作曲:野田洋次郎 スポンサーリンク 歌詞の意味・解釈 1番 愛にできることはまだあるかい 何も持たずに 生まれ堕ちた僕 永遠の隙間で のたうち回ってる 諦めた者と 賢い者だけが 勝者の時代に どこで息を吸う 作詞作曲:野田洋次郎 愛にできることはまだあるかい と、タイトルにも起用されている「問い」が冒頭から述べられていますが、その先に綴られているのは、愛の素晴らしさなんてものではありません。 現代社会における皮肉 が訴えられているのです。 この「皮肉」が何を指すのかというと、 「諦めたものと賢いものだけが勝者」と歌詞であるように、愛情や感情論なんかよりも、 妥協した人やずる賢い者が得をしてしまう現代社会のことを指しています。 自分の正義を貫くものが損をする。 上手く空気を読める人が得をする。 悲しくも、現代社会はこれが当てはまります。 歌詞で 「永遠の隙間」とありますが、これはこの1、2の中間地点のような立ち位置のことを指していて、主人公はそこに存在しているのでしょう。 自分の中の正義を貫きたくても、それができないのです。 支配者も神も どこか他人顔 だけど本当は 分かっているはず 勇気や希望や 絆とかの魔法 使い道もなく オトナは眼を背ける それでもあの日の 君が今もまだ 僕の全正義の ど真ん中にいる 作詞作曲:野田洋次郎 支配者や神というのは、自分目線で見た「目上の大人」を指しており、 表面上だけの温かさを感じては、悲しみに暮れているのです。 その表面上の温かさに対して だけど本当は分かってるはず と、歌詞で主人公は断定しています。 冷たい社会だけど、本当はみんなどこかで愛を求めているし、その重要性をわかっているはずだ。 と訴えているのです。 また、ここで「君」が登場します。 この人物は以降の歌詞でたくさん出現していくのですが、どのような役割を担っているのでしょうか。 歌詞を追っていきましょう。 世界が背中を 向けてもまだなお 立ち向かう君が 今もここにいる 愛にできることはまだあるかい 僕にできることはまだあるかい 作詞作曲:野田洋次郎 世界が背中を向ける というのは、本楽曲においては 世界が愛情を忘れてどこか冷たくなっている という解釈でいいと思います。 その世界に立ち向かうのが「君」ですから 君は愛情に溢れた人物 であったことが読み取れます。 そんな君の愛が印象深く残っている主人公は、愛の力を確かに感じている訳です。 だから 愛にできることはまだあるかい? すなわち 僕 I にできることはまだあるかい? という問いを述べているのでしょう。 サビ1 君がくれた勇気だから 君のために使いたいんだ 君と分け合った愛だから 君とじゃなきゃ意味がないんだ 愛にできることはまだあるかい 僕にできることは まだあるかい 作詞作曲:野田洋次郎 サビでは、主人公にとっての愛の象徴である「君」が多く綴られており、それに対する気持ちが描かれています。 ラブソングのような語法で情景が描かれていますが、本楽曲においては、単に男女間の愛情を述べている訳ではないと思います。 愛の象徴である「君」とその重要性・神秘性を綴ることで、 「愛」という広義のテーマを肯定しているのではと感じました。 これこそがサビの歌詞に隠されたメッセージなのではないでしょうか。 スポンサーリンク 2番 運命とはつまり サイコロの出た目? はたまた神の いつもの気まぐれ 選び選ばれた 脱げられぬ鎧 もしくは遥かな 揺らぐことない意志 果たさぬ願いと 叶わぬ再会と ほどけぬ誤解と 降り積もる憎悪と 作詞作曲:野田洋次郎 定めとは、運命のこと。 投げられたサイコロがどの目を指すか分からないように、人生も何が起きるかなんてわからないのです。 だからこそ大切なのは• 脱げられぬ鎧• 揺らぐことない意志 として歌詞中で対比される、自分の中の正義 信念 なのです。 変えられない運命はたくさんありますが、普段の在り方によって変えられる運命も確かに存在するのです。 最後の2文では、 「果たさぬ願い」「叶わぬ再会」というような、ネガティブイメージな言葉が淡々と綴られます。 これにも意図があります。 その意図は次の歌詞で見えてきます。 許し合う声と 握りしめ合う手を この星は今日も 抱えて生きてる 愛にできることはまだあるかい? 僕にできることはまだあるかい 作詞作曲:野田洋次郎 ここでは 「許し合う声」「握りしめ合う手」といった、 愛情や温もりを感じるような言葉たちが綴られていくのです。 前の文で、ネガティブイメージな言葉が投げられた分、この場面で綴られる言葉たちの温かさが強調され、 辛いこともあるけど、そればかりじゃない。 美しく温かいものも世界にはある。 という前向きな意志が明確に伝わるのです。 コミュニケーションでも大切な「後よし言葉」のテクニックが使用されているのです。 <サビ2もサビ1と同じようなメッセージを持つと解釈したため、ここの解釈は割愛します> 3番 何もない僕たちに なぜ夢を見させたか 終わりある人生に なぜ希望を持たせたか なぜこの手をすり抜ける ものばかり与えたか それでもなおしがみつく 僕らは醜いかい それとも、きれいかい 答えてよ 作詞作曲:野田洋次郎 3番は、 「愛の偉大さ」が全力で訴えられている大切なパートになります。 私たち人間は、• うまくすり抜けることで、楽に生きていく事ができる社会なのに、僕たちは夢を見てしまいます。 いつか確実に死んでしまうのに、少しでも輝いて生きようとします。 届かないと思っていても、手に入れようと努力をしてしまいます。 これは私たちに「感情」があるからです。 理屈では叶わないことがたくさんあります。 歌詞では、そんな感情を持つ私たち人間が 醜いかい?それとも綺麗かい? と問われています。 その答えはきっと明確なもので「綺麗」に決まっています。 なぜなら、誰しもが 「夢」や 「希望」は、綺麗で美しいものだと、潜在意識的に想っているからです。 スポンサーリンク 愛の歌も 歌われ尽くした 数多の映画で 語られ尽くした そんな荒野に 生まれ落ちた僕、君 それでも 愛にできることはまだあるよ 僕にできることはまだあるよ 作詞作曲:野田洋次郎 曲が締められたと思いきや、 述べられていく最後のフレーズ。 ラストフレーズに辿り着くまでの空間や、洋次郎の声が中心となるこの部分は、今までの歌詞とはまた違うメッセージ性が込められているにではと解釈致しました。 それはズバリ 野田洋次郎が楽曲を作っていく意志 のようなものだと感じたのです。 この世の中には、愛を歌う歌や、名作のラブストーリーなんてありふれています。 しかし、その飽和した状態の中でも、 確実に愛のメッセージを届けるよ 心に届く歌を作り続けるよ というメッセージが込められているのではないでしょうか。 まとめ 映画「天気の子」の主題歌である「愛にできることはまだあるかい」の考察を行っていきましたが、私の想像を遥かに超えていくほど感慨深く、心に響いてくる内容でありました。 現代社会の問題と対面させられ 「愛の偉大さ」 ひいては人間の持つ本来の美しさを確かに感じ取ることができました。

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【RADWIMPS/愛にできることはまだあるかい】歌詞の意味を徹底解釈!深すぎるメッセージが心に響く!

愛にできることはまだあるかい歌詞

あっという間に終わる7分間でしたよね。 では、さっそく楽曲考察に移っていきましょう。 楽曲名「愛にできることはまだあるかい」とは 「愛にできることはまだあるかい」とは 愛で可能なことは、沢山し尽してきたけど、それでもまだ愛にできることはあるのか? という、問いを含めた意味になっています。 本楽曲が主題歌とされている映画「天気の子」は、天気の調和が狂った世界観が描かれています。 そんな大変な世界だからこそ 「人間一人一人の愛」の大切さを謳っているのでしょう。 また、この題材は我々が身を置く現代社会に置き換えることも大切。 メカニカル的なテクノロジーの進歩により便利なモノが増えたご時世ですが、今ではその代償として人間の温かさが失われつつあるとも言われています。 今後、AIが発展していく中で 我々人間 愛 ができることはなんなのか。 といったことを考えさせられます。 「愛にできることはまだあるかい」というタイトル。 本当に感慨深いですね。 それでは、本題の歌詞に迫っていきましょう。 歌詞 愛にできることはまだあるかい 何も持たずに 生まれ堕ちた僕 永遠の隙間で のたうち回ってる 諦めた者と 賢い者だけが 勝者の時代に どこで息を吸う 支配者も神も どこか他人顔 だけど本当は 分かっているはず 勇気や希望や 絆とかの魔法 使い道もなく オトナは眼を背ける それでもあの日の 君が今もまだ 僕の全正義の ど真ん中にいる 世界が背中を 向けてもまだなお 立ち向かう君が 今もここにいる 愛にできることはまだあるかい 僕にできることはまだあるかい 君がくれた勇気だから 君のために使いたいんだ 君と分け合った愛だから 君とじゃなきゃ意味がないんだ 愛にできることはまだあるかい 僕にできることは まだあるかい 運命とはつまり サイコロの出た目? はたまた神の いつもの気まぐれ 選び選ばれた 脱げられぬ鎧 もしくは遥かな 揺らぐことない意志 果たさぬ願いと 叶わぬ再会と ほどけぬ誤解と 降り積もる憎悪と 許し合う声と 握りしめ合う手を この星は今日も 抱えて生きてる 愛にできることはまだあるかい? 僕にできることはまだあるかい 君がくれた勇気だから 君のために使いたいんだ 君と育てた愛だから 君とじゃなきゃ意味がないんだ 愛にできることはまだあるかい 僕にできることは まだあるかい 何もない僕たちに なぜ夢を見させたか 終わりある人生に なぜ希望を持たせたか なぜこの手をすり抜ける ものばかり与えたか それでもなおしがみつく 僕らは醜いかい それとも、きれいかい 答えてよ 愛の歌も 歌われ尽くした 数多の映画で 語られ尽くした そんな荒野に 生まれ落ちた僕、君 それでも 愛にできることはまだあるよ 僕にできることはまだあるよ 作詞作曲:野田洋次郎 スポンサーリンク 歌詞の意味・解釈 1番 愛にできることはまだあるかい 何も持たずに 生まれ堕ちた僕 永遠の隙間で のたうち回ってる 諦めた者と 賢い者だけが 勝者の時代に どこで息を吸う 作詞作曲:野田洋次郎 愛にできることはまだあるかい と、タイトルにも起用されている「問い」が冒頭から述べられていますが、その先に綴られているのは、愛の素晴らしさなんてものではありません。 現代社会における皮肉 が訴えられているのです。 この「皮肉」が何を指すのかというと、 「諦めたものと賢いものだけが勝者」と歌詞であるように、愛情や感情論なんかよりも、 妥協した人やずる賢い者が得をしてしまう現代社会のことを指しています。 自分の正義を貫くものが損をする。 上手く空気を読める人が得をする。 悲しくも、現代社会はこれが当てはまります。 歌詞で 「永遠の隙間」とありますが、これはこの1、2の中間地点のような立ち位置のことを指していて、主人公はそこに存在しているのでしょう。 自分の中の正義を貫きたくても、それができないのです。 支配者も神も どこか他人顔 だけど本当は 分かっているはず 勇気や希望や 絆とかの魔法 使い道もなく オトナは眼を背ける それでもあの日の 君が今もまだ 僕の全正義の ど真ん中にいる 作詞作曲:野田洋次郎 支配者や神というのは、自分目線で見た「目上の大人」を指しており、 表面上だけの温かさを感じては、悲しみに暮れているのです。 その表面上の温かさに対して だけど本当は分かってるはず と、歌詞で主人公は断定しています。 冷たい社会だけど、本当はみんなどこかで愛を求めているし、その重要性をわかっているはずだ。 と訴えているのです。 また、ここで「君」が登場します。 この人物は以降の歌詞でたくさん出現していくのですが、どのような役割を担っているのでしょうか。 歌詞を追っていきましょう。 世界が背中を 向けてもまだなお 立ち向かう君が 今もここにいる 愛にできることはまだあるかい 僕にできることはまだあるかい 作詞作曲:野田洋次郎 世界が背中を向ける というのは、本楽曲においては 世界が愛情を忘れてどこか冷たくなっている という解釈でいいと思います。 その世界に立ち向かうのが「君」ですから 君は愛情に溢れた人物 であったことが読み取れます。 そんな君の愛が印象深く残っている主人公は、愛の力を確かに感じている訳です。 だから 愛にできることはまだあるかい? すなわち 僕 I にできることはまだあるかい? という問いを述べているのでしょう。 サビ1 君がくれた勇気だから 君のために使いたいんだ 君と分け合った愛だから 君とじゃなきゃ意味がないんだ 愛にできることはまだあるかい 僕にできることは まだあるかい 作詞作曲:野田洋次郎 サビでは、主人公にとっての愛の象徴である「君」が多く綴られており、それに対する気持ちが描かれています。 ラブソングのような語法で情景が描かれていますが、本楽曲においては、単に男女間の愛情を述べている訳ではないと思います。 愛の象徴である「君」とその重要性・神秘性を綴ることで、 「愛」という広義のテーマを肯定しているのではと感じました。 これこそがサビの歌詞に隠されたメッセージなのではないでしょうか。 スポンサーリンク 2番 運命とはつまり サイコロの出た目? はたまた神の いつもの気まぐれ 選び選ばれた 脱げられぬ鎧 もしくは遥かな 揺らぐことない意志 果たさぬ願いと 叶わぬ再会と ほどけぬ誤解と 降り積もる憎悪と 作詞作曲:野田洋次郎 定めとは、運命のこと。 投げられたサイコロがどの目を指すか分からないように、人生も何が起きるかなんてわからないのです。 だからこそ大切なのは• 脱げられぬ鎧• 揺らぐことない意志 として歌詞中で対比される、自分の中の正義 信念 なのです。 変えられない運命はたくさんありますが、普段の在り方によって変えられる運命も確かに存在するのです。 最後の2文では、 「果たさぬ願い」「叶わぬ再会」というような、ネガティブイメージな言葉が淡々と綴られます。 これにも意図があります。 その意図は次の歌詞で見えてきます。 許し合う声と 握りしめ合う手を この星は今日も 抱えて生きてる 愛にできることはまだあるかい? 僕にできることはまだあるかい 作詞作曲:野田洋次郎 ここでは 「許し合う声」「握りしめ合う手」といった、 愛情や温もりを感じるような言葉たちが綴られていくのです。 前の文で、ネガティブイメージな言葉が投げられた分、この場面で綴られる言葉たちの温かさが強調され、 辛いこともあるけど、そればかりじゃない。 美しく温かいものも世界にはある。 という前向きな意志が明確に伝わるのです。 コミュニケーションでも大切な「後よし言葉」のテクニックが使用されているのです。 <サビ2もサビ1と同じようなメッセージを持つと解釈したため、ここの解釈は割愛します> 3番 何もない僕たちに なぜ夢を見させたか 終わりある人生に なぜ希望を持たせたか なぜこの手をすり抜ける ものばかり与えたか それでもなおしがみつく 僕らは醜いかい それとも、きれいかい 答えてよ 作詞作曲:野田洋次郎 3番は、 「愛の偉大さ」が全力で訴えられている大切なパートになります。 私たち人間は、• うまくすり抜けることで、楽に生きていく事ができる社会なのに、僕たちは夢を見てしまいます。 いつか確実に死んでしまうのに、少しでも輝いて生きようとします。 届かないと思っていても、手に入れようと努力をしてしまいます。 これは私たちに「感情」があるからです。 理屈では叶わないことがたくさんあります。 歌詞では、そんな感情を持つ私たち人間が 醜いかい?それとも綺麗かい? と問われています。 その答えはきっと明確なもので「綺麗」に決まっています。 なぜなら、誰しもが 「夢」や 「希望」は、綺麗で美しいものだと、潜在意識的に想っているからです。 スポンサーリンク 愛の歌も 歌われ尽くした 数多の映画で 語られ尽くした そんな荒野に 生まれ落ちた僕、君 それでも 愛にできることはまだあるよ 僕にできることはまだあるよ 作詞作曲:野田洋次郎 曲が締められたと思いきや、 述べられていく最後のフレーズ。 ラストフレーズに辿り着くまでの空間や、洋次郎の声が中心となるこの部分は、今までの歌詞とはまた違うメッセージ性が込められているにではと解釈致しました。 それはズバリ 野田洋次郎が楽曲を作っていく意志 のようなものだと感じたのです。 この世の中には、愛を歌う歌や、名作のラブストーリーなんてありふれています。 しかし、その飽和した状態の中でも、 確実に愛のメッセージを届けるよ 心に届く歌を作り続けるよ というメッセージが込められているのではないでしょうか。 まとめ 映画「天気の子」の主題歌である「愛にできることはまだあるかい」の考察を行っていきましたが、私の想像を遥かに超えていくほど感慨深く、心に響いてくる内容でありました。 現代社会の問題と対面させられ 「愛の偉大さ」 ひいては人間の持つ本来の美しさを確かに感じ取ることができました。

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