ナウル 現在。 かつて地球上存在した「地上の楽園」ナウル共和国の哀れな惨状

世界一の富裕国は50年足らずで最貧国になった|ナウル共和国の歴史|ヨナヨナ

ナウル 現在

(C)Shutterstock オーストラリアとハワイのあいだ、太平洋の南西部にある面積21平方キロメートル(東京都品川区ほど)しかない小島に存在する『ナウル共和国』は、かつては世界最高水準の生活を享受していた。 それが一転して深刻な経済崩壊に陥ってしまっている。 「同島は1888年にドイツの植民地になったのですが、この島全体が肥料として貴重なリン鉱石でできていることが分かってから、島の経済状況が大きく変わりました。 19世紀後半から採掘が始まり、やがて第二次世界大戦を経て、1968年に独立すると、それ以後はリン鉱石採掘による莫大な収入がナウルの国民に還元されるようになり、漁業と農業に従事して貧しくも慎ましく生きていた島民の生活は一変したのです」(経済アナリスト) 一体、どのくらい変化があったのだろうか。 「1980年代にナウル共和国は国民1人当たりのGNP(国民総生産)が2万ドルに達し、アメリカ(1万3500ドル)の約1. 5倍という、世界でもトップクラスの経済大国に生まれ変わったのです。 ちなみに同国のGNPは、当時の日本(9900ドル)の約2倍でした。 その結果、ナウルの社会構造は公務員が10%、残りは無職(90%)という、とてつもなくいびつな国家になった。 しかし、そんな都合のいい状況は長く続かない。 「無職の人間が国の大半を占めたナウル共和国は、国民の90%が肥満体質になり、その30%が糖尿病という、世界最高の肥満と糖尿病の国になりました。 やがて、リン鉱石の枯渇に見舞われた際に思慮したのが、『どうしたら、これからも働かずに食っていけるか』でした。 そこで同国が採用したのが『タックスヘイブン』です。 しかし、それがアメリカによって阻止されると、次にはパスポートを濫発してテロリストの片棒を担いで裏金を稼ぐようになってしまいます。 それもアメリカから圧力がかかると、今度はオーストラリアや中国、台湾、日本から資金援助を引き出すことに精を出しました。

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かつて地球上存在した「地上の楽園」ナウル共和国の哀れな惨状

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全5014文字 サウジアラビア・サルマン国王訪日 今月、はるばるサウジアラビアからサルマン国王が来日していました。 サウジアラビアといえば世界最大の産油国であり、日本は原油の3割をサウジアラビアからの輸入に頼っています。 このため、日本とは切っても切り離せない深い関係にある国ですが、ほとんどの日本人は「サウジアラビア」と言われてもあまりピンと来ないかも知れません。 サウジアラビアについては、これまでは時折、テレビ番組などで「原油産出国の金満ぶり」が紹介されるくらいでしたが、今回もその政治的・経済的背景よりも、サウジ側が持ち込んだ「エスカレーター式の特製タラップ」だの、「移動用のハイヤーが数百台」だの、「随行者1000人以上が都内に宿泊」だのといった、芸能週刊誌じみた下世話な話題ばかりが前面に押し出された報道がなされていたように感じます。 しかし、今回の訪日で重要なことはそんなつまらないことではありません。 なぜサウジアラビア国王が御自(おんみずか)ら極東の日本くんだりまでやってきたのか。 その理由にこそ、現在サウジアラビアが置かれた切実な窮境があります。 サウジアラビアなどの中東の産油国は、原油の輸出に偏った貿易構造からの脱却が長年の課題だ。 「金満体制」の本質 ところで筆者は、マスコミで定期的に紹介される、そうした産油国の金満ぶりを見ても、彼らに対して羨望の気持ちなどまったく湧いてきません。 それどころか、ああした金満ぶりをテレビカメラの前で自慢げに披露する人たちを目にするにつけ、憐憫の情すら湧いてくるくらいです。 なぜならば、ああした金満はけっして長く続かないどころか、ひとたび零落(おちぶ)れたが最後、その後にはその国とその民族に末代まで悲惨な運命が待っていることは、歴史が証明しているからです。 例を挙げれば枚挙に遑(いとま)がありませんが、まずは現代においてそうした問題を切実に抱える「ナウル共和国」を見てみましょう。 地上の楽園・ナウル共和国 ナウル共和国とは、日本人にはあまり馴染みのない国かもしれませんが、かつて世界最高水準の生活を享受していたのに、一転して深刻な経済崩壊の状態に陥ったという点で、知る人ぞ知る国です。 オーストラリアとハワイの間、太平洋の南西部にある品川区ほどの面積(21平方km)しかない小島にある共和国であり、世界でも3番目に小さな国連加盟国です。 そして、1888年にドイツの植民地になってまもなく、この島全体がリン鉱石でできていることが判明しました。 リン鉱石とは、数千年、数万年にわたって積もった海鳥のフンが、珊瑚(さんご)の石灰分と結びついてできたもの(グアノ)で、肥料としてたいへん貴重なものでしたから、19世紀後半から採掘が始まりました。

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『ナウルに行ってみた』ナウルの旅行記・ブログ by worldhusiastさん【フォートラベル】

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1 政体 共和国 2 元首 ライノル・ローウェン・エニミア(Lionel Rouwen Aingimea)大統領(2019年8月就任) 3 議会 一院制,19議席,任期3年 4 政府 大統領が,公務員大臣,外務・貿易大臣,気候変動大臣,警察大臣・国家緊急業務大臣,商業・産業・環境大臣,気候変動大臣,通信大臣,ナウル通信公社大臣,ナウル燐鉱石採掘大臣,内閣議長を兼務。 5 内政• (1)ナウルには政党は存在せず,政策課題よりも親類関係や個人の人脈が重視され,派閥が形成される傾向にある。 (2)2007年12月に誕生したスティーブン政権は安定していたが,2010年4月の議会選挙の結果,与党及び野党が同数議席を獲得したことにより,議長を選出することができず,議会が膠着状態となった。 スティーブン大統領は,緊急事態を宣言し,その後同宣言は同年11月まで5カ月間継続された。 (3)議会の膠着状態解決後,政権は安定していたが,2011年11月,スティーブン大統領は汚職疑惑を追及される中,辞任を発表し,ピッチャー氏が大統領に選出されたが,6日後,不信任決議により解任された。 その後,元通信大臣のスプレント・ダブウィド氏が大統領に選出された。 (4)ダブウィド政権は閣僚離任及び罷免により不安定となり,2013年5月,議会が解散。 6月に総選挙が行われ,選挙後の議会においてバロン・ディバベシ・ワンガ大統領が選出された。 2016年7月,任期満了に伴い実施された総選挙の結果,ワンガ大統領が再任された。 (5)2019年8月に総選挙が行われ,総選挙を受けた大統領選挙の結果,エニミア大統領が選出された。 1 主要産業 鉱業(燐鉱石) 2 GDP 1. 14億米ドル(2018年,世界銀行) 3 一人当たりGNI 12,060米ドル(2018年,世界銀行) 4 経済成長率 -3. 5%(2018年,世界銀行) 5 物価上昇率 1. 5%(2018年,世界銀行) 6 総貿易額 (1)輸出 39. 6百万米ドル (2)輸入 99. 7百万米ドル (2018年,アジア開発銀行) 7 主要貿易品目• (1)輸出 燐鉱石,魚介類• (2)輸入 機械類,車両,建築材料,雑貨,食料品 8 主要貿易相手国• (1)輸出 ナイジェリア,オーストラリア,日本• (2)輸入 オーストラリア,フィジー,韓国 (2018年,アジア開発銀行) 9 通貨 オーストラリア・ドル 10 経済概況 国家の主要外貨獲得源である燐鉱石がほぼ枯渇し,他にナウル経済を支えるめぼしい産業もなく,経済状況は厳しい状態である。 国内には自給可能な食糧産業はなく,食糧及び生活物資のほとんどを海外からの輸入に頼っているため,世界的な石油価格上昇の影響を受け,物価も上昇している。 通貨は豪ドルを使用している。 1 政治関係 1971年在京ナウル領事館が設置されたが,1989年9月,同領事館はナウル側の財政上の理由により閉鎖された。 ただし,その後も引き続き日・ナウル双方は関係緊密化を期待している。 2 経済関係 (1)貿易額(2018年度,財務省貿易統計) ナウルへの輸出 2. 2億円 ナウルからの輸入 2. 8億円 (2)日本からの直接投資 なし (3)進出日本企業数 0社 (2017年10月現在,外務省海外在留邦人調査統計) 3 在留邦人数 0名(2017年10月現在,外務省海外在留邦人調査統計) 4 在日ナウル人数 2名(2018年6月,法務省在留外国人統計) 5 要人往来 (1)往 年月 要人名 2001年 小島外務大臣政務官(PIF域外国対話) 2018年 堀井巌外務大臣政務官(ナウル独立50周年記念式典) 2018年 堀井巌外務大臣政務官(PIF域外国対話) (2)来(1981年以降) 年月 要人名 1981年 デ・ロバート大統領 1982年(2回) デ・ロバート大統領 1983年(2回) デ・ロバート大統領 1984年 デ・ロバート大統領 1987年 デ・ロバート大統領 1989年 デ・ロバート大統領(大喪の礼) 1990年 ドウィヨゴ大統領夫妻(即位の礼) 1992年 ドウィヨゴ大統領夫妻 1994年 ドウィヨゴ大統領夫妻(外務省賓客) 1997年 クロドゥマール大統領(ADB総会,日・SPF首脳会議,地球温暖化京都会議) 2000年 クロドゥマール大統領補佐相(第2回太平洋・島サミット) 2005年8月 スコティ大統領(アデアン外相,ソーマ漁業相同行) 2006年5月 スコティ大統領(第4回太平洋・島サミット) 2007年8月 ケケ・駐台湾ナウル大使夫妻(故宮澤元総理大臣葬儀へ特使として参列) 2007年12月 スコティ大統領(第1回アジア・太平洋水サミット(於:大分)) 2009年5月 スティーブン大統領(第5回太平洋・島サミット) 2010年10月 ケケ外務貿易相(太平洋・島サミット中間閣僚会合) 2012年5月 ダブウィド大統領(第6回太平洋・島サミット) 2013年10月 ドゥベ議員(太平洋・島サミット第2回中間閣僚会合) 2015年3月 クック商業・産業・環境相兼復興公社相(第3回国連防災世界会議) 2015年5月 ワンガ大統領(第7回太平洋・島サミット) 2015年10月 ブラマン議員(太平洋島嶼国観光相会合) 2017年1月 ワンガ大統領(太平洋・島サミット第3回中間閣僚会合) 2018年5月 ワンガ大統領(第8回太平洋・島サミット) 2019年10月 エニミア大統領(即位の礼) 6 二国間条約・取極 なし 7 外交使節 (1)ナウル駐箚日本国大使 大村 昌弘 駐フィジー大使が兼任。 (2)本邦駐箚ナウル大使 任命されていない。

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