相撲 弓取り 式 力士。 月刊相撲:土俵を支える 弓取り式を担当する三段目 春日龍(33) 中川部屋

弓取式

相撲 弓取り 式 力士

令和初の弓取り力士交代。 無難にデビューを終えた将豊竜は「自分もここで相撲を取りたいと思いました」と若者らしく話した。 結びの一番。 妙義龍が白鵬を破り、前日に続いて座布団が舞った。 波乱の余韻が残る中、いよいよ弓取り式。 将豊竜の緊張は最高潮に達するところだったが、「(観客の)みんなが妙義龍関を見ていたんで、注意がそれたかなと思った」という。 幕下以下でも弓取り力士は大いちょうを結える。 「座布団が当たって崩れたら嫌だな」と気にする余裕もちょっぴり。 昨春から巡業で弓取りの「修業」をして来たかいがあって、「動画を見ないと分からないけど、一応いつも通りできた」と安どの笑みを浮かべた。 平成の時代には16人が務めた。 前任者の春日龍が2018年春場所からだったため、これが令和で初めての弓取り力士交代。 結びの一番の勝ち力士に代わって行う儀式なので、結びで勝つことが多い横綱のいる部屋か同じ一門の幕下以下の力士が行うのが通例で、春日龍は白鵬の、将豊竜は鶴竜の同門だ。 前日、最後の大役を果たした春日龍は「横綱(白鵬)が勝った後で初めて弓取りをした時や優勝が決まった後でやった時はうれしかった」という。 務めている間、ずっと満員御礼が続き、「大勢のお客さんが弓取り式まで残ってくれてありがたかったですね」と観客にも感謝した。 千秋楽結びの後だけだったのが、1952年からは毎日行うようになっている。 長い歴史の間には、結びが痛み分けとなって勝ち力士がいないため、弓取り式が行われなかった例など、ハプニングもあった。 容姿や所作の見栄えがして、長くて持ちづらい弓を美しく力強く振れる器用さ、落ち着きなどを考慮して人選されるが、好角家はその出来栄えをあれこれ批評する。 万が一、弓を落とした場合は、手で拾わず足を使って拾い直すなど、決まり事も多い。 春日龍は将豊竜に「基本を踏まえて、あとは自分なりの個性でいけばいい」とアドバイスを送り、将豊竜は「春日龍さんも良かったけど将豊竜にも違う良さがあるね、と言われたい」という。 経験が必要なため、一定の年齢の力士が選ばれることが多いせいか、「弓取り力士は関取になれない」というありがたくないジンクスがあったが、出世した力士もいる。 平成初期に務めた巴富士は将豊竜と同じ秋田県出身で、小結まで昇進した。 幕内、十両に上がった先人は何人もいる。 将豊竜は今場所、自己最高位の西幕下23枚目。 関取の座が見えてきた。 兄弟子の幕内豊山は「これくらいの若さで弓取りになった力士は最近、珍しいのでは。 ああいうところで土俵へ上がれば視野も広がるだろうし、自分の相撲に生かしてほしい」と期待する。 将豊竜も「あんなに人(観客)がいる土俵に上がったのは初めて。 自分もこの土俵で、結びで相撲を取りたいと、改めて強く思いました」と言葉を弾ませた。 (時事ドットコム編集部).

次の

秋田)横手出身の将豊竜が弓取り力士:朝日新聞デジタル

相撲 弓取り 式 力士

打ち出し前の弓取り式。 巡業部の花籠副部長(関脇太寿山)は緊張した面持ちで土俵上を見つめていた。 「だいぶ良くなってきましたよ」。 大相撲夏巡業が北海道・函館市で行われた16日、弓取り式を務めていたのは横綱鶴竜の付け人、幕下将豊竜(22=時津風)。 横綱同士の結びの一番が終わって登場した将豊竜は、大歓声の中で堂々と儀式を全うした。 7月28日から始まった今巡業ではここまで20日間、弓取り式は横綱白鵬の付け人、三段目春日龍(35=中川)と将豊竜が半分ずつ務めた。 昨年春場所から主に春日龍が担当していたが「もしものことがあったら、困るからね」と花籠副部長。 伝統儀式の大役を務められる力士が1人では心もとない。 巡業で見せ物として人気の初っ切りも、不測の事態に備えて「3人目」を常に準備させているが、弓取り式は用意していなかったため、4月の春巡業中に「できるか?」と将豊竜に打診したという。 その春巡業で3度、弓取りを務めた将豊竜は当時「もう全然ダメです…。 動きが硬くなってしまった」と肩を落としていた。 素人目には分からなかったが、ぎこちなさが抜けなかったという。 今巡業でも、付け人業務の合間を縫って練習している様子で「まだまだ全然勉強の身。 春日龍さんに教わりながらです」と謙虚に話していた一方、花籠副部長は「安定感が出てきましたね」と目を細めた。 なぜ将豊竜を選んだのか? ズバリ選考基準は「度胸があるかどうか」。 フィーリングで決めたという。 幕下ではあるが、将豊竜は170センチの小柄な体格でその番付まで上がっているだけに「それなりの度胸があるということ」と花籠副部長は評価する。 てっきり手先の器用さなどを加味しているものかと思っていたが、それらを超越したものが大事らしい。 花籠副部長は「(25日の)KITTE場所でもできたら。 まだ決まってはいないけど(秋)場所でも3日くらいやらせてみようかなと思っているよ」と話していた。 本当にデビューするかどうかは分からないが、そのときは要注目だ。 【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」) 人気NO・1力士は誰だ? 今年も大相撲総選挙を実施します。 photo• 相撲・格闘技 震災からの復興とも重なったプロレス復活/連載4 []• プロレス [6月13日 10:18]• ボクシング [6月12日 20:25]• 大相撲 [6月12日 18:41]• コラム [6月12日 17:56]• 大相撲 [6月12日 15:45]• 大相撲 [6月12日 11:00]• プロレス [6月12日 10:01]• 大相撲 [6月12日 8:00]• 大相撲 [6月12日 7:15]• 大相撲 [6月12日 7:01]• 大相撲 千代の国が地元伊賀にマスク3000枚、関係者感謝 []• 大相撲 [6月12日 18:41]• 大相撲 [6月12日 15:45]• 大相撲 [6月12日 11:00]• 大相撲 [6月12日 8:00]• 大相撲 [6月12日 7:15]• 大相撲 [6月12日 7:01]• 大相撲 [6月10日 17:26]• 大相撲 [6月10日 9:22]• 大相撲 [6月10日 9:03]• 大相撲 [6月10日 9:03]• プロレス 震災からの復興とも重なったプロレス復活/連載4 []• プロレス [6月13日 10:18]• プロレス [6月12日 10:01]• プロレス [6月11日 10:02]• プロレス [6月10日 23:19]• プロレス [6月10日 10:00]• プロレス [6月9日 13:14]• プロレス [6月8日 14:51]• バトル [6月8日 8:00]• プロレス [6月8日 0:26]• プロレス [6月7日 0:13]• ボクシング 大橋ジム、井上尚弥の拳かたどったトロフィー発売 []• ボクシング [6月12日 20:25]• ボクシング [6月11日 17:24]• ボクシング [6月11日 11:46]• ボクシング [6月11日 2:21]• ボクシング [6月10日 21:01]• ボクシング [6月10日 12:01]• ボクシング [6月10日 8:41]• ボクシング [6月9日 18:00]• ボクシング [6月8日 11:01]• ボクシング [6月8日 8:30]•

次の

知らなかった!相撲の取組み後に行われる弓取式は、どんな力士がどうやって選ばれるの?

相撲 弓取り 式 力士

日本の国技である大相撲。 その大相撲の結びの一番が終わった後に 弓取り式が行われますよね。 小さい頃から見てきたので「そういうものだ」と思っていましたが、よく考えてみると勝負に関係ない弓取り式はなんか不自然にも感じます。 弓取り式ってどうして行われるようになったのでしょうか。 今回は、そんなところについて解説します。 弓取り式の由来 相撲の歴史はとても古く、古事記や日本書紀にもそれらしき力比べのことが出てきます。 今のように相撲を職業とする人たちが現れてからでもすでに200年以上が経ちます。 これだけ長い歴史がある相撲のなかで、弓取り式の由来と言っても「よく分からない」というのが正直なところですが、ここでは二つの説をご紹介します。 織田信長起源説 江戸時代に刊行された「古今相撲大全」によると、織田信長が元亀元年に催した相撲大会で一番強かった力士に弓を与えたとあるようで、これが一番古い記述で起源とされています。 しかし、織田信長の一代記である「信長公記(しんちょうこうき」にはそのようなことは書かれてなく、織田信長と弓取り式を関係づけるのはちょっと無理があるようです。 徳川家斉起源説 第11代将軍の徳川家斉の上覧試合のとき、当時の最高位であった大関・谷風梶之助が弓を受けて敬い捧げ振り回したと「相撲御覧之記」に書かれていて、これが弓取り式の起源だとされています。 現在はこの説が有力だと考えられていて、この上覧試合が行われたのが寛政三年(1791年)なので、もう200年以上も前のことになります。 それにしても、どうして弓取り式をしなければいけないのか不思議ですが、なかったとしたらちょっと味気ないものになってしまうような気もします。 重厚な雰囲気でカッコいいですね。 弓取り式をする力士の給料は? 弓取り式を行う力士には1場所当たり 9万円の手当が支給されます(年6回)。 (2017年現在) 弓取り式を行う力士は、横綱と同じ部屋の 幕下以下の力士から選ばれます。 大相撲の力士は、十両以上でないと月給は支給されず、幕下以下の力士は年6回の場所手当しか支給されません。 場所手当の額• 幕下: 150,000円• 三段目:100,000円• 序二段: 80,000円• 序の口: 70,000円 幕下以下の力士は成績によらずに決まって入ってくるお金はこれだけしかありません。 (参考:) 幕下以下の力士は、食事と住むところは所属している部屋が面倒をみてくれますが、場所手当のほかに入ってくる9万円は大きいですね。 弓取り式をする力士はどうやって決める? 弓取り式をする力士は最高位の力士(東の正横綱)が所属する部屋・または一門の部屋の幕下以下の力士が務めることになっています。 横綱が不在の場所は東の正大関の所属する一門の部屋の力士が努めます。 十両に昇進してしまうとお役御免になってしまうので、幕下以下でも早い昇進が見込まれる力士は選ばれにくい傾向にあります。 また、大銀杏を結わなくてはいけないので、入門したての若い力士も大銀杏を結えないので務めることはできません。 実は、弓取り式は本来は結びの一番に買った力士が行うのが本筋で、弓取り式を行う力士を別段に用意するという決まりはありません。 上の動画でも、行事さんが「日馬富士代(だい)、聡ノ富士」と弓取り式を行う力士を呼び上げています。 これは、「(勝った)日馬富士に代わって聡ノ富士が行う」ということを言っているわけです。 今の相撲では勝った力士は必ず「勝利者インタビュー」を受けなければいけないので、弓取り式はやっていられません。 そんなわけで代わりの力士が弓取り式を行っているんです。 出世した力士はいる? 弓取り式を経験した力士は出世できないと言われてます。 確かに弓取り式を行った力士がその後関取(十両以上)になって、よく名前を聞くようになったってことはあまりありませんよね。 これは、上に書いたように十両の力士は弓取り式ができないので、十両昇進の可能性がある力士が選ばれることがほとんどないため、もっともなことと思われます。 でも、なかには例外もいて横綱・千代の富士が所属した九重部屋の 巴富士は弓取りを経験したのち、19歳で十両に昇進し、その後も小結まで番付を上げました。 (小結としての取り組みは一番だけでしたが。 ) また、高砂部屋の皇牙(おうが)も弓取り式を努めた後、十両に昇進しました。 (皇牙は例外的に十両に上がったあとも弓取り式を努めたこともあります。 ) 最後に かっては弓取り式は千秋楽の一日しか行われていませんでした。 それが昭和27年の5月場所から結びの一番のあと、ファンサービスのために毎日行われるようになりました。 日本でテレビ放送が開始されたのが翌年の2月からですから、それを見据えた毎日開催だったのかもしれませんね。 現在は本割が終わって放映時間に余裕があるときには弓取り式も放送されます。 一日の相撲は結びの勝負がついたら終わり? いえいえ、弓取り式が終わったら終了です。 弓取り式を担う力士にとっては晴れの舞台です。 勇姿をしっかりと見てあげましょう。 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次の