何 やっ て も あかん わ 歌。 岡崎体育『なにをやってもあかんわ』歌詞の意味を考察・解釈

岡崎体育「なにをやってもあかんわ」Cover ver.

何 やっ て も あかん わ 歌

カテゴリ• もうなにをやってもあかんわ もうなにをやってもな もう実際問題あかんとおもった時点でもうあかんわ もうなにをやってもあかんわ もうなにをやってもな もう一体全体なんなんだ もういっそ一生寝たろかな 筋書きのない昼夜逆転劇は宝の山か それとも臓器肉骨神経蝕む墓場か 西日の台所で一人で食うボロネーゼ 冷凍食品 になんか泣きそうだ 潜在的にはトップオブザワールド 感覚的にはアカデミー賞 現実的には烏合の衆のそれ以下の以下の以下 もうなにをやってもあかんわ もうなにをやってもな もう実際問題あかんとおもった時点でもうあかんわ もうなにをやってもあかんわ もうなにをやってもな もう一体全体なんなんだ もういっそ一生寝たろかな 全身全霊お利口な子 でも憧れてるのはヒップホップの人 天津飯と酢豚のセット 幸せのカタチやな もうなにをやってもあかんわ もうなにをやってもな もう実際問題あかんとおもった時点でもうあかんわ もうなにをやってもあかんわ もうなにをやってもな もう一体全体なんなんだ もういっそ一生寝たろかな 目次• はじめに 『なにをやってもあかんわ』とは2019年6月23日にネット上で公開された 楽曲です。 同年1月9日リリースされた Major 3rd Album『SAITAMA』に収録されて います。 動画再生回数は投稿初日で40万を優に超える注目のナンバーです。 流石は岡崎体育、数多くのライブを重ね高い知名度を持っていますね。 筆者個人としても大好きなアーティストの一人です(ボソ) 今作のMVですが、まあ映像的にも内容的に肩の力抜いたのかなという構成 でした(笑) ファンとして正直に物申すとホント気合い入れた箇所が見当たらないくらい にリラックスして作成したんだなと思いました(決して悪口ではない 笑) 岡崎体育ご自身のツイッターでもこんなコメントがありました。 自撮りでしたね(笑) ファンの間でも気合い入れたかっちりとした作品も、良い意味で抜けの良い 作品も共に愛されているのが観察されています。 さてMVではルームミラーが根もとから取れるという惨劇からスタートしてい ます。 車内でブラブラと情けなく揺れるルームミラーを必死に直そうとする岡崎体育 の努力も虚しく演奏が始まっていきます。 公園や飲食店、街のシャッター前などさまざまな場所で歌い演奏する岡崎体育 を見ることができます。 この演出は「日常生活の身近な場所でなにをやっても上手くいかない人がたく さんいる」ことを伝えているのだと解釈しました。 それではさっそく歌詞の考察を始めていくことにしましょう。 タイトル『なにをやってもあかんわ』とは 説明の必要はないかと思われます。 よく「裏目に出る」「裏目、裏目に出る」なんて言葉を聞いたことが あるかもしれません。 誰かに親切なことをしたら「余計なお世話」だと言われるというのも 良くあるケースかもしれません。 女の子が落したものを拾って渡したら不機嫌になったとか(電車男) なにをやってもあかんわという気分になりますよね。 今作は日常でそんな経験をたくさんしても前向きでいられる明るい歌 詞と曲になっています(なっているはずです) 毎度のことですが岡崎体育の曲はリアルな生活感と親しみがあって魅 力的ですね。 『なにをやってもあかんわ』歌詞の意味 ダメの上塗り もうなにをやってもあかんわ もうなにをやってもな もう実際問題あかんとおもった時点でもうあかんわ もうなにをやってもあかんわ もうなにをやってもな もう一体全体なんなんだ もういっそ一生寝たろかな 今作では一人の主人公を主軸に考察を進めていきます。 彼はこれまでの自分の人生を振り返り深いため息をつきます。 理由は彼のやることなすことがすべて裏目裏目に出ているか らでした。 それは学校生活であるいは社会人になってからの行動や言動 に関係したことなのでしょう。 親切はお節介に、努力は無駄へと姿を変えて主人公の頭を悩 ませるのでした。 しかし歌詞は1つの教訓的で前向きなアドバイスも呟いてい る点に注目しましょう。 「実際問題あかんとおもった時点でもうあかんわ」という部 分は「意識」の重要さを物語っています。 無理、駄目と強く意識することで出来ることも出来なくなる 場合がありますね。 次第に主人公は「一生寝たろかな」と自暴自棄になります。 人生を丸ごと投げたフレーズと捉えて間違いないでしょう。 自分と人生の見積書 筋書きのない昼夜逆転劇は宝の山か それとも臓器肉骨神経蝕む墓場か 西日の台所で一人で食うボロネーゼ 冷凍食品 になんか泣きそうだ 潜在的にはトップオブザワールド 感覚的にはアカデミー賞 現実的には烏合の衆のそれ以下の以下の以下 この部分の歌詞では主人公が自分と自分の人生の価値を見積もって いることを理解できます。 「筋書きのない昼夜逆転劇」とは予定や夜勤でもないのに自分の生 活がそのようになっている様子を表しています。 この無駄とも思える生活が「宝の山」なのか、それとも無駄は無駄 のまま「墓場」なのかと考え続けているのです。 そしてボロネーゼと言えば聞こえは良いのですが冷凍食品を独り寂 しく口にいれる日々を過ごしています。 彼自身そんな生活にため息をつきながら飽きているのです。 潜在的とはまだ発揮されていない隠れた能力のことで、感覚的とい うのも確固とした根拠に基づくものではありません。 主人公の期待や可能性はすべて「不確かなもの」の上に構築されて いるのです。 主人公もそのことを痛感しているようです。 「烏合の衆」つまり目的もなくただなんとなく集まっている集団、 あるいは集まりもしないで自分を孤立させている人のようだと自分 を卑下します。 手に届く身近な幸せ 全身全霊お利口な子 でも憧れてるのはヒップホップの人 天津飯と酢豚のセット 幸せのカタチやな 主人公はいたって真面目で親や先生の前でもお利口な性格の ようです。 でも見た目や行動に反してヒップホップの世界に憧れていま した。 地味な格好をしながら生活していても派手な服や生き方に憧 れる、結構こういうタイプの人って多い気がします。 すべての人がやりたいことをやりたいように出来るわけでは ないので至極当然と言えるかもしれませんね。 主人公はそのうちに「幸せってなんだろう」と考え出します。 アカデミー賞を取ること、ヒップホップ界で有名になること、 よくよく考えてみればどれもしっくりきません。 そのうち主人公は考えるのに疲れていつも通っている中華料 理屋に立ち寄りました。 過去に「いつものー!」と威勢良く頼んで「なんですか?」と 店員に返された経験から毎回「天津飯と酢豚のセット」と注文 しています。 目の前に出された目の前の食事を済ませると彼はしみじみと、 「幸せのカタチやな」と実感するのでした。。 身近なところに主人公の幸せは転がっていたんですね。 この注文だけはいつも「正解」だったと言えるかもしれません。 まとめ いかがだったでしょうか。 MVの岡崎体育と歌詞を見て共感しまた心を動かされた方も多い のではないでしょうか。 ダメダメの人生であっても自分の「意識」を変えるだけで少し 良い方向に変えられる、そんな教訓的な歌詞だと筆者は感じま した。 個人的に思ったことで恐縮ですが、今作の主人公が友達から「 今日の夕飯なに?」と聞かれて「俺?ボロネーゼ」と格好つけ て言ってる姿を勝手に想像してしまいました(笑) でも冷凍食品はとても便利ですからね(何の話) 岡崎体育の次回作と今後の活動に期待し注目していきたいと思 います。

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この忍者にはモデルがいるそうですが……? 今の若いお母さんたちはご存知ないと思いますが、往年のお笑いコンビ「コント55号」。 その中に「赤忍者」というコントがあるんです。 坂上二郎さん演じる「赤忍者」が、もう登場シーンだけで笑えるんです。 そのインパクトが強かったもので、そこから着想を得ました。 ただ、改めて「あかにんじゃ」について書こうと思ったとき、人間の自意識の中にある、自分だけが特別で、周りと違う存在だと考える思考が「あかにんじゃ」なのではないかと思い至りました。 最近では「中二病」という言葉がありますが、誰もが自分は不器用で人に理解されないと思っている部分があるんじゃないかと思います。 そういった思いをキャラクターにしたのが「あかにんじゃ」なのではないかと。 そう考えたら、赤い忍者というのは、突飛な存在だけど、普遍性のあるキャラクターのように思い、おはなしが誕生しました。 文章だけのときと、絵がついたときはやはり、印象が大きく変わると思うのですが、表紙の真ん中にドンと、真っ赤な忍者がいる、そのインパクトに驚きました。 この表紙が良いですよね。 木内達朗さんは何パターンか表紙の候補を描いてくださったのですが、「忍術なら水蜘蛛!」とぼくの中で思いがあり、この表紙をお願いしました。 この、水の色と赤忍者の対比が美しいですよね。 穂村さんご自身もやはり忍者好きなのですか? 本物の忍者には出会ったことがないのに、どうしてこんなに好きなのか……、自分でもふしぎに思うくらい好きですね。 子どもの頃には、『カムイ伝』、『サスケ』、『仮面の忍者 赤影』、「忍法帖シリーズ」など超絶忍術を駆使して活躍する忍者が出てくる作品をたくさん読みました。 こういう細かい所は木内さんにお任せなのですか? そうですね。 原稿によっては、ト書きで状況を画家さんにお伝えすることもあるのですが、この原稿は特にト書きを付けず、木内さんにお任せだったと思います。 絵ができてから、ぼくが文章を直す作業をしました。 例えば「あかにんじゃ」が侍たちに追いつめられる場面。 最初の原稿では「あかにんじゃは おいつめられてしまいました」というようなちょっと説明的な文章だったと思うんです。 でも、絵を見たら追い詰められていることが一目で分かるので、「あ、あぶない!」のみに変えました。 全体的な文体も、もっと抒情的だったように記憶しています。 なので、大変どころか楽しい発見ばかりでしたね。 特に面白かったのが、文章の配置。 先ほどの「あ、あぶない!」も「あかにんじゃ」の側にあるからより臨場感が出る。 これが離れてしまうと、あぶない感じも薄れてしまうような気がします。 それと「ドロンドローン」という文章。 厳密にいうとこれは変身時の効果音で、実際には「オンコロコロナントカソワカ……」のような呪文が別にあるはずなんです。 ぼくも、最初の原稿には書いていたと思うのですが、木内さんの絵ができて、改めて文章をチェックしたら、リズムが悪いような気がして、カットしました。 絵があれば、「ドロンドローン」だけで通じるんじゃないかと思ったんです。 ぼくは普段、短歌や詩など韻文を書いているのですが、声に出して読む行為があるところは、絵本と近しいジャンルだと、絵本に対して親近感を持っていました。 ただ、絵がついたときの文字の位置などは未知の要素でした。 文字の位置によって、読者が受ける印象がこんなにも違ってくるのか……とすごく感動しました。 「ドロンドローン」という言葉も、読者によっては、ページをめくりながら読む人もいると思うんです。 そういう読者がどう読んでくれるだろう……と考えながら、自分でも声に出して何度も読み返す作業をしたのも、絵本ならではだと思いました。 木内達朗さんは絵本の世界では穂村さんの先輩だと思います。 木内さんから『あかにんじゃ』について、何かアドバイスはあったのでしょうか? よく覚えているのは、「あかにんじゃ」が「あかカラス」に変身して、そのあと、カラスから攻撃されて「あかチョウチョ」になる場面。 ぼくが最初書いたテキストには、チョウチョが隠れる予定の祠(ほこら)がなくて、チョウチョは普通に飛んで逃げる設定だったんです。 でも、カラスもチョウチョも飛べるから、チョウチョになる意味がないと言われました。 そこで、祠を登場させて、カラスは入れないけれど、チョウチョなら入って逃げられる理由を作ったんです。 文章を書いたときは気が付かなかった違和感を、絵を描く人はちゃんと見抜くんだなぁと思いました。

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例えば、前者は歌い出しの音に楽譜を感じさせないほど自然で最高の朗読のような息が柔らかく混ざった音色と音程が得られます。 また、発音や音程が変わっても一定の美しさを守ることが、音楽を動かし、声に壮大なうねりや揺らぎを与えてくれるのです。 後者は最初からこの「音程を出そう」という魂胆のようなものが見えてしまいます。 それなのに、音程が機械的に測ったら合っていたとしても、人の耳には不自然に届いてしまったりします。 その結果、音楽を意識的に動かしてなんとかしようとしても、ますます不自然になってしまいます。 しかし信じてください。 両者の差は才能ではないのです。 知っているか知らないか。 やるかやらないかだけの差です。 人に才能差がないと言っているわけではありません。 才能やまだ眠っている感性をひき出すところまで到達できないひと、出し方を知らないままのひとが圧倒的に多いのです。 才能をうんぬんするのは、たとえ少なかろうが才能出し切ってからで遅くはありません。 いや、少ないか多いかなんて、出す前に決めてしまってはいけないのです。 通常のレッスンでは教わることができないこと 通常、レッスンでは呼吸法や発声法の正しさの部分は教わることができますが、「うまくなるひと」がやっていること すなわち本当の才能や実力の出し方 は具体的に教わることはあまりなく おそらく日本ではほとんどないでしょう 、「気持ちが足りない」とか「見て盗め」「聞いて盗め」になる場合がほとんどかと思われます。 つまり、生徒さんの勘の良さに委ねられるわけです。 こうなると勘の悪い生徒さんは「正しさに足を引っ張られて」いつまでも、「何があっても美しい音色を生む、一定の呼吸」にたどり着けないわけです。 なぜなら 一定の呼吸を生むのは一定ではない呼吸のコントロールが必要なのですから。 これをブレスコントロールと言うのです。 本来腹式呼吸や発声法は、表現すべき美しさから自然と身につくもので、方法論は後からできたのです。 正しい呼吸法やミックスボイスを覚えるとうまくなる!というのは実に危険な考え方なのです。 浜渦メソッドは才能は関係ありません 私は本当に勘の悪い生徒でした。 それだけに、うまくならない人の理由や気持ちもわかります。 そして、ある程度わかるようになった今、最初から割とうまかったのほど、あとで伸び悩む人が多いのですが、その人たちの気持ちもわかりますし、両者が何が足りなくて、何をすべきかがわかるのです。 そこから浜渦メソッドは生まれたのです。 オールジャンル指導ボイストレーナー。 東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。 オペラ・創作オペラへの主演、ドイツ歌曲リサイタルを(シューベルト「冬の旅」、シューマン「詩人の恋」他)いずみホール、宝塚ベガホール他で10数回。 スタジオミュージシャン(ジングルや夏の甲子園校歌他)、ナレーション他、様々なジャンルで活動の傍ら、個人レッスン、グループレッスン(合唱、ボイストレーニング等)などを指導していたが、これまでに自身が経験してきた声楽や演技レッスンへの疑問や矛盾の多い「声のレッスンの問題点」を解決すべく、自らがオールジャンルを論理的に専門的に研究・指導するべくトレーナー専業に転向。 誰もが個性と能力を発揮し自然に歌唱力・演技力・伝達力などの表現力全般を向上させる独自かつシンプルでわかりやすい「浜渦メソッド」を確立。 プロはもちろん、全くの初心者まで、声楽・童謡唱歌・ボーカル(ポップス、メタル、ジャズボーカル他)、声優・俳優・芸人、日常会話・プレゼン対策まで。 また、声が出にくい、人前で話すのが苦手、レッスン恐怖症等々に対する適切なアドバイスと指導も「自身の経験から」行なっている。

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