「ジャポニカロゴス」を読んで初めて間違いだと知った言葉がある。 この本の中にある、漢字の読みや成り立ち、方言などの話は、「ほうほう」と、おもしろく読んでいられるが、 「会話の中の間違い日本語」については笑ってはいられないものが多くて、 普段なにげなく使ってしまっている言葉に間違いがあることを知って、はずかしい気持ちになる。 よく、言葉を丁寧に言おうとしたり、敬語を使おうと思ったときに間違った日本語になってしまうことがある。 ファミレス・コンビニ言葉を聞くたびに、「おかしな言い方だな」と笑っていたが、 これも言葉を丁寧に言おうとしたことで生まれてしまったことになるだろう。 しかし、他人のことを笑っていられない。 私自身、よく使っていた言葉に、 「申し訳ありませんが、よろしくお願いします。 」というものがある。 しかし、この 「申し訳ありません」とか 「申し訳ございません」という日本語は、実は存在しないというのだ。 相手にあやまるとき、礼を言うとき、依頼するときに使う言葉に、 「すまない(済まない)」がある。 それを丁寧に言うと「すみません(済みません)」となるが、 それよりも、もっと丁寧に言うものに 「申し訳ない」という言葉がある。 そして、それをさらに丁寧に言おうとして「申し訳ありません」とか「申し訳ございません」と言ってしまう。 「申し訳ない」という語を「もうしわけ(申し訳)+ない」に分けて考えてしまうのでこうなってしまうのだが、 それは間違いで、正しくは 「もうしわけない」で一つの語になる形容詞なので、 切り離して使うことはできない。 これは「あぶない(危ない)」という語と同じことで、これを考えてみるとわかるが、 「あぶありません」とか「あぶございません」などとは言わない。 結局、「もうしわけない」を丁寧に言う場合は、 「申し訳ないことです」とか「申し訳なく存じます」、「申し訳なく存じ上げます」 または、「申し訳のうございます」と言うのが正しい日本語だということだ。 これと同じようなものに 「とんでもない」という言葉がある。 これも 「とんでもない」で一つの語になるものなので、 「とんでもありません」とか 「とんでもございません」などという言葉は存在しない。 正しくは「とんでもないことです」、「とんでもないことでございます」ということになる。 日本人なのに日本語を知らないというのは、はずかしいことだということを感じる。
次の「ジャポニカロゴス」を読んで初めて間違いだと知った言葉がある。 この本の中にある、漢字の読みや成り立ち、方言などの話は、「ほうほう」と、おもしろく読んでいられるが、 「会話の中の間違い日本語」については笑ってはいられないものが多くて、 普段なにげなく使ってしまっている言葉に間違いがあることを知って、はずかしい気持ちになる。 よく、言葉を丁寧に言おうとしたり、敬語を使おうと思ったときに間違った日本語になってしまうことがある。 ファミレス・コンビニ言葉を聞くたびに、「おかしな言い方だな」と笑っていたが、 これも言葉を丁寧に言おうとしたことで生まれてしまったことになるだろう。 しかし、他人のことを笑っていられない。 私自身、よく使っていた言葉に、 「申し訳ありませんが、よろしくお願いします。 」というものがある。 しかし、この 「申し訳ありません」とか 「申し訳ございません」という日本語は、実は存在しないというのだ。 相手にあやまるとき、礼を言うとき、依頼するときに使う言葉に、 「すまない(済まない)」がある。 それを丁寧に言うと「すみません(済みません)」となるが、 それよりも、もっと丁寧に言うものに 「申し訳ない」という言葉がある。 そして、それをさらに丁寧に言おうとして「申し訳ありません」とか「申し訳ございません」と言ってしまう。 「申し訳ない」という語を「もうしわけ(申し訳)+ない」に分けて考えてしまうのでこうなってしまうのだが、 それは間違いで、正しくは 「もうしわけない」で一つの語になる形容詞なので、 切り離して使うことはできない。 これは「あぶない(危ない)」という語と同じことで、これを考えてみるとわかるが、 「あぶありません」とか「あぶございません」などとは言わない。 結局、「もうしわけない」を丁寧に言う場合は、 「申し訳ないことです」とか「申し訳なく存じます」、「申し訳なく存じ上げます」 または、「申し訳のうございます」と言うのが正しい日本語だということだ。 これと同じようなものに 「とんでもない」という言葉がある。 これも 「とんでもない」で一つの語になるものなので、 「とんでもありません」とか 「とんでもございません」などという言葉は存在しない。 正しくは「とんでもないことです」、「とんでもないことでございます」ということになる。 日本人なのに日本語を知らないというのは、はずかしいことだということを感じる。
次の「ジャポニカロゴス」を読んで初めて間違いだと知った言葉がある。 この本の中にある、漢字の読みや成り立ち、方言などの話は、「ほうほう」と、おもしろく読んでいられるが、 「会話の中の間違い日本語」については笑ってはいられないものが多くて、 普段なにげなく使ってしまっている言葉に間違いがあることを知って、はずかしい気持ちになる。 よく、言葉を丁寧に言おうとしたり、敬語を使おうと思ったときに間違った日本語になってしまうことがある。 ファミレス・コンビニ言葉を聞くたびに、「おかしな言い方だな」と笑っていたが、 これも言葉を丁寧に言おうとしたことで生まれてしまったことになるだろう。 しかし、他人のことを笑っていられない。 私自身、よく使っていた言葉に、 「申し訳ありませんが、よろしくお願いします。 」というものがある。 しかし、この 「申し訳ありません」とか 「申し訳ございません」という日本語は、実は存在しないというのだ。 相手にあやまるとき、礼を言うとき、依頼するときに使う言葉に、 「すまない(済まない)」がある。 それを丁寧に言うと「すみません(済みません)」となるが、 それよりも、もっと丁寧に言うものに 「申し訳ない」という言葉がある。 そして、それをさらに丁寧に言おうとして「申し訳ありません」とか「申し訳ございません」と言ってしまう。 「申し訳ない」という語を「もうしわけ(申し訳)+ない」に分けて考えてしまうのでこうなってしまうのだが、 それは間違いで、正しくは 「もうしわけない」で一つの語になる形容詞なので、 切り離して使うことはできない。 これは「あぶない(危ない)」という語と同じことで、これを考えてみるとわかるが、 「あぶありません」とか「あぶございません」などとは言わない。 結局、「もうしわけない」を丁寧に言う場合は、 「申し訳ないことです」とか「申し訳なく存じます」、「申し訳なく存じ上げます」 または、「申し訳のうございます」と言うのが正しい日本語だということだ。 これと同じようなものに 「とんでもない」という言葉がある。 これも 「とんでもない」で一つの語になるものなので、 「とんでもありません」とか 「とんでもございません」などという言葉は存在しない。 正しくは「とんでもないことです」、「とんでもないことでございます」ということになる。 日本人なのに日本語を知らないというのは、はずかしいことだということを感じる。
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