私 は あきらめ ない。 『あきらめない』村木厚子(日経ビジネス人文庫)

『あきらめない』村木厚子(日経ビジネス人文庫)

私 は あきらめ ない

2003年• 1月8日• 1月15日 氷川きよし• 1月29日• 2月19日• 2月26日• 3月5日• 3月12日• 3月17日• 3月19日• 3月20日• 4月2日• 4月16日• 4月23日• 4月30日• 5月7日• 5月14日• 5月21日• 5月28日• 6月4日• 6月11日• 6月18日• 6月25日• 7月2日• 7月9日• 7月16日• 8月27日• 9月3日• 9月10日• 9月24日• 10月1日• 10月8日• 10月15日• 10月22日• 10月29日• 11月12日• 11月19日• 11月26日• 12月10日.

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【自己PRであきらめない性格をアピール】魅力的に伝える方法と例文

私 は あきらめ ない

悟りって結局、あきらめなんじゃないでしょうか? 昨今の悟りブームで「今ここ」「ありのままの自分」を許容することが悟りであるとよく色んな本で言われていますし、釈迦も「むさぼるな、足るを知れ」なんておっしゃっておりますよね。 でも、これって結局、あきらめなんじゃないでしょうか? 釈迦が「むさぼるな、欲望とは空しいものである」なんて言えたのは釈迦が貴族に生まれて若いころに金だの酒だの女だのって遊びつくしたからこそ気づけたものですよね? 贅をつくしたことがある人が、贅をつくしたことがない人に欲望とはむなしいと言っても伝わらないと思うのですが・・・。 そりゃあ、誰だって金だの酒だの女だのって遊び尽くせば、つまらなくはなるでしょうって感じです。 よって、欲望はつきることはないので今の自分を許容しましょうというのはただ単に、 お前は金がないんだから、あきらめろ お前はブスだから結婚できない、あきらめろ お前なんかに将来は見込めない、あきらめろ ということを、ものすごくきれいな言葉で言っているようにしか聞こえません。 確かに今の自分や状況を受け入れてしまえば、一時だけは「このままでいいんだ!」なんて楽になりますが、後から反動で満ち足りた人とは違う惨めな自分にフォーカスがいき、ネガティブの渦に巻き込まれてしまいます。 結局、悟りなんてものは、上手く自分の不幸な状況から脳をだませた状態、きれいにあきらめた状態というものではないでしょうか? 乱雑な長文を失礼しました。 たくさんの回答をお待ちしております。 はじめまして。 亀山純史と申します。 仏教における「ありのまま」という認識について、お話をさせていただきます。 「ありのままの自分」とはどういう認識でしょうか。 たとえば、「私は身長が170cmで、体重が65kg、趣味は音楽鑑賞であり、現在大学の四年生である。 」という認識が「ありのままの自分」という認識でしょうか。 「ありのまま」とは「相対化され得ない」ということです。 ですから、「ありのまま」に物事を見ようとすれば、相対化された見方からは生じません。 しかし、私たちの日常の認識で、相対化され得ない認識はないのです。 私たちは常に相対化して物事を見ているのです。 たとえば「お金持ち」といったら、どれくらいのお金を持っている人をさしますか。 「貧乏人」といったら、どれくらいお金がない人をさしますか。 100万円を持っている人がお金持ちでしょうか。 ある人から見れば、お金持ちでしょうし、またある人から見れば、貧乏人だ、ということになるでしょう。 あるいは「相対化されていない右」はあるのでしょうか。 ある方向から見れば右であっても、別方向から見ればそれは左です。 人間関係にしてもそうです。 兄は弟が生まれて兄になります。 一人っ子の兄はいません。 このように私たちの認識は、全て相対的な認識です。 それに対して、「ありのまま」とは「相対化され得ない」ということですから、「ありのままの自分」とは「相対化され得ない自分」であり、それは私たちの言葉による認識を越えたところに見いだされる自分です。 決して、「お金がない自分」「ブスな私」「未来に見込みがない自分」という認識が、「ありのままの自分」に対する認識ではないのです。 そしてブッダはその「相対化され得ない」認識、「言葉を越えた」認識で物事を見ることができる人です。 はじめまして。 色んなところから知識を吸収されているご様子ですが、少し解釈が違うようです。 悟りとは一見諦めと捉えられても不思議ではないのかもしれませんが、そう結論するには少し早すぎるようです。 悟りそのものを文章で説明するには相当な無理がありますが、どうやら、納得することを悟りと勘違いされているご様子。 悟りと納得は全くの別物です。 まして、悩をだますとか諦めるというのは納得すらしていない状態のことを言います。 人は納得すれば心が落ち着きます。 一度納得した事柄は、二度と表には出てこないものです。 二度三度出てくるものは、それこそ諦められないものに言い聞かせて悩をだましたものです。 脳をだます、あきらめる。 どちらも悟りとはほど遠いものです。 お釈迦様は「中道」をお説きになりました。 説明が難しいのですが、簡単に言えば「どちらにも偏らない」というような意味合いです。 ありのままを受け入れるというのも、ありのままが偏っているならば、「このままでいい」ということとは全く違います。 お金も容姿も将来も、何かと比べるから不幸と感じ、無い物ねだりから苦痛が生まれるからこそ、まず、ありのままを受け入れるところからはじめましょうというだけのことで、単なる最初歩の通過点に過ぎません。 まず、何事にもニュートラルになることからはじめてみては如何でしょうか? 人間誰でも、本当に静かにしようと思えば、心を静かにすることができます。 ちょっと21秒黙ってみてください。 7秒で過去の事を思うのを終わらせてください。 7秒で未来の事を思うのをやめてください。 7秒で現在の思いを終わらせてください。 … さて、その沈黙の「質」はいかがでしょうか? 沈黙と言っても色々な、こころの周波数があります。 金がない、ブス、見込みがないと言われても、へっちゃらなでいられる沈黙なのか。 黙ったままではなく、そこで諦めずに、行動に移せる沈黙なのか。 悟りの沈黙は、人間の価値観が入り込んでこない沈黙なのです。 それはとてもすがすがしく、明るい沈黙なのです。 私はお金がないし、ブチャイクですし、才能ももっとある人よりは有りませんが、 何もあきらめる必要もありませんし、 そのような言葉を言われたにせよ、ネガティブな意味として、脳内で機能させない、影響させない心のあり方をしています。 同じ沈黙でも、まるで違うのです。 悟りには握り事、掴み事がないからです。 興味があれば坐禅会で「悟り」の状態がどういうことかをみずから体験、実証してください。 あなたに足りないのは自分の沈黙の質を知る、見極める、向き合う勇気です。 あなたは、悩みや相談ごとがあるとき、誰に話しますか? 友だち、同僚、先生、両親、インターネットの掲示板など相談する人や場所はたくさんあると思います。 そのひとつに、「お坊さん」を考えたことがなかったのであれば、ぜひ一度相談してみてください。 なぜなら、仏教は1,500年もの間、私たちの生活に溶け込んで受け継がれてきたものであり、僧侶であるお坊さんがその教えを伝えてきたからです。 心や体の悩み、恋愛や子育てについて、お金や出世とは、助け合う意味など、人生において誰もが考えることがらについて、いろんなお坊さんからの癒しや救いの言葉、たまに喝をいれるような回答を参考に、あなたの生き方をあなた自身で探してみてはいかがでしょうか。

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『王子が私をあきらめない!(2)』(アサダ ニッキ)|講談社コミックプラス

私 は あきらめ ない

もくじ• 王子が私をあきらめない! 【第48話】最新話のネタバレ 王子と庶民の感覚のズレ 初雪に呼び出されている小梅。 2月24日、一年で最も尊い1日がまもなくやってくる、と大袈裟な様子の初雪に、小梅は自分の誕生日のことだと思い至る。 小梅が生まれた2月24日午前6時56分には、盛大に祝砲を16発撃ちたい、と言い出す初雪に小梅は、鋭いツッコミで却下した。 盛大に祝いたい、と食い下がる初雪に対し小梅は、一言おめでとうと言ってもらって、帰りにケーキでも食べられれば十分嬉しい、と伝えるも、ならば世界最高峰のパティシエを手配する、と言い出す始末。 小梅はツッコむのに疲れて、初雪に一般高校生の感覚を求めた私が間違っていた、とため息をつく。 そんな姿を見て考え込む初雪は、一晩猶予をくれ、と小梅に言った。 それを聞いて小梅は嫌な予感がした。 やんちゃ王子、初雪降臨 次の日。 はよ、小梅、と爽やかに挨拶する初雪。 言葉遣いがフランクになっており、カバンを肩に担ぐ初雪の姿に小梅は言葉が出ない。 そんな小梅の様子に、そんなお前も可愛いけどな、と言い出す初雪。 小梅は心の中で、誰!?と困惑していた。 椿に話を聞くと、昨日の帰りに一般男子高校生の基準を聞きにきたという。 桃太郎も、ハマっている学園ドラマを貸したという。 剣崎は涙を流しながら、この泥棒猫、と小梅に食ってかかった。 初雪から気品を盗んだ、と初雪の様子に悔しくて暴れ回っていた。 学園のみんなはさぞかし混乱して悲しんでいるだろうと心配する剣崎だったが、そんな心配とは裏腹に休み時間に腕まくりをしてバスケをする初雪を見て女子たちは黄色い声援を送っていた。 そんな姿にまだ戸惑いを隠せない小梅だったが、そんな小梅に気づき初雪は、顎クイからの照れんなよバーカ、というセリフを繰り出した。 自分のことをオレと言ったり、小梅のことを呼び捨てにする初雪に小梅は、自分が求めている初雪はこれなのか?と思い悩んでしまう。 初の庶民デート 放課後に誘われる小梅。 四天王も様子を伺うため、壁に隠れながら見つめている。 店員に、番号でお呼びしますのでお待ちください、と言われている初雪を見て、なんだあの無礼な店員は、と怒りが隠せない剣崎。 そういうシステムだ、となだめられている。 ファーストフードで口に合いますか、と心配する小梅に初雪は、小梅と食うならなんでもうまいよ、と満面の笑みで返す。 そんな初雪に赤面しながら、まるで普通の高校生の放課後デートだ、と感じる小梅。 もし出会いが王冠学園じゃなくて、王子と庶民としてでもなかったらこんな風だったのかな、と考えてしまう。 彼氏といるのに考え事?と軽くあしらってくる初雪に小梅はとうとう耐えきれず、ごめんなさい、やっぱりなしで、と大声で謝った。 いつもの先輩に戻ってください、大変だったでしょう、という小梅。 こういうオレはそんなに嫌だった?と、寂しそうにたずねる初雪だったが、小梅は、嫌じゃない、すごいと思っている、と伝える。 そして、どれだけ一晩で研究したんだろうと思う、そんな先輩だから好きになった、私が好きなのはそのままの初雪先輩だ、と真摯に伝えた。 その小梅の発言に、ため息をつく初雪。 本当はひどく疲れる演技だった、と告白する。 演じているのは自分自身だが、小梅が頬を赤らめるたびに心がもやもやした、僕は僕自身に嫉妬した、と小梅に伝える。 小梅は、頬を赤らめていたんだとしたらそれは相手が初雪だからだ、と照れながら伝える。 そんな小梅に、僕もこれほど乱されるのは君だけだ、と言い、手の甲にキスをした。 芹生と話をする初雪。 庶民ごっこはやめたのかと問いかける芹生に僕という人間そのものを見てくれる相手がいれば、当主の立場や後ろ盾を失うことがあっても僕は幸福でいられる、と話す。 そんな初雪の様子に、芹生は怪しい笑みを浮かべる。 初雪が幸せなら見守るつもりだったが、早急に手を打つ必要がありそうだ、と呟いた。 次回に続く。 王子が私をあきらめない! の過去のあらすじまとめはこちらになります。

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