セブンズティービー。 女子高生だらけの7人制ラグビー・セブンズ代表。若返りの狙いは?|ラグビー|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva

JTBが2018年7月・サンフランシスコで開催される「ラグビーワールドカップ・セブンズ2018」大会の公式旅行会社に!

セブンズティービー

高校時代から磨いてきたタックルを何度も見せた。 50メートル5秒台の自慢の快足を生かし、ゴール前にも迫った。 だが、世界の強豪のゴールラインは遠かった……。 多くのベテラン選手が代表引退を示唆するなか、韋駄天WTB(ウィング)福岡堅樹(パナソニック)も15人制ラグビーの代表引退をあらためて公言した。 「やり切ることができました。 何ひとつ思い残すことはありません!」。 27歳の福岡は、今大会で完全燃焼した。 試合後、南アフリカの選手と健闘を称え合う福岡堅樹 10月20日、ラグビーワールドカップで初のベスト8を決めた日本代表(世界ランキング6位)は、東京スタジアムで行なわれた準々決勝で南アフリカ代表(同5位)と激突した。 前半ではいいシーンを何度か作り、ハーフタイムを3-5で折り返した。 だが、後半は相手のフィジカルの前にタックル、スクラム、モールで圧力を受けて、最終的に3-26で敗れた。 予選プールで3戦連続計4トライを挙げた松島幸太朗(サントリー)と「ダブルフェラーリ」を組んだ福岡は、好調を維持して南アフリカ代表戦に臨んだ。 4年前に34-32で勝利した「ブライトンの奇跡」ではメンバー外。 だが、この再戦では11番をつけて先発出場を果たした。 「自分たちのラグビーを世界に示してきた。 チームとして自信を持っているし、経験を踏まえたうえで準備もできている。 そういう意味で、前と違った戦い方を見せたい。 トライが獲れているのは、内側の選手たちが崩して、いい形でボールをつないでくれているから。 自分たちらしい試合をして、記憶に残るようなゲームにしたい」 初戦のロシア代表戦こそケガの影響で出場できなかったが、予選プールを4連勝で終えた福岡は大きな手応えを感じていた。 南アフリカ代表戦のテーマは、「スマートに戦う」ことだったという。 キックで大きな相手FW陣を背走させつつ、スペースをパスやキックで攻める狙いがあった。 前半9分のグラバーキックには、ボールを拾い上げることはできなかったものの、福岡がすぐさま反応していた。

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セブンズティービー

2008年での行進 7人制ラグビー(セブンズ)はラグビーユニオンのであるによって管轄されている。 最も普及した形式の1つであり、主に夏季をメインシーズンにアマチュアならびにクラブ大会が開催されている。 、、、、そして特に南太平洋諸国で人気がある。 はアジアにおけるラグビーの「伝道」の形式として重要な存在となっている。 15人制ラグビーユニオンの試合は通常80分(前後半各40分)で構成されるのに対し、通常のセブンズの試合は2分間の休憩を挟んだ前後半各7分で構成される。 大会の決勝は前後半各10分でプレーされることもある(ワールドラグビーセブンズシリーズでは、カップ決勝のみが前後半各10分で行われる。 より下のレベルの大会の決勝は全て前後半各7分で行われている )。 (反則による一時的退場)は2分間である。 15人制よりも頻繁に得点プレーが発生し、スコアは一般的に15人制と同程度になる。 試合時間が短いため、セブンズの大会は同チームが一日で複数回試合を行い、一日あるいは週末で終えることが可能である。 多くの大会はカップ(杯)、プレート、ボウル、シールド()をかけた試合を含み、異なるレベルの多くのチームが手ぶらで大会を後にしないでいいようになっている。 例えば香港セブンズでは本戦ドロー16カ国のみがトロフィーをかけて争う。 各プールの上位2カ国がカップとプレートをかけたトーナメントに進み、残りの国がボウルとシールドを争う。 カップ準々決勝(初戦)の敗者はプレートトーナメントに進み、ボウル準々決勝の敗者はシールドトーナメントに進む。 大会フォーマットの詳細については「」を参照 観衆の雰囲気は15人制とやや異なり、観客がビール片手にどんちゃん騒ぎで盛り上がるのが一般的になっている。 最近は香港セブンズなどIRBセブンズワールドシリーズではコスプレをしながら盛り上がる観客が多く見られる。 フィールド [ ] セブンズは、ワールドラグビーハンドブックにおいて定義されているようにと同じ寸法の競技場でプレーされる。 フィールドは長さ100メートル 330 ft 、幅70メートル 230 ft である。 各ゴールライン上にH型のゴールポストがある。 チームおよびポジション [ ] チームは3人のフォワードと4人のバックスからなる。 は各チーム3人の選手から構成される。 (後述する例外規則を除いて)15人制と同等のルールで試合が進行するため、選手は少人数で広大なフィールドを走り回る必要がある。 プレー間のインターバルも少なく、前述の通り一日に複数試合を行うこともあるため、何度も全力疾走できる体力とスピード、1対1でのランニングスキルなどが選手に要求され 、トップレベルでは15人制での(FL・NO8)やに相当する、機動力や万能性を備えた選手が多くを占める。 7人制ラグビーのポジション セブンズの 試合の迅速化などを目的として、セブンズではいくつかのルール変更がなされている。 前述の内容も含め、国際試合における15人制との主な相違点は以下のとおり(角括弧内は15人制でのルール)。 試合形式• 各試合のベンチ登録は12人 [23人]。 フィールド上の選手は両チーム7人 [15人] を超えない。 控え選手は5人 [8人] 、選手交替は5人 [8人] まで可能。 前後半各7分 [各40分]。 大会決勝では前後半各10分で行われることもある。 ハーフタイムは2分以内 [15分以内]。 を実施する場合、前後半各5分 [10分] で行い、先に得点したチームが勝者となり、試合は直ちに終了する。 主要な大会では、通常のタッチジャッジ2名に加え、インゴールジャッジが各1名ずつインゴールに立つ。 セブンズでは、ボールを持ったプレーヤーが独走状態でゴールに向かう場面などが多く、レフリーが追いつけない場合、死角が生じるためである。 試合中• スクラムは3人 [8人] で組む。 スクラムを組んでいる選手は、トンネル内のボールを相手側以外の方向へ蹴り出すことができる [トンネル外には蹴り出せない]。 スクラムを組んでいる選手は、トンネル内のボールを拾い上げてはならない [最後尾 No. 8 の足に到達したボールを、最後尾の選手が拾い上げるのはよい]。 ボールが直接タッチになった場合、タッチに出さなかったチームのフリーキックで再開 [4つの選択肢あり]。 コンバージョンやペナルティキックはで行う [プレースキックも選択できる]。 コンバージョンキックの際、相手はチャージできない[チャージ可能]。 コンバージョンキックはトライ後、競技時間30秒 [90秒] 以内に行わなければならない。 得点後は、得点したチーム [失点したチーム] ので、競技時間30秒以内 [規定なし] に試合再開する。 キックオフ時のミス(ノット10m、ダイレクトタッチなど)は相手フリーキックとなる [3つの選択肢あり]。 イエローカード()を受けた選手は2分間 [10分間] の一時退出となり、その間フィールド内は1人少ない状態となる。 の選手が退場または一時退出している場合、フィールド内の他選手がスクラムを担う [フィールド内の任意選手を外し、代わりにフィールド外のフロントロー専門の選手を加える]。 審判はアドバンテージを素早く決定する。 歴史 [ ] の影の下に抱かれたスコットランド・メルローズにあるグリーンヤーズはラグビー・セブンズ発祥の地である。 スコットランドでの始まり [ ] 7人制ラグビーの歴史は古く、の町、メルローズとガラシールズの地域メンバーの対立がきっかけで、メルローズの町が独立して新たにラグビークラブを結成したことにはじまる。 に、メルローズの地元のクラブの資金集めのためにラグビーの大会を開こうと考えたが人数がなかなか集まらず、メルローズの肉屋であったとデビッド・サンダーソンによって少ない人数でラグビーを行うにはと考え出されたのが七人制ラグビーであった。 史上初のセブンズの試合はメルローズグラウンド、グリーンヤーズで行われた。 2年後の、においてはスコットランド外のクラブで初めてボーダーズのセブンズタイトルの1つを獲得した。 ボーダーズでのセブンズの人気にもかかわらず、、まで他の場所では流行しなかった。 スコットランド外での初のセブンズ大会はにイングランド北東部で開催されたパーシー・パーク・セブンズである。 ここはスコティッシュ・ボーダーズと近かったため、この地域からの関心を集め、決勝は(優勝)とメルローズ(準優勝)との間で争われた。 、イングランドの主要な大会がロンドン在住のスコットランド人J. Russell-Cargill博士によって設立された。 セブンズのイングランドへの普及における重要な出来事の一つがこのミドルセックスセブンズであった。 ミドルセックスセブンズの小委員会にはやビル・ラムゼイといった風格のある人物がいた。 ミドルセックスセブンズはチャリティーのためのすばらしい資金集めの催しでもあり、1926年にはのために1600を集めた。 当時は標準的な入場料は1、スタンド席は5シリングであった。 ミドルセックスセブンズでのセブンズの試合のの記述は、イングランドの人々に対するこの競技の目新しさを示している。 フィールドはとてもオープンであり、もしボールを持って逃げられたとすると、彼を捕まえるのには全速力で走る必要があるが、非常に多くの場合そこにはもういなかったのだ スコティッシュ・ボーダーズは農村地域であるのに対して、ミドルセックスセブンズは人口数百万人のロンドンの郊外の近くであった。 第2回のミドルセックス大会には1万人の観客が詰め掛けた。 そして、ボーダーズ・セブンズはスコットランドラグビーの中核地域において選手の技術に磨きをかけていたのに対して、ミドルセックスセブンズはロンドンラグビーと同じように行っていた。 ミドルセックスセブンズに出場していた地元の選手には、前述したウェーベル・ウェイクフィールドやのカール・アーボルド(後のの法律顧問官)、のウェイク・パウエル、後にフォー・ホームユニオンツアー委員会の委員長となったジョン・タレントがいた。 彼らは()や()といった様々な招待チームと親交を持った。 セールRFCのバックスにはのウィルフ・ウーラーやクロード・ダビー、のケン・ファイフがおり、カーディフRFCには再びウィルフ・ウーラーやレス・スペンス、ウェンディー・デービスがいた。 史上初の公式に認められた国際大会は、にの百周年記念行事の一部としてで行われた。 国際的発展 [ ] 7人制の成功により、史上初の公式国際大会から3年後のに香港セブンズが始まり40年以上、開催は続いている。 「メルローズ・カップ」を争うはに開始された。 最もよく知られている3つのセブンズの大会は香港セブンズ、、であり、これらはワールドラグビーの一部を構成している。 スコットランドとの結び付きはにおける香港セブンズの設立でも継続し、香港セブンズは主に "Tokkie" Smithといった専門家らによって設立された。 イングランドでは、が開始時からミドルセックスセブンズに強く関与していた。 香港セブンズは時代を先取りしており、ラグビーユニオンの近代化に影響力の大きい力であった。 例えば、香港セブンズは大きなスポンサーを引き付けた初めてのラグビーユニオン大会の1つであり、大会ではがスポンサーを務めた。 また、セブンズは世界主義的な国際競争の意識をラグビー界にもたらした。 このような意識は、が少し関わっている以外、にが初めて開催される以前にはラグビー界には存在しない傾向があった。 特には「ビッグエイト」の1つと見なされていなかった。 そして、のチームは悪名高く排他的な傾向にあった。 までには、香港セブンズは他国に対する良い手本として支持されていた。 この7人制国際大会は疑いなく最も壮観、魅惑的で、世界で最もよく組織されたラグビー大会であり、どこでも見られるセブンズ・ラグビーの最高水準を一貫して生み出してきた。 私が最初に観戦した際にオーストラリア人、ニュージーランド人、 フィジー人、そしてイギリス人選手の上質のプレーを見たことは驚きではなかったが、これまでラグビーがプレーされていることを私が知りもしなかった国々によって産み出される驚くほどに質の高いプレーには圧倒された。 およびはあらゆる点でおよびに劣っていなかった。 、、は純然たる体の大きさや厚さに欠けていることで克服できないハンディキャップを負っていたが、互いに対抗して幅広いランとハンドリングの技術を示し、これらは無条件の称賛に値した。 、、はいや応なく主要なラグビー強豪国によって打ち負かされたが、彼らは注目すべきほどに高いレベルの技術を持っており、この競技の将来は前途洋々である。 香港大会の週には、数日間にわたって24カ国の代表が混ざることができ、この大規模な知識の交流は新興国に対して長期的には有益なことづくめである。 上位8カ国のシード国がプールシステムで戦った初日の後、2日目は3つの異なるレベルの競技会に分かれる。 …この偉大な大会の強みは、開幕日に世界で最も有名な選手達と、ラグビーがマイナースポーツである国から来た相手がピッチを共にする点にある。 …香港セブンズのような大会が続いている間は、ラグビーの責任者達は、この競技が世界中の100を超える国々で繁栄し続けることを確信できるだろう。 しかしながら、この見かけの多様性とは裏腹に、国際ラグビーを悩ませてきた同じ古い問題の一部がの香港セブンズではまだ明白であった。 例えば、の大会での対の試合の写真には、民族的にアラビア人あるいは中国人である選手は誰も含まれいないように見え、代わりにどちらのチームもかなり明確に北ヨーロッパに民族的起源を持っていた。 セブンズはスコティッシュ・ボーダーズにおいて人気を保ち、この地方では最高峰の10のセブンズの大会によって「Kings of the Sevens」と呼ばれるリーグ大会が作られている。 セブンズの創造におけるメルローズRFCの役割を称えて、クラブはヘイグと共にに入りした。 セブンズは、、の南洋諸国やアフリカのにも強く根付いている。 多くのラグビーがマイナーな国々(例えばの場合)において、ラグビーを人々に紹介する手段としてラグビーセブンズに焦点を合わせる傾向がある。 セブンズは、、といった15人制の普及が成功してない場所で盛んになっている。 加えて、2015年現在、セブンズワールドシリーズの全てのレグに参加している15の核となるチームのうち7つ(、、、、、)は、15人制では広く認められたトップティアの国には入っていない。 主要大会 [ ] 「」も参照 は、2016年のの競技種目構成に7人制ラグビーとを含めることを2009年に決定した。 2016年に先立って、において7人制ラグビーが実施された。 、 でも実施は決定している。 オリンピックでは、選手は当該国の国籍を有していなければ代表となることができず、五輪予選(前年のワールドシリーズなど)も同様に国籍保持者に出場が限られる。 地域大会 [ ] セブンズは4年毎に開催されるにおいてのクアラルンプール大会から行われている。 セブンズはによって核となる競技と見なされている。 これまで、ニュージーランドが5度金メダルを獲得している。 女子競技は開催されていない。 セブンズは、、を含む様々な多種スポーツ大会で行われている。 ラグビーユニオンは以前はで行われていたが、オリンピック競技に採用されたことにより終了した。 セブンズグランプリシリーズ [ ]• , Melrose Sevens official site, retrieved 25 February 2010• Bath 1997 , p29• 2007年2月10日閲覧。 2010年2月6日閲覧。 2010年2月6日閲覧。 2020年6月14日. 2020年6月14日閲覧。 日本ラグビーフットボール協会. 2019年10月22日閲覧。 "Grave is Gay: At the Seven-a-Side Rugby Matches" in Illustrated Sport and Dramatic News, 1927• Starmer-Smith, p144• Starmer-Smith, p146• プレスリリース , International Rugby Board, 2008年11月23日 , 2015年10月8日閲覧。 retrieved, 7 November 2009• プレスリリース , International Rugby Board, 2010年6月1日 , 2010年6月2日閲覧。 Olympic. org 2017年6月9日. 2017年11月9日閲覧。 Bath, Richard ed. The Complete Book of Rugby Seven Oaks Ltd, 1997• Bath, Richard ed. The Scotland Rugby Miscellany Vision Sports Publishing Ltd, 2007• Jones, J. Encyclopedia of Rugby Union Football Robert Hale, London, 1976• McLaren, Bill Talking of Rugby 1991, Stanley Paul, London• Massie, Allan A Portrait of Scottish Rugby Polygon, Edinburgh;• Richards, Huw 2007. A Game for Hooligans: The History of Rugby Union. Edinburgh: Mainstream Publishing. Starmer-Smith, Nigel ed Rugby — A Way of Life, An Illustrated History of Rugby Lennard Books, 1986• Stubbs, Ray 2009. The Sports Book. Dorling Kindersley. 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

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セブンズティービー

リオ五輪から正式種目となった「セブンズ」こと7人制ラグビー。 男子代表は4位に入ってメダルまであと一歩と迫ったが、女子代表は1勝するのがやっとで10位に終わった。 そのような結果をふまえ、女子ラグビーセブンズ日本代表は五輪後に若返りを図り、現在は多くの10代選手が代表候補入りを果たしている。 左から、ピート染谷瑛海、田中笑伊、西村蒼空、松田凜日、平野優芽 2月24日~25日に行なわれた「沖縄セブンズ」では、セレクションマッチを経て選ばれた候補選手が日本選抜A・Bの2チームに分かれ、世界の強豪と戦った。 両チームともに平均年齢は19歳。 セブンズがオリンピックの正式種目に決定したのは2009年10月のことだから、現在20歳前後の選手は小中学校や高校時代から「オリンピックに出る!」という強い意志でラグビーを続けてきた者も多いだろう。 そのなかでも、セブンズ日本代表にこの1年でコンスタントに呼ばれるようになったのが、SH(スクラムハーフ)の平野優芽(ゆめ/東京・東亜学園)と、FWもBKもこなせる田中笑伊(えみ/栃木・國學院栃木)の高校3年生「ゆめ・えみ」コンビである。 昨年4月、当時17歳だったふたりは北九州で開催された国際大会「ワールドシリーズ」で代表デビューを飾った。 F1のように世界を転戦しながら行なわれるこの大会で彼女らはめきめきと成長し、今年1月のシドニー大会では強豪国のイングランドを倒す快挙にも貢献している。 東京都杉並区出身の平野は祖父と父の影響により、小学1年生から杉並ラグビースクールで競技を始めた。 中学時代から変幻自在のステップと強気のランで存在感を示し、高校1年時には日本最高峰の大会「太陽生命ウィメンズセブンズ2015東京大会」でMVPを獲得。 当時15歳にもかかわらず、自分より体重が40kgも重い外国人相手に輝きを放ち、一気に耳目(じもく)を集める存在となった。 当時の平野は、現在よりも7~8kg軽い53kg。 一見して周囲からラグビー選手だと気づかれない、ごく普通の女子高生だった。 だが、平野は「もっと身体作りをしたい!」と思い、クラブチームやユース世代の強化合宿「セブンズアカデミー」で研鑽を積みつつ、高校1年時は重量挙げ部にも所属してトレーニングを重ねた。

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