しるこ。 汁粉

志る幸 (しるこう)

しるこ

種類 [ ] 、ともに汁粉と呼ぶ地方では、の違いによって区別される。 田舎汁粉 — つぶし餡を用いたもの。 小倉汁粉とも呼ぶ。 御前汁粉 — を用いたもの。 また、以前より即席汁粉としての展開もみられる。 懐中汁粉 — の皮の中に粉末のとあられを入れた日本古来の。 湯を掛けて溶いて食べる。 お湯を注いで作る個包装の 粉末汁粉や カップ汁粉、缶入りでそのまま飲むことができる おしるこ缶なども販売されている。 おしることぜんざいの違い 関東(すなわち角餅) 関西(すなわち丸餅) 汁気あり つぶあん おしるこ(田舎汁粉または小倉汁粉) ぜんざい こしあん おしるこ(御膳汁粉) おしるこ 汁気なし ぜんざい 亀山または金時 バリエーション [ ] 以外に、、、、、()などを用いて作る場合もある。 小豆ぼうとう - で、の代わりにを入れたもの。 そばがき汁粉 - 周辺地域で、餅の代わりにを入れたもの。 かぼちゃ汁粉 - 米の収穫が困難だったやでは、の代用として・を入れたものがある。 では「冬至南瓜」と呼ばれる同様の料理がある。 とその周辺でよく作られるでは、汁物料理のひとつとしてぜんざい(小倉汁粉)が鉢に盛って出される。 やの代わりに、やが用いられ、場合によっては下煮したやなどのが丸ごと入れられる事もある。 歴史 [ ] の12年()の『』の後段(宴会の後に出される間食で、や、などが含まれる)の欄に、「 すすりだんご」と称される物が載っている。 これはもち米6に対しうるち米4で作った団子を小豆の粉の汁で煮込み、味を付けたものであり、その上から白砂糖をにした一種の汁物である。 当初は甘い物ではなく、塩味で調理されており、として用いられる事もあった。 ・東部でのにおける汁粉も、元来はこうした塩味の料理であったと考えられる。 餡餅やなどとの関連性もあるものと見られる。 現在は甘みを増してや甘味屋・茶店などで供されており、大阪の「夫婦善哉」(白玉団子の善哉(田舎汁粉)が2つの小さな御椀に入れられて供される)、仙台のずんだ汁粉など地域色の出た汁粉が出されている。 特に甘味屋や茶店においては、口直しや甘味を際立たせるものとして、やなど塩味の濃い食品を添えて出す事が多い。 また、長崎のにおいては「梅椀」という名で御前汁粉がデザートとして出される。 梅椀という名前は梅の花の塩漬けを汁粉に浮かべて出したからともいわれる。 砂糖が貴重品だった時代の名残ともいわれるが、古い時代の卓袱料理の献立では汁粉以外の菓子類等が出されており、確証は無い。 塩()を添えることで、で分解されたとナトリウムとのによりグルコースの速やかな体内への吸収を助ける。 「すすりだんご」と称するものは現在でも等に残っており、団子の汁粉を指したり、団子をと煮たのような料理を指す事もある。 は、昭和2年の5月に「しるこ」について 「しるこ」は西洋料理や支那料理と一しよに東京の「しるこ」を第一としてゐる。 と注目している料理である事を書き、またのしるこを啜る事なども書いている。 この事について、の「甘い物の話」でも触れており、久保田万太郎は「まず一気に汁粉を流し込む」と食べ方の付いて書いている。 芥川龍之介は久保田万太郎と共に、汁粉は「食う物か飲むものか」熱心に話をしていた(「味の自由」より)。 小島政二郎の「食いしん坊」でも同様であり、昔から話の話題となる料理であった。 行事 [ ] の代表的な食べ物の一つである。 やにおいてはとして汁粉を食べる風習がある。 またなど四国の一部では雑煮に餡入りの餅が使用される。 においては、を用いて汁粉やぜんざいを作る。 に食されるも同様である。 他の料理 [ ].

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志る幸 (しるこう)

しるこ

小豆のあんを湯で溶いて煮立て,これに切り,含めなどを入れたもの。 江戸時代のから流行したもので,焼いた小餅などを入れるようになったのはかなりあとのことである。 京阪地方では ぜんざい という。 また,でつくったものを,でつくったものをという。 白あんにひき茶を入れた常磐汁粉,こしあんに砂糖煮のを入れたもある。 善哉は焼いた餅あるいは含め栗などをに盛り,その上に煮立てたつぶしあんあるいはこしあんを掛けたもので,地方地方でそれぞれのがある。 もなか の皮にあんを包んだも携帯と保存に適した汁粉として販売されている。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 アズキの こしあん を水でのばし、砂糖を加えて煮立て、汁の中に餅 もち または白玉の団子を入れたもの。 広義には餡餅の一種。 汁粉の語源は餡汁粉(子)餅で、その略が汁粉ともいわれるが、本来は汁の中に入れる実を汁の子、汁子と称した。 今日的な汁粉に限定されるのは、砂糖の潤沢になった江戸時代以降とされる。 またアズキの生餡 なまあん (水を切った生餡は粉をこねた状態である)を水に溶くから汁粉とする説もある。 汁粉が庶民の食物となるのは明和 めいわ 年間(1764~1772)以降とみられ、『明和誌』に「近頃 ちかごろ 汁粉見世にて商う」と記され、『守貞漫稿 もりさだまんこう 』には汁粉の種類も数品用意されていたとある。 一方、振売りの汁粉屋はそれ以前から往来していたが、値は夜鷹 よたか そば並みの1杯16文であった。 天秤 てんびん の前後に荷箱をかけ、赤行灯 あんどん をつるした職人の売り声は、「白玉ァおしるこゥ」「お正月やァ(餅入りの意)おしるこゥ」であった。 多くは夜売りで、行灯に正月屋と書き込む汁粉屋が多かったことから、正月屋ともよばれた。 屋台売りは幕末まで続いたが、明治初期になると「近頃のはやりもの」として、牛鍋 ぎゅうなべ 屋、洋食屋とともに店売りの汁粉屋があげられ、振売りは廃れていった。 いまに残る汁粉屋の老舗 しにせ には、東京・銀座の若松や浅草の梅園などがある。 汁粉の呼称は関東で、関西では善哉 ぜんざい という。 関東では、すする程度の漉し餡仕立てが汁粉、つぶし餡の入ったものは田舎 いなか 汁粉、箸 はし が立つほど濃いものは善哉である。 また関西でも、漉し餡仕立ては汁粉、または漉し餡の善哉と称した。 高級汁粉では、上漉し餡を使った御膳 ごぜん 汁粉、大納言 だいなごん アズキの蜜 みつ 漬けや白インゲンを漉し餡に入れた小倉 おぐら 汁粉、白餡に求肥 ぎゅうひ 餅を入れた翁 おきな 汁粉がある。 即席物では懐中汁粉がある。 [沢 史生].

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汁粉(しるこ)とは

しるこ

小豆のあんを湯で溶いて煮立て,これに切り,含めなどを入れたもの。 江戸時代のから流行したもので,焼いた小餅などを入れるようになったのはかなりあとのことである。 京阪地方では ぜんざい という。 また,でつくったものを,でつくったものをという。 白あんにひき茶を入れた常磐汁粉,こしあんに砂糖煮のを入れたもある。 善哉は焼いた餅あるいは含め栗などをに盛り,その上に煮立てたつぶしあんあるいはこしあんを掛けたもので,地方地方でそれぞれのがある。 もなか の皮にあんを包んだも携帯と保存に適した汁粉として販売されている。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について の解説 アズキの こしあん を水でのばし、砂糖を加えて煮立て、汁の中に餅 もち または白玉の団子を入れたもの。 広義には餡餅の一種。 汁粉の語源は餡汁粉(子)餅で、その略が汁粉ともいわれるが、本来は汁の中に入れる実を汁の子、汁子と称した。 今日的な汁粉に限定されるのは、砂糖の潤沢になった江戸時代以降とされる。 またアズキの生餡 なまあん (水を切った生餡は粉をこねた状態である)を水に溶くから汁粉とする説もある。 汁粉が庶民の食物となるのは明和 めいわ 年間(1764~1772)以降とみられ、『明和誌』に「近頃 ちかごろ 汁粉見世にて商う」と記され、『守貞漫稿 もりさだまんこう 』には汁粉の種類も数品用意されていたとある。 一方、振売りの汁粉屋はそれ以前から往来していたが、値は夜鷹 よたか そば並みの1杯16文であった。 天秤 てんびん の前後に荷箱をかけ、赤行灯 あんどん をつるした職人の売り声は、「白玉ァおしるこゥ」「お正月やァ(餅入りの意)おしるこゥ」であった。 多くは夜売りで、行灯に正月屋と書き込む汁粉屋が多かったことから、正月屋ともよばれた。 屋台売りは幕末まで続いたが、明治初期になると「近頃のはやりもの」として、牛鍋 ぎゅうなべ 屋、洋食屋とともに店売りの汁粉屋があげられ、振売りは廃れていった。 いまに残る汁粉屋の老舗 しにせ には、東京・銀座の若松や浅草の梅園などがある。 汁粉の呼称は関東で、関西では善哉 ぜんざい という。 関東では、すする程度の漉し餡仕立てが汁粉、つぶし餡の入ったものは田舎 いなか 汁粉、箸 はし が立つほど濃いものは善哉である。 また関西でも、漉し餡仕立ては汁粉、または漉し餡の善哉と称した。 高級汁粉では、上漉し餡を使った御膳 ごぜん 汁粉、大納言 だいなごん アズキの蜜 みつ 漬けや白インゲンを漉し餡に入れた小倉 おぐら 汁粉、白餡に求肥 ぎゅうひ 餅を入れた翁 おきな 汁粉がある。 即席物では懐中汁粉がある。 [沢 史生].

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