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福島大神宮例大祭(福島町)

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福島大神宮(ふくしまだいじんぐう)は北海道松前郡福島町字福島219番地にある神社で旧社格は郷社。 御祭神は天照皇大御神 あまてらすすめおおみかみ 、豊受大神 とようけのおおかみ で例祭日は9月16日。 境内は箱館戦争時に砲台(福島砲台)となっていて、松前藩と旧幕軍軍艦との砲撃戦が行われました。 福島町史では50匁(もんめ)筒が5門と書いてあります。 (狛犬の後ろに福島砲台跡の標柱があります) 現宮司は常磐井家福島大神宮17代目になりますが、代々宮司を務めてきた家系であり、初代は常盤井家、三代~十二代目は笹井と名乗り、十三代から盤の字を変えた常磐井に改姓しています。 覚永元年月崎神社の神託により福島と改名したのだというが、福島の名前の由来は和名ではあるが意味は不明である。 また町(村)の歴史も、幕末期以降の文献しか見当たらなく『常磐井家記録』や『戸門治兵衞 信春旧事記』等が残されている程度である。 知内町には道南十二館のひとつ穏内館(館主 蒋土(こもつち)甲斐守季直)がありましたが、1457年(長禄元年)コシャマインの戦いにより落城。 後に二世兵庫之介季成に男子なく廃絶しますが、その名跡を惜しんだ松前藩主五世松前慶廣は六男で家老の松前伊予景廣 河野系松前氏 の末男である松前季信に嗣がせ、後に高橋姓へと改姓後代々松前氏に禄仕し幕末には百五十石の家臣となっています。 穏内館の遺構は昭和40年の調査で館崎の地名のある台地上に塁壁と空堀・門構え等の遺構が発見されましたが青函トンネル工事用地及び国道用地として削平され遺構は消滅しました。 福島町は、全国でも例のない二人の横綱「第41代横綱千代の山」「第58代横綱千代の富士」の出身地であり、この二大横綱の偉業を讃えた「横綱千代の山・千代の富士記念館」や、世界最大の海底トンネル「青函トンネル」の北海道側の基地を担ったことから、当時の工事記録や技術情報、設備重機などのトンネル文化を観れる「青函トンネル記念館」が観光施設としてあります。 福島大神宮 以下は、から。 【由緒】 創立年代不詳。 本州からの渡海者が伊勢皇大神宮の大麻を奉じて「カムイナイ」(アイヌ語)という小沢に鎮座したと伝えられる。 天正2年(1574)福島村常磐井家の遠祖常磐井治部大輔藤原武衡再建。 更に慶安2年(1649)9月16日村中にて再建。 時に3代祠官笹井(常磐井)今宮藤原道治斎主となり、第9代松前藩主松前高広の命により福山神明社より古神鏡を奉遷し遷座祭を斎行。 文化4年(1807)社殿焼失し、現在の「鏡山」の地に社殿を遷座。 明治9年福島神明社を現社名に変更し、旧郷社に列せられる。 【所在地】 〒049-1312 松前郡福島町字福島219番地 電話 01394-7-2062 FAX 01394-7-2088 【例祭日】 9月16日 【祭神】 天照皇大御神 あまてらすすめおおみかみ 、豊受大神 とようけのおおかみ 【旧社格】 郷社 【社宝等】 松前神楽用獅子頭 町指定・文化4年(1807) その他 乳房桧 北海道記念保護樹林(樹齢約500年) 八鉾杉 北海道記念保護樹木(樹齢約350年) 【特殊神事】 「松前神楽」昭和27年福島町無形文化財指定。 昭和33年北海道無形文化財指定。 「福島大神宮祭礼行列」昭和30年福島町指定文化財民俗資料指定。 「松前神楽」平成7年12月26日、記録作成等の措置を講ずべき無形の民族文化財として選択(文化庁指定) 【境内外末社】 川濯神社 かわそじんじゃ (合殿)稲荷神社 伊弉諾尊 いざなぎのみこと 伊弉册尊 いざなぎのみこと 瀬織津姫命 せおりつひめのみこと (合殿)宇迦之御魂神 うがのみたまのかみ 釜谷神社 かまやじんじゃ 猿田彦命 さるだひこのみこと 稲荷神社 いなりじんじゃ 宇迦御魂神 うがのみたまのかみ 矢越八幡神社 やごしはちまんじんじゃ 応神天皇 おうじんてんのう 神功皇后 じんぐうこうごう 武内大臣 たけうちのおおおみ 熊野神社 くまのじんじゃ 伊弉諾命 いざなぎのみこと 大山祇命 おおやまづみのみこと 千軒神社 せんげんじんじゃ 大山祇命 おおやまづみのみこと 金山彦命 かなやまひこのみこと 罔象女命 みづはのめのみこと 丸山神社 まるやまじんじゃ 大己貴命 おおなむちのみこと 少彦名命 すくなひこなのみこと 手水舎 柄杓の底が抜けていて手水が掬えません(笑) 隣の古い手水鉢に奉納年がありますが、風化していて読み取れず 境内社 川濯神社 かわすそかわそじんじゃ 乳房桧という推定樹齢500年を超える御神木があります。 明応元年 一四九二 月の崎観音堂 のち月崎神社 の摂社として建立され同年五月十六日女石神海中より上り、これを御神体としたといわれる。近世期には十羅女 とらめ 堂ともいい、女性の信仰深く、古来女講中によって例大祭が執行されてきた。明治にいたり現在地に遷社。 かなり立派な土俵があります。 毎年、母の日に開催される「女だけの相撲大会」の会場です。 1000人を超える観客があるそうです。 参道の写真を撮るのにまた下に戻って来ました。 う~ん、この階段は長いなあ・・・ 見晴らし良いっすね!(小並感) 御神木 八鉾杉 推定樹齢約350年( 一本の杉の木から八つの幹が天を突くように伸びています) 狛犬(平成9年9月建立) 笹井家中興元祖と言われる常磐井三代笹井( 藤原)道治の銅像があったみたいですが、現在は台座のみとなっています。 福島大神宮記念碑と刻まれた碑(建立年月日不明) 忠魂碑(大正4年11月建立)元は福島小学校校庭に建立されたものを戦後の昭和21年9月に福島大神宮境内に移設。 境内社 鏡山神社 御朱印 社務所前の通路に駐車して参拝後、社務所のチャイムを押して対応して頂けました。 優しい宮司さんで御朱印受けた後、車をバックして出る際に他車両確認の交通誘導までしていただき感謝の気持ちで一杯です。 初穂料はお気持ちでとのことで300円納めさせて頂きました。 御朱印ありがとうございました。 ksn-bee.

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福島町観光 BE HAPPY FUKUSHIMA

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北海道出身の横綱一覧(ほっかいどうしゅっしんのよこづないちらん)は、出身(出身地はの発表した出身地による)のの一覧である。 各横綱の成績・人物等については各横綱の項を参照。 北海道出身の横綱は8人で全都道府県中最多であるが、北勝海の引退を最後に北海道出身の横綱はもとよりも誕生しておらず、北海道相撲界の地盤低下を心配する声も聞かれる。 横綱一覧 [ ]• 第41代横綱。 1951年5月場所後昇進、1959年1月場所。 6回、全勝2回。 初の横綱。 終戦直後の11月場所で10戦全勝の衝撃的デビューを果たす。 「 鉄骨のやぐら」と呼ばれた筋肉質の長身から破壊力あると右四つの相撲でならした。 戦後角界の旗手として期待を集め期待通り横綱に昇進したが相次ぐ故障で大成できず、「横綱返上」騒動を起こしたこともある。 が推薦・推挙による初の横綱でもある。 第43代横綱。 1954年1月場所後昇進、1958年1月場所引退。 幕内最高優勝1回、全勝1回。 に似た美男と筋骨隆々とした肉体で人気を集めた。 力士として伸び盛りだったころに兵役にとられ、さらに戦地で負傷し、体重も減少して出世の足かせとなった。 横綱昇進までの苦難の数々は「 7つの悲運」と呼ばれたが1月場所で生涯ただ一度の優勝を全勝で果たし、雪中の都内をパレードする姿は全国的な熱狂を呼んだ。 横綱昇進後は優勝なしのまま引退。 第48代横綱。 1961年9月場所後昇進、1971年5月場所引退。 幕内最高優勝32回、全勝8回。 出生地は(当時日本領)である。 当時の年少昇進記録を次々と塗り替え、入幕からわずか2年、21歳3か月で横綱昇進。 同時に横綱に昇進したと共に「栃若時代」に続く「 柏鵬時代」を築いた。 特に女性・子供からの人気が高く「 巨人・大鵬・卵焼き」の流行語が生まれた。 抜群の安定感を誇り、優勝30回を記念して相撲協会からを贈られた。 に力を注いだことでも知られる。 前館長。 2013年1月の他界後にを贈られた。 第52代横綱。 1970年1月場所後昇進、1974年7月場所引退。 幕内最高優勝10回、全勝3回。 「 現代っ子横綱」「プレイボーイ横綱」などの異名をもつ美男力士。 鮮やかな速攻が身上だった。 大鵬晩年期に横綱となり、ライバルとともに優勝を重ね「北玉時代」到来と思われた矢先に親友でもあった玉の海が急逝、以後8場所間一人横綱を務めたが成績は急降下した。 引退後は千代の富士・北勝海を横綱まで育て上げた。 現在は相撲協会を離れ、の専属相撲解説者。 第55代横綱。 1974年7月場所後昇進、1985年1月場所引退。 幕内最高優勝24回、全勝7回。 「 怪童」と呼ばれ年少記録を次々に更新、横綱昇進時の年齢21歳2ヶ月は現在も大相撲記録。 横綱昇進直後は取りこぼしも目立ったが、やがて巨体を利した破壊力と巨体に似合わぬ機敏さを武器に安定した強さを兼ね備え、37場所連続二ケタ勝利などを記録した。 同時期に・ら人気力士が多く、もっぱら彼らの敵役にされたが、誠実な土俵態度で横綱を63場所務めた。 大鵬に次いで一代年寄を贈られ、理事長を務めたが、理事長在任中に逝去した。 第58代横綱。 1981年7月場所後昇進、1991年5月場所後引退。 幕内最高優勝31回、全勝7回。 同郷の先輩・千代の山にスカウトされて角界入り。 精悍な顔立ちと筋肉美で高い人気を集め、80年代の相撲界を人気・実力双方で支えた、戦後屈指の人気力士。 力任せの投げで肩を故障し続けたが前褌をとっての速攻に開眼、関脇での初優勝から横綱まで駆け上がり、空前の「 ウルフフィーバー」を現出した。 につぐ記録となる53連勝を記録、相撲界初の通算1000勝を達成、これも相撲界初となる国民栄誉賞を受賞した。 第61代横綱。 1987年5月場所後昇進、1992年3月場所引退。 幕内最高優勝8回。 素質には恵まれなかったが兄弟子千代の富士との激しい稽古と闘志でカバー、激しい相撲でらと「 花のサンパチ組」とうたわれる。 昇進後は腰や膝の故障に悩まされるがそのたび復活を遂げ優勝回数を8回まで積み上げた。 日本相撲協会理事長在任中に逝去した北の湖の後を受けて、理事長に就任した。 第62代横綱。 1987年9月場所後昇進、1991年7月場所引退。 幕内最高優勝2回、全勝1回。 のようと喩えられた恵まれた巨体で早くから将来を嘱望され、期待通り横綱にまで駆け上がったが、などその巨体からくる病苦に悩んで低迷、以来となる本場所皆勤での負け越しを記録してしまった。 それでも1988年11月場所千秋楽、千代の富士の連勝を53で止め綱の意地を見せた。 関連項目 [ ]•

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『福島大神宮例大祭』は、1日目(宵宮祭)、2・3日目(祭礼行列)、4日目(本祭)と4日間続く伝統的な祭り。 北前船でもたらされた京風の文化的影響を受けた開拓前期の松前文化の特色を備えています。 行列の先行を勤める四ヶ散米(しかさご)行列は、他に類例のない、福島町特有のもの。 松前藩時代に創始の「四ヶ散米行列」、大名行列、奴行列を見物 2日目と3日目に行われる祭礼行列では、武運長久や蝦夷地鎮定を願って松前藩がつくった「四ヶ散米行列」をはじめ、大名行列や奴行列、山車や踊り手が町を練り歩きます。 「四ヶ散米行列」は、道祓いの神事として主要な演目です。 17世紀半ば、松前藩では和人の圧政に苦しみアイヌの蜂起が発生(セタナイのヘナウケの蜂起=1643年、西部の酋長ウスケシ・一説にヘナウケの乱がセタナイで起こる=1644年、東部メナシの蝦夷蜂起=1653年、シャクシャインの反乱=1668年)。 藩内では藩の家老を主将に、福島村名主・戸門治兵衛を従えて鎮圧しています。 この後、武運長久を願い蝦夷鎮定を表す神楽舞曲として「四ヶ散米」が創作されました。 大名行列は、天正2年(1574年)、福島神明社(現在の福島大神宮)が再建された時に、都の文化に蝦夷地特有の手振りが加味された行列が起源とされ、明治30年には、現在のような形で行なわれています。 奴行列は、松前藩主の行列を松前神楽の「行列の曲」に合わせて、「ホォー」という掛声とともに行進、身振り、手振りが行なわれる登城の儀式奴です。 松前藩主は参勤交代の際に、命がけで津軽海峡を渡りました。 福島大神宮例大祭(福島町) DATA 開催日 2016年9月9日(金)〜9月11日(日)・9月16日(金) 開催時間 9月9日(金)17:00〜18:30=宵宮祭 9月10日(土)・9月11日(日)8:00〜16:00=祭礼行列 8:00福島大神宮出発、9:00月崎神社出発 9月16日(金)16:00〜17:30=本祭 所在地 北海道松前郡福島町福島219 場所 福島大神宮 電車・バスで JR木古内駅から函館バス松前行きで50分、 福島下車、徒歩5分 問い合わせ 福島大神宮社務所TEL:0139-47-2062 福島町観光協会TEL:0139-47-3004(8:30〜17:00) 関連HP 掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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