逸見泰成 ジル。 アナーキーマリ(逸見泰成)の死因は病気?元妻や事件で逮捕って?

アナーキーマリ(逸見泰成)の死因や病名は?過去に病気で闘病していた?

逸見泰成 ジル

プロフィールは? JILL ロックバンド、PERSONZのヴォーカル 生年月日:1960年1月25日 出身地:東京都 本名:渡邉理恵 高校時代に見たエアロスミスやKISSの来日公演を見て、ロックに目覚め、 その後アマチュアバンドを経て、1983年に本田毅とNOTHING PERSONALを結成。 その後、渡邉貢 ベーシスト と藤田勉 ドラマー を加え、 1984年6月、PERSONZを結成。 ライブハウスを中心にライブ活動を展開しインディーズで人気を博していました。 1987年9月、PERSONZのヴォーカルとしてデビュー。 現在もPERSONZでの活動を続けています。 風貌がハーフっぽいなぁと感じたのですが純日本人でした! プライベートでは初婚にアナーキーの逸見康成さんと結婚しましたが、 すぐに離婚しています。 離婚原因ははっきりとはわかっていないですが、 逸見さんがかなり嫉妬深い性格で、男性と話していただけで怒り出すなんて噂もあったようです。 本当のところ何があったのかわかりませんが、 結婚生活が短かったことを考えるとそれだけ結婚生活を続けるのが難しい状況だった んでしょうね・・・。 その後は、ベーシストの渡邉貢さんと結婚しています。 貢さんとの間にはお子さんもでき、 その娘さんは2017年の時点で19歳になるようです。 現在の旦那さんとは仲が良さそうですね^^ お母さんが現役のロックバンドのボーカルなんて 娘さんからしたら自慢のお母さんなんじゃないかなぁ?と思いました。 参観日の時とかはちょっと恥ずかしかったかもしれませんが^^;笑 スポンサードリンク 刺される事件について パーソンズのジルと調べると、 元旦那に刺されるという内容が出てきます。 これは、かつて結婚していた逸見康成さんにとあるパーティーで 刺されて事件になりました。 もちろん刺してしまった逸見さんは警察に逮捕されてしまい、 裁判にもなって結局そのことでアナーキーを脱退することに・・・。 ジルさんも精神的に苦しむようになりその後太ってしまったなんて話もありました。 何があったのかわかりませんが、 かつて愛した人に刺されるなんて相当の恐怖ですよね・・・ それが1986年のことなのでもう随分前のことですが、 裁判の時には 「憎しみはなかったけど、悲しかった」 と話していたそうです。 そりゃそうですよね〜・・・。 刺してしまうくらい逸見さんはジルさんを愛していたとか??? いやいや愛していても刺しちゃいけませんけどね!! でもその後に今の旦那さんのおかげで立ち直れたのではないでしょうか! そんな風に公私ともに支えてくれる人と巡り会えたジルさんが羨ましい^^ 現在の活動は? 現在もバリバリ活動しているジルさん。 つい先日は28年ぶりに中野サンプラザでライブを行っています! 28年振りの中野サンプラザ。 28年前の平成元年1989年は、日本だけでなく世界も動いた年、天安門事件、ベルリンの壁崩壊。 平成元年に生まれた赤ちゃんは今年28歳になるのです。 3枚目のアルバム、NO MORE TEARSのTDで1989年明けてすぐに4人でNYに初めて行ったとき、日本が昭和から平成に変わったことをNYの号外で知りました。 そして、平成という時代も、またもうすぐ変わりゆくかもしれないのです。 今、ここで、このアルバムをRELOAD するタイミングとなったこと。 まったくの偶然ですが、少なからずとも運命の機微を感じます。 平成元年1989年3月にNO MORE TEARSはリリースされ、中野サンプラザ2DAYSは1989年6月29日、30日にWONDERFUL MEMORIES TOURのファイナルとして行われたのです。 ほとんどきっちり28年。 あさっての6月4日に、同じ場所でライブを、同じメンバーでやれることに運命を感じ、そして、感謝を。

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JILL

逸見泰成 ジル

プロフィールは? JILL ロックバンド、PERSONZのヴォーカル 生年月日:1960年1月25日 出身地:東京都 本名:渡邉理恵 高校時代に見たエアロスミスやKISSの来日公演を見て、ロックに目覚め、 その後アマチュアバンドを経て、1983年に本田毅とNOTHING PERSONALを結成。 その後、渡邉貢 ベーシスト と藤田勉 ドラマー を加え、 1984年6月、PERSONZを結成。 ライブハウスを中心にライブ活動を展開しインディーズで人気を博していました。 1987年9月、PERSONZのヴォーカルとしてデビュー。 現在もPERSONZでの活動を続けています。 風貌がハーフっぽいなぁと感じたのですが純日本人でした! プライベートでは初婚にアナーキーの逸見康成さんと結婚しましたが、 すぐに離婚しています。 離婚原因ははっきりとはわかっていないですが、 逸見さんがかなり嫉妬深い性格で、男性と話していただけで怒り出すなんて噂もあったようです。 本当のところ何があったのかわかりませんが、 結婚生活が短かったことを考えるとそれだけ結婚生活を続けるのが難しい状況だった んでしょうね・・・。 その後は、ベーシストの渡邉貢さんと結婚しています。 貢さんとの間にはお子さんもでき、 その娘さんは2017年の時点で19歳になるようです。 現在の旦那さんとは仲が良さそうですね^^ お母さんが現役のロックバンドのボーカルなんて 娘さんからしたら自慢のお母さんなんじゃないかなぁ?と思いました。 参観日の時とかはちょっと恥ずかしかったかもしれませんが^^;笑 スポンサードリンク 刺される事件について パーソンズのジルと調べると、 元旦那に刺されるという内容が出てきます。 これは、かつて結婚していた逸見康成さんにとあるパーティーで 刺されて事件になりました。 もちろん刺してしまった逸見さんは警察に逮捕されてしまい、 裁判にもなって結局そのことでアナーキーを脱退することに・・・。 ジルさんも精神的に苦しむようになりその後太ってしまったなんて話もありました。 何があったのかわかりませんが、 かつて愛した人に刺されるなんて相当の恐怖ですよね・・・ それが1986年のことなのでもう随分前のことですが、 裁判の時には 「憎しみはなかったけど、悲しかった」 と話していたそうです。 そりゃそうですよね〜・・・。 刺してしまうくらい逸見さんはジルさんを愛していたとか??? いやいや愛していても刺しちゃいけませんけどね!! でもその後に今の旦那さんのおかげで立ち直れたのではないでしょうか! そんな風に公私ともに支えてくれる人と巡り会えたジルさんが羨ましい^^ 現在の活動は? 現在もバリバリ活動しているジルさん。 つい先日は28年ぶりに中野サンプラザでライブを行っています! 28年振りの中野サンプラザ。 28年前の平成元年1989年は、日本だけでなく世界も動いた年、天安門事件、ベルリンの壁崩壊。 平成元年に生まれた赤ちゃんは今年28歳になるのです。 3枚目のアルバム、NO MORE TEARSのTDで1989年明けてすぐに4人でNYに初めて行ったとき、日本が昭和から平成に変わったことをNYの号外で知りました。 そして、平成という時代も、またもうすぐ変わりゆくかもしれないのです。 今、ここで、このアルバムをRELOAD するタイミングとなったこと。 まったくの偶然ですが、少なからずとも運命の機微を感じます。 平成元年1989年3月にNO MORE TEARSはリリースされ、中野サンプラザ2DAYSは1989年6月29日、30日にWONDERFUL MEMORIES TOURのファイナルとして行われたのです。 ほとんどきっちり28年。 あさっての6月4日に、同じ場所でライブを、同じメンバーでやれることに運命を感じ、そして、感謝を。

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アナーキーマリ(逸見泰成)の死因や病名は?過去に病気で闘病していた?

逸見泰成 ジル

マリ 逸見泰成を偲ぶ。 カッパンクとマリと最後の思い出。 6月4日朝、アナーキーのマリが死んだ。 未だ57だった。 今のバンド状況を見ると、未だ未だやれる年齢、やっぱ早すぎるよ……。 ましてや、あいつの今のバンドJacksも良い感じで、動いてたし………。 連絡を受けた時は、5日の昼だった。 その時は、未だ詳しい事が何一つ分からず、悪い冗談にしか思えなかった。 信じられない、だって、3月のカッパンクにAUTO-MODのゲストとして出て貰って、Born to Be Wild と I Wanna Be Your Dogで盛り上がったばっかりだし、その夜、マリのうちに泊まって、朝まで呑んでたんだぜ………。 まじピンピンしてたし、何一つ変わった事なんて無かったよ……。 マリの彼女に連絡すると、只々泣くだけで、要領を得なかったが、はっきりした事が一つ、やはりマリは、亡くなっていた。 逸見泰成 通称マリ、もう30年を遥かに越える友人だ。 マリ、マリと呼んでたけど、本名は泰成、マリってのは、単なる辺見マリから取られたあだ名だった訳で、でも俺にとっては、奴は永遠のマリだったよ。 あいつとは、何故か昔から仲が良かった。 あいつは、僕より二つ、三つ若くて、なんにつけても、初々しかったな(笑)!! アナーキーって、元々。 ヤマハ主催のアマチュアコンテスト「EastWest」出身で、しかも暴走族上がりで、しかもパンクだって言うから、ある意味何から何まで斬新で、ある意味ライブハウス上がりの俺達とは大違い(笑)。 そんなスタンスのバンド居なかったから、ライブハウス界隈じゃ、独特のスタンスだったかも知れないな。 当時は、此方から見てると、幾分閉鎖的と言うか、そんなに色々なバンドと付き合ってる感じじゃ無かったな……。 そんな、アナーキーのメンバーの中で、何故かマリだけが俺達とつるんでたな……。 ARBのキース、マリ、布袋、まこっちゃん、ハートビーツのシャイ、そしてAUTO-MODの貢と俺で、良く小滝橋通りにあったロフトで遊んでたな……。 だいたいロフトに行くと誰かがいて、結局朝まで呑む羽目に……。 あの頃の新宿ロフトは、まさに俺達の青春の1ページだった。 いろんな事があった。 マジいろんな事が色々あり過ぎて、人前で言えない様な話しも沢山あっ て………。 でも、其れが、俺達のリアルな時代だったよ。 そして、あれから、35年も月日が経って、でもマリは何も変わらなかった。 良く、遊んだよ、ここ、数年は、AUTO-MODのゲストとして、セッションしたり、飛び入りでステージ乱入して来たり、兎に角俺達は、ダチだったよ。 近頃マリは、Jacksって言うバンドやってて、中々良いバンドで、ライブもコンスタントにやってて、かなり良い感じだったのに。 結局あいつとの最後は、3月19日のカッパンクが最後と為っちまった。 「カッパンク」、パンクの祭典、歌舞伎町をパンクで埋めつくせと、三年前に始まったこのイベント。 歌舞伎町の複数のライブハウスを使い、行き来自由にして、しかも三日間もやっちまおうって言う、かなり凄いイベントで、AUTO-MODは、三年連絡の参加。 残念ながら、今年が最後と言う噂も有り、僕としては、トコトン破茶滅茶に楽しみたかった。 しかもこの日は、同じロフトで、僕は、4時ごろメインステージで、マリのJacksは、バーステージで8時頃ライブやるってんだから、お互いのステージの間も良い感じに空いてるし、こりゃマリ誘って遊ぶしかないなと、即電話。 今回はステッペンウルフのBorn to Be Wild と ザストゥージズのI Wanna Be Your Dogをやる事に。 マリとは、何遍か、セッションらしき事をしているが、大概破茶滅茶になっちまう、まああいつが呑み過ぎて、メチャクチャになっちまうなんてパターンもあるが、兎に角楽しくてメチャクチャになっちまう(笑)。 今回は、メチャクチャに成らない様に、当日入り時間の一時間前にスタジオに入って、一時間程リハーサルしてステージに臨みました。 なんか、往年の名曲のコピーをやるって純粋に楽しいですよね!! それで、ライブはどうだったかって? 当然大盛り上がりで大成功。 そして、やっぱり最後はメチャクチャ(笑)!! AUTO-MODの曲を4曲やった後、マリをゲストに呼んで、ご存知Born to Be Wildを渋めにかまして、なんか、普通のロックバンドみたいに、ご機嫌になって(笑)……。 最後は、ザ ストゥージズのI Wanna Be Your Dogを、当然滅茶苦茶になるまでやってやりました。 最後は、モニタースピーカー客席に投げ込んでやろうとしたけど、頭の上まで持ち上がらなくて辞めました(笑)!! 久しぶりに暴れた感じでしたよ。 なんかマリもガキンチョみたいに楽しそうな顔してたな(笑)!! そして、三時間後には、マリのJacksのステージ。 酔っ払ってたから、よく覚えてないけど、始まりに、なんか俺がMCみたいな事やっちまった様な気が……(笑)。 いやあ、Jacks、メチャロックンロールで、ご機嫌でしたよ!! そしてやっぱりパンクバンドですよ。 メチャ盛り上がり、パンクス達も新しいマリのバンド、しっかり受け止めたって感じ!! なんか、マジ良いイベントだったな……。 マリは、やっぱりパンクスには、大モテ、皆んなマリと写真撮りたがってましたよ!! ヤッパリアナーキーは、パンクバンドだったんですよ(笑)!! こんな写真も、 ハットトリッカーズのケンちゃんとマリ、不思議な写真になりました(笑)。 ライブが終わったら、お決まり新宿西口思い出横丁の「つるかめ食堂に移動して、全開馬鹿乗りで、大騒ぎ(笑)!! マジ、呑みまくりました。 何故か混じってた名古屋のシステムファッカーのゆうたが良い味だしてくれてました(笑)!! 呑んだの初めてだったけど、良い奴でしたよ!! AUTO-MOD、Jacks、SYSTEM FUCKERでライブやりたかったですね………。 そして、最後はメチャクチャに(笑)!! あんな楽しい夜を迎えて三カ月後に、こんな事態を迎えるなんて、夢にも思いませんでしたよ。 最悪と言うか、悲し過ぎますよ……。 つるかめ食堂」でしこたま呑んで、タツシの家に泊めて貰おうとしたら、マリが、俺の家に来いってんで、東武練馬迄タクシーで連れてかれて、マリと朝迄呑みましたよ。 なんか、昔の事から、今の事迄色々喋ったな………。 ひょっとしたら、こんなに喋った事ないくらい話ししたな……。 しかし、まさか、あれが最後に成るなんて……。 帰りは、駅迄送ってくれて。 なんか、桜が、いっぱいあって、お花見しょうぜって言ってたんだけど、天候のせいか、花見は出来なかった。 花見したかったな………。 だからあの日の駅での別れが最後に為っちまった。 あの日の人なつっこそうなマリの顔が、頭から離れられないよ。 昨夜は、何度も繰り返しあのカッパンクでの演奏を見ていた、見れば見る程信じられない。 全てが、悪い冗談にしか思えない。 でも、もう、マリは其処には居ないんだよ。 AUTO-MODが解散したら、マリとバンドやるのも悪くないななんて思って居たのに、あいつのギターで歌う事は、もう出来ないんですね………。 それどころか、もう二度と一緒に酒を呑む事さえ出来ない。 哀し過ぎるよ。 マリ、馬鹿野郎、早過ぎるよ………。 暫く僕は、普通じゃ居られない感じです。 でも、今は、祈るしかない、マリ、お疲れ様、近いうちに、俺もそっちに行くから、宜しく頼むよ!! 兎に角安らかに眠ってくれ、そして先にあの世で、ロックンロールかましてくれよ。 そんな訳で、マリ、暫くおやすみな!! そして、又あったら、ご機嫌なロックンロールしようぜ!! そして又、呑みまくろうぜ!! 其れまで、あばよ!! 安らかに眠ってくれよ!! マリ、永遠に!! Good-bye Mari,see you soon!! AUTO-MOD ジュネ•

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