成田 山 西脇。 成田山法輪寺 口コミ・写真・地図・情報

ゆいなるの概要

成田 山 西脇

兵庫県西脇市に、千葉県の成田山新勝寺の分霊をお祀りする播州成田山が在ります。 大日大聖不動明王様を御本尊としてお祀りし、この地方では大変有名な祈祷寺です。 毎年年末になると、来年の干支の巨大な動物の飾り物が新聞に載る所です。 前から知ってはいましたし、私の家にも不動明王様をお祀りしていますので、一度は訪ねてみたいと思っていました。 私は初めて訪れる神社仏閣に対し、必ず事前に、巳神様に行く事の是非を尋ねてみます。 1月4日、昨日のいざなぎ神宮に続いて、西脇の成田山に行く事の是非を尋ねてみました。 丸い輪が出て来ました。 行って良しと取ります。 家から一時間程の距離です。 時間も午後4時近くなっていましたので、参詣者は多くはないのですが、次から次に人がお参りに来られています。 境内に足を踏み入れますと、若干の揺らぎを感じます。 本殿に進みました。 参拝者が途切れたところで、先ず此方の巳神様を左に出します。 不動明王の印(不動根本印)を結び、真言(慈救呪)を唱えます。 次に私の住所、名前を述べ、この地に到った経緯を話します。 そして、不動明王様に、どうか御姿をお見せくださいと嘆願しました。 三本の斜めの線が出て来ました。 神霊と取ります。 神社等で見る神霊とは少し色が違いますし、私が経験した不動明王様の形と色とも少し違います。 仏説聖不動経を上げます。 縄?、不動明王様の髪?の様なものが出て来ました。 不動真言(火界呪)を上げます。 力強い足が出て来ました。 (妻は、ブーツを履いた足が出て来たと言いました) もう少しお体をお見せくださいと言いましたが、何時もの事で、横で手を合わせている方が、怪訝(けげん)そうな顔で見ていますので、止めにしました。 次に法輪閣と呼ばれる、祈祷所の様に見える前に行きました。 中では車の御祓いの方が、沢山集まって祈祷を受けておられます。 その後ろ(外)で、手を合わせます。 何も言う前に、此方の巳神様が、屋根(法輪閣と観ます)の上に(屋根の上に乗る様に)出て来ました。 此処では、もう何も言わずに場所を移動しました。 法輪閣のすぐ前には、霊感、霊視と看板が上がる相談所が在りました。 帰りに持ち帰り自由の新聞をもらって帰りましたが、沢山の有名人、事業家、有名企業が、当山の御祈祷の御陰をもらって繁栄されている旨が書いてありました。 時刻も午後5時近くになっていますが、会社の初出の帰りの方や一般の方が、次から次に参詣に訪れていました。

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成田 山 西脇

概要 [ ] の大本山成田山新勝寺が、(3年)に大僧正によって開山されたのち、成田不動信仰は日本全国に広がり、西脇を聖地とし、播州成田山法輪寺として。 大本山成田山新勝寺貫首より分院建立の直許を得て、成田山新勝寺不動尊を勧請。 信仰霊場として周辺地域の信仰を集め、家内安全、商売繁盛、、などのを求める信徒が多数参拝している。 本尊 [ ] は。 大本山成田山の平和の大塔建立の際、、が大塔本尊不動明王の原型として制作したものが奉安祭祀されている。 身代わりお守 [ ] の(12年)竣工の大本山成田山新勝寺の当日、辰五郎というがから転落した。 このとき、成田山のを押したが真っ2つに割れたものの辰五郎は一つなく助かった。 これを不動明王のとし、以来焼き印を押したこのが「成田山の身代わりお守」として、広く授けられている。 その他 [ ] 境内にはの大菩提寺の大塔を模した釈迦塔(約23メートル)が建立されている。 また、奈良県より聖天尊・の分霊を勧請祭祀するほか、本堂の裏には大きな七福神、胎蔵界大日如来が祭祀されており本堂下には十二支守り本尊、一願成就鎮守大神様、子授け安産子安地蔵尊、清瀧大権現など多くの神々が祭祀されている。 また、一方にはネパール様式の三層祈祷殿法輪閣(約21メートル)が建立され、大本山成田山新勝寺において開眼した立像不動明王像が鎮座している。 年中行事 [ ]• 1月元旦• 2月上旬 祭• 3月下旬 春の大祭(など)• 5月8日 病気封じ• 8月上旬 ・• 11月 (ちの輪くぐり) (月例行事)• 1日 月例特別護摩供• 16日 聖天尊ご縁日奉修• 28日 不動尊ご縁日護摩供奉修 交通 [ ]• 下車、で7分。 自動車:、より()を北上、約20km。 の西、約700m。 地図 外部リンク [ ]•

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成田 山 西脇

当寺は、『西宮成田山』の山門・本堂が西側に、 『圓満寺』の山門・本堂が東側に並んでおります。 交通安全祈祷については地元西宮はもちろん、 京阪神(京都・大阪・神戸)関西全域からお越しいただいております。 【西宮成田山】 千葉県の成田山新勝寺より不動明王を勧請し、西宮成田山と称する。 交通安全・諸願成就を願う参拝者が数多くおられます。 【圓満寺】 圓満寺は、高野山真言宗の別格本山で、御本尊は薬師如来です。 又、摂津国八十八箇所霊場の第79番札所です。 開山は法道仙人で、創建は966年(康保3年)と伝わります。 西宮鷲林寺にあった、武庫山鷲林寺を現在地(西宮市社家町)に移したのが当山の原点です。 平安末期の源平合戦以降、幾多の戦火で荒廃。 また、戦国時代には織田信長が荒木村重を攻めた際には焼き討ちにより堂宇がことごとく焼失しました。 その後、鷲林寺を現在地に移したため、『今里鷲林寺』とも呼ばれ、現在に至っております。 第二次世界大戦時、1945年(昭和20年)8月の空襲で全ての建物が全焼し、書物・記録等も焼失してしまい、又、1995年(平成7年)の阪神淡路大震災においても大きな被害を受けましたが、現在は諸堂全てを再建致しました。

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