福岡 市 西区 の 天気。 福岡市

福岡市西区の1時間天気

福岡 市 西区 の 天気

河川水位 観測時刻:2020年6月28日 10:45 河川 地点 現在水位 【注意】 氾濫注意 水位 【避難】 避難判断 水位 【危険】 氾濫危険 水位 多々良川 粕屋町江辻 0. 59m 2. 41m 2. 84m 3. 46m 多々良川 東区多の津2丁目 1. 57m 3. 56m 3. 76m 4. 23m 宇美川 志免町志免中央4丁目 -0. 37m 2. 80m 3. 10m 3. 50m 宇美川 東区社領3丁目 -0. 66m 1. 20m 1. 63m 2. 07m 須恵川 東区多の津5丁目 0. 59m 2. 00m 2. 34m 2. 69m 須恵川 東区原田2丁目 1. 14m 2. 78m - 3. 41m 香椎川 (中小河川) 東区香椎2丁目 0. 25m - 1. 23m 1. 83m 浜男川 (中小河川) 東区香椎駅前1丁目 0. 23m - 1. 17m 1.

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6月26日金曜日不安定なお天気の福岡市西区です今日もムシムシ...(2020.06.26)

福岡 市 西区 の 天気

福岡市の衛星写真 2015年10月撮影 の行政・経済・交通の中心地であり同地方最大の人口を有し、()とともに形成するはにおいて日本のに数えられる。 日本の森記念財団が2019年に発表した「世界の都市総合力ランキング」では評価対象となった都市の中で世界42位、国内3位に評価された。 また同財団が国内の都市の魅力や持続性を評価した「都市特性評価」ではに次いで国内2位であった。 グローバル創業・雇用創出特区として、北九州市とともにに指定されている。 に面するこの地域は古来から (はかた)として認識されており、大陸方面への玄関口として利用されてきた。 中世に商人によるが形成され、戦乱で度々焼き払われながらも、豊かな町人文化を育んだ。 の手で復興されたのち、がとそのを築いたことで、を境に西が城下町としての「福岡」、東が商人町としての「博多」となった。 その後、から初頭にかけて、福岡と博多は共存していたが、(明治9年)に福岡と博多は統合され 福博(ふくはく)となり、その後、福岡と改称された。 の近代初期は現在のように九州地方で1番の都市では無かった を参照。 九州地方最大の都市は・であり、九州地方を統括する中央の出先機関は当時に置かれるなど、九州地方における福岡県および福岡市の重要性は低かったが、開港、(現在のの前身)設置に端を発して発展が進み、徐々に九州地方の中枢として位置づけられるようになった。 1910年代に熊本市の人口を抜き九州地方最大となる。 のではの人口の2倍を超えている。 また、この時期から九州を統括する中央の出先機関は福岡市に移行している。 に、五市合併でが発足すると同市の人口が九州地方最大となったことから、福岡市は県庁所在地でありながら福岡県最大の都市ではないと言うねじれ現象が生じたが、その後、後期の日本におけるの相次ぐ閉山・の急速な発達と、政令市指定・博多延伸などを経て、に再び福岡市の人口が九州地方最大となったことでねじれ現象は解消された。 2010年から2015年にかけて、福岡市は人口増加数、増加率とも政令市の中で最も高い。 現在でも人口の流入は著しく、年間1万人を超えるペースで増え続けている。 2015年には神戸市を抜き、全国で5番目に人口が多い市となった。 2020年5月、人口が160万人を突破した。 福岡市の都心は、との両極がある(それぞれ江戸時代の福岡と博多に相当する)。 天神は福岡市役所と・・のほか、多数のやが集積するとなっており、博多には在来線・新幹線のターミナルであるがあり、またも地下鉄で数分と至近距離であるため、大企業の支社が集積するビジネス街となっている。 天神と博多を隔てるのに形成されたは、(なかす)として全国的に有名である。 天神・博多・中洲・などで夜間に常設されるの数は日本一 で、屋台目当ての観光客も多い。 には複合商業施設が中洲の東側に開業、には博多延伸に伴い博多駅に複合商業施設が開業している。 福岡市の主な副都心としては、とが挙げられる。 両者の周辺にはや、が多数存在するほか、埋め立てウォーターフロント開発地区として、西新の北にはが、香椎の西にはが隣接している。 特にシーサイドももちには、・・・関連各社といった文化・エンターテインメント施設が集積している。 福岡都心はに近く超高層ビルが建てられないが、福岡市内の高さ100m以上の建造物の殆どが(比較的高さ規制の緩い)この両副都心の近辺にある。 この両副都心ほど大規模ではないが他に福岡市の副都心として挙げられる地域は、やがある。 地理 [ ] (南区)より福岡市街地を望む 位置 [ ] 九州の北部。 (・・)に面した半月型のの大半の部分を市域とする。 北は博多湾の北辺に位置するである・である、西はの東部まで市域となっている。 南・南西はに含まれる山間部まで市域が伸びており、に接している。 ほかに有人島嶼として、博多湾上のや市の西部で博多湾口付近の玄界灘上に浮かぶ、そのさらに西北部にあるを市域に含んでいる。 福岡市から・を挟んで向かい側にがある。 日本の人口100万人以上の主要都市としてはの、の、のに最も近い都市で、直線距離ではから約880km、から約480km、から約200km、韓国のから約200km、ソウル特別市から約540km、中国の上海市から約890km、台湾の台北市から約1280kmの位置にある。 地形 [ ] 市域の多くはに含まれており、一部に小高い山なども存在するものの概ね平坦である。 他の大都市と比べて平坦であるため、通勤や通学、買い物における利用の利便性が高い。 市域西部・西南部は脊振山地の一角を成しており、標高が高く起伏の大きい地形となっている。 市街地の海岸部は大半がであり 、港湾・住宅などが建設されている。 また、博多湾東部にはも建設されている()。 一方、西区の大部分や東区海の中道と島嶼部などには自然海岸も残っている。 また、玄界島の北方約300mに黒瀬と呼ばれる幅200m程度の岩礁が発達している。 黒瀬は、に活動した福岡県唯一のに分類され、で構成されている。 市内を流れる河川としては、市域中心部を流れる・や市域東部を流れる、市域西部を流れるなどがあるが、はない。 従って自主に乏しくたびたび大規模な(例:)に見舞われている。 長大河川はない一方で、前述のとおり平野周辺の山地から短い河川長とやや急な勾配で博多湾に流れ込む河川はおおむね市街地を経由しているため、があった場合に氾濫しやすく、それが福岡平野を形成したと見られるが、現代において都市上の課題となっている。 (なおやその麓にあたる地域はそれよりも多くなる。 ) 冬季に日照時間が少なくなる点が太平洋側諸都市と異なり、年間日照時間は概ね1800 - 1900時間程度で、九州の他地域に比べてやや短い。 冬季の日照時間は少ないが、降水量分布の観点では夏季に降水量のピークがあり冬季の降水量は少ない典型的な夏極大型の太平洋側気候であり、島根県以東の日本海側気候の地域と比べ冬季の10mm以上の雨日数とが極端に少ないという点で典型的な日本海側気候とは決定的に異なっている。 これは他の九州北部・山口県の玄界灘沿岸でも同様である。 緯度が低い上に内湾に面している大都市のため、夏季は等と並んで昼夜を問わず大変暑さが厳しい地域の一つである。 6月から真夏日が見られ、7月以降、9月にかけて真夏日の厳しい暑さが続く。 猛暑日の平年で5. 5日と毎年猛暑日を記録する。 人口規模に比してが著しく、戦前からの日数の増加率が日本の主要な気象観測点で一番高くなっている(1936年-2007年にかけて10年で5. 0日のペースで増加。 平年の熱帯夜日数は本土では、、に次いで多い33. 4日で、実に1ヶ月以上に及ぶ。 猛暑日15日以上、熱帯夜50日以上となった年もある。 九州という低緯度地域で夏期にはより湿った気団の影響を受けやすい上、市街地がに面しており湿った海風が入りやすく、に加えが高い。 そのためやなど東日本の主要都市と比べや暑さ指数(WBGT、)が高く、体感的な暑さは厳しくなる。 冬季は北側のを流れるであるの影響を受けるため、は少なく(平年4. 3日)、全くない年もある。 東京23区や名古屋市、京都市などと比べて平均気温は約2. しかし北西が吹きつけ、曇天の日が多くは少ないため体感気温は低めである。 降水量は少ないが、降水日数は太平洋岸の諸都市よりやや多くなっている。 平年の年間降雪日数は17. 1日で、は年1 - 2回、最大5cm程度で、積雪が全く無い年も珍しくない。 これは、北西季節風の風上が朝鮮半島の影響で狭くなっている対馬海峡のため、北西季節風の海上吹走距離が短く、雪雲が発達しないためである。 北西風型の冬型では、吹走距離が短く未発達の雲がかかる福岡市の積雪が0cm〜3cm程度なのに対し、東シナ海上の吹走距離が長く発達した雪雲がかかるが20cm以上の大雪になったという例も度々起こる。 早良区南部(脇山・内野・・曲渕)や山沿いでは積雪量はやや多くなるが、日本海側やなどの山陽地方の山沿いと比べても少ない。 年間の雷日数はとして有名なの次に多く、全国ので第11位の24. 7日で、太平洋側と異なり冬季にもしばしば落雷が観測される。 夏の晴天日のいわゆる夕立は少なく、のような中心部直撃の激しいや降雹はない。 その分夕立による効果を期待できず、熱帯夜が多くなっている(平年値の統計期間は〜)。 5 70. 7 24. 3 75. 7 26. 3 79. 3 30. 1 86. 2 32. 3 90. 1 37. 3 99. 1 38. 3 100. 9 38. 1 100. 6 36. 5 97. 7 33. 3 91. 9 28. 2 82. 8 26. 0 78. 8 38. 3 100. 9 49. 8 11. 1 52 14. 4 57. 9 19. 5 67. 1 23. 7 74. 7 26. 9 80. 4 30. 9 87. 6 32. 1 89. 8 28. 3 82. 9 23. 4 74. 1 17. 8 64 12. 6 54. 7 20. 9 69. 6 43. 9 7. 4 45. 3 10. 4 50. 7 15. 1 59. 2 19. 4 66. 9 23. 0 73. 4 27. 2 81 28. 1 82. 6 24. 4 75. 9 19. 2 66. 6 13. 8 56. 8 8. 9 48 17. 0 62. 5 38. 3 4. 1 39. 4 6. 7 44. 1 11. 2 52. 2 15. 6 60. 1 19. 9 67. 8 24. 3 75. 7 25. 0 77 21. 3 70. 3 15. 4 59. 7 10. 2 50. 4 5. 6 42. 1 13. 6 56. 0 21. 2 17. 7 23. 4 29. 5 1. 4 34. 5 4. 3 39. 7 13. 8 56. 8 15. 4 59. 7 7. 9 46. 2 0. 4 32. 1 28. 4 22. 2 17. 2 mm inch 68. 0 2. 677 71. 5 2. 815 112. 5 4. 429 116. 6 4. 591 142. 5 5. 61 254. 8 10. 031 277. 9 10. 941 172. 0 6. 772 178. 4 7. 024 73. 7 2. 902 84. 8 3. 339 59. 8 2. 354 1,612. 3 63. 476 cm inch 2 0. 8 1 0. 4 1 0. 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 1. 5 mm 11. 0 10. 1 12. 9 11. 0 10. 7 12. 4 11. 9 10. 4 10. 9 7. 3 9. 7 10. 3 128. 9 4. 3 1. 9 0 0 0 0 0 0 0 0. 1 3. 1 121. 0 149. 8 181. 6 194. 6 149. 4 173. 5 202. 1 162. 8 177. 1 136. 3 116. 7 1,867 出典: 平均値:1981年-2010年、極値:1890年-現在 地名 [ ] を参照。 行政区 [ ] 南区 以下の7つので構成される(順)。 36 4,629 2 245,198 15. 3 31. 63 7,752 3 204,325 12. 8 15. 40 13,268 4 265,190 16. 6 30. 98 8,560 5 212,179 13. 2 84. 17 2,521 6 133,266 8. 3 15. 99 8,334 7 220,540 13. 8 95. 87 2,300 合計 1,601,755 100 343. 39 4,665 当初は5区体制で発足したが、(昭和57年)に西区から城南区、早良区が分区された。 市街地構成 [ ] 福岡タワーより南東を望む(2008年8月20日撮影) 市の中央部にある地区(中央区)が市の中心部で、ここには数多くのデパートやビルが建ち並んでいる。 天神からを挟んだ東隣には那珂川の本流と支流()に挟まれた地形部分があるが、そこが日本三大の一つに挙げられるである。 そのさらに東隣は「博多」の市街地である。 その博多市街地の南東にが位置している。 中洲から博多駅の間の一帯はオフィスビルやビジネスホテルなどが建ち並ぶビジネス街である。 天神地区の西および西南に位置する、今泉、警固では、1990年代後半ごろから主に若者をターゲットとした店舗が増え、若者の町として急速に発展している。 大名から西へ行くと跡がある。 さらに西方、天神から約4kmの位置には、福岡市の副都心を成す繁華街の(早良区)がある。 西新の北側は1980年代に埋立により開発された土地で、と呼ばれ、当時として新しい市街地が形成されている。 市域東部の博多湾上において(東区)と呼ばれるが建設中であり、後半から初頭頃にかけて、港湾地区と住宅地の一部が竣工している。 福岡市では、(平成12年)前後から市東部のJR鹿児島本線、西鉄貝塚線沿線において土地区画整理事業や連続立体交差化事業等の市街地開発事業を実施しており、古くから東部の副都心とされる・周辺の地区とJRの旧香椎操車場跡地を利用した新興市街地である地区との間、および地区と吉塚地区との間で整備事業が進んでいる。 連続立体交差事業は、千早地区が2004年頃、箱崎地区が2004年3月、香椎地区が2007年3月に竣工した。 また、土地区画整理事業は、箱崎地区、千早地区については2010年頃までにほぼ完了し、香椎地区については進行中である。 市内南部方面を網羅する、やを中核とする都市計画道路の整備も進み、2011年4月に福岡外環状道路が全線完成供用されるのと前後して、これに接続する新たな主要幹線道路がとして整備されほぼ完成している。 2012年7月には高速5号線が全線完成しとなった。 市街地形成と関連した重大な動きとして、のキャンパス移転が挙げられる。 本部を始め多くの学部が置かれていた東区の箱崎キャンパスと、主に教養部が使用していた中央区のキャンパス(校地)を西区に新たに開発した伊都キャンパスに移転させる計画である。 伊都キャンパスへの玄関口となるからにかけての地区では伊都土地区画整理事業が実施され、西部地区に新たな拠点地域が整備された。 キャンパス移転は2005年より開始され、同年にはも開業している。 一方、六本松キャンパスの跡地には複合施設・が開業し、裁判所なども当地に移転する予定である。 箱崎キャンパスの跡地では「Fukuoka Smart EAST」計画のもと先進的な都市づくりが行われることとなっている。 このほか、駅周辺再開発事業により、福岡市地下鉄周辺の(西区)に新興の商業地が、西鉄周辺の(南区)にも既存商業地が、それぞれ発達している。 また、街路は、新しく建設された主要幹線道路においては無電柱化、街路樹の整備が促進されている。 さらに都市景観上の大きな特徴として、郊外に超高層マンションが林立しているにももかかわらず、中心部に超高層ビルが存在しないことが挙げられる。 これは中心部の至近距離に福岡空港が存在し、航空法のによりビルに高さ規制が掛かっているためで、博多駅地区では60メートル、天神地区でも70メートル程度までが限度となっている。 (参照)その結果、多くの大都市では問題になっているテレビのが市街地ではさほど影響がない。 「福岡」と「博多」 [ ] 名は「福岡」であるが、「福岡」を称する市の中心駅名は、の(旧名称は「西鉄福岡」)のみで、は「」を用いている。 福岡はの「武家町」、は古来から国際貿易港としての「商人町」として栄えたがあり、那珂川を境として福岡と博多は元々は別々の都市であった。 市制施行の際に一悶着があったが、都市名を福岡、中央駅名を博多にすることで合意(詳しくはで後述)。 新幹線開通時は博多が玄関口となり、博多の知名度が大きく上回ったが、今日ではのはずれに位置した天神地区の台頭もあり、かつての「福岡」が商業の街、「博多」がビジネス街となった。 こうしたことから「博多」より「福岡」という名称で呼ばれることが多くなり、博多は都市内の一地区名でしか用いられないことが多くなった。 ただし、現在の中心部の天神地区の繁華街としての発展は、戦後旧博多部から現在の新天町に移った『 博多商人』の力なくしてはあり得ない。 ことに、時の博多豪商「渡辺与八郎」の尽力により、他の都市に後れを取っていた市内電車の導入を果たし、当時多くを所有していた天神町付近(現在の天神)の土地を福岡市に寄付し、福岡市の発展に力を注いだ。 そしてその功績を称え、福岡市の中心部を南北に貫く目抜き通りは「 」と称している。 近年の福岡・博多地区は武家町・商人町を区別する色合いは薄くなり、双方を包含して全体の経済・等の中心的機能を担う役割が一層高まっている。 隣接する自治体 [ ] 以下の各市町に隣接している。 括弧内は、その市町が隣接している福岡市の行政区。 福岡県• (博多区)• (博多区・南区)• (西区・早良区)• (南区・早良区)• (博多区)• (東区)• (博多区・東区)• (東区)• (東区)• (早良区)• (早良区)• (早良区) 隣接市町のうち、福岡県に属している市町は、いずれも福岡市のとして発達している。 しかし、佐賀県に属している隣接市町は福岡市とはによって隔てられており、ベッドタウンとして発展するには至っていない。 なおに属している、、は福岡市隣接市町ではない。 (平成17年)10月1日に佐賀県内の佐賀市と、かつて福岡市に隣接していた・が合併し、新市制による佐賀市が誕生 したことで、県境を挟んで県庁所在地同士が接することになった。 但し、福岡市と佐賀市の中心部は直線距離で50kmほど離れている。 海を挟んだ・とも隣接扱いされる事もある。 は特例として隣接扱いである。 また、断続的な人口流入にともない、その他の市民の平均年齢も比較的若い状態が続いている。 平成22年(2010年)度によると、福岡市の15歳から29歳の若者の人口比率は19. また人口増加率(調査期間:2010年10月-2013年12月)も全政令指定都市トップであり 、(昭和40年)〜(平成26年)の期間の人口の伸び率は、全域や首都圏大都市と比べても高い。 ただし、については、2008年〜2012年の統計で1. 24人と低い。 人口の推移(単位:万人) の人口 電話番号 [ ] 市外局番は092。 歴史 [ ] 原始 [ ] 諸岡遺跡(博多区)や吉武遺跡(西区)から旧石器が出土している。 の遺跡としては、糸島半島東部の大原D遺跡(西区)で縄文時代早期のが見つかっているほか、柏原遺跡(南区)からは草創期から後期の土器や集石炉が見つかっている。 中期の遺跡として、野多目拈渡遺跡(南区)や有田遺跡(早良区)からなどの類のがまとまって見つかっている。 後期の遺跡では、元岡瓜尾貝塚、桑原飛櫛貝塚(いずれも西区)などのがあり、四箇遺跡(早良区)からは多数の縄文土器や石器が出土している。 縄文時代のは海底であったことがの調査で判明しており、「肥前島」の端にあたる前記の遺跡ぐらいで、旧石器時代と同様に少ない。 そのころの遺跡として市内の(博多区)がある。 また(東区)で発見された「」は、1世紀頃の大陸文化との交流を示す貴重な史料である。 東夷伝にある「建武中元二年(西暦57年) 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」の記事にある印綬は、この金印のことだと考えられている。 また頃の様子を記述したいわゆるの記載から、「」は博多付近(後の那の津)との説が有力である。 ちなみにこの「魏に朝貢していた」という記録が金印の発見時にひとつの騒動を起こす。 天明4年(1784年)に百姓甚兵衛により金印が発見されたとき、主として学者たちが「魏に朝貢していたとはけしからん。 このようなものは鋳つぶしてしまうべきである」と強硬に主張し、一時、福岡藩の藩論もそちらに傾くのである。 それを、藩校・甘棠館の学長をしていた儒学者が身体を張って阻止したという。 市内各地にが残っており、平野部には、、、などのが点在し、油山などの丘陵部には油山古墳群、金武古墳群、今宿古墳群などのの分布地帯がある。 伝説時代、古代 [ ] の伝説がこの地には多く残る。 東区香椎のは、が夫であるの神霊を祀ったところである。 の後身としてには「那の県」「儺県」と呼ばれており、などにも記述がある。 のの君の後、がを造らせたと日本書紀にある。 (「那津の口(博多大津)に建てよ」とある) 、が第2回としてより渡る。 630年にはが渡っている。 、再興を目論んで派遣した倭国援軍が、にて、軍に大敗北を喫する。 唐、新羅連合軍の報復に備えた大和朝廷は、その守りとして博多湾岸にを配し、、などの城砦を築く。 これより後、全国から徴発された若者が防人として北部九州に配備され、故郷を遠く離れて軍務に就く辛さと哀しみを詠い、に残されている。 、が開かれる。 7世紀から11世紀にかけては、国際交流が盛んになり、665年には(つくしのむろつみ、つくしのたち)が建設され、これが後にの迎賓館となる(こうろかん)となった。 外国からの使節の接待、遣唐使などの送別といった迎賓館としての機能に加えて、貿易事務所、検疫所的な役割も果たしていたらしい。 鴻臚館遺跡はに当時のの外野席の土盛りの下から発見され、市民を驚かせた。 は目の前が海岸であり、使節の船は沖がかりして小舟で上陸した。 なお、遣唐使廃止の建白を行ったが901年に大宰府にされたとき、博多に上陸し、四十川(よんじっかわ)の清流を水鏡として自らの姿を見、そのやつれようを嘆いたという。 その地に建立されたのが(すいきょうてんまんぐう)(水鏡天神)であり、福岡市の都心・天神の地名は、この事に由来する。 、が開かれる。 、始まる。 923年、が開かれる。 中世 [ ] にはにより初の人工港『』が建設された。 これは埋め立てにより埠頭を築いたものである。 天神・博多部はまだ海の底であり、整備された港湾の沿岸部には筥崎宮、、などの大きな寺社が立地していた。 中世の寺社は貿易の重要な出資者であり、博多の冒険商人たちのスポンサーであった。 11世紀の終わりごろから、博多にはのちに「大唐街」とよばれる唐人街が形成された。 異国風の建物が建ち並び、多数の外国人商人が行き交う大都市であった。 この時代に博多にいた唐人商人に等がいる。 は日本では平安後期 - 鎌倉時代。 と博多を船団を組んで盛んに往来し、で富を築いた中国商人は、博多に居住して活発な商業活動を行い、博多のとも結び、その力は中央にも及んで特に「博多綱首」と称されるに至った(「綱首」とは「船長」の意の尊称)。 博多は文化の受け入れ窓口でもあった。 1195年 が博多に日本初のであるを開いたが、このときも博多綱首らが物心両面の援助をしている。 栄西はからを持ち帰り喫茶の習慣を日本中に広めたことでも知られるが、「(まんじゅう)」「(うどん)」などの日本人になじみ深い食物が日本に入ってきたのもこの時期の博多を通じてであった。 を通じて博多はと呼ばれる12人のの会議によって市政が運営され、日本史上において初めてのであった。 (堺は36人のによって市政が運営された)と並び貿易都市として繁栄するが、それゆえににはの争奪の対象となり、との戦いの際にによって焼き払われた。 九州平定後、1587年7月24日(天正15年6月19日)ににおいてはを発令した。 元寇 [ ] 文永の役における() しかしその反面、他国からの被害にも遭っており、869年には新羅海賊が博多湾に侵入、1019年にはがあり、博多は常に対外的な脅威に曝されていた。 その最大の脅威は、宋を滅ぼしてユーラシア大陸のほとんどを支配した人類史上最大の帝国、である。 を屈服させたモンゴル帝国のがの服属を求め、時のがこれを拒否したことから、1274年、モンゴル人・漢人・・高麗人などからなる4万人の元軍が襲来した()。 10月5日に、10月14日にを襲撃し、平戸のの本拠を全滅させた元軍は、10月20日、百道原から博多湾に上陸し、激しい地上戦が展開された。 しかし、やで破れるなど苦戦を強いられた元軍は、撤退を決め、夜間の撤退を強行したため、撤退中に暴風雨を受け、甚大な損害を被った。 幕府は、再度の元軍の襲来に備え、博多湾岸に約20kmにも及ぶ石築地を築いた。 この史跡「元寇防塁」は現代にも残っており「防塁」という地名も存在する。 そして、1281年に元軍が襲来()。 博多湾に現れた元軍は、防塁から上陸することを避け、陸繋島である志賀島を占領し、博多への進出を窺うが、日本側の総攻撃を受け大敗し、壱岐島に撤退した()。 近世 [ ] 福岡藩初代藩主・ からは九州をすべて服属させたにより博多の復興がなされた。 これを太閤町割と呼ぶ。 交易の自由や、町人による街の自治が行われ、新たなが確立された。 なお当時の博多とは、博多湾南岸の東西に渡る地域を指したものだった。 このときの秀吉の意図には、で出兵を行うにあたり、貿易都市・博多を物流の補給基地として活用しようというものがあったと思われる。 の後の1600年に、親子がに入国し、その後市内中心部のから東を博多、西を福岡と呼び、そのまま定着した。 黒田親子は、の居城であった名島城(東区)に入城したが、名島城は博多湾に面した小高い丘の上にあるためにが作れなかった。 そこで1601年から当時の警固村(現・中央区)福崎に新たな城・と城下町をつくった。 その際、出身地の福岡(現在の)に由来して、城下町を福岡と命名した。 黒田藩は博多のまちの自治を広く認めたため、町人の商業都市・博多と武士の行政都市・福岡が機能分担しつつ隣接するという、全国的にあまり類例のない「」が誕生した。 博多と福岡の境界である那珂川の中州は歓楽街としての中洲が発展した。 江戸時代を通じた幕府の鎖国政策により、外国との通商が長崎と対馬に限られたため、福岡・博多の国際貿易都市としての展開はあまり見られなかった。 なお、前述のとおり、天明4年(1784年)にでが発見されている。 近代 [ ] その後、江戸時代から明治時代初期まで博多と福岡は共存していたが、1876年に地域区分の再編によって「福博」(ふくはく)という一つの地域区分とした。 さらに1878年、の施行により福博が福岡区に改称され、「博多」を名乗る自治体は消滅した。 1889年に市町村制度の施行に伴い福岡区がを施行する際、市名を「博多市」にする、或いは福岡と博多を再分離する声も上がったが、いずれも実現せず、都市名は福岡市となった。 市制施行のときの「名前争い」は深刻で、福岡派と博多派が互いに闇討ちをしあうという過熱ぶりであったという [ ]。 翌1890年,明治23年第2回市会は「名称問題」で紛糾し、採決したところ完全に賛否同数であり、福岡部出身の議長が議長席を降り一議員として投票したが再び同数となり、最終的に福岡部出身の議長代理者の裁決で「福岡」と決したものである。 明治のこの時点では、「福岡」と「博多」は別の地域という概念が強く残っていた。 そのためちょうど同じ頃、当時の会社(後に国有化)が福岡市から現在のまでの鉄道を敷設する際、市の中心駅は「博多」地区にあるということで駅名は福岡駅ではなく、博多駅となった。 なお「福岡駅」の名は、福岡市中央区に位置するの駅が名乗り、2001年にはと駅名が変更された。 なお、1972年の政令指定都市昇格に伴い、行政区として「博多区」が設置され、ここにほぼ百年ぶりに「博多」の地名が復活することとなった。 かつて町人の商業都市として栄えた『博多』は、官公庁の集うビジネス街、武士の行政都市として発展した『福岡』は、繁華街商業地となり、機能が入れ替わった。 年表 [ ] 原始 - 近代 [ ]• BC40000年 諸岡遺跡、吉武遺跡から旧石器• BC10000年 大原D遺跡から縄文時代早期の竪穴住居• BC2000年 野多目拈渡遺跡・有田遺跡からドングリ貯蔵穴、元岡瓜尾貝塚、桑原飛櫛貝塚• BC1000年 四箇遺跡から多数の土器と石器• BC450年 板付遺跡(日本初の稲作農業)• 57年 王がから「漢委奴国王」の金印を受ける• 527年。 がに対し反乱を起こす• 536年 那の津(博多区比恵、南区三宅付近)に官家(みやけ)をつくる。 (那津宮家)大宰府の前身• 664年 前年倭国軍が、(はくすきのえ)にて唐、新羅軍に負けが滅亡。 その守りとして博多湾岸に防人をおき、水城(現在の大野城市、太宰府市境付近)を築く• 665年 筑紫館(つくしのむろつみ、つくしのたち)を設置。 のちとなる• 757年 (博多区)創建• 806年 が唐より帰り、を開く• 869年 海賊が博多湾に襲来• 919年 箱崎(ほうじょうや)が始まる• 923年 創建。 穂波郡大分宮を移築• 941年 (おののよしふる)、(おおくらはるざね)が博多湾にて、大宰府を放火したを退散させる。 1019年 (といのにゅうこう)。 族の一部(刀伊)が壱岐・対馬を襲い、更に筑前を襲った。 のが奮戦し撃退する。 1161年 が日本初の人工港「袖の湊」を建築• 1179年 の起源である博多松囃子が始まる• 1195年 が博多に日本初の寺であるを開く• 1241年 が始まる• 1242年 が謝国明の助力でを開く• 1274年 ()モンゴル帝国軍は4万• 1276年 を築く• 1281年 元寇()モンゴル帝国軍、軍、軍あわせて14万• 1282年 が(西区)にを定める• 1336年 河口(東区)にて、が菊池武敏を破る()• 1550年 博多へ来舶• 1559年(永禄2年) が博多の街を襲撃して破壊• 1569年(永禄12年)大友氏と毛利氏ので大友氏が勝利• 1580年(天正8年)にはがに進撃。 博多の町のほぼ全土が焼失。 1584年 の軍が博多を占領する。 博多の一部復興が始まる• 1586年(天正14年)8月下旬に博多を焼き払って撤退する• 1587年 7月24日(天正15年6月19日)に筑前においてはを発令する• 1587年 豊臣秀吉がを定め博多を復興(太閤町割り)に住民を呼び戻す役目を担わせ、を博多奉行に任じ、博多商人のやにも協力をさせ、本格的な復興に取り掛かる• 1588年(天正14年)の一人が入国• 1595年(文禄4年)隆景の養子であるが領主となる。 1600年 秀秋はでを裏切りに付くもののとに移封され、代わりに黒田如水・親子が筑前へ入国• 1601年 の建設に着手。 以来、のとなる• 1687年 のが始まる• 1784年 (現在の東区)で甚兵衛が「漢委奴国王」の金印を掘り出す• 1828年 によりでが発生し、2,500人以上の死者 近代 [ ] 市制施行以後の行政区域の変遷については、「」を参照のこと。 1870年 7月18日、福岡藩贋札事件。 偽造が発覚し弾正台による捜査が始まる。 1871年 7月2日(太陽暦1871年8月17日)、が藩知事を罷免、有栖川宮熾仁親王が知藩事となり、福岡藩は事実上の廃藩となる。 1871年 7月14日、により、は福岡県、有栖川宮が引き続き知県事となる。 県内を32区に区分し、福岡を第一区、博多を第二区とする。 1872年 9月 15日、県内を16区に再編成し、福岡を第一大区、博多を第二大区とする。 1873年 6月、。 福岡城内の県庁を打ち壊す。 1876年 5月、県内を9区に再々編成し、福岡と博多を1つの区に統合し第一大区とする。 1877年 3月、。 を起こしたに呼応したやを中心とした旧福岡藩士により福岡城襲撃が計画・実行されるが失敗する。 1878年 11月1日、郡区町村編制法施行により福岡区とする。 1889年• 4月1日、市制施行により、福岡区は 福岡市となる。 日本で最初に市制施行した市の一つ。 12月11日、(初代)博多 - 千歳川間開業により、が開業。 1898年 マグニチュード6の。 福岡市西部の付近が震源地とされ、家屋の一部に被害が発生する。 1899年 8月4日、開港。 1903年 福岡医科大学(後の九州帝国大学医科大学、現在の東区内)を開設。 1909年 医科大学教授により、日本最古級のであるフィルハーモニー会(現在のの前身)設立。 10月 市章を制定。 1910年 3月9日、市内電車のが開通(のちの)。 1911年• 1月1日 九州帝国大学(現・)創立。 分科大学として工科大学を設置。 4月1日 京都帝国大学から福岡医科大学が移管され、九州帝国大学医科大学となる。 10月2日、市内電車のが開通(のちの西鉄福岡市内線)。 1920年 10月1日、第1回が実施。 当時の福岡市の人口は95,381人で、国内では第17位、福岡県内では(現)に次ぐ第2位であった。 1922年 12月24日、来日したがで講演を行う。 1923年 3月、と平尾浄水場(現の植物園地区)が完成し、上水道による給水を開始。 1924年 4月12日、(二代目。 現在の)が開業。 1927年 3月25日 - 5月23日、東亜勧業博覧会開催。 1929年 福岡 - 大阪 - 東京の定期旅客航空便が開設。 旧入船町(現在の中央区港-付近)の日本航空の水上機発着場を使用。 4月1日、・の編入合併によりの人口を上回り、九州最大都市となる(1963年、新しく発足した北九州市に一旦九州一の座を明け渡した)。 1930年 名島水上飛行場(福岡飛行場、現在の東区内)が開場。 福岡 - 大阪間は35円。 福岡市歌(1931年制定) 作詞・ 補作・ 作曲・。 (旋律は満了)• 1931年• 9月、が名島水上飛行場に来場• 11月、が制定される• 1936年 雁ノ巣飛行場(福岡第一飛行場、現在の東区雁ノ巣レクレーションセンターのあたり、当時は糟屋郡和白村)が日本初のとして開場。 名島水上飛行場(福岡飛行場)は福岡第二飛行場と改名。 1937年 5月28日、来訪。 、および福岡聾学校を訪問。 1945年• 5月、陸軍席田(むしろだ)飛行場(現在の)開場。 6月19日、。 米軍機による大規模夜間爆撃により死者902人を出した。 現代(戦後) [ ]• 1945年 9月22日、米軍が進駐。 板付空港(現福岡空港)を接収。 1946年 10月15日、天神地区で商店街が営業開始。 1948年• が完成。 10月、第3回開催。 1950年• 1951年• 10月、福岡空港(別称:板付空港)で民間航空が再開• 1953年• 6月 梅雨末期の大雨により大被害• 8月22日、が開園• 1954年 2月8日、、 新婚旅行で来福。 1957年 4月14日、福岡水族館が開館• 1963年 12月1日、博多駅が現在地に移設• 1968年• (現在の九州大学芸術工学部)設立。 福岡市内では2校目のの設置。 8月、福岡水族館が閉館。 1972年• 4月1日、北九州市に次ぐ九州2番目のとなり、・・・・の5区が発足する。 西鉄ライオンズがシーズン終了後、に売却される。 と提携し、球団名は「太平洋クラブライオンズ」となる。 1975年• 3月10日、博多駅開業。 に基づく市の人口が初めて100万人を突破。 1976年 中央区天神地区にが開業。 1977年 太平洋クラブライオンズが「クラウンライターライオンズ」に改称(との提携のため)。 1978年• 異常少雨により5月20日から287日間に渡り断水を伴う給水制限が実施された()。 クラウンライターライオンズがに球団を売却、新球団として福岡からに移転。 福岡からプロ野球球団が姿を消す。 1979年• 2月11日、市内電車(西鉄福岡市内線)全線廃止。 人口が北九州市を抜き、再び九州最大となる。 1980年• 6月1日、が開園。 10月20日、部分開通• 1981年 7月26日、部分開業• 1982年 5月10日、西区が(新)西区・・に3分割される• 1988年 を本拠地にしていたプロ野球チーム・南海ホークスが球団売却に伴い福岡市に移転し、「福岡ダイエーホークス」と名称を変更することを決定。 翌1989年からを本拠地とする。 11年ぶりに福岡にプロ野球球団が戻ってくる。 10月、が開通。 1989年• 3月17日 - 9月3日、にて(通称:よかトピア)開催。 開幕と同時にが完成。 4月18日、(水族館)が開館(福岡市では約20年ぶりとなる水族館)。 1990年• 第45回()開催。 10月、開館• 1993年 3月31日、竣工。 4月2日開場• 1994年 猛暑と少雨のため8月4日から295日間にわたり断水を伴う給水制限が実施された()。 1995年• のサッカークラブである藤枝ブルックスが福岡市に移転。 「福岡ブルックス」と名称を変更。 移転当初数か月はを本拠地とする。 が完成。 福岡ブルックスの本拠地となる。 8月23日 - 9月3日、開催。 1996年 福岡ブルックスが「」に改称の上加盟。 1997年 8月9日 - 8月13日、大会開催。 1999年• 、による大雨で博多駅周辺や博多駅地下街が浸水する。 地下店舗の従業員1名死亡。 10月28日、で福岡ダイエーホークスが中日ドラゴンズを下して日本一になる。 2000年 7月8日、福岡市博物館にて、(蔵相会合)開催。 現代(21世紀) [ ]• 2001年 7月16日 - 29日、大会開催(アジアで初の世界水泳選手権大会開催)。 2002年• 、が開業。 2003年• 7月19日、梅雨末期の大雨で博多駅付近を中心に浸水等の被害を受ける。 10月、九州芸術工科大学が九州大学と合併。 2004年 福岡ダイエーホークスがの球団買収により、となる。 2005年• 、開業。 、にてマグニチュード7のが発生。 中央区と東区で6弱を記録し市内で家屋の損壊や死者1名を出した。 特に震源地に近いでは大半の家屋が全半壊するなどの大きな被害を受けたため、多くの住民が島外に避難した。 政令指定都市で震度6クラスの地震が起こったのは、()ので震度6 - 7を観測して以来10年ぶり。 - 、にて第22回(通称・アイランド花どんたく)開催。 、市長(当時)により発表(招致実現せず)。 、九州大学伊都キャンパスが福岡市西区と糸島市にまたがる地域に開設。 2006年• 、市の職員がを起こす。 、福岡市長選が行われ、推薦のが当選。 民間出身の市長は50年ぶり。 2007年• 、が開店。 2008年• 、に九州最大級のループ橋が完成。 2009年• 、により、樋井川流域に避難勧告が出される。 2010年• 、天神の岩田屋旧館にがオープン。 、連日の集中豪雨により、那珂川が氾濫寸前となり福岡市内で避難指示が発令した。 、福岡市長選が行われ、元民放アナウンサーのが当選。 2011年• 、オープン。 核テナントに・・が入り、同時にもオープンした。 、全線開通。 なお、全線開通の式典は前日に起きた()のため中止となった。 、が全線開通。 6月1日、でを抜き政令市6位となる。 11月26日、ホークスタウンにHKT48劇場がオープン。 2012年• 7月21日、が開通。 2013年• 2月、中国からのの飛来が顕著となる。 5月1日、推計人口が150万人を突破。 12月5日、開催。 2014年• 5月1日、に指定される。 11月1日、福岡市東区の人工島()に新築移転したが開院する。 11月1日 - 3日、夏季ナショナルゲーム(スペシャルオリンピックス2014福岡)が開催される。 11月9日、2014が開催される。 2015年• 10月1日、法定人口が神戸市を抜き政令市5位となる。 2016年• 2月12日、の青果市場、西部市場、東部市場の3市場が統合し、福岡市新青果市場(愛称:ベジフルスタジアム)がアイランドシティに移転・開場する。 4月21日、オープン。 核テナントは()。 4月28日、HKT48劇場が西鉄ホール(ソラリアステージ6F)へ移転。 11月8日、博多駅前2丁目(はかた駅前通り)交差点付近の延伸工事現場で道路陥没事故が発生。 同月15日、復旧作業を終え午前5時から全面通行を再開した。 (参照)• 11月18日 - 20日、・ワールドシリーズ第9戦福岡大会が開催される。 12月1日、などの「」がに登録。 2017年• 10月1日、福岡市中央区の複合施設にが開館。 2018年• 、が全線開通。 7月20日、福岡市の気温が観測史上(1890年以降)最高の38. 8月20日、、、が福岡市中央区に移転する。 8月27日、が福岡市中央区六本松に移転する。 11月21日、がグランドオープン。 12月1日、が開館。 12月4日、福岡市博多区で12月の観測史上最高の26. 2019年• 3月31日、が閉館。 6月8日 - 9日、が開催される。 行政区域の変遷 [ ] 市町村制施行以後。 (明治22年) - 市町村制度施行により、福岡区 及び堅糟村の一部(字石堂川下)・春吉村の一部(字東中洲)・犬飼村の一部(字出来町)の区域をもって福岡市が発足。 同時に、現在の福岡市域に含まれる以下の町村が発足。 :箱崎町・多々良村・香椎村・和白村・志賀島村• :席田村• :警固村・豊平村・千代村・堅粕村・住吉村・八幡村・三宅村・那珂村・曰佐村• :西新町・鳥飼村・原村・樋井川村・姪ノ浜村・山門村(のち壱岐村)・残島村(のち能古村)・田隈村・金武村・入部村・脇山村・内野村• :周船寺村• :今宿村・今津村・小田村(のち北崎村)・元岡村• (明治26年) - 早良郡姪ノ浜村が町制施行。 姪浜町となる。 (明治29年) - 席田郡・那珂郡・御笠郡が合併しとなる。 怡土郡・志摩郡が合併しとなる。 (明治44年) - 筑紫郡住吉村が町制施行。 となる。 (大正元年) - 筑紫郡を編入。 1912年(明治45年)10月1日 - 筑紫郡千代村が町制施行。 千代町となる。 (大正2年)10月1日 - 筑紫郡堅粕村が町制施行。 堅粕町となる。 (大正4年)4月1日 - 筑紫郡の一部(金平を除く)を編入。 (大正8年) - 早良郡を編入。 (大正11年)4月1日 - 早良郡を編入。 1922年(大正11年) - 筑紫郡を編入。 (大正15年)4月1日 - 筑紫郡を編入。 (昭和3年)4月1日 - 筑紫郡を編入。 1928年(昭和3年) - 筑紫郡を編入。 (昭和4年)4月1日 - 早良郡・を編入。 (昭和8年)4月1日 - 筑紫郡および早良郡を編入。 1933年(昭和8年) - 筑紫郡を編入。 (昭和15年) - 筑紫郡那珂村が町制施行。 となる。 1940年(昭和15年) - 糟屋郡を編入。 (昭和16年) - 早良郡・および糸島郡を編入。 (昭和17年)4月1日 - 糸島郡を編入。 (昭和18年) - 糟屋郡香椎村が町制施行。 香椎町となる。 (昭和25年)4月1日 - 糟屋郡多々良村が町制施行。 となる。 (昭和28年) - 糟屋郡志賀島村が町制施行。 となる。 (昭和29年)10月1日 - 早良郡および筑紫郡を編入。 1954年(昭和29年)11月1日 - 糟屋郡和白村が町制施行。 和白町となる。 (昭和30年) - 早良郡・・が対等合併し、 早良村が発足。 1955年(昭和30年) - 糟屋郡・を編入。 1955年(昭和30年)4月5日 - 筑紫郡を編入。 1957年(昭和32年) - 筑紫郡(大字須玖・大字小倉の各一部)(大字の一部)と境界変更を行い、2町の一部を編入。 (昭和31年) - 早良郡早良村が町制施行。 となる。 (昭和35年) - 糟屋郡および早良郡を編入。 (昭和36年)4月1日 - 糸島郡・・を編入。 (昭和46年)4月5日 - 糟屋郡を編入。 (昭和50年) - 早良郡を編入。 (平成9年)12月26日 - 糟屋郡と境界変更。 (平成10年)1月1日 - と境界変更。 発祥 [ ] 福岡市が発祥の地とされる事象には、東アジア地域との文化交流や貿易によってもたらされたものが多い。 日本における農業の発祥の地 - 板付遺跡(博多区)から水田稲作の跡が発見されている。 研究者によって異なるが、縄文時代晩期後半から弥生時代早期前半のものとされる。 なお、からも同時期の水田遺構が見つかっている。 日本におけるの発祥の地• 日本におけるの発祥の地 - 1191年(建久2年)、が中国から帰国後に禅宗を布教。 その帰国時に茶の種を持ち込み日本で栽培を始めたとされる。 早良区には1975年に茶の発祥を記念する「茶徳碑」が建立されている。 なお、日本で初めて茶の栽培を行った地はの(中腹)と言われている。 日本における・発祥の地 - どちらも初期、中国に留学していた禅僧、(聖一国師)が帰国後に持ち込んだといわれる。 には「饂飩蕎麦発祥之地」の石碑がある。 日本における発祥の地 - 1241年(仁治2年)、円爾が立ち寄った博多の茶店の主人、栗波吉右衛門に教えたのが最初とされる。 制服としての発祥の地 - 1921年(大正10年)、が採用。 歴代市長 [ ] 代 氏名 就任年月日 退任年月日 備考 初代 1889年5月27日 1892年11月26日 2代 1893年1月11日 1894年12月7日 3代 1895年5月21日 1899年7月3日 4代 1899年8月21日 1905年8月20日 5-6代 1905年9月23日 1914年7月6日 7代 1914年11月28日 1918年11月27日 8-9代 1919年3月24日 1924年5月29日 10代 1924年8月23日 1925年8月17日 11代 1926年3月10日 1930年3月9日 12-13代 1930年6月17日 1938年1月21日 14代 1938年4月6日 1938年8月9日 15-16代 1939年1月7日 1946年5月18日 17代 1946年8月14日 1947年3月28日 18代 三好弥六 1947年4月5日 1951年4月4日 以後、公選 19-20代 1951年4月23日 1956年7月31日 任期中死去 21代 1956年9月17日 1960年9月16日 22-24代 1960年9月17日 1972年9月16日 25-28代 1972年9月16日 1986年11月8日 健康上の理由により辞職 29-31代 1986年12月7日 1998年12月6日 32-33代 1998年12月7日 2006年12月6日 34代 2006年12月7日 2010年12月6日 35-37代 2010年12月7日 現職• を参照 行政 [ ] 市長 [ ]• 高島宗一郎(3期目)• 任期:2022年12月6日 市議会 [ ]• 定数:62名• 任期:2023年5月1日 詳細は「」を参照• 定数 : 23名• 任期 : 2019年(平成31年)4月30日 - 2023年(令和5年)4月29日 選挙区 氏名 党派 会派名 当選回数 東区 大塚勝利 公明党 公明党 4 佐々木徹 国民民主党 民主県政県議団 5 長裕海 自由民主党 自民党県議団 6 今林久 自由民主党 自民党県議団 7 立川由美 日本共産党 共産党 1 博多区 井上博行 自由民主党 自民党県議団 2 堤かなめ 立憲民主党 民主県政県議団 3 高橋雅成 公明党 公明党 5 中央区 岳康宏 無所属 岳志会 2 原中誠志 国民民主党 民主県政県議団 3 笠和彦 自由民主党 自民党県議団 1 南区 大田京子 国民民主党 民主県政県議団 2 樋口明 自由民主党 自民党県議団 5 浜崎達也 公明党 公明党 6 加地邦雄 自由民主党 自民党県議団 6 城南区 守谷正人 国民民主党 民主県政県議団 4 武藤英治 無所属 自民党進志会 10 早良区 後藤香織 立憲民主党 民主県政県議団 1 新開昌彦 公明党 公明党 6 古川忠 無所属 真政会 7 西区 仁戸田元氣 国民民主党 民主県政県議団 3 野原隆士 自由民主党 自民党県議団 3 田中久也 自由民主党 自民党県議団 13 衆議院 [ ]• 任期 : 2017年(平成29年)10月22日 - 2021年(令和3年)10月21日 選挙区 議員名 党派名 当選回数 備考 (東区・博多区) 3 選挙区 (中央区・南区・城南区) 自由民主党 3 選挙区 2 比例復活 (早良区・西区・) 自由民主党 3 選挙区 4 比例復活 (南区の一部) 自由民主党 8 選挙区 司法 [ ]• 経済・産業 [ ] この節には 複数の問題があります。 やでの議論にご協力ください。 がまったく示されていないか不十分です。 内容に関するが必要です。 ( 2012年10月)• 古い情報を 更新する必要があります。 ( 2012年10月) 福岡市の博多湾地域は、古来から、大宰府のとして日本の外交・貿易の窓口となり、時代が変わっても商人や有力者の本拠地となってきた。 自然の良港であるため、悪天候時の船溜まりとしての機能もあったが、・伝いでの南部との国際貿易ルートを結ぶ重要中継貿易港の一つであった。 第二次世界大戦後はによって九州全体を管轄する政府の出先機関が集中して、地方行政拠点都市としての道を歩んだ。 行政機能が集中するに従って民間の事業所なども集まり、九州を代表する商業・業務都市となっている。 近年は中国や韓国の企業が日本進出の足がかりとして、福岡市へ進出する例も散見される。 このような動きを評価して、米国の雑誌誌2006年7月号は「世界で最もホットな10都市」に福岡市を選出した。 人口あたりの大学生・大学院生数:中第2位(4. 利用客数:全国第3位(2001年福岡市総務企画局調べ)• の外航旅客者数(釜山行の高速船航路):全国第1位(1993年以降連続)• 博多港取扱個数:全国第6位、九州第1位(2001年福岡市港湾局調べ) 外食産業の、総合スーパーの(に吸収合併)、家電小売のなど、物販やサービスの分野で新しい産業を生み出す土地柄である。 しかし一方で、大手企業の九州支社・九州営業所・九州支店に依存する「」としての側面も強い。 2002年度市内総生産額は6兆5642億5200万円。 2007年度市内総生産額は7兆1973億6100万円。 札幌市を抜いて日本で第5位になる。 (一人あたり市内総生産額では東京,大阪,名古屋について大都市中4位) 第一次産業 [ ] 2002年度の第一次産業による総生産額は91億6600万円。 農業 [ ] 市内の農家戸数は3,000戸程度(2002年で3,261戸)と、他の大都市同様、農家戸数は極めて少ないが、農地面積は3,000haと、市域面積の1割弱を占める。 全農地面積中、田の占める割合は約7割に及ぶ。 農業形態は野菜と花卉を中心とする典型的な近郊農業の特徴を示しており、農業生産額に占める割合の半分程度を野菜が、4分の1程度を花卉が占めている。 林業 [ ] 市域南西部などにある山林で、わずかながら、伐採を中心とした林業が行われている。 中央区港の漁船と街並み(2008年9月19日撮影) 漁業 [ ] の漁獲量は度は464トンで国内3位となった。 いずれも大都市としては低い水準にあり、市内総生産に占める第二次産業の割合は製造品出荷額は小さい(政令指定都市の中では下から2番目)。 工業の中心は、都市型工業である食品加工業(食料品・飲料)や出版・印刷業などの情報関連産業が占めている。 福岡市では重工業があまり発達していないため、福岡市内の小学校では5年生を対象に、にある工場など(苅田工場など)を見学する「北九州見学」という行事が行われている。 伝統工芸品 [ ]• (指定伝統工芸品)• (同上)• 博多絞• 博多曲物• 博多鋏• いずれの割合も政令指定都市としては最も高い水準にあり、大都市の中でも第三次産業のシェアが極めて高い都市であることを示している。 特に卸売・小売業とサービス業は、それぞれ市内総生産の約4分の1を占めている。 このため商業・サービス業中心の大都市としての色合いが強く出ている。 福岡市内の主な百貨店 [ ]• (中央区天神2丁目)• (中央区天神1丁目)• (中央区天神2丁目)• (博多区博多駅中央街) - (博多駅新ビル)に開業 かつて存在した百貨店• (中央区天神4丁目)• (博多区中洲3丁目、1999年閉店)• (博多区博多駅中央街、2007年4月1日に再開発のため立ち退き・閉店) 公益企業 [ ]• (JR九州)• (西鉄)• 金融機関 [ ]• 福岡市に本社・本店を置く主な企業 [ ]• から 主な企業• マスメディア [ ] テレビ・AMラジオ局 [ ]• KBC :系列(テレビ)(1ch)、系列(ラジオ)1413 kHz 50 kW• RKB :系列(テレビ)(4ch)、系列(ラジオ)1278 kHz 50 kW• FBS :系列(5ch)• (TVQ):系列(7ch)• TNC :系列(8ch)• :総合(3ch)・Eテレ(2ch)・ラジオ第1 612 kHz 100 kW・ラジオ第2 1017 kHz 50 kW FMラジオ局 [ ]• FM FUKUOKA :系列• :系列・• かつては、が運営していた。 福岡支社・スタジオ:系列• 本社はに所在 コミュニティ放送局 [ ]• FREE WAVE• Style FM• 天神エフエムと福岡コミュニティ放送は2010年に廃局 2016年現在。 日刊新聞 [ ]• 福岡支局• (本社はにあるが、新聞の編集・製作などはが担当)• ・福岡本部• 福岡支社• 福岡支社• 福岡支社• 福岡支社• 福岡支社• 福岡支社• 福岡支社• 福岡支社• 福岡支社• 西部総局• 西部本社• 福岡支社• (西部支社)• 但し、デイリースポーツは福岡市内では一部駅売りのみの販売。 外交 [ ] 国別外国人登録数 [ ] 2010年9月30日時点における福岡市の外国人登録総数は23,651人。 内訳 国籍別(上位) 人数 12,178 (51. しかし、や・など、西日本の大都市では韓国・朝鮮人登録者数が外国人登録者総数の半分あるいはそれ以上を占めているのに対して、福岡市では中国人登録者数が韓国・朝鮮人登録者数を上回る。 国際交流都市 [ ]• 市() 姉妹都市締結• () 姉妹都市締結• () 姉妹都市締結• () 姉妹都市締結• 市() 姉妹都市締結• () 行政交流都市締結 姉妹都市締結• (アメリカ合衆国) パートナーシップ都市締結 姉妹都市締結• (中華人民共和国) 経済交流都市提携 [ ]• 市() 姉妹都市締結 外国公館・施設など [ ] 国際機関 [ ]• アジア太平洋地域事務所 領事館 [ ]• (領事館に相当する施設) 名誉領事館 [ ] 貿易施設 [ ]• タイ国政府貿易センター福岡• イタリア貿易振興会福岡事務所• 経済商務部福岡支部• 台湾貿易センター福岡事務所• 中国江蘇省中小企業日本代表処 上記の他、英国貿易促進事務所が存在したが2005年6月をもって閉所した。 観光促進施設 [ ]• 福岡事務所 その他外国機関 [ ]• アンスティチュ・フランセ九州(旧九州日仏学館) 地域施設 [ ] 教育施設は下記「教育」を、文化施設については下記「文化」を参照。 警察 [ ] の管轄下、以下に示す警察署がある。 カッコ内は管轄区域。 交番・駐在所については各区の記事を参照。 (港湾地区を除く中央区全域)• (港湾地区および福岡空港内を除く博多区全域)• (港湾地区を除く東区全域)• (城南区・早良区全域)• (西区全域)• (南区全域)• (港湾地区)• (福岡空港内) 消防 [ ] の管轄下、各区に1か所ずつ消防署がある。 出張所については各区の記事参照。 郵便 [ ] 福岡中央郵便局 (平成19年)5月、の民営化による事業拠点集約に伴い、福岡都市圏の郵便物の集約・発送の中核拠点として東区に「新福岡郵便局」(民営化後は会社管轄、新福岡支店に移行。 現在は日本郵便配下の)が開設された。 その際、今宿、北崎、周船寺、早良南の4局は取集事務が廃止され配達のみを行う「配達センター」に、それ以外の郵便局は「統括センター」にそれぞれ移行し、民営化に伴い統括センター設置郵便局に郵便事業会社支店が、配達センター設置局に集配センターが置かれた。 その後、郵便事業博多支店が近隣に移転し、後にとなったため、現在のは集配業務を行っておらず、との業務等については同居する博多北郵便局博多駅前分室が担当している。 集配局 市内にある集配局は以下の通り。 番号は各集配局に対応する郵便番号で、括弧内は大凡の管轄区域である。 :810-xxxx(中央区・博多区中洲)• :812-xxxx(博多区北部・東区西南部)• :816-xxxx(春日市・大野城市)• :813-xxxx(東区中央部・久山町)• :811-02xx,811-03xx(東区北部・新宮町)• :815-xxxx(南区北部)• :811-13xx(南区南部・那珂川市)• :819-00xx,819-85xx,819-86xx,819-87xx(西区東部)• :819-01xx(西区中央部)• :819-02xx(西区北西部)• :819-03xx(西区西部)• :814-01xx(城南区全域・早良区中央部)• :814-00xx,814-85xx,814-86xx,814-87xx(早良区北部)• :811-11xx(早良区南部) 図書館 [ ]• 分館として、福岡市東図書館・福岡市和白図書館・福岡市博多図書館・福岡市博多南図書館・福岡市中央図書館・福岡市南図書館・福岡市城南図書館・福岡市早良図書館・福岡市西図書館・福岡市西部図書館がある。 博物館・美術館・動物園 等 [ ]• (水族館)• 主な学校 [ ] 市立高等学校 [ ]• 私立初等・中等教育機関 [ ] 男女共学校• 福岡LETSキャンパス• ・中学校• 福岡中央キャンパス• 福岡学習センター・福岡西学習センター• 福岡学習センター• 福岡海星女子学院附属小学校• 男子校• 女子校• ・中学校(中学校は休校中)• ・ 国立小中学校 [ ]• ・ 特別支援学校 [ ]• 福岡県立福岡聴覚特別支援学校• 福岡県立福岡高等聴覚特別支援学校• 福岡市立福岡中央特別支援学校• 福岡市立南福岡特別支援学校• 福岡市立屋形原特別支援学校• 福岡市立特別支援学校博多高等学園 学校教育以外の教育施設 [ ] 自動車教習所• 福岡労働局長登録教習機関• 福岡県建設技能教習センター• 登録小型船舶教習所• インターナショナルスクール• 文化財 [ ]• 交通 [ ] 概要 [ ] 市内の公共交通 鉄道としてはJR線、(西鉄)のほか3路線が整備されている。 福岡市は地下鉄とバスが事業主体の違いから競合関係となっており、郊外から都心へ直接向かうバス路線や都市高経由のバス路線が多く設定されているが、10年以内を目途に複数の地下鉄駅にバスターミナルを整備することで都心部へのバスの流入を減らす構想がある。 なお、南区には唯一地下鉄がないがの市内区間は地下鉄と遜色ない頻度で運行されている。 共通としては、である()・(西鉄)・(地下鉄)、ならびに()などの「全国相互利用サービス」対応の各カードが市内の全ての電車・バスで利用可能となっている。 磁気式カードとしては、・・が存在したがICカード乗車券の普及により全て廃止された。 都市圏の交通 福岡都市圏への主な広域道路網は、九州自動車道、西九州自動車道、国道3号線、筑紫バイパスなどである。 鉄道は・(西鉄)・JR(、)があり、西鉄・JRは近郊輸送における都市間電車・郊外電車の機能も持つ。 西鉄の路線は全線が福岡県内に所在する。 天神から南へ延びるは特別料金不要の特急・急行電車を運行する主要路線でや・などの県南部からの利便性が高い。 反面、東へ延びるは貝塚で地下鉄箱崎線と接続しているものの、相互乗り入れは行っていない。 JR九州の在来線は従来長距離輸送を重視しており、快速・普通列車の速達性などは低く、近郊輸送や都市圏交通としての利便性は都市規模に比してあまり高くはなかったが、2011年3月のの全線開業に合わせたダイヤ改正で、並行在来線区間における特急の減便と併せて普通・快速列車が増発され、やや改善された。 地下鉄空港線はJR九州との直通運転で北部の唐津市まで乗り入れており、唐津市から乗り換えなしで天神、福岡空港へ行くことが出来る。 市南部の交通対策 昭和期の急速な都市化に伴い、市の西南部・中南部では唯一の交通機関であった道路網の整備が不十分かつ遅れたため、主要道路の渋滞の激化や生活道路への流入等の交通問題が深刻化していた。 以前より課題であった市西南部への交通対策は、前述の地下鉄七隈線に加え、が2011年4月、が2012年7月にそれぞれ完成供用され、高速5号線がになり市内の環状幹線道路網が完成した。 また、これらに接続する新たな主要幹線道路として、、などの南北幹線が整備され、1970年代から良くなかった市南部(西南部、中南部)への道路状況は、不況、少子高齢化による交通量の減少と相まって、2010年前後に入りようやく改善の兆しが見えつつある。 中南部については、2000年代中ごろに地元有力国会議員のにちなんだ地元では「山崎道路」といわれる構想 が噂があったが立ち消えとなった。 中南部への軌道系交通機関の整備も含め、現状は全て構想段階に止まり、具体化している有効な交通対策は現時点で存在しない。 遠隔地への連絡 航空路線・鉄道(新幹線を含む)・高速バス路線・船舶航路が整備されている。 航空路線・船舶航路は日本国外へも運航している。 長距離航路は立地条件の関係で外海航路のみ。 内海航路となる四国・関西・関東方面へのフェリーはに発着する。 からの釜山行きの航路は国際旅客数日本一である。 JR九州ではをハブターミナルとしており、数多くの特急電車を博多駅中心に九州内くまなく運行している。 は、との間で通勤用として利用されているほか、本州方面への重要な交通路として利用されている。 2011年3月12日に全線開業したは、やとの間の時間的距離を大幅に短縮した。 やから高速バスが多く運行されている。 天神バスセンターから北九州、佐賀をはじめ熊本、長崎、大分方面への路線は1時間に2本 - 4本と本数が多く利用者が多い。 空港・港湾 [ ] 福岡空港国際線• (板付空港)• 福岡空港と博多港を合わせた外国人入国者数は、・に次ぐ、外国人に対する日本の玄関口となっている。 また、博多港は外国航路の旅客数日本一を誇る港でもある。 外国人入国者数:福岡空港 432,750人(空港計4位、2007年)博多港 287,220人(海港計1位、2007年)• 日本人出国者数:福岡空港 679,279人(空港計4位、2007年)博多港 134,382人(海港計1位、2007年) 利用者数・発着数増に対して設備拡張や運用の工夫を行った(第2ターミナルの建て替え、国際線地区を滑走路西側に移転し第3ターミナルを到着専用化、滑走路34へを設置、東方からの到着便に短距離の飛行ルートを設定など)が、滑走路が1本であるということは改善されていない。 「アジアの玄関口」「九州一の都市の空港」としてスローガンを掲げて、旅客数・発着回数とも2000年ごろまで増加を続けたが、以降2005年まではほぼ横ばいとなっている。 九州地方の空港では、路線数・便数ともに抜きん出ている。 一方で、市街地に近くのの真上を飛行する点から問題や安全面で不安視されている。 からまでは約5分、までは約10分である。 また、北部九州の他地域からの直通バスが多く運行されている。 将来の需要動向やそれへの対応策について、2005年からパブリックインボルブメントをおこなって将来像を検討している。 2008年現在、将来需要は現在の空港の能力を超えるという試算のもとに、新空港建設案及び、現在地での拡張案の二案に絞って平成20年度中の一本化が図られる見通しである。 鉄道 [ ] 天神南駅のプラットフォーム JR線の中心駅は、西鉄の中心駅はとなる。 主要駅・乗換駅・ターミナル駅• 博多駅 〔、、、()、〕• 西鉄福岡(天神)駅 〔〕• 〔地下鉄空港線〕• 〔地下鉄空港線、〕• 〔地下鉄空港線〕• 〔西鉄天神大牟田線、地下鉄七隈線〕• ・ 〔JR鹿児島本線、(海の中道線)、〕• 〔地下鉄空港線〕• 〔西鉄天神大牟田線〕• 〔地下鉄空港線、〕• 〔地下鉄箱崎線、〕• 〔JR鹿児島本線、JR福北ゆたか線〕• ・ 〔JR鹿児島本線、西鉄貝塚線〕• 〔JR海ノ中道線、西鉄貝塚線〕• 〔地下鉄七隈線〕• 〔地下鉄七隈線〕• 〔〕 その他の駅(抄) 貨物専用路線は除く。 (JR九州、JR西日本)• 新幹線(、) 博多駅• - - - - - - 博多駅 - - -• - - - -• 吉塚駅• - - - - - 香椎駅 - - -• 博多駅• (西鉄電車)• 西鉄福岡(天神)駅 - - - - - -• 度に、雑餉隈駅 - ()間に新駅の設置を計画している。 貝塚駅 - - - - - - - 和白駅 -• - 博多駅 - - - - 姪浜駅• 中洲川端駅 - -• - 薬院駅 - - - すでに廃止された路線• (博多駅 - 姪浜駅間のみ)• バス路線 [ ] 西鉄天神高速バスターミナル 福岡市交通局は発足当初より地下鉄専業であり、元来福岡市において市営バスは存在していない。 市内の大部分はによる運行で、100種類を超える系統が存在している。 乗車方法はどの事業者も 後乗り前降り後払いで、運賃は原則として整理券による区間制である(ただし市の中心部などに100円均一区間が存在する)。 一般路線バスでは一部を除き、非接触型ICカードの・・・をはじめとした全国相互利用サービス対応のカードが利用できる。 市内の主要バスターミナル• - 高速バスのみ• 一般路線 [ ] (・・・) 市内の大半の地区に路線を持つ。 福岡市内の大半の路線は西日本鉄道が運行しているが、一部の路線は分離子会社の西鉄バス筑豊・西鉄バス宗像・西鉄バス二日市が運行している。 糸島市以外の福岡市周辺の市町村と福岡市内を結ぶ路線も多数ある。 西区の今宿以西では九州大学伊都キャンパスと福岡市中心部を結ぶ路線のみがある。 (昭和バス) 主に西区内に路線を持つ。 福岡市内と糸島市を結ぶ路線もある。 同社の運行するのうち前原今宿線・川原線が福岡市内に乗り入れ、福岡市内相互停留所間の乗降も可能である。 福岡市の博多バスターミナルと・・を結ぶを運行する。 (路線バス事業) 昭和自動車が廃止した路線の代替として、福岡市の補助を受け、姪浜駅 - 今宿 - 今宿野外活動センター間を結ぶ今宿姪浜線を運行する。 協和タクシー 「マリンクス」を運行しており、福岡市内の福工大前駅を経由する。 都市高速経由で福岡空港 - ヒルトン福岡シーホーク線を運行するほか、一般道経由で福岡空港-キャナルシティ福岡-天神ヒルトン福岡シーホークを結ぶ路線を運行。 コミュニティバス [ ] 2018年3月現在、福岡市が運行主体となるコミュニティバス路線は過去も含めて運行されていない。 福岡市・地域・交通事業者などによる協議会を立ち上げて福岡市内で運行する(もしくは過去に運行していた)路線としては以下の路線がある。 今宿姪浜線乗合マイクロバス・なぎさ号 - 昭和バスの廃止に伴う代替措置。 姪浜タクシーが運行。 福岡市西部乗合タクシー・マイクロバス社会実験協議会を設置し2006年11月1日から2007年10月30日まで運行し、翌日から今宿姪浜線乗合マイクロバス連絡協議会を設置し引き続き運行。 板屋脇山線 - 西鉄バスの廃止に伴う代替措置。 板屋脇山線乗合タクシー連絡協議会を設置し飯倉タクシーがとして運行。 志賀島島内線 - 西鉄バスの廃止に伴う代替措置。 志賀島地域バス連絡協議会を設置し引き続き西鉄バスとして運行(一時期に移管)。

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株式会社鈴花福岡西店の天気

福岡 市 西区 の 天気

4 3 西南西 0 16 09時 25. 8 1 西 0 45 08時 24. 9 - -- 0 20 07時 24. 1 1 西南西 0 5 06時 23. 6 - -- 0 0 05時 23. 6 1 北北東 0 0 04時 23. 7 1 北北東 0 0 03時 23. 8 - -- 0 0 02時 23. 9 1 南東 0. 5 0 01時 24. 3 2 南西 0 0 24時 24. 6 1 西北西 0 0 23時 24. 9 - -- 0 0 22時 24. 7 3 北 0 0 21時 24. 8 2 東 0 0 20時 24. 3 1 東北東 1. 5 0 19時 23. 7 1 東北東 19 0 18時 24. 8 3 南南西 6 0 17時 27. 4 2 西南西 0 7 16時 29. 3 2 西北西 0 53 15時 28. 9 2 西 0 53 14時 28. 8 2 西北西 0 59 13時 29. 1 2 西 0 46 12時 27. 4 2 北北東 0 26.

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