祇園 精舎 の 鐘 の 声。 祇園精舎

『平家物語』の原文・現代語訳1:祇園精舎の鐘の声~

祇園 精舎 の 鐘 の 声

平家物語とは何か? そもそも平家物語とはどのような物語かと言いますと、平安時代末期に起こった歴史的事実に即した軍記物語です。 隆盛を極めた平家が源氏の台頭によりその地位を奪われ、そして壇ノ浦の戦いで源義経に滅ぼされる栄枯盛衰が描かれており、この世の無常を感じさせます。 平家の栄華と没落の様子を端的に表した言葉が冒頭の言葉です。 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵におなじ。 「栄耀栄華を極めたものも長くは続かず、春の夜に見る夢のようなはかないものであり、勢いがある者もやがては滅びてしまうのは、風にたやすく吹き飛ばされる塵のようなものだ。 」 祇園精舎の鐘の声とは? 冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。 」 「 諸行無常」も「 盛者必衰」も仏教の言葉で、「諸行無常」とはこの世のすべてのことは常がなく、続かないこと、「盛者必衰」はどんな者も必ず衰えることを言います。 これは仏教の 価値観・ 無常観を表す言葉です。 沙羅双樹とはお釈迦さまが亡くなるとき、沙羅の樹が臥床の四方に二本あったことから、仏のさとりをひらかれた最高の偉人といわれるお釈迦さまでも亡くなるときがくるという「盛者必衰」を表しています。 祇園精舎とは 「精舎」とは寺のことですから今日の言葉で言えば「祇園寺」で、お釈迦様がご説法をなされた寺のことです。 この「祇園精舎」の北西の一角に無常堂(無常院)があり、祇園精舎で終末期を迎えた僧たちが、最後のひとときを過ごす場所、今日でいうとホスピスのようなところでした。 臨終を迎えると、建物の四隅に配されていた鐘が鳴りました。 無常堂の鐘は、除夜の鐘で想像するような梵鐘ではなく、腰鼓のような形をして、素材は「頗梨 はり 」といって、水晶でできた小型の鐘でした。 その鐘の音は耳に心地よく、妙なる音色でした。 その祇園精舎の鐘の声は、僧の命が一つ消えたことを示している世の無常を感じさせる深さもあったのです。 往生要集の言葉 祇園精舎の無常堂について、「往生要集(おうじょうようしゅう)」という仏教物に書かれています。 「往生要集」とは、平安末期、日本の源信(げんしん)という高僧が書いた有名な本です。 『諸行は無常なり。 これ生滅の法なり。 生滅滅しおわりて、寂滅なるを楽となす』と。 祇園寺の無常堂の四の隅に、頗梨の鐘あり。 鐘の音のなかにまたこの偈を説く。 病僧音を聞きて、苦悩すなわち除こりて、清涼の楽を得ること、三禅に入り浄土に生れなんとするがごとし。 いわんやまた、雪山の大士、全身を捨ててこの偈を得たり。 行者よく思念して、これを忽爾にすることを得ざれ。 『諸行は無常なり。 これ生滅の法なり。 生滅滅しをはりて、寂滅なるを楽となす』とは、涅槃経の諸行無常偈といわれるお言葉で漢文では 『諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽』と書きます。 このお言葉の意味はこのような意味です。 「無常堂の四つの隅にあった鐘の音色から 『諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽』の説法が聞こえる。 病気の僧はその鐘の音、「諸行無常偈」の説法を聞くと、 苦しみがすぐ除かれ、さわやかな楽しみを感じ得たという。 この諸行無常偈の四句に雪山童子(せっせんどうじ)は身を捨てて得た話がある。 仏道を求めるものはよく思念して気に留めないことがあってはならない。 」 雪山童子の話については、こちらをご覧ください。 『諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽』の心が「いろは歌」に表されているといわれます。 諸行無常 色は匂えど 散りぬるを 咲き誇る花も、やがては散りゆく 是生滅法 わが世誰ぞ 常ならむ 世に常なるものなどありはしない 生滅滅已 有為の奥山 今日越えて 苦しみ迷いの奥山を今、乗り越え 寂滅為楽 浅き夢見じ 酔いもせず 迷夢に酔うことのない世界に出た 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 平家物語の作者は「往生要集」から「祇園精舎の鐘の声は『諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽』の説法だから、諸行無常の響きがあるのだ」と書いています。 平家物語には仏教の無常観が強く表現されているのです。 平家物語についてはこちらでも解説しています。 メール講座のご案内 今なら仏教界でも評価の高い浄土真宗の月刊誌『とどろき』の内容をメールでお送りします。 メールですので場所も取らず、毎日少しの時間で学ぶことができます。 さらに今ならとどろきの内容のPDFデータを登録後のページで無料配布しています。 毎月先着100名様の限定です。 (メール講座はいつでも解除できます) サンプルPDFをこちらから閲覧できます。 登録は こちらから 仏教がやさしく分かる 冊子と解説CDプレゼント 「仏教を学んでみたい」と思われたあなたへ。 受講者20万人を突破した仏教講座が、自分のペースで繰返し学べる6回完結型の仏教通信コースとなりました。 今なら、無料体験版「お釈迦さまってどんな方?」をまとめた冊子と解説CDをプレゼント中。 無料プレゼント! 応募は こちらから.

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平家物語『祇園精舎・冒頭』(祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり)のわかりやすい現代語訳 / 古文 by 走るメロス

祇園 精舎 の 鐘 の 声

平家物語の冒頭ですね。 読み方と意味は参考URLで分かると思います。 1185年の下関「壇ノ浦の戦い」で破れ各地に散った平家一門の残党が残した物語が歴史を経て洗練された姿で残り、その形はさまざまなバリエーションがあるようです。 日本人のもつ「滅びの美学」をよく著していると思います。 祇園精舎とは古代インド、コーサラ国シラーヴァスティー(舎衛城)にいたスダッタ(須達)という人物がブッダに帰依し寄付した、修行のための施設だったと言います。 祇園とは祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)の略で、持ち主の祇陀(ジェーダ)太子より購入した園林という意味で「祇樹」となり、「給孤独」は須達(スダータ)長者の別名で「孤独な人々に食を給する」聖人という意味があると言います。 今はインドのサヘート・マヘートの遺跡が祇園精舎の跡とされていますが源蔵法師が7世紀に訪れたときには、すでに廃墟となっていて、この言葉が中国を経て日本に伝えられたそうです。 三蔵が訪れたとき、恐らくうらびれて寂しい様子だったのでしょう。 諸行無常とはもともとは仏教用語で「この世の万象はすべてうつり変っていくものであり、決してとどまる事が無い」という意味とか。 日本では祇園とは京都八坂神社の社領として有名ですが、舞子さんが行き交う祇園と平家物語の祇園精舎との関係は、参考にした清水義範著「ムイミダス」(文春文庫)をお読み下さい。 たぶん長々と書いている間にいい回答が寄せられていると思いますが、その時は御容赦を。 参考URL: 祇園精舎の鐘の「声」です。 続きは・・・ 諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり、沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(しょうじゃひっすい)の理(ことわり)を顕(あらわ)す。 驕(おご)れる者久しからず。 ただ春の夜の夢のごとし。 猛き人も遂には滅びぬ。 偏(ひとえ)に風の前の塵(ちり)に同じ。 遠く異朝(いちょう)を問らふ(とぶらう)に、秦(しん)の趙高(ちょうこう)、漢の王莽(おうもう)、梁(りょう)の周伊(しゅうい)、唐の禄山(ろくざん)、これ等は皆旧主先皇(きゅうしゅせんこう)の政(まつりごと)にも従はず、楽しみを極め、諌(いさめ)をも思ひ入れず、天下の乱れん事をも悟らずして、民間の憂ふる所を知らざりしかば、久しからずして亡じ(ぼうじ)にし者どもなり。 近く本朝を窺ふ(うかがう)に、承平(じょうへい)の将門(まさかど)、天慶(てんぎょう)の純友(すみとも)、康和(こうわ)の義親(ぎしん)、平治の信頼(しんらい)、これ等は驕れる事も猛き心も、皆執執(とりとり)なりしかども、間近くは、六波羅(ろくはら)の入道前(さきの)太政大臣(だじょうだいじん)平朝臣(たいらのあそん)清盛公と申しし人の有様、伝え承るこそ、心も言(ことば)も及ばれね。 その先祖を尋(たず)ぬれば、桓武天皇第五の皇子(おうじ)、一品(いっぽん)式部卿(しきぶきょう)葛原親王(かずらはらのしんのう)九代の後胤(こういん)、讃岐守(さぬきのかみ)正盛(まさもり)が孫(そん)、刑部卿(けいぶきょう)忠盛(ただもりの)朝臣の嫡男(ちゃくなん)なり。 かの親王の御子(みこ)、高視王無官無位にして失せ給ひぬ。 その御子(おんこ)高望(たかもちの)王の時、初めて平の姓(しょう)を賜はつて、上総介(かずさのすけ)になり給ひしより以来(このかた)、忽ち(たちまち)に王氏を出でて人臣に連なる。 その子鎮守府将軍良茂(よしもち)、後には国香(くにか)と改む。 国香より正盛に至るまで六代は、諸国の受領たりしかども、殿上(てんじょう)の仙籍(せんせき)をば未だ許されず。 ここまでが祇園精舎のくだりのようです。 でも、ここまで記憶する一般人はそう多くはないでしょう。 「偏に風の前の塵に同じ」までで十分だとは思いますが。 A ベストアンサー 大和言葉の「こゑ」は 1.人や動物が発する音 2.物の音 3.発音、ことば[訛りなどについていう] 4.漢字の音(おん) 5.アクセント の用法があります。 ご質問の場合は2に相当しますが、これは漢字「声(セイ・ショウ)」の用法をうけたもので、平安時代以降によく使われるようになります。 漢字の「声」には、「人の発する声」・「動物の鳴き声」の意味と同時に、「物の発するひびき」の意味があります。 声の基本字である「聲」の成り立ちがすでに、古代の楽器「殸(ケイ)」に耳を組み合わせた文字です。 殸は金属製の楽器でたたくと高い音を発する。 それが耳に聞こえるところから聲(声)という字が生まれました。 そのような意味がある「声」が日本では「こゑ」と訓じられ、こゑにも「物の発するひびき」・「物の音」という意味が派生的に生まれました。 「鐘の声」という表現は、日本と大陸の言語文化が融合した表現ともいえるでしょうね。 参照 『古語辞典』項目「こゑ」(岩波書店) 『大漢語林』項目「声・聲」(大修舘書店) Q 平家物語の冒頭で、 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす があります。 livedoor. html 沙羅双樹の花は仏陀入寂のときに散った白い花だそうです。 でも花の色は変らず、変ったのは幹の色とのこと。 仏陀入滅=盛者必衰と結びつけるのも無理があるように思います。 どなたか説明していただけないでしょうか? よろしくお願いします。 A ベストアンサー こんにちは。。 仏滅の際、沙羅双樹がどうなったかは、複数の異なった様子が伝わっていて、一定しないようです。 (原典を読んだわけではないので、詳しくはわからないですが・・・) 手近な資料から見てみたので、わかりにくいですが・・・(自分もよくわかっていません。 すみません。 ) 釈尊が沙羅林に横たわった際、季節外れに花が咲き、散って釈尊の身を供養した。 釈尊が横たわったところの東西南北に各一対の沙羅の木があり、入滅と同時に東西の二双と南北の二双が合わさって、それぞれ一樹となり、釈尊を覆った。 このとき、木の幹が白変し、白鶴のような姿になった。 (「鶴林」「鶴樹」という言葉の由来) この計8本の沙羅の木のうち、四方の双樹のそれぞれ一本は枯れて一本は繁茂した。 (四方で一本ずつ残った)これを「四枯四栄」という・・・ 四枯四栄は、誤った8種のモノの見方、(凡夫が俗世間を誤った見方で見ることが「四栄」、大乗仏教以前の仏教徒が涅槃を誤った見方で見ることが「四枯」)正しい8種のモノの見方(大乗以前の仏教徒が俗世間を正しい見方で見ることが「四枯」、大乗菩薩が涅槃を正しく見ることが「四栄」)という二重の喩えになっている、そして、一方が枯れ、一方が繁茂した中で涅槃されたということは、枯れ(衰)も栄え(盛)もしない涅槃そのものを表しているとされています。 こんにちは。。 仏滅の際、沙羅双樹がどうなったかは、複数の異なった様子が伝わっていて、一定しないようです。 (原典を読んだわけではないので、詳しくはわからないですが・・・) 手近な資料から見てみたので、わかりにくいですが・・・(自分もよくわかっていません。 すみません。 ) 釈尊が沙羅林に横たわった際、季節外れに花が咲き、散って釈尊の身を供養した。 釈尊が横たわったところの東西南北に各一対の沙羅の木があり、入滅と同時に東西の二双と南北の二双が合わさって、それぞれ一... A ベストアンサー 平家物語の冒頭の部分なのは#3さんの説明の通りです。 これは仏教の大事な教えである「諸行無常」を説明しながら、最終的に平家と源氏の栄枯盛衰の物語に関連付けていく、きわめて詩的な名文です。 「諸行無常」というのは、あらゆるものは「常では無い」つまり永遠に続くものではないので、執着しても無意味である、という教えです。 人はいつか死にますし、建造物もいつかは朽ち果てます。 権勢とても永久に続くものではないのですから、執着心を捨てなさいという意味です。 この文章の前半では「諸行無常」の意味だったものが、途中からだんだん因果応報の要素が濃くなってきて、最終的には平家が滅びたのは自業自得だったというような雰囲気に導いています。 従って前半部分にある「おごれる人も~」という部分では「謙虚さを忘れたために報いを受けた」というより、「現世の栄華は長続きしない」という意味合いのほうがまだやや強いと思います。 Q 皆様、こんにちは。 最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。 他にも『解任』などもあったりして どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。 gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。 『更迭』は他の人に変える事とでてきます。 これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか? なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。 よろしくお願い致します。 A ベストアンサー 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。 リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。 seesaa. html 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義 右派リバタリアン で、それ以後を新保守主義 ネオコン といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン 左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法 戦争など過激な改革を許容する を執ると言う主義 です。 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで 高福祉政策 」などが有ります。 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。 そして変える方向 変えない方向 が自由か統制かで分類できます。 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。 自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。 リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。 seesaa. html 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共... A ベストアンサー この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。 大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。 名文として後に有名になったのは 1.先ず海戦に勝ったこと。 (負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。 2.これから出撃します。 と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。 つまり、兼ねて準備していた連合艦隊は予定どおり、故障艦も脱落艦もなく、直ちに出撃し敵を撃滅することを前文で伝えています。 後半の天気の文章も海軍の現場の人にはいろいろな情報を伝えています。 即ち、本日は天気に恵まれ海上の見通しは非常に良い。 砲撃戦に理想の天気である。 しかし、海上には高波が見られるので、魚雷艇などを使った細かな作戦を実行するには難がある。 本日の戦いは砲撃で決着がつくだろう。 ようやく近代国家の仲間入りをしたばかりの日本の存亡を賭けた戦いを前にして、七、五調の短い電文でこれだけの情報を送れるのは名文でなければ出来ません。 しかし、これが決意表明ではなく作戦の変更や指示を仰ぐ電文であれば、決して名文とはいえないでしょう。 読む人によって理解が異なるような文章は戦時に使用すべきではないでしょう。 やはり戦争に勝ったということと決意表明の電文だったからこそ後世まで語り継がれたのでしょう。 この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。 大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。 名文として後に有名になったのは 1.先ず海戦に勝ったこと。 (負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。 2.これから出撃します。 と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。 つまり、兼ねて準備していた連...

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第1話 祇園精舎の鐘の声

祇園 精舎 の 鐘 の 声

祇園精舎 ( ぎおんしょうじゃ )の鐘の声 諸行無常 ( しょぎょうむじょう )の響きあり 沙羅双樹 ( さらそうじゅ )の花の色 盛者必衰 ( じょうしゃひっすい )の 理 ( ことわり )を表す おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし たけき者もついには滅びぬ ひとへに風の前の 塵 ( ちり )に同じ 「説話・物語・軍記」より 平家物語のオープニングです。 この文の大まかな意味は「どんなに栄華を誇っていたとしても、必ず滅びます」です。 「いいことが、ずっと続くわけではない」というたとえをいくつも挙げています。 *** 一個目 祇園精舎(釈迦が説法をしたインドの寺)の鐘は、病気のお坊さんが亡くなる時に「諸行無常」と鳴ったそうです。 時報が死の 宣告 ( せんこく )をするのでしょうか? 「諸行無常」は万物は時々刻々変化して定まることがないという意味だそうです。 二個目 お釈迦様が亡くなる時に、床の四方に一双(二株)の沙羅という木の花がことごとく白になったそうです。 それが、盛えた者も必ず衰えますよということらしいです。 三個目 今はどんなに 天辺 ( てっぺん )にいようと、長く続きませんよ。 春の日の夢のように。 「 春眠 ( しゅんみん ) 暁 ( あかつき )を 覚 ( おぼ )えず(春は気候がいいから寝すぎるよね)」につながっているのでしょうか? 「いい時って、夢見てるみたいだね」ということかもしれません。 四個目 強い人も滅んでしまいます。 風の前の塵のように、いつ飛ばされてもおかしくないです。 このオープニングで「 栄華 ( えいが )を誇っても、いつか落ちぶれます」 ということを語ります。 『他に並ぶものなし』と言われて、絶対王者だと思われていた平家が、あれよあれよという間に滅んでいく様子が描かれています。 *** この言葉の後に、「 政 ( まつりごと )をちゃんと行わず、 愉 ( たの )しむことにばかり 一所懸命 ( いっしょけんめい )で、世間の意見に耳を貸さず、人々の 愁 ( うれ )いなど考えもせず、忠告も聞かずにいれば落ちぶれます」と書いてあります。 成り上がって調子に乗って、足元をすくわれて落ちぶれた人を何人も挙げて、最後に平家物語の中心人物の 平 ( たいらの ) 清盛 ( きよもり )の名前が挙がります。 「政権のトップに立って、政治と関係ないことをしていると、 庶民 ( しょみん )から反感を買って、 蹴 ( け ) 落 ( おと )とされますよ」 という意味でしょう。 なんとなく、現在にも通じる様な……。 過去から学びましょう。 *** そして次に、清盛様の血筋について語ります。 桓武 ( かんむ )天皇の子孫で、臣下に降りて 平 ( たいら )の 姓 ( せい )を 名乗 ( なの )るようになりました。 臣籍降下 ( しんせきこうか )というものです。 皇族 ( こうぞく )が姓を与えられてその身分を離れ、臣下の 籍 ( せき )に降りることをいいます。 清和 ( せいわ )源氏もそうです。 清和天皇の子孫が臣籍降下をして、 源 ( みなもと )の姓を名乗るようになりました。 ご先祖様が天皇家だったとしても、何もしていないと生活ができなくなります。 それで、武家としてお金持ちのボディーガードのようになったのが、源平合戦の始まりみたいなものです。 だいたい、源氏の方が早い時代に臣籍降下しています。 平氏の方が後で臣籍降下しているので、天皇家に近いのは平氏と言えるでしょう。 清盛様は白河天皇の隠し子という噂もありました。 *** 当時の位は三位以上を 公卿 ( くぎょう )、五位以上を 殿上人 ( てんじょうびと )と言いました。 殿上人でないと、宮中には上がれませんでした。 清盛様は臣下として最高位の太政大臣(従一位)になりました。 数字が少ない方が位が高いです。 成りあがった平家がいろいろな人から反感を買い、源氏に滅ぼされます。 ……それが涙を誘うそうです。 散り際の美学というものでしょう。 日本で大昔から好まれている物語です。

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