アメリカン スリープ オーバー。 映画【アメリカンスリープオーバー】の感想。甘酸っぱい恋愛群像劇。

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しかし、長編第一作目の本作を見れば、ミッチェルの才能が既にとてつもなく膨れ上がっていたことを理解してもらえるはずだ。 進級を控えた夏休み、ティーンエイジャーたちの一夜をリアルに描き出したこの群像劇には、初期のガス・ヴァン・サントやオリヴィエ・アサイヤスにも通じる渇いたリリシズム、余白を大切にした会話、細部のスコアや小物のハイセンス、何よりも魅力的過ぎる俳優陣、全てが詰まっている。 映画のどこを切り取っても完璧としか言いようがない。 ここでいうお約束とはもちろん、アメリカの青春映画群からの引用である。 アメリカ青春映画が紡いできた「一夜物語」たち 十代の一夜物語を描いたアメリカの青春映画は『アメリカン・スリープオーバー』だけではない。 ジョージ・ルーカスが自らの青春時代を振り返って監督した本作は、 60年代の音楽とファッションに乗せて夏休み最後の日を描き出し、青春映画の金字塔と呼ばれるまでになった。 今でも「偉大なアメリカ映画」的なアンケートを取れば、必ず上位にランクインする一作である。 批評家から大絶賛された『アメリカン・グラフィティ』だったが、公開当時の若者を楽しませてはいても「共感」を得ていたかどうかは怪しい。 映画の内容はルーカスにとってのノスタルジーであって、若い観客の感覚に重なる部分が少なかったからだ。 『ハイスクールU. 一人の少女が 16歳の誕生日に経験する些細で美しい出来事を描いた本作には、これまでの映画にはなかった制作者からの「若者への共感」があった。 『ハイスクールU. とにかく、ジョン・ヒューズの関わった 80年代の青春映画群が、多くの映画少年に影響を与えた。 そして、やがて映画作家になった彼らは自分たちで作った青春映画で「一夜物語」を拡散させていく。 思春期の一晩を描いた映画や、一晩の過ごし方が物語の鍵になる映画が大量生産されるのだ。 卒業パーティーの夜をきっかけに冴えない青年が学園のマドンナと恋仲になっていく物語だ。 カルト化したものや興行的に大成功したものに絞っても書ききれないほど、「一夜物語」の系譜は脈々と流れ続けている。 そして、これらの作品では舞台設定や年代に関係なく、登場人物が現代の若者にも身近に感じられるよう設計されているのが分かるだろう。 大人が眉をひそめそうな、若者らしい情欲や空回りが肯定的に描かれるようになっているのだ。 銃があれば全ては変わるけどそんなものはない 『アメリカン・スリープオーバー』は、これらの作品群を踏まえたうえで献上された新たな「一夜物語」だ。 親のいぬまのパーティー、真夜中の水泳、失恋と恋の芽生え、そして群像劇というスタイル…。 いずれも正しく青春映画の「一夜物語」をなぞらえている。 しかし、勘違いしないでほしいのは本作が引用とパロディにまみれた作家の自己満足ではないということである。 本作には独特のフィーリングがある。 たとえば、ジョン・ヒューズの青春映画では若者たちが(手に入るかどうかは別として)欲しいものをはっきりと口にしてきた。 リンクレーターの青春映画に登場するのは欲しいものさえも分かっていない愛すべきバカたちだった。 しかし、『アメリカン・スリープオーバー』の登場人物たちは欲しいものをぼんやりと思い浮かべているのに、現実に触れるのを怖れているような感覚を残している。 町で見かけたブロンドの美女、嘘みたいに無邪気な双子の姉妹、少女の自分を大人にしてくれる男性、登場人物はそれぞれの相手に恋焦がれながらも、決定的に距離を縮めることはできない。 だからこそ、夜を彷徨い続ける。 『アメリカン・スリープオーバー』のどこか諦念めいた手触りは、ポップでドラマティックな過去の青春映画の世界と現実を往復しているように映る。 自分は作り手のそんな曖昧さを信用する。 一丁の銃があれば全てを変えられる。 でも、そんなものがないことも分かっている。 ささやかで残酷な覚醒は、十代の心情にぴったりと重なっている。 大人からは絶対に手の届かない想い、だからこその「神話」なのだ。 本作が80年代を舞台にしていながら、90年代以降の楽曲が平気で流れていることもまた、時代を超越した神話性を高めている。 客観性と主観性をバランスよく共存させるミッチェル監督がその後、青春映画をメタ視点で再構築した『イット・フォローズ』に向かったのはあまりにも納得できるステップアップだといえよう。 映画『 アメリカン・スリープオーバー』はオンライン上の映画館「デジタルスクリーン」にて上映中。

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はい、来た傑作!映画『アメリカン・スリープオーバー』|フクイヒロシ|note

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『アメリカン・スリープオーバー』は、昨年日本でも公開され、話題となった新感覚ホラー『イット・フォローズ』で世界を震撼させたデヴィッド・ロバート・ミッチェル監督の2010年公開のデビュー作です。 アメリカでは学期が変わる節目となる夏休み。 同じ日に行われたあちこちでの「お泊まり会(スリープオーバーと呼ばれる)」を通じて、4組の10代男女それぞれの恋や青春が描かれます。 淡々としつつも切なく甘酸っぱい描写に共感する観客も多く、同年SXSW映画祭で審査員特別賞を受賞。 カンヌ国際映画祭の国際批評家週間部門で初上映。 その他、数々の映画祭で上映されてきました。 また『イット・フォローズ』の世界観は『アメリカン・スリープオーバー』と地続きになっていますから、『イット・フォローズ』ファンも注目です。 都内を中心にイベント上映を行ってきました。 見たい人たちが自分たちで映画を持ってくる新しい形のファン活動の成果です。 今後にも注目です。 詳しくは「Makuake」でのクラウドファンディング・ページをご覧ください。 アメリカン・スリープオーバー ストーリー デトロイト郊外、夏休み最後の週末。 最後の自由の夏の夜を過ごす4人の若者たちは、自分たちが住む郊外の街で恋と冒険を求め、そして出会う。 毎年恒例の「スリープオーバー」(お泊まり会)を舞台に若者たちの夏を輝かしく描いた青春群像劇。 スタッフ&キャスト 脚本・監督:デヴィッド・ロバート・ミッチェル 撮影:ジェームズ・ラクストン 編集:ジュリオ・C・ペレ4世 音楽:カイル・ニュースマスター、ウィリアム・ライアン・フィンチ 出演:クレア・スロマ、マーロン・モートン、アマンダ・バウアー、ブレット・ジェイコブソン 原題:The Myth of the American Sleepover 公式サイト:.

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Makuake|『アメリカン・スリープオーバー』Blu

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2018年10月に日本で新作公開が決まったよね!! そうなんです。 彼の新作『アンダーザシルバーレイク』がいよいよ公開されることが決まりましたよね!! もちろん新作も楽しみなんですが、新作を鑑賞する前にぜひともデビッド・ロバート・ミッチェル監督の作品に通底しているテーマをぜひとも考えてみたいということで、今回彼の初期作品の記事を書いてみようと思い立ちました。 また個人的に注目していたのが本作の撮影監督 ジェームズ・ラクストンですね。 彼は2017年に公開されたアカデミー賞作品賞受賞作品である『ムーンライト』の撮影監督を担当している方でもあります。 『アメリカンスリープオーバー』でもフィルム撮影風の味わいがある映像が印象的だったんですが、『ムーンライト』でも彼のそんな映像のタッチを自由自在に操るという技が炸裂しています。 詳しくは以下の記事からどうぞ! 参考: 『アメリカンスリープオーバー』は、そんな幻想的な映像と青春の寓話が交錯するまさに奇跡のような映画です。 詳しい映画情報は公式サイトにて!! 参考: スポンサードリンク 『アメリカンスリープオーバー』解説・考察:火と水が演出する青春の神話! 本作『アメリカンスリープオーバー』の原題は『The Myth of the American Sleepover』です。 Mythという単語は一般的に「神話」という意味で用いられます。 そしてSleepoverというのは、日本では一般的ではないですがアメリカのティーンエイジャーの間ではしばしば行われている「お泊り会」的なイベントのことを指しています。 つまり本作の原題が指し示すのは『お泊り会の神話』ということになります。 では「神話」とは厳密にいうと、どう定義づけることができるのでしょうか? 民族学者の大林太良氏は次のように指摘しています。 神話は存在するものを単に説明するばかりでなく、その存在理由を基礎づけるものであり、原古における神話的な出来事は、のちの人間が従い守るべき範型を提出している。 また、神話には人類の思考の無意識の構造が基礎にある。 神話は神話的出来事の反復としての儀礼とともに、それを伝承する民族の世界像の表現である」 『世界神話事典』p. 24 この『アメリカンスリープオーバー』という作品には明確に神という存在は出てきません。 そのため「神話」であると断定してしまうことは難しいでしょう。 しかし、大林氏の神話の定義に基づいてかんげてみると、本作が「神話的性格」を持ち合わせていることは明らかでしょう。 人類の思考の無意識の構造が基礎にあり、それでいて伝承する民族の世界像の表現を為すのが「神話的性格」であるとしましょう。 そうすると、本作は「青春」というテーマを扱っていることで、ある種の人類普遍の思考を作品の構造の根底に孕ませつつも、タイトルに「American Sleepover」とつけられていることから、これがアメリカ民族の世界像の表現であるということをも示しているわけです。 つまり本作『アメリカンスリープオーバー』は「お泊り会の神話的寓話」という風に捉えるのが最も近しいのではないかと個人的には考えています。 さてここからは作品内のモチーフなどに目を向けながら本作を読み解いていきたいと思います。 現代版『オデュッセイア』的側面 皆さんは『オデュッセイア』という物語をご存じでしょうか。 古代ギリシアにてホメロスによって著されたこの叙事詩は「物語のマザータイプ」としても知られています。 ジョージ・ルーカスの「スターウォーズ」を初めとして、世界中の「英雄譚」に影響を与えた『オデュッセイア』は「隠された父との出会い」という事象を、子供が大人に、英雄になるためのイニシエーションの1つとして描いています。 ただ現代において「隠された父との出会い」が大人になるための通過儀礼だなんて言われても、イマイチ腑に落ちませんよね。 本作が現代の神話的寓話である以上は、より現実的な通過儀礼を示す必要があります。 そういう視点で見ていくと、本作における通過儀礼というのは「セックス」であり、「大人の異性と恋愛関係になること」であるように思えてきます。 とりわけ「セックス」という観点で見るならば、デビッド・ロバート・ミッチェル監督は 『イットフォローズ』において「性行為」をきっかけに子供が大人になり、そして大人になることで付き纏う「死」の恐怖を描きました。 『アメリカンスリープオーバー』は青春という長いようで短いオデッセイを描き、大人と子供の境界線に立たされた少年少女がその線を超えるのか、超えないのかに苦心する一晩のオムニバス劇となっているわけです。 水と火のモチーフが示す人類の進化と成人のコンテクスト 皆さんは人類ないし地球上の生物がどのような過程で、進化を遂げてきたかその歴史をご存じですか? 地球という惑星が約46億年前に誕生し、最初の生命体が誕生したのが38億年前ではないかとされているわけですが、地球上の生物は長らく水中で暮らしていました。 生物が陸上で生活するようになるというのは、地球の長い歴史で見ていくと、比較的最近とも言える出来事であるわけです。 アフリカで初期人類が誕生したのはほんの400万年前ではないかと言われています。 そして人類の社会文明的進化に大きな影響を与えたのが、火の使用でした。 火を使うようになり、人間は急速に発達していくこととなるのです。 そう考えると、『アメリカンスリープオーバー』における「火」と「水」のモチーフの使われ方には、地球上の生命体ないし人類の進化の歴史が関連付けられているように思えます。 本作に登場する「水」のモチーフを列挙してみましょうか。 プール• スプリンクラー• 酒 一方で「火」のモチーフは以下のようになります。 ライター• タバコ ここでバッサリと「水」とは子供を象徴するモチーフで、「火」は大人を象徴するモチーフであると断定してしまいたいのですが、よく見ると「水」モチーフの中には酒が存在しています。 しかし、酒に含まれるアルコール(エタノール)は気化しやすく、さらに気化したアルコールには可燃性があります。 そういう意味で、酒には「火」のモチーフの側面も隠されているのです。 ちなみにですが、デビッド・ロバート・ミッチェル監督は次作の 『イットフォローズ』でこんなカットを映画に使っていたりします。 C 2014 It Will Follow. Inc, 印象的なカットだよね! 海を前にして、その浜辺(陸地)にて人が死んでいるのです。 彼が「大人になること=死の恐怖と向き合うこと」と考えている節があることから、このカットは「水」から「陸」に上がることが死の現前に繋がることを端的に表現しているようにも捉えることができます。 そう考えていくと、やはり本作における「水」とは子供ないし青春を象徴するモチーフであり、一方で「火」が大人を象徴するモチーフであると考えられるのではないでしょうか。 マギーを巡る物語 彼女の物語の始まりは夏の終わりのプールです。 自分が座っていた場所の脇にある缶ビールを盗み、それを飲みながら年上の男に憧れを抱く彼女は、早く子供の自分から抜け出したいと言わんばかりです。 学校帰り、彼女は芝刈りをしている知り合いの青年の家を訪れます。 何とも印象的なのが、このシーンでマギーは「火」を象徴するタバコを吸いながら、庭のスプリンクラーから吹き出している「水」を見つめています。 青年の下からの去り際に、マギーは彼の頬にキスをします。 これはまるでその後の発展(セックスへの進展)を望んでいることを仄めかすような行動と言えますね。 ここまでの一連のシーンでお分かりいただけるかと思うのですが、マギーという少女はいわゆる「大人ぶっている」子供なんです。 彼女はまだ子供で、「水」がお似合いなのに、早く大人になりたいという願望が先行し身の丈に合わない煙草に「火」をつけ、スプリンクラーから吹き出している「水」を冷笑的な視線で見つめています。 そんな彼女はパーティーでプールの監視員をしていたスティーブンに再会します。 そんな彼がマギーに告げる言葉が何とも印象的です。 スティーブン「可愛い君には青春を大切に過ごしてほしい。 」 マギー「どうして?」 スティーブン「神話さ。 」 マギー「何の神話?」 スティーブン「10代のね。 冒険を期待して大人へと急ぐ。 後で気づいても二度と戻れないのに。 」 (映画『アメリカンスリープオーバー』より引用) 終盤に彼女は芝刈りをしていた青年キャメロンとキスをしますが、彼女はそこでようやくスティーブンの言葉の意味を噛みしめたのかもしれません。 そして、冒険の先に自分の想像していたようなものが存在していないことに気づいてしまったのでしょう。 スティーブンと再会したマギーはタバコの「火」を消して、夜のプールへと向かいます。 2人はしばらくプールサイドで会話を交わし、ウォータースライダーに乗ることになります。 その際にプールの水にマギーが足を浸していくシークエンスを印象的に映しているところもまた確信犯的な演出と言えるでしょう。 だからこそ彼女はスティーブンからのキスの申し出に応じません。 「本当はしたいけど、今じゃないわ。 」 彼女は高校1年生で、まだまだ子供です。 だからこそもう少し青春という名の「旅」を続けていたいと感じたのでしょう。 そう捉えてみると、マギーの物語は「火」を消して、「水」の中に戻っていくという大人ぶることを止めて子供らしく生きようと決意する物語なのです。 ロブを巡る物語 ロブという青年は母親と訪れたスーパーマーケットにいたブロンド髪の大人びた女性に一目惚れしました。 彼は街で「スリープオーバー」が開催されている夜に、その女性を探して歩きまわることとなります。 まず注目したいのが、ロブとエマがその日の昼間にしていた会話です。 エマ:「火を点けたら?」 ロブ:「でも火がないんだ。 」 (エマがライターをロブに手渡す) ロブの友人:「吸うの?」 エマ:「前好きだった人がね。 」 (ロブがエマにライターを返そうとする) エマ:「いいわ。 あげる。 」 (映画『アメリカンスリープオーバー』より引用) こうして「火」を持たない少年ロブは、背丈にあわない「火」を手に入れて、夜の街で一目惚れをした女性アヴァリナ探しに奔走することになります。 女友達の家を訪れるも、「セックス」や「キス」に至らなかったロブ。 彼はこの夜になんとしてでもアヴァリナを探し出し、彼女とキス以上の行為をしようと意気込んでいます。 終盤にロブは彼女を発見します。 この時に彼は彼女の顔がよく見えないからと「火」で顔を照らそうとするのですが、その際に偶然彼女の腕に書かれた「2人の男の名前」を見つけてしまいます。 これは2人の男が何かしらの関係をアヴァリナと既に結んでいることを示しています。 そんな現実を突きつけられたロブはアヴァリナの下を離れ、エマの下へと戻ります。 彼は自分の背丈にあわない「大人びた恋愛」を諦めるかのように、ライターの「火」を消し、そして自分に好意を寄せてくれたエマとキスをします。 クラウディアを巡る物語 彼女の物語に明確に「火」のモチーフは登場しませんが、彼女もまた「大人びた子供」の1人であることに変わりはありません。 年上の彼氏と付き合い、ワインを嗜む彼女は年齢不相応な行動をしているとも言えます。 しかし、彼女は「スリープオーバー」の日に自分の友人と彼氏が浮気をしていた事実を知るんですね。 そして彼女は庭でゲロを吐きます。 それは言わば、体内からアルコールを排出しようとする行為であり、アルコールという「火」を、オトナを連想させるモチーフを体外に排出している行為と取れるわけです。 翌朝、彼女は清々しい顔で「青春」へと戻っていきます。 スコットを巡る物語 彼は大学を辞めることで、自ら「青春」からドロップアウトしようとしています。 しかし大学時代に出会った双子の女性であるアビー姉妹に興味を持ち、彼女たちとの再会を望みます。 そうして彼はミズーリにある大学の「スリープオーバー」を訪れ、アビー姉妹を夜のプールへと連れ出します。 このシーンは「青春」を今まさに失おうとしている彼が、必死に「青春」を自分の下に手繰り寄せようとしているようにも見えます。 そんな彼は、最終的にアビー姉妹との再会を通じてシカゴの大学に戻る決意をします。 彼は「青春」をもう少しだけ延長したいと、もう少しだけプールに浸かっていたいと願ったのです。 スポンサードリンク ラストシーンに見る『イットフォローズ』との繋がり 本作のラストシーンを一言で言い表すのであれば、「デビッド・ロバート・ミッチェル監督流の大人と子供の対比」なんだと思います。 何と言っても注目したいのは「青」と「赤」の対比です。 「青」と『赤」はそれぞれ水と火を連想させるという指摘もできますね。 新入生の入学パレードが行われており、マギーたち新入生は「青」い服を着ています。 これは彼らが子供であることを表象しており、「青」春の最中にいる存在であることを仄めかしています。 またロブたちが廃墟を訪れた際に出会ったジーンズをはいた女がラストシーンでジープの中で「カーセックス」をしている描写も挿入されています。 そんな彼女のネイルを見てみるとこれまた「赤」色なのです。 デビッド・ロバート・ミッチェル監督は『イットフォローズ』でもこの「赤」という色を印象的に用いています。 とりわけ『イットフォローズ』における「赤」色は大人を象徴する色であり、迫りくる「死の危険」を表象する色でもあります。 そう考えていくと、彼は本作の時点で既に「赤」色と大人を結びつけた演出を閃いていたということになります。 『イットフォローズ』でも青と赤の対比が際立っていたよね!! C 2014 It Will Follow. Inc, また『アメリカンスリープオーバー』のラストシークエンスに「カーセックス」が登場し、「イットフォローズ』の冒頭でも「カーセックス」が登場するということから考えても2つの作品のリンクは極めて強いと言えます。 このような作品のリンク性を考えても、彼の新作『アンダーザシルバーレイク』を見る際に過去作品をチェックしておく必要があるということになります。 おわりに いかがだったでしょうか。 今回は「水」と「火」、「青」と「赤」の対比にフォーカスし、『アメリカンスリープオーバー』という作品を読み解いてみました。 本作の結論としては、「青春」とは大人になってしまえば取り戻すことのできない「神話」であり、だからこそその最中にいる人間は、大人いなることを急ぐのではなく、目いっぱい「子供らしく」生きれば良いというメッセージなのではないでしょうか? 『アンダーザシルバーレイク』の公開が迫っておりますが、新作を鑑賞する前にぜひともデビッド・ロバート・ミッチェル監督の持ち味や作品の方向性を把握するという意味合いも込めて、過去作品を鑑賞しておくことをおすすめします。 参考: そうでなくとも本作は単純に青春映画の傑作です。 ぜひともデビッド・ロバート・ミッチェル監督が贈る「青春の神話的寓話」を目撃してほしいと思います。 今回も読んでくださった方ありがとうございました。

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