犬 も 歩け ば 棒 に あ なる。 犬も歩けば棒に当たるの意味!実は両極端の意味を持ってると知ってた?

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余計なことをすると、思いがけない災難に出会うということ• どうしても人間は、じっとしていればよい状況で、出しゃばったり、余計なことをしてしまうことがあります。 例としては、じっとしていればお小遣いを貰えたのに、余計にしつこくねだったがために、貰えなくなってしまうことが挙げられます。 自分から何かしらの行動を起こすことは、現代においては「良いこと」として捉えられることが多いです。 例としては、会社で何か問題が発生した時に、とにかく外に足を運んでいたら、他社の人の助けを借りることができた場面が挙げられます。 ちなみに、「犬も歩けば棒に当たる」は誤用されやすいことわざでもあります。 意味を、 「反射神経の良い犬でも、歩いている際に棒に当たってしまうこともある」と捉えてしまう誤用例が目立ちます。 得意な人も失敗することがあるという意味の「猿も木から落ちる」と混同してしまっているのです。 言葉自体は確かに似ていますが、意味は全く異なるので注意が必要です。 犬も歩けば棒に当たると言うように、変に意見を言うと何かしら悪いことが起きるからやめておこう。 就職活動中は 犬も歩けば棒に当たるという言葉を信じて、とにかく色々なところに足を運んでいた。 今日は会社が休みだったが、街に出歩いてみたら、ファンの歌手に会うことができた。 まさに 犬も歩けば棒に当たるだ。 繰り返しにはなりますが、現在はこちらの意味で使われることが一般的です。 「犬も歩けば棒に当たる」の由来 「犬も歩けば棒に当たる」は江戸時代から存在したことわざです。 江戸時代に江戸で広まった 「江戸いろはかるた」の第1句にあたります。 江戸時代は、現代のように犬を鎖 くさり などで繋 つな いでおくという習慣が無く、野犬が非常に多い時代でした。 犬はいたずらをするなどの理由で、棒で叩かれることも多く、単に歩いているだけで、災難な目に遭うことがありました。 このことから「犬も歩けば棒に当たる」は生まれました。 また、「当たる」という言葉には、「幸運と結びつく」というイメージがあります。 このことは、「宝くじが当たる」と言うことからも分かると思います。 「当たる」のプラスのイメージと、「積極性」を尊重する時代背景が相まって、「何か行動を起こすことで、思いがけない幸運に出会うということ」という意味で頻繁に使われるようになりました。 歩く足には泥 どろ が付く:何か物事を行うと、それに伴って煩 わずら わしいことが起こるということ• 歩く足には棒当たる:何か物事を行うと、それに伴って煩わしいことが起こるということ• 藪 やぶ をつついて蛇 へび を出す: 必要の無いことをしたがために災難に遭うこと• たまに出る子は風に遭 あ う:普段しないようなことをすると、失敗するということ• 思い立ったが吉日 きちじつ :何か物事を始めようと思ったら、日を選ばずすぐに行動した方が良いということ• 怪我 けが の功名 こうみょう :失敗や過失、あるいは何気なくしたことが、思いがけず良い結果になるということ 「歩く足には泥が付く」「歩く足には棒当たる」「藪をつついて蛇を出す」「たまに出る子は風に遭う」は、「何か余計なことをすると思いがけない不運に出会う」という意味における類義語です。 一方、「思い立ったが吉日」「怪我の功名」は、「何かしら行動を起こすことで思いがけない幸運に出会う」という意味における類義語です。 「犬も歩けば棒に当たる」の対義語 「犬も歩けば棒に当たる」は、二つの意味を持つ言葉であるため、使用する場面によって対義語は変わります。 また、二つの意味は真逆の意味であるため、前述した類義語がそれぞれ対義語にもなります。 The beast that goes always never wants blows. 歩き回る獣はいつも叩かれる。 The dog that trots about finds a bone. 歩き回る犬はいつも骨を見つけられる。 A flying crow always catches something. 飛んでいるカラスはいつも何かを捕まえる。 The beast that goes always never wants blows. The dog that trots about finds a bone. と A flying crow always catches something. まとめ 以上、この記事では「犬も歩けば棒に当たる」について解説しました。 意味 余計なことをすると思いがけない災難に出会うということ、何か行動を起こすことで思いがけない幸運に出会うということ 由来 江戸時代は野犬が多く、犬は棒で叩かれることが多かったため 類義語 歩く足には泥が付く、思い立ったが吉日など 対義語 思い立ったが吉日、歩く足には泥が付くなど 英語訳 The beast that goes always never wants blows. 歩き回る獣はいつも叩かれる。 ・The dog that trots about finds a bone. 歩き回る犬はいつも骨を見つけられる。 「犬も歩けば棒に当たる」の意味や使い方など理解することはできたでしょうか。 反対の二つの意味を持つ、非常に珍しいことわざということもあり、類義語や対義語は特に複雑な関係にあります。 しかし、現在では「何か行動を起こすことで、思いがけない幸運に出会う」という意味で使われることがほとんどです。 したがって、そちらの意味を基本として覚えて、実はそれとは真逆の意味もある珍しいことわざであると覚えておくと良いでしょう。

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ことわざ「犬も歩けば棒に当たる」の2つの意味とは?類義語もチェック|docdog(ドックドッグ)

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「犬も歩けば棒に当たる」とは 「犬も歩けば棒に当たる」の意味 「犬も歩けば棒に当たる」には「 何かをしようとする・出しゃばると思わぬ災難に遭うという戒め」という意味と、「 じっとしないで、何か行動を起こすと思いがけない幸運に遭遇できる」という2つの意味があります。 出しゃばると思わぬ災難にあってしまうけど、行動を起こさないと幸運にも巡り会うことができないという、真逆の意味である2つを持っています。 どちらか一方の意味しか知らないという方が多いので、この機会にしっかりと覚えておきましょう。 「犬も歩けば棒に当たる」の由来・元々は1つだけの意味だった 「犬も歩けば棒に当たる」には「何かをしようとする・出しゃばると思わぬ災難に遭うという戒め」という意味と、「じっとしないで、何か行動を起こすと思いがけない幸運に遭遇できる」という2つの意味で知られていますが、 元々は前者の「戒め」という意味しかありませんでした。 「犬も歩けば棒に当たる」の「棒に当たる」というのは「 棒で殴られる」という意味があります。 昔は犬などを飼っていても放し飼いというのが当たり前という時代だったので、飼っている犬や、野犬がそのあたりをうろついて棒でひっぱたかれるということがあったそうです。 そのため、「何かをしようとする・出しゃばると思わぬ災難に遭うという戒め」という意味で「犬も歩けば棒に当たる」ということわざが出来上がりました。 「棒」は災難に遭うことの例えでしたが、時代が進んでいくにつれて、次第に 江戸時代ごろに 「幸運」という意味でも使われるようになりました。 こういう場合、後から出てきた方は誤用とされるのがほとんどですが、「犬も歩けば棒に当たる」に関してはそのようなことはないようです。 「犬も歩けば棒に当たる」の類語 「歩く足には泥がつく」 「犬も歩けば棒に当たる」の類語には「 歩く足には泥がつく」と言うものがあります。 どんなことでも行動を起こせば、何らかの煩わしいことが起きるという意味があります。 また、同じようなもので「歩く足には塵がつく」「歩く足には棒あたる」「歩く犬が棒にあたる」があり、どれも同じ意味があります。 これは「犬も歩けば棒に当たる」の「戒め」の方の意味ですね。 「藪をつついて蛇を出す」 同じように「 藪をつついて蛇を出す」があります。 「ヤブヲツツイテヘビヲダス」と読みます。 余計なことをしたことにより、今の状況が悪くなってしまうことという意味があります。 こちらも「犬も歩けば棒に当たる」の「戒め」の方の意味になります。 「思い立ったが吉日」 同じく「 思い立ったが吉日」があり、「オモイタッタガキチジツ」と読みます。 何かを始めようと思ったら、ためらわないですぐに行動を起こした方が良いという意味があります。 「怪我の功名」 同じく「 怪我の功名」があり、「ケガノコウミョウ」と読みます。 何気なく起こした行動や失敗が、偶然によい結果をもたらすことという意味があります。 こちらも「犬も歩けば棒に当たる」の「幸運」の方の意味になります。 「犬も歩けば棒に当たる」の使い方 「犬も歩けば棒に当たる」には2つの反対の意味があるので、文脈によってその都度どちらの意味か判断をしなけばいけないので注意です。

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「物が増える→収納増やして片付けるの繰り返し」犬も歩けば棒にア◯ルのブログ | 犬も歩けば棒にア◯ルのページ

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「犬も歩けば棒に当たる」はスペインでは何て言う? ことわざの世界旅行に誘う「世界ことわざ比較辞典」 文:北林のぶお、写真:北原千恵美 人生の教訓になったり、ちょっとした笑いを提供したり、ことわざはさまざまな形で私たちの生活に根づいています。 古くは4000年以上前のものが残されており、文字のない地域にも伝わっているそうです。 私たちがよく使うことわざと同じ意味の表現が、文化も価値観も異なる海外でも使われていることを知れば、世界の人々への親しみも増すのではないでしょうか。 世界25の地域・言語から集めた6500以上のことわざを、現代日本の日常的なことわざを通して紹介しているのが、『世界ことわざ比較辞典』(日本ことわざ文化学会編、岩波書店)。 この画期的な試みについて、ことわざ研究の第一人者で監修者の一人、時田昌瑞さんに話を聞きました。 早稲田大学文学部卒。 日本ことわざ文化学会副会長。 ことわざやいろはカルタの研究を約40年にわたって続け、『岩波ことわざ辞典』 (岩波書店)、『図説ことわざ事典』(東京書籍)、『ちびまる子ちゃんの続ことわざ教室』(集英社)、『辞書から消えたことわざ』(角川ソフィア文庫)、『絵で楽しむ江戸のことわざ』(同)など著書多数。 ことわざに関する書籍・絵画・焼き物・カルタなど約3500点の収集物は「時田昌瑞ことわざコレクション」として明治大学図書館・博物館に収蔵されている。 外国語のことわざを私たちが知りたいと思ったときに、どうやってアプローチしたらいいのか、適した方法はなかなかありませんでした。 この辞典は、日本人がふだん意識しているであろうことわざを通して、それが世界ではどういう表現になっているだろうという視点で編集されました。 これまでにも英語圏を中心に、世界のことわざに関する辞典はありました。 ただ、その多くは、言語別に羅列しているか、あるいは主題別の配列か、どちらかなんですよね。 調べる際には使えるんですけど、あることわざが世界ではどうなっているのかと比較するのは難しい。 日本のことわざを見出しにして、世界のことわざを探すという発想が、この辞典の大きな特徴だと思います。 20年前に単著で『岩波ことわざ辞典』を出しているんですけど、執筆期間だけでいうと1年弱でした。 それに対して今回は、私自身の書いた分量は減りましたが、延べ30人以上が関わっていますし、ここまで10年かかりました。 率直に言っても、10倍は大変だったかな(笑)。 また、当時は「日本ことわざ文化学会」が発足したばかりで、会員の共同作業で成果を出すような活動が必要だと感じ、プロジェクトを立ち上げました。 紆余曲折があって第2部と第3部はひとまず中断し、第1部だけでの完成をめざすことになりました。 大変だったのは、どういう方にどういう言語で参加していただくか、そのリサーチや調整も含めてですね。 執筆をお願いした人の中には、海外におられて実際にお会いしたことのない方もいますし、この10年の間に亡くなられた方や病気で離脱された方もいます。 翻訳に関しては、元の言語の雰囲気をしっかり残しつつ、日本語でも理解できるように表現をそろえていく、そのさじ加減が難しかったです。 アフリカのウガンダ周辺で使われている「チガ語」は、文字のない社会の言葉で、このような形で辞典に登場するのは世界で初めてです。 梶茂樹さん(京都大名誉教授)には、この辞典のためにわざわざ現地で調査していただきました。 当初はアフリカの言語はスワヒリ語しかなく、本のタイトルに「世界」と付けるのはおこがましい気がしていたのですが、ある程度は地域をカバーすることができたと思います。 「古典ギリシア語」が加わったことも大変意義深いものでした。 しっかりと文献に裏づけられ、非常にレベルも高いことわざをどんどん集めていただくことができました。 ラテン語は元から入っていましたが、それよりも古い、いわば西洋のことわざ文化の源流ともいえる古典ギリシア語を載せることによって、歴史をさかのぼれることができるようになりました。 日本ではこのような辞典はなく、世界でも類を見ないと思います。 執筆者や関係者の皆さんに感謝しています。 とくに気に入っているのが表紙のイラスト。 金井真紀さんの絵はことわざの素晴らしい紹介になっており、抜群だと思います。 ことわざへの個人的な興味は元からあったのですけど、いざ調べ始めてみたら、これがもう面白い。 どんどん発見があって、完全にはまりこんだんですよね。 資料は文献だけでなく、いろはカルタや絵画、玩具などさまざまなものがあります。 それらを収集するために、骨とう市に出かけたりしました。 あまりにもいろいろ集めすぎて、一時は家の中が資料であふれかえり、10年ほど前に明治大学へまとめて寄贈しました。 でも、スペースに余裕ができたら再び飽和状態になり、元の木阿弥です(笑)。 街に出てウォッチングをしてみても、いろんなところにことわざが使われているのがわかります。 広告などの表現はもちろん、神社仏閣などの建物にことわざの表現が彫刻されていたり、着物に柄として織り込まれていたり。 研究対象は無限にあると言ってもいいぐらいです。 地球上の言語の数は諸説ありますが、少なくとも3、4000語はあるはずで、そのほとんどにことわざが含まれています。 たとえばドイツには24万語を収録したことわざ辞典が発行されており、各言語にそれぞれ千単位の数のことわざがあるのではないかと思います。 それに歴史も考えると、気が遠くなるような数になります。 日本の古いものでは『古事記』にことわざが残されていますが、世界となると、メソポタミアのシュメール人がくさび型文字でことわざを記しているぐらいですから。 とても一人では手に負えません。 これらのことわざは、どういう方法で集められたのですか? 自分で資料を読んで、使われていることわざを拾い出し、リスト化していく作業をずっとやっています。 『古事記』から江戸時代までが約6万例、明治から第二次世界大戦期までが約2万例に及びます。 ふだんから新聞を読みながらテレビの音声を聞くのが習慣づいていて、ドラマなどでことわざが出てきたらパッとメモできるようになりました。 生活のいろんなところに関係していますから、ことわざから状況を見ることができるようになります。 また、ことわざを通して、物事の本質を捉えることができる、ということもあると思います。 結婚式の定番のあいさつだったり、いろんな場面で使えるとは思うのですが……。 まず何よりも、ことわざが好きになってほしい。 私としては、それで十分だと言ってもいいぐらいです。 かつて、私の一番下の娘が幼稚園児だった頃、大切にしていたポシェットがないと騒ぎ始めたんです。 でもすぐに、自分の首に掛けていたことに気づいて「灯台もと暗ししちゃった」って言うんですよ。 私が資料として集めていたことわざ絵本をたまたま読んでいたらしくて、しかもことわざを「しちゃった」と動詞のように使うので、びっくりしました。 彼女は、そのことわざを自然に気に入って、自分の言葉にできたのかもしれません。 だから私たち大人も、あることわざを「いいね」と自分が思ったら、いつか何らかの形で使うことができると思います。 あまり難しく考えず、楽しくことわざを使っていただければ良いのではないでしょうか。 どなたにでも楽しく読んでいただける内容です。 小学生でも、今回の見出し語のことわざの7、8割は理解できるのではないかと思います。 それを入り口に「世界ではどうなんだろうか」と辞書を引いて、紙の上での世界の旅に出ることができる、と考えています。 「こんなことわざがここにあったんだ」という新しい発見を、自分のものにしていただければうれしいですね。

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