二階 なんj。 ワイ『国立国会図書館か・・・カタい本ばっかりやろなぁ』「ドスケベ本も貯蔵されてるの草」「本好きには最高のレジャー施設やぞ?」2chなんJ国立国会図書館まとめ

なぜ“二階” その存在感の理由

二階 なんj

いま、永田町を舞台にした、あらゆる政治劇の陰に見え隠れする人物がいる。 二階俊博、79歳。 巨大与党の運営を一手に取り仕切る、幹事長。 しかし、その力の源泉は、立場だけではない。 歴代の自民党幹事長の中でも異色を放つのが「外交」なのだ。 就任以来、2年足らずで11回。 二階流外交とは何なのか、それを目の当たりにした人物、そして本人を直撃した。 (自民党幹事長番 田尻大湖) 圧倒的な「数」 200、1400、そして3000。 何の数字か、お分かりだろうか。 旅費?土産の数?…いやいや、これは過去に二階氏が率いた訪問団の人数だ。 先月は中国・大連を訪問。 交流会が開かれた大広間は、900人で埋め尽くされた。 過去には、なんと5200人を引き連れて中国を訪問したこともある。 なぜ、それが可能なのか。 まずは各界に呼びかけ、自己負担でツアー参加を募るのだ。 運輸大臣や経済産業大臣を務め、旅行業者の団体トップも20年以上にわたって務めてきただけに、ひとたび声をかけると、観光・運輸業界をはじめ財界や各地の自治体に広がるネットワークが稼働する。 二階氏いわく、これぞ「民間大使」。 定期路線の飛行機ではまかなえず、時にはチャーター便を仕立てることもある。 日中関係を変えた3000人 私は、二階氏の外国訪問にたびたび同行取材してきた。 その中でも記憶に残っているのは、2015年5月の中国訪問だ。 当時、尖閣諸島の国有化などの影響でさまざまな交流が途絶え、日中関係が凍てつく中、二階氏はあえて3000人を連れて北京の人民大会堂で開かれた交流会に参加した。 習近平国家主席はスピーチで、両国の友好協力を進める姿勢を表明し、その後の関係改善の流れが作られることになった。 二階氏の側近で、同行した林幹雄幹事長代理は、この「3000人訪中」が習主席の心をつかんだと分析する。 「やっぱり、インパクトがすごかったと思う。 相手に対するインパクトがね。 3000人とはさすがに習主席も『口だけじゃなくて、ほんとに、やるねえ』と感じたはずだ」 二階氏にも、直接聞いてみた。 「あの時は、中国の領袖(りょうしゅう)にも、日本の政治指導者にとっても、何かきっかけが必要だった。 そういう意味では1つのエポックになっただろうと。 ああいうことを思い切ってやるっちゅうのは、重要なことなんです」 そもそも大規模訪問団には、どんな意味合いがあるのか。 「政府の外交が重要なことは元よりですが、もう一面、国民どうしの交流を展開していかなきゃいけない。 テンポ早く、お互いの国の人たちが仲良くしていくためには、やっぱり人々との交流を、ある程度の量をもって進めることが必要ではないか。 『この指集まれ、一緒にやりましょう』とね」 中国側から見ると… 2010年から駐日大使を務める中国の程永華氏。 二階氏とも親交が深く、両国の関係改善に努力してきた。 「前年の2014年11月に両国首脳が会談し、お互いに『関係改善を』とは言いましたが、何か盛り上がらない、ちょっと沈んだ雰囲気の中でした。 政治家個人でなく、民衆に広く裾野を広げた交流は、中国でも広く伝えられ、よりインパクトが大きい。 今年4月のロシア訪問。 モスクワ郊外にある首相公邸で、メドベージェフ首相と会談した。 双方、硬い雰囲気のまま、やり取りが続いていたその時、突然、二階氏が切り出した。 「ところで、閣下はマグロをご存じか」 マグロ?!ーー。 二階氏の唐突な発言に、同席者たちはあぜんとした。 その場にいた側近、林氏が語る。 「打ち合わせも全然無しに、いきなり始まるんだから、最初は『え?』って感じだったよね。 けど、首相は『マグロはよく知っています。 すしは大好きです』と。 そしたら幹事長が『では、きょうマグロをお届けしましょう』って言い出したわけですよ」 実は訪問団に、すしチェーン店の一行11人が参加していた。 二階氏は、一行がモスクワでのイベントで披露する解体ショーのために持ち込んでいた238キロの「本マグロ」に目を付けたのだ。 首相の反応を見た二階氏は、即座に一行に依頼。 その日のうちに、メドベージェフ首相のもとに「にぎり寿司」と「切り身」を届けた。 会談で林氏は、とっさに首相に畳みかけた。 「本物のマグロは、日本にあります。 首相、ぜひ食べに来てください。 歓迎しますから」と。 すぐさま二階氏が、自民党として首相の日本訪問を要請。 メドベージェフ首相は、笑顔で身を乗り出しながら「真剣に検討します」と応じたという。 「すっかり、マグロ談義で雰囲気はくだけてね。 最後は和気あいあいで、肩を組まんばかり。 印象は抜群だと思う。 最初は硬い感じでも、ゴロッと崩す。 去年12月の中国訪問。 首都・北京を飛び越して、まず福建省に入った。 福建省は、習主席が長らく要職を務め、みずから唱える巨大経済圏構想「一帯一路」の拠点にも位置づけられている。 まず、そこで「一帯一路」に協力を進める提言を発表した上で北京に入り、習主席と会談したのだ。 去年6月の韓国訪問でも、まず入ったのは、南西部のチョルラ南道。 誕生したばかりのムン・ジェイン(文在寅)政権にとって重要な存在であるキム・デジュン(金大中)元大統領ゆかりの地だ。 就任したばかりの知日派、イ・ナギョン(李洛淵)首相が知事を務めた場所でもある。 そこからソウルへ。 ムン大統領と会談し、首脳間のシャトル外交の推進を確認した。 林氏が解説する。 「『ああ、そういう気配りまでしてくれるのか、そういう配慮までしてくれるのか』と、相手も思うはずだよね。 1人が、1972年に日中国交正常化を成し遂げた田中角栄・元総理大臣。 田中派の議員として国会活動をスタートした二階氏にとって、外交の舞台で相手の心をとらえて離さなかったその姿が、みずからの念頭にあると話す。 「田中先生の基本は、常に相手の立場に立って物を考えようという、きわめて単純な、どこにでもある考え方。 しかし、どこの国が相手でも、この国を、この人をつかまえようと狙った場合は、外さないんだ。 そういう粘り、執念、スピード。 刮目(かつもく)すべきところがあった。 そのまた弟子の弟子として、それを見習って実行しようとね」 中国の程永華大使もまた、田中元総理の外交姿勢と共通するものを見るという。 「『信は万事のもと』。 国交正常化のときに、周恩来総理と田中総理の間で交わされた言葉です。 最後はお互いに『信』を大事にしようと。 日中関係がいろいろとあっても一貫して交流を続けるという、二階幹事長にはそのぶれない一線がありますね」 外交は「自分でやれ」 もう1人の先達。 それは、金丸信・元自民党副総裁だ。 金丸元副総裁のある「流儀」を胸に刻んでいるのだと言う。 「政府の援助を受けて国の立場でいくら行っても、それじゃあ制約を受けるでしょ。 小さい動きでもいい。 自分でやれと。 そうしないと、良好な友好関係ってのは築くのは難しいとね。 金丸さんの言われる流儀は大事なことで、今でも箴言(しんげん)だと思うんです」 行き着くところは、愚直 相手に向き合い、言葉に耳を傾け、無二の関係を築いていく、その愚直さ。 実は特殊なテクニックもなければ、定石もなく、ひたむきな対話の積み重ねにこそ源泉はある。 「どんな人間関係でも1回や2回会っただけでは、自信を持って『あの男なら大丈夫だ』と言い切れない。 人の値打ちっちゅうのは、どこの国に生まれようが変わりないんだから。 積み重ねの上に、おのずから道は開けてくる。 一番大事なところは精進だと思うね。 若い人、今の人にも、みんな通ずることですよ」.

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二階俊博とは (ニカイトシヒロとは) [単語記事]

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いま、永田町を舞台にした、あらゆる政治劇の陰に見え隠れする人物がいる。 二階俊博、79歳。 巨大与党の運営を一手に取り仕切る、幹事長。 しかし、その力の源泉は、立場だけではない。 歴代の自民党幹事長の中でも異色を放つのが「外交」なのだ。 就任以来、2年足らずで11回。 二階流外交とは何なのか、それを目の当たりにした人物、そして本人を直撃した。 (自民党幹事長番 田尻大湖) 圧倒的な「数」 200、1400、そして3000。 何の数字か、お分かりだろうか。 旅費?土産の数?…いやいや、これは過去に二階氏が率いた訪問団の人数だ。 先月は中国・大連を訪問。 交流会が開かれた大広間は、900人で埋め尽くされた。 過去には、なんと5200人を引き連れて中国を訪問したこともある。 なぜ、それが可能なのか。 まずは各界に呼びかけ、自己負担でツアー参加を募るのだ。 運輸大臣や経済産業大臣を務め、旅行業者の団体トップも20年以上にわたって務めてきただけに、ひとたび声をかけると、観光・運輸業界をはじめ財界や各地の自治体に広がるネットワークが稼働する。 二階氏いわく、これぞ「民間大使」。 定期路線の飛行機ではまかなえず、時にはチャーター便を仕立てることもある。 日中関係を変えた3000人 私は、二階氏の外国訪問にたびたび同行取材してきた。 その中でも記憶に残っているのは、2015年5月の中国訪問だ。 当時、尖閣諸島の国有化などの影響でさまざまな交流が途絶え、日中関係が凍てつく中、二階氏はあえて3000人を連れて北京の人民大会堂で開かれた交流会に参加した。 習近平国家主席はスピーチで、両国の友好協力を進める姿勢を表明し、その後の関係改善の流れが作られることになった。 二階氏の側近で、同行した林幹雄幹事長代理は、この「3000人訪中」が習主席の心をつかんだと分析する。 「やっぱり、インパクトがすごかったと思う。 相手に対するインパクトがね。 3000人とはさすがに習主席も『口だけじゃなくて、ほんとに、やるねえ』と感じたはずだ」 二階氏にも、直接聞いてみた。 「あの時は、中国の領袖(りょうしゅう)にも、日本の政治指導者にとっても、何かきっかけが必要だった。 そういう意味では1つのエポックになっただろうと。 ああいうことを思い切ってやるっちゅうのは、重要なことなんです」 そもそも大規模訪問団には、どんな意味合いがあるのか。 「政府の外交が重要なことは元よりですが、もう一面、国民どうしの交流を展開していかなきゃいけない。 テンポ早く、お互いの国の人たちが仲良くしていくためには、やっぱり人々との交流を、ある程度の量をもって進めることが必要ではないか。 『この指集まれ、一緒にやりましょう』とね」 中国側から見ると… 2010年から駐日大使を務める中国の程永華氏。 二階氏とも親交が深く、両国の関係改善に努力してきた。 「前年の2014年11月に両国首脳が会談し、お互いに『関係改善を』とは言いましたが、何か盛り上がらない、ちょっと沈んだ雰囲気の中でした。 政治家個人でなく、民衆に広く裾野を広げた交流は、中国でも広く伝えられ、よりインパクトが大きい。 今年4月のロシア訪問。 モスクワ郊外にある首相公邸で、メドベージェフ首相と会談した。 双方、硬い雰囲気のまま、やり取りが続いていたその時、突然、二階氏が切り出した。 「ところで、閣下はマグロをご存じか」 マグロ?!ーー。 二階氏の唐突な発言に、同席者たちはあぜんとした。 その場にいた側近、林氏が語る。 「打ち合わせも全然無しに、いきなり始まるんだから、最初は『え?』って感じだったよね。 けど、首相は『マグロはよく知っています。 すしは大好きです』と。 そしたら幹事長が『では、きょうマグロをお届けしましょう』って言い出したわけですよ」 実は訪問団に、すしチェーン店の一行11人が参加していた。 二階氏は、一行がモスクワでのイベントで披露する解体ショーのために持ち込んでいた238キロの「本マグロ」に目を付けたのだ。 首相の反応を見た二階氏は、即座に一行に依頼。 その日のうちに、メドベージェフ首相のもとに「にぎり寿司」と「切り身」を届けた。 会談で林氏は、とっさに首相に畳みかけた。 「本物のマグロは、日本にあります。 首相、ぜひ食べに来てください。 歓迎しますから」と。 すぐさま二階氏が、自民党として首相の日本訪問を要請。 メドベージェフ首相は、笑顔で身を乗り出しながら「真剣に検討します」と応じたという。 「すっかり、マグロ談義で雰囲気はくだけてね。 最後は和気あいあいで、肩を組まんばかり。 印象は抜群だと思う。 最初は硬い感じでも、ゴロッと崩す。 去年12月の中国訪問。 首都・北京を飛び越して、まず福建省に入った。 福建省は、習主席が長らく要職を務め、みずから唱える巨大経済圏構想「一帯一路」の拠点にも位置づけられている。 まず、そこで「一帯一路」に協力を進める提言を発表した上で北京に入り、習主席と会談したのだ。 去年6月の韓国訪問でも、まず入ったのは、南西部のチョルラ南道。 誕生したばかりのムン・ジェイン(文在寅)政権にとって重要な存在であるキム・デジュン(金大中)元大統領ゆかりの地だ。 就任したばかりの知日派、イ・ナギョン(李洛淵)首相が知事を務めた場所でもある。 そこからソウルへ。 ムン大統領と会談し、首脳間のシャトル外交の推進を確認した。 林氏が解説する。 「『ああ、そういう気配りまでしてくれるのか、そういう配慮までしてくれるのか』と、相手も思うはずだよね。 1人が、1972年に日中国交正常化を成し遂げた田中角栄・元総理大臣。 田中派の議員として国会活動をスタートした二階氏にとって、外交の舞台で相手の心をとらえて離さなかったその姿が、みずからの念頭にあると話す。 「田中先生の基本は、常に相手の立場に立って物を考えようという、きわめて単純な、どこにでもある考え方。 しかし、どこの国が相手でも、この国を、この人をつかまえようと狙った場合は、外さないんだ。 そういう粘り、執念、スピード。 刮目(かつもく)すべきところがあった。 そのまた弟子の弟子として、それを見習って実行しようとね」 中国の程永華大使もまた、田中元総理の外交姿勢と共通するものを見るという。 「『信は万事のもと』。 国交正常化のときに、周恩来総理と田中総理の間で交わされた言葉です。 最後はお互いに『信』を大事にしようと。 日中関係がいろいろとあっても一貫して交流を続けるという、二階幹事長にはそのぶれない一線がありますね」 外交は「自分でやれ」 もう1人の先達。 それは、金丸信・元自民党副総裁だ。 金丸元副総裁のある「流儀」を胸に刻んでいるのだと言う。 「政府の援助を受けて国の立場でいくら行っても、それじゃあ制約を受けるでしょ。 小さい動きでもいい。 自分でやれと。 そうしないと、良好な友好関係ってのは築くのは難しいとね。 金丸さんの言われる流儀は大事なことで、今でも箴言(しんげん)だと思うんです」 行き着くところは、愚直 相手に向き合い、言葉に耳を傾け、無二の関係を築いていく、その愚直さ。 実は特殊なテクニックもなければ、定石もなく、ひたむきな対話の積み重ねにこそ源泉はある。 「どんな人間関係でも1回や2回会っただけでは、自信を持って『あの男なら大丈夫だ』と言い切れない。 人の値打ちっちゅうのは、どこの国に生まれようが変わりないんだから。 積み重ねの上に、おのずから道は開けてくる。 一番大事なところは精進だと思うね。 若い人、今の人にも、みんな通ずることですよ」.

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【2ch速報】毎日 二階幹事長、小泉元首相、山崎拓元副総裁らが会食

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二階王国に落日が訪れようとしている。 稲田朋美・自民党政調会長、小泉進次郎衆院議員らの応援など国政選挙並みの体制で臨んだ和歌山県御坊市長選挙で、二階俊博総務会長の長男、俊樹氏(51)が大差で敗れる波乱があったのだ。 俊樹氏の支援者が昨年12月末、地元の有力者5人が現職の柏木征夫市長(75)に「次の選挙には出ないでほしい」と直言。 だが、市長は首を縦に振らなかった。 「俊樹君は二階先生の政策秘書ではあるが、すぐにブチ切れる性格で非常に評判が悪い。 食事に行き、ちょっと不手際があっただけで『二階なんやわかっとるんか』と怒鳴り散らす。 柏木市長はもともと二階先生が御坊市に呼んだ。 恩人だが『俊樹君ではアカン、保守分裂やむなし』と戦う覚悟を決めた」(市長後援者) だが、そんな俊樹氏の親の七光りのような戦いぶりが地元で反発を買った。 「態度を決めかねる業者が恫喝まがいのプレッシャーをかけられたという訴えがいくつもあり、こちらに風が吹いた」(柏木市長) 御坊市で入った亀裂は市長選だけにはとどまらない。 俊樹氏を支援した地元の議員はこう言う。 「二階さんが俊樹氏を市長にし、三男を自身の後継として衆院にと狙っていた話は地元では有名。 今回の大敗で計算が狂った」 そして以前から地元でささやかれていた話が再燃している。 内閣官房副長官の世耕弘成氏の参院から衆院への鞍替えだ。 二階氏の衆院和歌山3区は、世耕氏の祖父、元経済企画庁長官の世耕弘一氏、伯父の元自治大臣の世耕政隆氏の支援者も多くいる土地柄だ。 「うちの陣営には世耕氏の後援会の幹部もいる。 もう二階王国は終わりを告げようとしているんじゃないのか」.

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