エル・サムライ。 宙組公演 『El Japón(エル ハポン) -イスパニアのサムライ-』『アクアヴィーテ(aquavitae)!!』

エル・サムライが6年ぶりに登場!トークショーを開催

エル・サムライ

新日本プロレスで残したカシン伝説 ケンドー・カシンの正体は石澤常光。 学生時代には「レスリング全日本学生選手権」を3連覇、 「全日本レスリング選手権」でも優勝をしたこともあり、 誰もが認める実力者として、92年に新日本プロレスに入団をしました。 デビュー後もその実力を遺憾なく発揮し、 96年のヤングライオン杯では同期の永田裕志を下し優勝。 「ケンドー・カシン」の由来は、 漢字好きのヨーロッパのプロモーターが「剣道(ケンドー)」と「家臣(カシン)」を組み合わせて名付けたと言われています。 ちなみに芸人のケンドーコバヤシは「ケンドーカシン」から由来しているとか。 99年には、ドクトル・ワグナー・ジュニアとジュニアタッグ王者になり、 同年のベスト・オブ・ザ・スーパージュニアでは優勝、 さらには、金本浩二を破りIWGPジュニアヘビー級チャンピオンに君臨しています。 この頃から、カシンは徐々に暴れ回るようになりました。 IWGPジュニアを初防衛した時は、記者の「おめでとうございます」という言葉に対し 「うん、余計なお世話だ」と素っ気ない態度をとったり、 犬猿の仲であった中西学とタッグ結成した時も「結婚おめでとう!俺からのご祝儀だ」 と早々仲間割れを起こしたり等、様々なエピソードを残しています。 これら理解不能な言動は、ファンの間では語り草になっているのです。 そんなケンドー・カシンの試合で忘れられない試合と言えばこの一戦ではないでしょうか。 IWGPジュニアヘビー級選手権試合「ケンドー・カシン VS 成瀬昌由」。 当時は総合格闘技プームでプロレスは押されていました。 そんな総合格闘技団体リングスからやってきた成瀬昌由を プロレスの強さと維新をかけて迎え撃ったのがケンドー・カシンでした。 試合時間26秒という秒殺劇で幕を閉じたのでした。 但し、驚くべきは秒殺で成瀬を仕留めたことだけではないのです。 なんと、カシンは素顔の石澤常光として戦ったのです。 以下が、カシンが素顔で登場した「成瀬 VS カシン」です。 全日本プロレス移籍以降 そんな伝説を新日本プロレスに残したケンドー・カシンは 2002年に武藤敬司や小島聡と共に全日本プロレスへ移籍。 「過去を反省して生まれ変わります」と決意を誓っての移籍だったのです。 しかし、新日本プロレス時代と変わらぬ、いや、それ以上の自由奔放のファイトを全日本プロレスでも展開していきます。 既に引退をしていた北斗晶とのシングルマッチを実現させたり、 全日本プロレスと原因不明のいざこざを起こしたりの相変わらずぶりでした。 そして、暴れっぷりに愛想尽かれたのか 移籍してたった2年で全日本プロレスを解雇されてしまったのです。 その後は、2005年から再び新日本プロレスのリングに上がります。 アマレス歴のある、藤田和之、永田裕志、中西学と共に「TEAM JAPAN」というユニットで暴れまわります。 【動画:新日本隊 vs TEAM JAPAN】 同年のG1では川田和明に勝利する等、 87kgというジュニアヘビー級の体型ながらもヘビー級と同等に渡り歩く実力を遺憾なく発揮します。 そして2011年の東日本大震災以降、しばらく音信不通となります。 この時の心境を東スポの取材でこのように語っています。 「東北の善良な人々が多数亡くなってしまった、悲しい……。 これは東北のみならず日本の危機、残りの人生は東北の再建にささげたい」 珍しく神妙な語り口だったのです。 この記事を見た永田裕志は、 「カシンのためにもニュージャパンに優勝する」と自身のブログで宣言。 永田の宣言に対しカシンは 「それにしても許せないのは人の名を出して紙面に出ようとする永田裕志だ、 まかり間違ってニュージャパン・カップに優勝したら賞金全額を被災地に寄付しろ」 と、相変わらずいつもの如くカシン節を炸裂したのでした。 2013年にはIGF道場の指導委託者に就任。 2014年には全日本プロレスの「チャンピオン・カーニバルに出場」 2016年にはなんと慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの講師に就任し、 「プロレスエクササイズ」と題した講義を週1回担当しています。 現在カシンは… そんな、カシンも現在49歳。 2017年からは大日本プロレスの参戦したり、 大仁田興行に特別レフェリーとして参加したりしています。 長丁場の5時間(ダークマッチ含めると6時間)たっぷり楽しみました。 とにかくおもちゃ箱みたいにどれもこれも面白かったな。 大社長vs男色先生のウェポンランブルで、まさかカシンvs百田家をねじ込んでくるとはね…w — suke-suke suke7227 様々な団体を自由奔放に渡り歩っています。 但し、以前と変わったのはリング外でも活躍が見れるようになったことです。 2015年には、NHK連続ドラマ小説「マッサン」に国際結婚をした夫婦として 素顔の石澤常光で出演をしています。 また、直近では「フツーのプロレスラーだった僕がKOで大学非常勤講師になるまで」という 自伝本を出して、昔の暴露話等が書いてあり話題になっています。 「フツーのプロレスラーではなかっただろ!」とツッコミを入れたくなるタイトルですね(笑) まとめ 生きていると、やりたくないことをやらなければいけなかったり、 自分の気持ちを押し殺したりしなければならない場面があるかもしれません。 そして、ケンドー・カシンがプロレス人生で伝えたいメッセージこそ 「自分らしさを貫け!」なのかもしれません。 そんないつまでも変わらずケンドー・カシンがこれから何をしていくのか楽しみです。 【次回予告】 次回は、大谷晋二郎の現在に迫ります。

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宙組『エルハポン

エル・サムライ

来歴 [編集 ] デビューから1990年代 [編集 ] で部に所属。 、に出場するなど活躍し、卒業後の4月、に入門。 同期に(後に飯塚高史)がいる。 入門から約3ヶ月後、7月24日、戦でデビュー。 3月、へ初遠征。 エリアを中心に活動し、マスクマン エル・サムライとなる。 3月、凱旋帰国。 帰国当初はと試合を行うことが多く、ほぼ毎回のようにマスク剥ぎに遭う。 同年4月、第三回に初出場。 決勝まで駒を進めるも、に敗れ惜しくも準優勝という結果に終わる(なお、この時もマスクを剥がされている)。 リターン・マッチとなった6月、ライガーを下し第19代を奪取。 8月に(クリス・ベノイ、後のワイルド・ペガサス)、10月に、ライガーら強豪の挑戦を退け3度の防衛を果たすも11月に敗れ王座陥落。 5月、ウルティモ・ドラゴンにリベンジを果たす形で第23代獲得。 しかし、わずか4日後のリターン・マッチに敗れ王座陥落。 4月、第一回大会にノミネート。 一回戦でを下すも、に敗れ二回戦敗退。 12月、を下し第25代獲得。 同月にはスーパーJカップ2に出場するも一回戦でに敗れ姿を消す。 3月、に敗れUWA世界ジュニアライトヘビー級王座陥落。 同年6月、サスケを下し第28代獲得。 しかし、約二ヶ月後の8月に行われたリターン・マッチに敗れ王座陥落。 6月、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアIVに出場。 決勝で金本を下し、トップ・オブ・ザ・スーパージュニアの時代から数えて6回目の挑戦で悲願の初優勝を遂げる。 この試合で金本の雪崩式リバース・フランケンシュタイナーを受け切ったシーンは印象強く、さらに終盤はマスクを剥がされ完全に素顔が露呈している状態だったため、ファンの間で語り草になる決勝戦となった。 マスクを破られたため、試合後の記念撮影にはのマスクを被って応じている。 (余談ではあるが、試合を決めた雪崩式リバースDDTから垂直落下式リバースDDT(一度目は失敗)の一連の流れは用ソフトにて通常よりも大きなダメージを与えられるクリティカルコンビネーションとして設定されている)さらに、同年7月にはライガーを下し第4代を獲得。 IWGPジュニアヘビー・UWA世界ジュニアライトヘビー・WWF世界ライトヘビーの三王座は自身二度目の戴冠となるなど飛躍の契機を掴むも、わずか一ヶ月後の8月に敗れる形で一度も防衛することなく同王座から陥落。 90年代後半、新日本プロレスが社長体制の第二期ジュニア黄金期と呼ばれる時代になるとペガサス・(二代目)・マレンコらと激闘を繰り広げ、金本・大谷・らトンガリコーンズが台頭して来ると、ライガー・(保永引退後は)とタッグを組み若手の壁としてジュニア戦線を盛り上げた。 この時代はタッグマッチにおいてサムライが攻撃対象になることが多く、執拗にトンガリコーンズ(主に金本)から攻撃を受けたサムライが激昂し、試合度外視でリング外まで金本を追いかけ回して試合が成立しなくなる異例の事態が勃発している(当時、現場監督であったが、練習量の少ないサムライへの示しを含む制裁とハッパをかける意味で「納を怒らせてみな、おもしろいから」とけしかけたともされ、事態の収拾に長州の腹心、保永が事情を知ってか知らずか試合中に奔走している)。 自身初となるタッグ王座戴冠となった。 7月、を相手に防衛線に挑むも、サムライが邪道からクロスフェイス・オブ・JADOでギブアップ負けを喫し王座陥落。 邪道からCWアームロックでタップを奪い優勝し雪辱を果たす結果となった。 4月、マスクを脱ぎ「松田納復帰戦」としてと素顔で対戦するも西村に敗北。 試合後のインタビューでは「やっぱりねやってて恥ずかしいですね。 今ひとつピンと来ないですね。 自分としては、もうそんなやるつもりはないですけどね。 」と発言している。 その後エル・サムライに戻している。 くしくも同じ月、またしてもクロスフェイス・オブ・JADOの前に敗れ去るという結果に終わった。 9月、膝のケガによる長期欠場を発表。 これまでケガによる欠場はなく、エル・サムライ=ケガをしない選手という評判だったため珍しい事例を残す。 新日本プロレス退団以降 [編集 ] 欠場中であった翌2月、新日本プロレスを退団。 フリーへ転向する。 同月、に登場し、、から襲撃を受けていたを救済。 3月にはカズをパートナーにに出場。 惜しくも準優勝という結果に終わった。 同年6月10日、「武藤祭」へ素顔の松田納として登場。 、西村とのユニット「オサム軍団」を結成し、NOSAWA、MAZADA、のと対戦。 自らNOSAWAを下すとマスクを被り、土方の持つへの挑戦を表明した。 さらに、 同年6月、リアルジャパンプロレスに登場。 と対戦し、これを下すと勢いに乗り表明通り土方へ挑戦するも惜しくも敗れ王座戴冠には至らなかった。 試合後、が乱入し正規軍ともども混戦する中、の開催が決定し7月、同大会三回目にして初参戦。 2勝2敗・勝ち点4という結果に終わった。 同年8月、新日本プロレスの興行である「」の第3回大会に登場。 欠場中から数えて約1年1ヶ月ぶりに新日本関連のリングに姿を表す。 さらに10月の第4回、12月の第5回にも連続出場。 4月、メビウスに参戦。 を下し第3代エル・メホール・デ・マスカラード王座を獲得。 9月にはに参戦し、の持つインディペンデントワールド世界ジュニア王座・VKF KING of WRESTLE NANIWAに挑戦するも敗れる。 1月、「俺達のゴールデンプロレスオールスター戦」(2010年1月7日放送)において、、に続く悲劇のマスクマン第3弾として紹介され、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア決勝における二度に渡るマスク剥ぎによる素顔公開、からIWGPジュニアタッグベルトを強奪するも当時、現場監督であった長州に怒られてあっさり返してしまうエピソードなどが紹介された。 同番組に出演していたは、上記の長州に怒られて消沈した所でCMに行ったシーンについて「哀愁の漂い方が中間管理職レベル」とコメント。 以降、では 哀愁のマスクマンと呼ばれるようになるに至った。 リング上では同年5月、金本をパートナーに第一回に出場し優勝。 同リーグ戦は第25代IWGPジュニアタッグ王者決定戦も兼ねており同時に戴冠。 7月、「流星仮面FIESTA」の「エル・サムライ25周年記念試合」にてNOSAWAを下し第2代X-LAWインターナショナル王座獲得。 同年12月、主催、「エル・サムライ、負けたらスポルティーバと契約」にて試合を行いクボタブラザーズに敗戦したため、同団体所属となる。 以降は名古屋地区を中心に活動も、前述の怪我の影響から試合出場は限定的となる。 得意技 [編集 ] 1990年代のジュニア勢に代表される日本式プロレスにのエッセンスを積極的に取り入れたファイトスタイル。 打、投、極に加えて飛び技、丸め込み技、ラフファイトまでこなす万能タイプ。 受け身の技術、タコと表現される柔軟な身体、妖怪と評されるスタミナを利したプロレス特有の受けの強さも屈指のものを持つオールマイティな幅広く懐の深いレスリングが持ち味である。 各種DDT [編集 ] 七色のDDTと形容される豊富なバリエーションを持つ。 比喩表現では無く実際に下記7種のDDTを使用している。 フォーム的にはジャンピング式に近い。 当初から繋ぎ技の扱いだが、使用し出したのは下記リバースDDTよりも早い。 サムライの代名詞とも言える技。 は「元祖はサムライ、本家は」と表現した。 初期型ではDDTのステップを踏みつつ跳躍して仕掛けていたが、徐々にそのまま後方に倒れ込む形に変化。 完成型では、自身が尻餅をつくように仕掛けている。 当初はフィニッシュ・ホールドとして用いられていたが、バックの取り合いからやブレーンバスター系の技を仕掛けてきた相手に半身を返して着地し仕掛けるなどチェンジ・オブ・ペースとしての使用が主となっている。 垂直落下式リバースDDT 自身が開発したリバースDDTのバリエーションの一つで、の一つ。 垂直落下式リバース・ブレーンバスターと見た目が酷似しており、かつては混同されることも多かった。 同時期に新日ジュニアで活躍したライガーが一時期セカンドロープから放つものをフィニッシュに用いたが、サムライが使用し出したのはその後である。 DDT トップロープから放つタイプで、使用されることは少なくフィニッシュに用いたこともない。 こちらもライガーがセカンドロープから放つものを一時期フィニッシュに用いたが、サムライは後発である。 雪崩式リバースDDT 自身が開発したリバースDDTのバリエーションの一つで、フィニッシュ・ホールドの一つ。 ビッグマッチや大一番でしか繰り出さず、仕掛けた直後にフォールに入るもののニアロープのため、ロープブレイクで逃げられることが多い。 スイングDDT 使用頻度は比較的高いが、途中で対戦相手に投げ飛ばされることもしばしばだった。 同じくDDT系統の技を得意とするが開発したバリエーションで、同時期に新日ジュニアで活躍したブラック・タイガー(2代目)の得意技でもあったが、サムライの場合はフィニッシュに用いることはなかった。 リバーススイングDDT スイングDDTに得意技を合わせて開発した、フィニッシュ・ホールドの一つ。 こちらも滅多に見せないが、雪崩式デスバレーボムを狙った高岩相手にトップロープ上から繰り出したこともある。 その他の得意技 [編集 ] (サムライ・ロック) かつては奥の手的な技であったが、新日在籍後期頃からフィニッシュ・ホールドとして多用するようになった。 サムライの場合、腕取りフォールからの連携で見せたり、ヘッドシザーズと併用して使用する事もある。 と同型。 晩年に使用し出した技で当初はキド・クラッチとして使用。 フィニッシュに用いられることも多くなっている。 の体勢から仕掛けるジャンピング・パワーボム。 サムライ・スペシャルの名称で呼ばれていたこともあり、投げ捨て式は サムライボム・ホイップと呼ばれる。 この技でまともにフォールすることはなく、大抵は投げ捨て式で片エビ固めかエビ固めでフォールすることがある。 最近では筋力の衰えもあり、持ち上げ切れずに崩れてしまう場合が多い。 から素早く連携して、この技に繋げる。 同時期に活躍した新日ジュニア勢の中では随一の使い手で、永らく愛用している。 同時期に活躍した新日ジュニア勢で大流行した技の一つ。 サムライは特に形が崩れることが頻繁で、正規の入り方ではない仕掛け方がよく見られた。 こちらも新日ジュニア時代に流行り技となった一つで、同時期に活躍した選手と同じく使用。 こちらもフォームが独特でいわく「 肩ピョン」(仕掛けるさい、走りこんで相手の肩に飛び乗るさまが特徴的なため)。 また、同人から「 高速ラナ」とも名付けられた(勢いよくしかけるも長身のせいか高速で頭をマットに打ち付ける仕草が見られたため)。 パワーボムで叩きつけられるなど切り返されることが非常に多い。 一試合に一度は繰り出す定番技で、系のダイビング攻撃を使用しないサムライは、ダウンしている相手へのリング内への飛び技はこれ一本である。 かわされることも非常に多く、一気に劣勢に陥ることも少なくない。 全盛期はその勢いの凄まじさから 大気圏突入トペの異名を取った。 タッグパートナーにロープへ振らせて、振り返し、さらに振り返させて勢いをつけるバリエーションも存在する。 トペ・コン・ヒーロ トップロープを掴んだまま回転して仕掛ける独特の形を見せるため、 サムライ・コンヒーロとも呼ばれた。 かつてはトペ・スイシーダと併用していたが、使用頻度は少ない。 かつてはタッグ戦においてパートナーとともにミサイルキックで対戦相手を挟み撃ちする光景もよく見られた。 ダイビング・ヘッドバット同様、かわされることも非常に多い。 左腕で浴びせ倒すように仕掛ける。 串刺し式も使用。 串刺し式〜スイングDDTの連携も見せる。 ジュニア選手の中では体格が大きいため、(受け方にもよるが)相手が一回転することもある。 フィニッシュへの布石、試合中盤の繋ぎ技、痛め技としてよく使用される。 リバースDDT同様、執拗に起き上がってくる選手に対して連続で使用する光景もたびたび見られる。 胴をクラッチして反転させ、軽く跳躍ないし両膝をつく様に仕掛ける新日ジュニア勢に多いフォームで使用。 新日ジュニア勢が飛び技を仕掛ける準備段階で使用するパターンが多く、サムライもダイビング・ヘッドバット前に使用することが多い。 肩車式 時折使用する技で、肩車で相手を担ぎ上げておいて尻餅はつかず自らも前のめりに倒れ込むフォーム。 メキシコでは比較的ポピュラーな型のフェイスバスターである。 サムライ前期時代に多用。 叩き付ける速度や角度など、クローズアップされることは少ないが隠れた名手である。 ジャンピング・エルボーや串刺し式も使用していたが、ラリアットに取って変わられたのかあまり目立った使い方はしなくなった。 顔面蹴り こちらもあまりクローズアップされることは少ないがかねてより使用している。 主にうつ伏せにダウンした相手の顔面をつま先で執拗に蹴り上げるもので、喧嘩試合のような場合に用いられる。 過去にサムライが得意としていた技。 垂直落下式も使用。 後に垂直落下式ともども、リバースDDTへと改良し使用しなくなった。 変形 サムライの場合、ロメロ・スペシャルの連携で使わず、最初からこないのカベルナリアを仕掛けチンロックやドラゴン・スリーパーの形で極めることが多い。 サムライ・クラッチII トケ・エスパルダスと同型。 変形のスモール・パッケージ・ホールド。 メキシコでは比較的ポピュラーな丸め込み技で、トケ・エスパルダスとは丸め込み技全体を指す言葉でもある。 各種回転エビ固め 高角度前方回転エビ固めや 後方回転エビ固めなど。 リバース・ブレーンバスター、リバースDDTを開発以前には、様々な体勢から一瞬の隙をついての丸め込みを得意としていた。 闘魂Vの解説で度々、田中ケロから「ウエイト(トレーニング)はせずに、走り込みや丸め込み(技)の練習ばかりしている」とネタにされている。 入場テーマ曲 [編集 ]• 初代 : THE UNFORGIVEN(Robert Tepper)• 2代目 : TERRIBLE GIFT 王座遍歴 [編集 ]• 第19、30代• 優勝(1997年)• G1 CLIMAX ジュニアヘビー級タッグリーグ戦優勝(2001年)(パートナーは)• 1st STAGE優勝(2010年)(パートナーは)• 第23代• ジュニアヘビーバトルトーナメント優勝• 第27、31代• 第3代(パートナーは獣神サンダー・ライガー) MOBIUS• 第3代EL Mejor de Mascarad王座• 第13代 その他• X-LAWインターナショナル王座 以下は初代として戴冠。 WWA世界ジュニアライトヘビー級王座• 英連邦ジュニアヘビー級王座 人物 [編集 ]• 怪我による欠場がほとんどなく、には第1回から退団前年の2007年まで全出場している。 1日に3試合を行ったこともある。 新日本プロレスで活動していたジュニア選手の中では長身のため「ジュニアの巨人」と表現されたり 、・の3人で「新世代闘魂トリオ」と売り出された時期もあった。 後にタレントとなる(1学年下)が近所に住んでいて、子供の頃はよく遊んでいたという。 ・好きでも有名である。 プロレス雑誌の企画では誕生日に蝋燭ではなくタバコが刺されたケーキを貰ったことがある(そのタバコを美味しそうに吸っている写真が掲載されていた)。 ファンで、専門誌『』を愛読している。 新日本の単発興行シリーズ「WRESTLE LAND」第1回では「江戸侍」というリングネームで試合を行った。 自他共に認める練習嫌いで、試合前もこれといった練習は行っていない。 特に器具やトレーニングマシンを用いた練習を嫌う。 体格やそれに応じたコスチュームにも見て取れる。 練習量の豊富さで知られる新日では異例であり、練習よりタバコを吸っている時間の方が長いというのが同僚レスラーの評であった。 特に練習量の少ない選手を重用しない方針で知られる長州力や獣神サンダー・ライガーが現場監督を担っていた時代に、(選手層の状況いかんや、扱いは良いとは言い難くとも)苦言を呈されながらも試合に起用され続けたのは異例中の異例といえる。 ただし走り込みやストレッチ、自重トレーニングは行っており、結果的に豊富なスタミナや怪我をしにくい柔軟な身体を手に入れている。 自身の役割や立ち位置の見定めの心得がある人物で、文句を言わない(言えない)性格が幸いしたのも熾烈を極めた当時の新日で生き残れた要因だろうとライガーは分析している。 脚注 [編集 ].

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5/5 エル・サムライ×元井美貴トークライブ

エル・サムライ

リング復帰なるか? 今、エル・サムライの動向に注目が集まっている。 先月、プロレス・格闘技専門チャンネルCS放送「サムライTV」に登場した際には「もう、体がついていけない」と、リング復活に消極的だったサムライ。 現在、所属している名古屋のスポルティーバエンターテインメントでも、実戦からは遠ざかっている。 とはいえ、かつて新日本プロレスのジュニア戦線を支えたテクニックは、いまだ語り草で、レジェンド・ブームの昨今、サムライのリング登場を待ち望む声は高まる一方だ。 4月19日に名古屋スポルティーバアリーナで開催されるトーク・イベントに出演するサムライ。 共演者に「必ず、復活させる」と意気込む、かつての「盟友」ケロちゃんこと田中秀和リングアナウンサーがエントリーしている。 となれば「爆弾発言」が飛び出すかも知れない。 元来、口数の少ないサムライだが、かつて、たった一人でマイクを握ったことがある。 連休中に開催された新日本プロレスの名古屋大会。 選手バスが大渋滞に巻き込まれ、高速道路上で身動きがとれなくなってしまった。 とても試合開始時刻に間に合いそうもない。 通常通り会場入りできたのは、愛知県在住のサムライと、実家のある岐阜で治療中だった棚橋弘至のみだった。 そこで二人が順番に尾崎仁彦リングアナウンサーとのトーク・ショーで選手の到着を待つことになった。 とはいえ、トークも得意とする棚橋はともかく、口下手で知られるサムライは大慌て。 「えっ、俺が? 無理っすよ。 何をしゃべるんですか。 何分ですか。 間が持ちませんよ」と、リングに上がる前から冷や汗タラタラ。 そのマスクからは、いつになく湯気が立ち上り、左右の飾りが小刻みに震えていた。 「大丈夫だから。 詰まったらすぐに棚橋が駆けつけるから」と、説得されて登場した。 いきなり「どうもすいません」と挨拶し、つかみはOKだったが、やはり後が続かない。 気の毒なほど、あせりまくる姿に「サムライコール」が爆発したものの、尾崎アナのフリにも、無言のサムライ。 次第に微妙な空気が流れ出した。 そこに「選手到着」の朗報が届き、同時に棚橋の当時の入場テーマ曲「HIGH ENERGY」が流れ出した。 一気に肩の荷が下りたサムライは、棚橋とバトンタッチすると、逃げるようにリングから去っていった。 「試合よりも緊張しましたよ」と、急いでマスクを脱いで汗をぬぐったサムライが、まずは大好きなタバコで一服した姿を、今でも鮮明に思い出す。 ヘビースモーカーとしても名を馳せる。 それなのに常人離れしたスタミナを誇り、仲間内では「妖怪」と呼ばれていたものだ。 あの「掴みどころがないのにスゴイ」と、称せられたサムライの「妖怪ファイト」が戻ってくるのか? 田中アナにあおられて、どんな発言が飛び出すか? サムライの言動から目が離せない。

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