なん しゅんこう こう。 江南春(こうなんしゅん)

海保、巡視船「れいめい」と「しゅんこう」就役披露式

なん しゅんこう こう

どうも、当サイトへのご訪問、心より感謝いたします!!! 都立蘆花恒春園 ろかこうしゅんえん について、ご紹介させていただきます。 都立蘆花恒春園は東京都、世田谷区、 敷地総面積約8万304m2の大公園です。 最寄の駅は、京王線の芦花公園、千歳烏山駅、八幡山駅、徒歩15分程 明治、大正期の文豪、徳富蘆花が40歳の時、移り住み、この地を「恒春園」と名付け、晴耕雨読の生活を送りました。 昭和11年、徳富蘆花夫人の愛子氏により、土地、家屋の一切が東京都に寄贈されました。 広大な敷地には、徳富蘆花夫妻の屋敷がそのままの状態で保存されております。 しかも、屋敷の中を見学することもできるのです。 大正から昭和初期の家屋を堪能できます。 中は徳富蘆花が執筆に使用した大机、などが保存されております。 目次 恒春園区域 9:00〜16:00 開園 入場料無料 徳富蘆花が生活していた屋敷、身に着けていた服、ゆかりのある品々が展示されている蘆花記念館、公園を管理するサービスセンターがあります。 -恒春園区域-入り口- 恒春園区域エリアの入り口付近に、石碑と案内板があります。 徳富蘆花の屋敷(母屋、秋水書院、梅花書屋) 徳富蘆花夫妻が20年、半農生活を送った屋敷が現存しております。 屋敷は 母屋と 秋水書院、 梅花書屋の3つに分かれております。 なんと、屋敷の中に入って、見学することができます。 家屋内は写真撮影は禁止です! 秋水書院・・・大逆事件(明治天皇の暗殺計画事件)を起こして死刑となった、幸徳秋水にちなんで名付けられました。 梅花書屋・・・この家屋内に掲げられている横軸(横にながい掛け軸)にちなんで名付けられました。 西郷隆盛の書道の師である、薩摩の書家、鮫島白鶴翁による書です。 屋敷前にあるお地蔵様・・・八王子の高尾山下の浅川、という地域にあった六地蔵様のうちの1つのお地蔵様です。 恒春園区域内の竹林 孟宗竹(もうそうちく)という、江戸時代に渡来した中国の竹です。 一日で1メートル伸びることもあるそうです。 徳富蘆花が植えたものです。 愛子夫人の居宅 徳富蘆花夫人の愛子氏から、昭和13年、土地、家屋の一切が東京市(当時)に寄贈され、公園として整備されました。 この時、市が愛子氏の住居として、提供された家屋です。 上記はその建物で、現在、集会場として、利用できます。 この家屋も戦前から建ってるわけであります。 徳富蘆花記念館があります 徳富蘆花夫妻とゆかりのある品々の展示、蘆花恒春園の案内ビデオ、等があります。 展示物 蘆花が熱海の旅先で描いたスケッチ画、着ていた服、 使用していた将棋板、駒、チェスの板、駒、カメラ、など。 蘆花が死の直前、兄の蘇峰と15年ぶりに再開した写真 蘆花と兄の蘇峰の若い時の写真 他にはレプリカですが、 石井鶴三が描いた、蘆花の死後2日午後の顔のスケッチ画 岡精一が描いた、蘆花恒春園の油絵 安重根の書画(朝鮮の政治運動化で伊藤博文を暗殺。 蘆花が旅先で手にいれたもの) 黒田清輝が蘆花のベストセラー不如帰 ほととぎす の口絵の原画として、主人公の浪子が海辺に腰掛ける場面の画 東京都台東区に黒田清輝画伯の作品などを展示している黒田記念館があります。 蘆花恒春園案内所 蘆花恒春園の案内所です。 募金箱とか、パンフレットとか、あります。 開放公園区域 通常の公園のように、いつでも入れます。 たくさんの樹木、駐車場、ドッグラン、があります。 自然・樹木 都内とは思えない自然の世界です。 たくさんの、様々な樹木が、きれいに整備されています。 春夏秋冬、樹木がいろんな色あいをたのしませてくれます。 ちなみに、すぐ横にあの環状8号線道路があります。 駐車場があります。 1時間400円です。 ドッグランがあります。 利用するには登録が必要です。 徳富蘆花とは 明治、大正期に活躍した小説家です。 代表作「不如帰(ホトトギス)」 徳富蘆花 とくとみろか 明治元年10月25日〜昭和2年9月18日 徳富蘆花-GENNKIMAN画- 徳富蘆花 とくとみろか 明治元年10月25日〜昭和2年9月18日 本名は徳富健次郎。 熊本県生まれの小説家です。 「蘆花」の号の由来は 「蘆の花は見所とてもなく、と清少納言は書きぬ。 然もその見所なきを余は却って愛するなり」 と自身が述べております。 「蘆」とは、いね科の多年生植物で、水際で背高く群生します。 茎がすだれの材料になったりします。 で、この、「蘆」は「葦、芦」ともかき、「あし、よし」とも読むのですが、この蘆の花はススキのような形をしていて、あまり、魅力的ではありません。 その点がおおいに気に入り、自身に「蘆花」、と命名したわけです。 兄の徳富蘇峰が創刊した国民新聞で蘆花は「不如帰 ほととぎす 」[明治31年 1898 から明治32年まで 1899 ]がベストセラーになり、小説家の地位を確立します。 「不如帰 ほととぎす 」は実際に存在した、大山巌元帥の娘、信子、その周囲の人達の境遇から記された書です。 新聞掲載時には、「ほととぎす」、と平仮名で記されていましたが、のちに、自身で、「ふじょき」、と表記しております。 その後もヒット作を世に出しますが、明治40年 1907 、東京府下千歳粕谷 現在の世田谷区 に転居し、そこで、20年、半農生活を過ごします。 曰く 「人は書物だけでは悪魔になる。 労働だけでは獣となる」 だとか。 蘆花は兄の蘇峰と政治思想の違いで、疎遠になります。 昭和2年 1927 、蘆花は心臓発作で倒れ、群馬県の伊香保温泉で療養し、兄、蘇峰と再会し、和解しますが、翌日死去します。 徳富蘆花夫妻のお墓は20年間半農生活を送った粕谷の地に埋葬されております。 夫妻が生活していた屋敷も、現存し、敷地は蘆花恒春園 ろかこうしゅんえん として公園になっております。 徳富蘆花とゆかりのある神社 八幡神社 八幡神社です[東京都世田谷区粕谷1-23-18] 蘆花恒春園のすぐ横にあります。 祭神は誉田別命(応神天皇) 五所神社も境内にあります。 (祭神 (厳島姫命・宇迦御魂命・日本武尊・淤母陀琉命・疽神)) 創立年月日は不明。 旧粕谷村、開村当時より鎮守として存在していたようです。 本殿が昭和34年3月30日に放火により全焼。 同年、12月には、氏子さんらの協力で再建されております。 わかれの杉 八幡神社に徳富蘆花が「わかれの杉」と名付けた、杉の木があります。 蘆花を訪ねて来た人をこの神社の杉の下で感慨深く見送ったのだそうです。 ここで、蘆花と別れた友人らは、なぜか死別したり、二度と会えない事が多かったのだとか。 蘆花の後も、地元の人たちが戦争など神社の祈願、別れなど、関わり深いものだったそうです。 わかれの杉は第二次世界大戦後に枯れ、幹を3メートルほど残して、切られました。 現在は上記のような状態です。 二股に分かれた、見事なイチョウの木です。 ご神木でしょうか。 蘆花恒春園の地図 感想 徳富蘆花夫人の愛子さんの意向で公園として寄贈してくれたおかげで、東京の都会に大きな自然の公園が残りました。 まったくもって、ありがたいことで、心から感謝し、未来にも残しておかなければならない大公園です。 徳富蘆花の代表作「不如帰(ホトトギス)」を読んでみたのですが、正直いいまして、読みづらかったです。 表記が明治時代の言い回しで、固有名詞なんかも、明治のもので、読むのに骨が折れました・・・。 明治期には大ヒットし、その後の発表作品もヒットし、粕谷の地に現在のように自然の公園が残りました。 ありがたく、大事に利用しなければいけませんね。 お読み頂き、ありがとうございます。 関連するサイト情報です.

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蘆花恒春園(ろかこうしゅんえん)

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どうも、当サイトへのご訪問、心より感謝いたします!!! 都立蘆花恒春園 ろかこうしゅんえん について、ご紹介させていただきます。 都立蘆花恒春園は東京都、世田谷区、 敷地総面積約8万304m2の大公園です。 最寄の駅は、京王線の芦花公園、千歳烏山駅、八幡山駅、徒歩15分程 明治、大正期の文豪、徳富蘆花が40歳の時、移り住み、この地を「恒春園」と名付け、晴耕雨読の生活を送りました。 昭和11年、徳富蘆花夫人の愛子氏により、土地、家屋の一切が東京都に寄贈されました。 広大な敷地には、徳富蘆花夫妻の屋敷がそのままの状態で保存されております。 しかも、屋敷の中を見学することもできるのです。 大正から昭和初期の家屋を堪能できます。 中は徳富蘆花が執筆に使用した大机、などが保存されております。 目次 恒春園区域 9:00〜16:00 開園 入場料無料 徳富蘆花が生活していた屋敷、身に着けていた服、ゆかりのある品々が展示されている蘆花記念館、公園を管理するサービスセンターがあります。 -恒春園区域-入り口- 恒春園区域エリアの入り口付近に、石碑と案内板があります。 徳富蘆花の屋敷(母屋、秋水書院、梅花書屋) 徳富蘆花夫妻が20年、半農生活を送った屋敷が現存しております。 屋敷は 母屋と 秋水書院、 梅花書屋の3つに分かれております。 なんと、屋敷の中に入って、見学することができます。 家屋内は写真撮影は禁止です! 秋水書院・・・大逆事件(明治天皇の暗殺計画事件)を起こして死刑となった、幸徳秋水にちなんで名付けられました。 梅花書屋・・・この家屋内に掲げられている横軸(横にながい掛け軸)にちなんで名付けられました。 西郷隆盛の書道の師である、薩摩の書家、鮫島白鶴翁による書です。 屋敷前にあるお地蔵様・・・八王子の高尾山下の浅川、という地域にあった六地蔵様のうちの1つのお地蔵様です。 恒春園区域内の竹林 孟宗竹(もうそうちく)という、江戸時代に渡来した中国の竹です。 一日で1メートル伸びることもあるそうです。 徳富蘆花が植えたものです。 愛子夫人の居宅 徳富蘆花夫人の愛子氏から、昭和13年、土地、家屋の一切が東京市(当時)に寄贈され、公園として整備されました。 この時、市が愛子氏の住居として、提供された家屋です。 上記はその建物で、現在、集会場として、利用できます。 この家屋も戦前から建ってるわけであります。 徳富蘆花記念館があります 徳富蘆花夫妻とゆかりのある品々の展示、蘆花恒春園の案内ビデオ、等があります。 展示物 蘆花が熱海の旅先で描いたスケッチ画、着ていた服、 使用していた将棋板、駒、チェスの板、駒、カメラ、など。 蘆花が死の直前、兄の蘇峰と15年ぶりに再開した写真 蘆花と兄の蘇峰の若い時の写真 他にはレプリカですが、 石井鶴三が描いた、蘆花の死後2日午後の顔のスケッチ画 岡精一が描いた、蘆花恒春園の油絵 安重根の書画(朝鮮の政治運動化で伊藤博文を暗殺。 蘆花が旅先で手にいれたもの) 黒田清輝が蘆花のベストセラー不如帰 ほととぎす の口絵の原画として、主人公の浪子が海辺に腰掛ける場面の画 東京都台東区に黒田清輝画伯の作品などを展示している黒田記念館があります。 蘆花恒春園案内所 蘆花恒春園の案内所です。 募金箱とか、パンフレットとか、あります。 開放公園区域 通常の公園のように、いつでも入れます。 たくさんの樹木、駐車場、ドッグラン、があります。 自然・樹木 都内とは思えない自然の世界です。 たくさんの、様々な樹木が、きれいに整備されています。 春夏秋冬、樹木がいろんな色あいをたのしませてくれます。 ちなみに、すぐ横にあの環状8号線道路があります。 駐車場があります。 1時間400円です。 ドッグランがあります。 利用するには登録が必要です。 徳富蘆花とは 明治、大正期に活躍した小説家です。 代表作「不如帰(ホトトギス)」 徳富蘆花 とくとみろか 明治元年10月25日〜昭和2年9月18日 徳富蘆花-GENNKIMAN画- 徳富蘆花 とくとみろか 明治元年10月25日〜昭和2年9月18日 本名は徳富健次郎。 熊本県生まれの小説家です。 「蘆花」の号の由来は 「蘆の花は見所とてもなく、と清少納言は書きぬ。 然もその見所なきを余は却って愛するなり」 と自身が述べております。 「蘆」とは、いね科の多年生植物で、水際で背高く群生します。 茎がすだれの材料になったりします。 で、この、「蘆」は「葦、芦」ともかき、「あし、よし」とも読むのですが、この蘆の花はススキのような形をしていて、あまり、魅力的ではありません。 その点がおおいに気に入り、自身に「蘆花」、と命名したわけです。 兄の徳富蘇峰が創刊した国民新聞で蘆花は「不如帰 ほととぎす 」[明治31年 1898 から明治32年まで 1899 ]がベストセラーになり、小説家の地位を確立します。 「不如帰 ほととぎす 」は実際に存在した、大山巌元帥の娘、信子、その周囲の人達の境遇から記された書です。 新聞掲載時には、「ほととぎす」、と平仮名で記されていましたが、のちに、自身で、「ふじょき」、と表記しております。 その後もヒット作を世に出しますが、明治40年 1907 、東京府下千歳粕谷 現在の世田谷区 に転居し、そこで、20年、半農生活を過ごします。 曰く 「人は書物だけでは悪魔になる。 労働だけでは獣となる」 だとか。 蘆花は兄の蘇峰と政治思想の違いで、疎遠になります。 昭和2年 1927 、蘆花は心臓発作で倒れ、群馬県の伊香保温泉で療養し、兄、蘇峰と再会し、和解しますが、翌日死去します。 徳富蘆花夫妻のお墓は20年間半農生活を送った粕谷の地に埋葬されております。 夫妻が生活していた屋敷も、現存し、敷地は蘆花恒春園 ろかこうしゅんえん として公園になっております。 徳富蘆花とゆかりのある神社 八幡神社 八幡神社です[東京都世田谷区粕谷1-23-18] 蘆花恒春園のすぐ横にあります。 祭神は誉田別命(応神天皇) 五所神社も境内にあります。 (祭神 (厳島姫命・宇迦御魂命・日本武尊・淤母陀琉命・疽神)) 創立年月日は不明。 旧粕谷村、開村当時より鎮守として存在していたようです。 本殿が昭和34年3月30日に放火により全焼。 同年、12月には、氏子さんらの協力で再建されております。 わかれの杉 八幡神社に徳富蘆花が「わかれの杉」と名付けた、杉の木があります。 蘆花を訪ねて来た人をこの神社の杉の下で感慨深く見送ったのだそうです。 ここで、蘆花と別れた友人らは、なぜか死別したり、二度と会えない事が多かったのだとか。 蘆花の後も、地元の人たちが戦争など神社の祈願、別れなど、関わり深いものだったそうです。 わかれの杉は第二次世界大戦後に枯れ、幹を3メートルほど残して、切られました。 現在は上記のような状態です。 二股に分かれた、見事なイチョウの木です。 ご神木でしょうか。 蘆花恒春園の地図 感想 徳富蘆花夫人の愛子さんの意向で公園として寄贈してくれたおかげで、東京の都会に大きな自然の公園が残りました。 まったくもって、ありがたいことで、心から感謝し、未来にも残しておかなければならない大公園です。 徳富蘆花の代表作「不如帰(ホトトギス)」を読んでみたのですが、正直いいまして、読みづらかったです。 表記が明治時代の言い回しで、固有名詞なんかも、明治のもので、読むのに骨が折れました・・・。 明治期には大ヒットし、その後の発表作品もヒットし、粕谷の地に現在のように自然の公園が残りました。 ありがたく、大事に利用しなければいけませんね。 お読み頂き、ありがとうございます。 関連するサイト情報です.

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『こうなんしゅん☆』by bakabon

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