思い出 の マーニー 小説。 「思い出のマーニー」に出てくる藻散布沼とは?

思い出のマーニー 感想と考察 3 (映画の時系列と原作の構成)

思い出 の マーニー 小説

「思い出のマーニー」のあらすじ 「この世には見えない魔法の輪がある。 ・・・私は外側の人間。 ・・・私は、私が嫌い。 」 と語る主人公杏奈。 ある日、公園でひとりでスケッチをしていた杏奈は、持病である喘息の発作を起こす。 療養のため夏休みの間だけ、頼子の親戚である大岩清正・セツ夫妻の家で過ごすことになった 「知っている気がする」 と直感的に感じる古い屋敷「湿っ地屋敷(しめっちやしき)」を見つける。 ネタバレ注意 あらすじを詳しく知りたくない人はやめてへ マーニーとの出会い 杏奈は近所に住む信子と七夕祭りに参加することになる。 七夕の願い事の件で信子と喧嘩し、杏奈は逃げ出してしまう。 杏奈は湿っ地屋敷の入り江の対岸へと逃げ、そこにあったボートで屋敷を目指す。 途中でオールが動かなくなってしまう。 マーニーに助けてもらう。 マーニーとの楽しい時間 それ以来、杏奈はマーニーと名乗るその少女と共にピクニックやパーティーを楽しむ。 普段は感情を表に出さない杏奈でも、マーニーといる時だけは表に出すことが出来た。 突然とマーニーは杏奈の前から姿を見せなくなる。 さらに、湿っ地屋敷には新たな住民彩香が引っ越してくる。 マーニーとの再会を別れ 杏奈はマーニーと出会うことが、互いの悩みを打ち明けあう。 マーニーの悩みはサイロが怖い事。 「私マーニーを助けたい!」杏奈は決意する。 克服するために2人でサイロに行く。 2人は疲れ果てサイロの中で眠るが、杏奈が目覚めるとそこにはマーニーの姿が無かった。 夜のサイロに置き去りにされてしまった杏奈は怒り悲しみ嵐の中を走り発熱してしまう。 夢の中で再会したマーニーから別れを告げられ許しを求められる。 杏奈はマーニーを許し、永久にマーニーのことを忘れないとを約束する。 マーニーは、微笑みながら白い光の中へと消えていった。 マーニーの真実を知る 「湿っ地屋敷」の絵を描いている絵描きの「久子」から「あなたもマーニーに会ったのね」と打ち明けられ、祖母マーニーとの思い出話を教えてもらう。 「思い出のマーニー」の秘密の答え マーニーが誰だったのかについて諸説あります。 ひとりぼっちじゃなかったんだ」がその秘密の鍵になっています。 家族に捨てられていたと感じていた杏奈。 祖母マーニーの少女だった頃との心の交流を通し、祖母マーニーが杏奈の事を愛していたとわかり自分が捨てられた訳じゃなく「ひとりぼっちじゃなかったんだ」と感じた。 また、今回の映画は、ダブルヒロインである事。 「二人の少女」が「ひとりぼっちじゃなかった」ということが制作側の作品に込めたかった事だと思います。 杏奈とマーニー(少女時代)の心が、マーニーの育った家という場で時空を超えて交流をしたと考えるのが一番ピッタリくるのではないでしょうか。 「思い出のマーニー」の登場人物 佐々木杏奈 ささき あんな 声:高月彩良 本作の主人公。 北海道札幌市在住。 12歳の中学1年生。 喘息を患っている。 黒目は青がかっている。 頼子は血の繋がっていない母親。 「借りぐらしのアリエッティ」をご覧頂きありがとうございました😊来週は「2週連続夏はジブリ」トリを飾る「思い出のマーニー」をお届けしますぅ😆 米林宏昌監督作品、明日新生スタジオポノックから「メアリと魔女の花」が公開になる監督の前作をぜひ是非ー😆💓 — スタンリー@金曜ロードSHOW! 金髪で青い目の少女。 佐々木頼子(ささき よりこ) 声:松嶋菜々子 杏奈の血の繋がっていない母親。 大岩セツ 声:根岸季衣 清正の妻。 頼子の親戚。 老婦人 声:森山良子 ばあや 声:吉行和子 マーニーが住んでいる「湿っ地屋敷」の老家政婦。 久子(ひさこ) 声:黒木瞳 「湿っ地屋敷」の絵を描いている絵描き。 さやか 声: 杉咲花 「湿っ地屋敷」に引っ越してくる少女。 「メアリと魔女の花」では主役で登場。 山下医師 声: 大泉洋 杏奈の主治医。 十一 声: 安田顕 美術教師 声: 森崎博之 紳士 声:戸次重幸 町内会役員 声:音尾琢真 思い出のマーニーの評価 受賞歴 第38回 日本アカデミー賞 最優秀アニメーション作品賞 優秀賞 第32回 シカゴ国際子供映画祭 最優秀アニメーション作品賞 「思い出のマーニー」の舞台 原作小説の舞台はイギリスのノーフォーク州にある海辺の村リトル・オーバートン。 しかし、この村は実在せず、同じくノーフォーク州にある海辺の村Burnham Overyがモデルとなっている。 ジブリ映画での舞台は釧路湿原の「藻散布(もちりっぷ)沼」です。 「思い出のマーニー」の映画のロケ地 ジブリ映画「思い出のマーニー」のロケ地は釧路湿原の「藻散布(もちりっぷ)沼」です。 宮崎駿監督は当初は北海道ではなく瀬戸内を推していたようですが まとめ 「思い出のマーニー」は何度も見ていただくと伝わってくるのですが、祖母と孫の愛情が描かれた物語です。 二回以上も見直す事をお勧めします。 何度も見直す事でマーニーと杏奈の心のつながりがわかってきます。 米林監督の「メアリと魔女の花」も絶賛上映です。 ジブリの製作部門解散後のジブリの映画製作の最後の後継者と言われている米林監督のジブリ時代の作品を何度も楽しんでいただければ幸いです。 本文を書くにあたって参考にした文献:wikipedia.

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思い出のマーニー

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はじめに 『仮ぐらしの』で初監督を務めた監督の最新作『』が公開された。 この映画の内容を主にビジュアル面から読み解いていくことにする。 『』の特徴は何と言っても、メインキャターの二人が女の子という点にある。 彼女たちの人間模様は、どことなく物憂げな雰囲気をまとっており、主人公杏奈の成長は、ヒロインのマーニーとの間で取り交わされる物静かなやりとりを通して描かれる。 これまでののような壮大なスペクタクルはなく、それは例えるなら少年漫画と少女漫画くらいの差があるように思える。 っぽいけどではない とはいえ、『』には、これまでのを意識したであろうシーンが随所にちりばめられているようにも見える。 杏奈が体験する出来事は、なんとなくっぽいところもあるけどなんだか違っている、そんな微妙な感覚が常につきまとう。 例えば、主人公が新しい地へとやってくるというのは、『』の冒頭によく似ている。 友達との別れを惜しみながら引っ越し先へ向かうと、理解者の居ない鬱屈した現実から逃げ出すように田舎へ赴く杏奈とでは、新しい場所へ向かう動機がまったく異なっている。 杏奈が神社の階段を泣きながら駆け下るシーンは、』のシーンと似ている。 見比べてみると両者の差が残酷に思えるほどだ。 夢らしい夢を抱けないことが原因で喧嘩をしてしまった杏奈と、小説を書くという夢に胸を躍らせる月島雫は、まったく正反対な二人だ。 米林監督が言う、子どもたちに「そっと寄り添う映画」とは、杏奈のように人生に希望を抱けない若者に向けての言葉なのだろう。 キャンバスに向き合うおばあさんというのは、『』のポスターなどのメインビジュアルを想起した人も多いかもしれない。 『』のヒロイン・里見菜穂子は余命いくばくもない身でありながら人生の絶頂期を駆け抜けていくが、おばあさんは隠居生活を送っているようだ。 『』 には男性がほとんど出てこないが、その中の数少ない一人がマーニーの父親だ。 この湿っ地(しめっち)屋敷のパーのシーンは、『』のシーンを意識しているように見える。 『』のプは気さくで気立てのいい人物だが、マーニーの父親には冷徹さを感じる。 顔に落ちた影、やや下に傾けた顔、控えめなほほ笑み、青みがかったスーツや背景の色味、ワイングラスの持ち方までが、この父親の人間模様を際立たせている。 他にもボートで海を行ったり来たりというシーンや、気付いたら海が出来ているという場面は、『』のようでも『』のようでもある。 近道の雑木林に入っていくシーンは、『』を思わせる。 しかし、この映画では、雑木林の先に不思議な世界など広がっていないし、いつのまにか海が出来ていてもおもちゃの船を大きくしてくれる金魚の妖精も登場しない。 人々が胸を躍らせたくなるようなファンタの世界を、この映画はあえて拒否しているかのようだ。 それに各シーンでは、過去の映画よりも色の彩度をかなり落とされており、なるべく強調的なアングルを使わないように配慮がなされていることがわかる。 このようにダイナミックさを抑える米林監督の演出も、の世界に対するアンチテーゼのように見える。 本作のにいままで実写映画の美術をやってきたを起用し、ある意味異常なまでのリアリを追及しているのもこのような意図からだと思われる。 次のように語る米林監督は、これまでの映画のようにスケールの大きな世界観を構築しようとはそもそも考えておらず、ときに残酷ですらある小さな現実にあえて寄り添おうとしていることがわかる。 僕は宮崎さんのように、この映画1本で世界を変えようなんて思ってはいません。 ただ、『』『』の両巨匠の後に、もう一度、子どものための作品をつくりたい。 この映画を見に来てくれる『杏奈』や『マーニー』の横に座り、そっと寄りそうような映画を、僕は作りたいと思っています マーニーとは誰だったのか しかし、壮大な世界観を拒否するこの映画の中にも、ひとつだけ「マーニー」というファンタ要素が存在する。 では、マーニーとはいったいどのような人物なのだろうか。 マーニーは、杏奈の実の祖母であったことが映画の終盤に明かされ、それが表向きの結論となっている。 しかし、杏奈が何度も劇中で出合ったマーニーは、実在する祖母本人ではない。 杏奈が幼少期に祖母から聞かされた思い出話の登場人物である(すこしややこしいが)。 終盤では、祖母が決して幸せな人生を送ってはいなかったことも明かされる。 物語の前半では、マーニーは明るくて、杏奈をやさしく包み込んでくれる存在として描かれていた。 しかし実際は、屋敷でいじめられ、両親からも愛されずに育った可哀想な子であり、しかも、それに追い打ちをかけるように、娘(杏奈の母)とうまく関係を築けないまま死なれてしまう。 祖母の人生は、杏奈が出会ったマーニーの姿と比べると、かなりギャップを感じる。 このギャップが生まれた原因は、祖母が杏奈に語った思い出が楽しく幸せに満ち溢れたものだったからだろう。 それを示唆するかのように、終盤の回想シーンには、祖母が楽しそうに幼少の杏奈に思い出を語って聞かせる場面がある。 杏奈の記憶の中では、マーニーはたしかに明るく魅力的な女の子だったのだ。 この祖母の思い出話のもう一人の登場人物は、杏奈の祖父となる和彦である。 彼がマーニーと結ばれるというのが、この「物語」の筋書きである。 つまり、『』は、祖母が語って聞かせてくれた「物語」に杏奈がのめり込んでいくさまを描いた映画なのである。 杏奈が体験する没入感は、彼女自身が「物語」の舞台となった湿っ地(しめっち)屋敷に実際に居合わせることがトリガーとなっている。 これは、小説や映画、アニメのファンたちが作品の舞台となった聖地を巡礼し、現地で体験する臨場感に近い。 ただし、杏奈の没入はかなり病的で、命の危険すら感じられる。 杏奈にとってこの「物語」は、追い詰められた先にあった駆け込み寺のようなものであり、そこに没入できるかできないかは、より深刻で差し迫った問題なのだというように描かれている。 米林監督に『』の映画化を持ち掛けたは、この映画のテーマを「孤独」と総括している。 世の中が変わって、映画やテレビは大勢や家族で見るものだったけれど、今ネットは個人でするものになっている。 技術革新によって人々の暮らしが変わって、そんな時代に彼の映画は意味を持つと思う」 現代の子どもたちに寄り添っているもの、それは家族でも友達でもなく物語(フィクション)であるという点に、この映画のテーマがあると鈴木は考えているようだ。 この映画では、子どもが大人になる過程において、その物語から卒業を果たさなければならないという現実が杏奈の葛藤として描かれている。 たとえいくら「物語」に没入できたとしても、サイロにマーニーと一緒に行くのは自分ではなく和彦なのだということが杏奈には受け入れ難い。 必ずしも物語が自分に寄り添い続けてくれるとは限らないフィクションであることに気づいたとき、杏奈はマーニーに裏切られた気持ちになるのだ。 しかし、それでも最後には、マーニーを許し、この物語を愛し続けるという結論を導き出す。 それがこの映画で描かれる杏奈の成長である。 つまり、マーニーとは物語(フィクション)そのものの象徴、擬人化された物語(フィクション)なのだ。 この映画は、アニメや漫画に熱中する今時の若者たちが、マーニーという物語にのめり込む杏奈の姿に自分を重ね、自分にとってかけがえのない作品たちとの関係を改めて認識するように促しているように思える。 『』は、子どもたちが夢を見て、いずれ卒業する、その成長の過程に焦点を当てている。 これと似たような構造の物語に『』がある。 『』は、ドロシーという少女が竜巻に飛ばされてオズの国へ行き、大冒険を繰り広げて、最後にまた家に戻ってくるというストーリーである。 ドロシーははじめ、家を出ていきたいと思っていたが、オズの国へ行くと、だんだん家へ戻りたいと思いを募らせるようになり、家に戻ってくると、やっぱり家が一番だと安堵する。 これを少女がオズの国という「夢」から卒業し、家という「現実」を直視するようになる成長のお話と見ることができる。 『』と『』は、基本的なストーリーの構造が同じである。 しかし、杏奈がドロシーと違うのは、オズの国(夢)に留まりたいと願いながらも追いやられてしまう点だ。 この映画では、「夢」が手放しがたいもの、手放すには苦痛が伴うものとして描かれている。 では、現実から逃げたいと願った杏奈にとって、マーニーの「物語」とはただの「夢」だったのか、といえばそうではない。 『』は、その題名の通り、マーニーとの間に起きた出来事を「思い出」として捉えている。 マーニーをオズの国のように過ぎ去ってしまう「夢」として捉えるのでなく、自分を形作っている「思い出」として受け止めることで成長する姿が描かれている。 ポスターの意味 米林監督は、杏奈というキャターを作るきっかけを以下のように述べている。 でも、鈴木さんからぜひやってくれないかと言われて、何点か絵を描きながら思いついたのが、杏奈を"絵を描く女の子"にすればどうかということ。 そうすれば、杏奈が物を見ている目で、杏奈の心の中を描けるんじゃないかと思い、映画を作ろうと決意しました 杏奈がマーニーの絵を描くこと、つまり自分の好きな作品のキャターを描くことは、最近のアニメや漫画の二次創作に見られるように、現実でも行われていることだ。 そこで、上に示したポスターの意味を考えてみよう。 この手書きのポスターは、マーニーしか画面に配置されていない。 このポスターのマーニーを杏奈が描いたものだと仮定すると、 「あなたのことが大すき」という言葉は、一見マーニーから発せられた言葉のように見えるが、この絵を描いた杏奈の言葉と考えたほうがしっくりくる。 そして、もうひとつのセル画のポスターに書かれている言葉、「あの入江で、わたしはあなたを待っている。 永久に——。 」は、マーニーの言葉として受け取ることができる。 マーニーを物語(フィクション)の象徴として捉えるならば、「永久に」という言葉の意味もおのずと見えてくる。 人から人へと受け継がれていく物語は、時間を超越している。 だから、マーニーに会おうと思えばいつでも会いに行くことができるのだ。 「あなたを待っている。 永久に——。 」というフレーズは、ふたりの気持ちが通っているようでもあるし、お互いの流れている時間が異なっているような不思議な感じも覚える。 誰しも、杏奈にとってのマーニーのような、思い出深いお気に入りの作品があるのではないだろうか。 ひょっとしてそれは、引っ越しや大掃除のときについついめくってしまうマンガだったり、実家に帰省した時に懐かしくなりながら手に取る小説だったりするのかもしれない。

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解説・あらすじ

思い出 の マーニー 小説

思い出のマーニーの原作と映画のあらすじ 思い出のマーニーは原作と映画ではあらすじに違いはあるのでしょうか。 あるのであればどのように違うのかを知りたいですよね。 それでは早速みていきましょう。 思い出のマーニー原作のあらすじ ありがとう日テレ、ありがとう金曜ロードショー。 今回も泣かせてもらいました。 「思い出のマーニー」は心理学者の故、河合隼雄さんが岩波少年文庫の原作小説を絶賛レコメンドしていたことも思い出して、本当にあったかい涙です。 — テマエガワ temaekkawa 思い出のマーニーの原作はイギリスの作家、ジョーン・G・ロビンソンによる児童文学作品です。 なので読まれた方もいらっしゃるかと思います。 内気で友達ができないアンナは、自分が目に見えない「魔法の輪」の外側にいるのだと感じており、育ってくれている養母の愛も疑問に感じていており、喘息を患い、療養のため海辺の街で過ごすことになる。 村を訪れたアンナは入り江湖畔にある湿地屋敷と言われる無人の屋敷を発見し、「これこそずっと自分が探していたものだ」と感じる。 その屋敷でずっと長く住むというマーニーという少女に会い、話していくうちに打ち解け、「マーニーは自分のような子」とアンナは感じる。 マーニーは小さい頃風車小屋に閉じ込められそうになったことで、風車小屋を恐れていた。 ある日、アンナとマーニーとともに風車小屋で行き、マーニーは風車小屋を克服するために二階に登るが、怖くなり降りられなくなる。 風雨で更に恐怖を感じたマーニーはその場を動くことができず日が暮れてしまう。 疲れ果てた二人はその場で寝てしまうが、アンナが気づくとそこにマーニーはおらず、親友と思っていたマーニーに裏切られたと思い、怒り、悲しんだ。 湿地屋敷に向かうと窓の中にいるマーニーを見つけるが、突然別れを告げられる。 マーニーがアンナが大好きで、置き去りするつもりはなかっと告げると、アンナは許し、自分も大好きだったと叫び返す。 その後、アンナは湿地屋敷に引っ越してきた少女と出逢い、その少女がマーニーと書かれた日記を発見したことを知る。 その日記は50年以上も前に書かれた日記であった。 湿地屋敷を知っている老婦人のことを知り、アンナたちは湿地屋敷に住んでいたというマーニーの過去を話しを聞くと、その話と昔、養母から聞かされていたアンナの幼少期のころと一致するのであった。 それではジブリアニメの映画「思い出のマーニー」のあらすじをみていきましょう。 札幌に住む12歳の杏奈。 幼い頃に両親を交通事故で亡くし、祖母も病気で亡くしたことで、養母の頼子に育てられていた。 喘息を患ったことで、夏休みの間、療養のため、海辺の田舎町にいる頼子の親戚の家にいくことに。 そこで、杏奈はぽつりと立つ美しい屋敷「湿地屋敷」を発見する。 この湿地屋敷を知ってる感じがすると思った杏奈は、その後、何度も夢の中で屋敷を訪れ、金髪の青い目の少女(マーニー)を発見する。 杏奈はマーニーと仲良くなり、親友と思うようになるが、マーニーは突然、杏奈の前から姿を消す。 その後、湿地屋敷に引っ越してきた少女・彩香からマーニーと書かれた日記を見せられ、自分が体験したマーニーとの思い出が記された日記をみた杏奈はマーニーは自分が想像で作り上げた友達だと思うようになる。 再び、マーニーと会った杏奈はマーニーがトラウマとなっているサイロを克服するため、、嵐の中サイロを訪れるが、疲れ果て二人は寝てしまう。 杏奈は発熱を起こして倒れていたところを彩香たちに助けられ、うなされながら夢の中でマーニーから別れを告げられ、許しをもとめられる。 杏奈は大好きなマーニーを許し、永遠にマーニーのこと、一緒に過ごしたことを忘れないと約束するとマーニーは微笑みながら消えていくのであった。 マーニーの昔を知るという老婦人からマーニーの生涯の話を聞く。 その話を聞き終えたあと、老婦人から「あなたもマーニーに会ったのね」と言われる。 杏奈を迎えにきた頼子から、養育費の話を聞き、許した杏奈は、杏奈が幼い頃大切にしていたという湿地屋敷の写真を受け取る。 その写真の裏には私の大好きな家 マーニー」と書かれていたことから、マーニーが自分の実祖母だということを知るのであった。 思い出のマーニーの原作と映画の違い 思い出のマーニーの原作と映画のあらすじをみてすでにお気づきかもしれませんが、意外と違いがあります。 ここではその違いを紹介していきます。 登場人物の名前が違う 思い出のマーニーの原作と映画ではマーニーは同じものの他の登場人物が役柄は同じようでも、名前が違っています。 それでは東京キャラクターの名前を原作と映画でいきましょう。 原作 映画 アンナ 佐々木杏奈 マーニー マーニー ナンシープレストン(アンナの養母) 佐々木頼子(アンナの養母) スーザン・ペグ(アンナを療養地であずかる) 大岩 セツ サム・ペグ(スーザンの夫) 大岩 清正 ワンタメニー・ウェスト(アンナを増水から助ける) 十一 サンドラ(ペグ家の近くに住む女の子) 信子 ミセス・スタッブズ(サンドラの母) 角屋夫人 ミスター・リンジー(マーニーの後の湿地屋敷購入者) ミセス・リンジー(リンジーの妻) アンドリュー(リンジーの家の長男) 武 ジェーン(リンジーの家の長女) プリシラ(リンジーの家の次女) 彩香 マシュー(リンジーの家の次男) ローリーポーリー(リンジーの家の三男) ギリー(ミセス・リンジーの古い友人) 久子 マリアンナ(マーニーの母) マーニーの母 マーニーの父 マーニーの父 エドワード(マーニーの夫) 和彦 エズミ(アンナの母) 絵美里 ナン(マーニーの世話をする婆) ばあや エティ(マーニーの世話をするメイド) リリィ(マーニーの世話をするメイド) 山下医師(杏奈の主治医) 美術教師(杏奈の学校の美術の先生) みよ子(杏奈の同級生) 町内会役員 老婦人(晩年のマーニー) 原作の登場人物が映画で全員登場するわけでなく、また、原作にないキャラクターも登場しています。 また、原作はイギリス、映画は日本となっているので、同じ役割のキャラクターでも殆ど名前が変わっていますね! 映画ではより現代の設定に近づけるような脚本をしているのでしょう。 舞台が違う 登場人物の名前のところでも簡単に紹介しましたが、原作ではイギリス、映画では日本が舞台となっています。 具体的にはどのような舞台が違うのでしょう。 原作 映画 イギリスのノーフォークという海辺の田舎町(架空の街) 釧路や根室をイメージした海辺の田舎町(架空の街) 風車小屋 サイロ 映画は舞台の設定を日本に変更したため、海辺の田舎町は釧路や根室などをイメージした海辺の田舎町へと変更され、また、原作の風車小屋は日本ではない(ほとんどないのほうが正しい?)ので、牧場にあるサイロに変更されています。 このことから舞台の設定が違うこともわかります。 マーニーの設定が違う 原作では、実際にそこにマーニーがいるかのように交流しているように描かれています。 しかし、映画のマーニーは杏奈の夢の中で、杏奈が想像して作り上げたような感じのマーニーで、そこにいるけど、実際はいない、なんかふんわりした感じで描かれています。 それゆえ、映画の思い出のマーニーのマーニーは 「幽霊じゃないの」とか、 「昔、杏奈持っていた人形でなの」とか言われているわけです。 映画思い出のマーニーの再現性 原作と映画では登場人物の名前、舞台となる設定が大きく違いますが、大まかなストーリーは同じです。 それは、あらすじや名前や設定をみてもわかりますね。 原作ではマーニーは実際にそこに存在しているかのようなリアリティがある描かれた方をしているの対して、映画では実際に存在しているのかわからないふんわり、ぼんやりした描かれた方をしています。 また、風車小屋とサイロでのシーンでは、原作では暗闇のためアンナに気づかなかったエドワードが気を失っているマーニーだけを連れ帰ってしまったことが後でわかります。 それに対して、映画ではマーニーは杏奈と和彦を混同しているように描かれており、隣で眠っていた杏奈を置いて、和彦と帰っていってしまいます。 映画では杏奈の存在に気づかなかったではなく、そこにいなかったということにして、杏奈を置いてけぼりにして帰ってしまったのです。 いなかったはずの杏奈に『置いてきた』事を謝るマーニーということを何度か観てみないと気づかないですねよね。 というように、映画では大まかなストーリーは再現しているものの、原作よりも複雑、伏線を張っているかのような脚本がされているのでしょう! 映画思い出のマーニーの感想・評価 ここまで原作と映画の思い出のマーニーのあらすじや違いなどをみてきましたが、思い出のマーニーの感想や評価はどうなのでしょうか。 好きな人は大好きみたいですね。 外出自粛要請されているので、録画してみてみると良いかもしれませんね。 思い出のマーニーの悪い感想・評価 ジブリの「思い出のマーニー」は原作をだいぶ改編してて、原作の良さが削ぎ落とされた感じがした。 舞台も無理やり日本にしなければ良かったのに… あと百合って呟いて人いるけど、マーニーがアンナに告げる「愛してる」の意味は、百合ではないと思うが… — yun. 確かに映画の方は脚本がされているので内容は大きく違いますね。 思い出のマーニーは原作が良かっただけに、映画での舞台をなんで日本にしたという思いが消えない — 115番 5f146d107s27p3 やっぱり原作ファンの方は映画の思い出のマーニーを認めたくないようですね。

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