かなちゅう 定期。 高校生です。今日、かなちゅうバスで誤って期限切れ定期を提示してしまいました...

神奈川中央交通

かなちゅう 定期

略称 神奈中(かなちゅう) Kanachu 神奈交(銘柄略称) 本社所在地 〒254-0811 八重咲町6番18号 : 設立 (10年) 事業内容 旅客自動車運送事業、不動産業他 代表者 堀康紀() 資本金 31億6千万円 発行済株式総数 6300万株 売上高 単体536億80百万円、連結1155億25百万円 (2017年3月期) 営業利益 単体39億81 百万円、連結68億10百万円 (2017年3月期) 純利益 単体28億14百万円、連結39億77百万 (2017年3月期) 純資産 単体312億59百万円、連結510億36百万円 (2017年3月期) 総資産 単体1015億18百万円、連結1489億57百万円 (2017年3月期) 従業員数 単体3,101人、連結7,729人 (2017年3月31日現在) 決算期 3月31日 主要株主 45. 通称は「 神奈中(かなちゅう)バス」。 のうちの一社で、神奈川県バス協会と東京バス協会の双方に加盟している。 のである。 概要 [ ] 東日本では最大のバス事業者で 、バス専業の事業者としても日本一の規模であり 、日本のバス業界のリーダー的存在とされている。 臨海部や北東部、、足柄・箱根を除くの大部分の地域と・・などのを中心にやの運行を行っているほか、東京駅・新宿駅からのや、・へのを運行する。 かつては横浜・町田・本厚木などから各地やへの路線の運行も行っていた()。 近年では都市間高速バスの運行にも力を入れている。 歴史 [ ] 本節では、主にバス事業の歴史を中心として、関連事業についても適宜記述する。 関連事業についてはの節も、車両の歴史はの節を参照。 創業期 [ ] 現在の神奈川中央交通が主な営業エリアとしている中央部に乗合自動車が走り始めたのは、に佐藤某 が設立した合資会社による、とを結ぶ幌つき自動車による路線の開設に端を発する。 これに続くように、には相陽自動車が車両3台で秦野と平塚を結ぶ路線の運行を開始している。 しかし、乗合馬車や人力車の方が安かったこと や、道路が悪く運転技術も未熟だった こともあり、いずれも1年程度で廃業となっている。 後の好景気により、内ではまず賃貸自動車営業 が開始され、続いて兼営で乗合自動車の運行が開始された。 頃から個人営業による乗合自動車業が設立されはじめ 、当時市街地として発展していたを中心に、複数の乗合自動車が激しい乗客争奪戦を行った が、無益な競争をやめて整理統合する機運が高まり 、6月5日に大岡町を拠点として 相武自動車が設立された。 これが神奈川中央交通の直接的な起源である。 に伊勢原自働車運輸が平塚とを結ぶ路線 、1921年に秦野自動車が秦野と平塚を結ぶ路線の運行をそれぞれ開始した。 同年に大谷仁三郎がとを結ぶ路線などの運行を開始し 、厚木町の有力者は厚木と横浜を結ぶ路線を開設したのち、に設立された中央相武自動車に営業譲渡 した。 ほかに片瀬自動車商会が厚木とを、鶴屋自動車商会が厚木と戸塚を、結ぶ路線を開業するなど、に10数社がバス事業を設立している。 の鉄道駅との宿場町を結んで開設された路線が目立つ一方、におけるバス営業は、に原町田乗合自動車がと、と小野路を結ぶ路線を開業させた。 自主統合の流れ [ ] 小規模なバス事業者の乱立は、結果的に競合による疲弊を招き 、資本力のある事業者が小規模事業者を買収し合併することで、事業規模を拡大すると共に無益な競合を解消する気運が現れ始めた。 こうした自主的な統合という方向性は、1931年に公布されたの目的である「交通企業の合理化と交通事業の統制」にも叶うものであった。 に、の伊勢原自働車運輸が同じく伊勢原を拠点としていたサンエキ自動車と合併して伊勢原サンエキ自動車と改称 して、に伊勢原自動車へ社名を変更した。 に江之島自動車、片瀬自動車商会、鵠沼自動車が合併して設立 された藤沢自動車は、藤沢近辺にとどまらず、厚木・津久井方面まで沿線事業者と合併の上規模を拡大した 結果、に、営業キロが約300で車両数約60台を有する大手事業者 となり、の傘下 となる。 に東京新宿に拠点を置くが原町田乗合自動車を合併 し、またの相武自動車は鶴屋商会と戸塚自動車商会を合併して翌年に相武鶴屋自動車と改称した。 この相武鶴屋自動車はにの傘下に入り、すでに東横傘下に入っていた中央相武自動車をに合併して 東海道乗合自動車と改称し、主に東海道本線沿線へ路線を展開 した。 にやはり東横系となっていた関東乗合自動車の町田営業所を継承 し、に同じく東横系となっていた秦野自動車を合併した ほか、やはり東横傘下になっていたの2路線を譲受した。 その一方、藤沢自動車と競合するは自社のを擁護するため 、1935年に大谷仁三郎の個人経営だった橋本・渕野辺から田名にいたる路線を譲受 し、1936年に愛高自動車商会の厚木と上溝を結ぶ路線を買収し、沿線を自社バス路線の営業エリアとした。 この時期までに譲受されたバス事業の概要は以下の通りである。 中央相武自動車 (大正12年)3月設立。 - 厚木間の乗合自動車を運営。 の傘下会社である目黒自動車運輸が買収したが、1936年10月に東横が玉電を傘下に収めた事に伴い、(昭和12年)8月に同社も東横の傘下に入った。 詳細は「」および「」を参照 戦時統合へ [ ] 戦時体制に入ると、の公布により、バス事業者は極力統合する方向となった。 に東京横浜電鉄は京浜電気鉄道(現在の)と小田急電鉄(現・、)を統合して東京急行電鉄(東急)となっていたが、東急はに藤沢自動車の経営権を京王電気軌道から譲受して傘下に収めた上で 、伊勢原自動車を買収した。 さらに同年中には、東海道乗合自動車の経営にも東急が参加している。 一方、1942年には陸運統制令に基づく通牒により強制統合が進められる事となったが、この時に神奈川県では横浜市・相模・地区外という3ブロックに分けられることとなった。 この時、町田地区は東京の調整区域から外されて相模ブロックに編入されることになった。 相模ブロックの統合主体は東海道乗合自動車が選定され 、に藤沢自動車と伊勢原自動車を合併、 神奈川中央乗合自動車が成立した。 「」も参照 この時期までに統合されたバス事業の概要は以下の通りである。 伊勢原自動車 3月に伊勢原自働車運輸として設立。 1928年2月サンエキ自動車(設立)と合併し、伊勢原サンエキ自動車と改称。 9月伊勢原自動車と商号を変更。 周辺事業者を悉く統合。 1938年3月には秦野自動車より平塚 - 二宮間と平塚 - 須賀間を譲受していた。 藤沢自動車 1931年に江之島自動車・片瀬自動車商会・鵠沼自動車が統合して設立。 以来、県央地区(・・)の事業者を悉く買収・併合して統合。 1937年6月、京王電気軌道(現在のの母体)に買収され、同社傘下となる。 9月、八王子中央自動車(11月開業。 (現・)久保沢向原 - 旭町間)の合併で、南は藤沢 - 平塚から厚木・を経て北は八王子 - 上野原までに至る神奈川県を縦断する路線網を築き上げた。 1935年、大谷仁三郎経営の - - 田名間と田名 - 間の乗合自動車業を承継して開業。 1936年、愛甲自動車商会より上溝 - 厚木間の路線を譲受。 1941年、東京横浜電鉄の傘下に入り、1943年、神中鉄道(現在のの母体)を吸収合併するが、1944年、本来の鉄道路線である - 間が国家買収される(現在のJR)。 従って同社は現在の相鉄と同一企業であるが、この時神奈中に編入されたバス路線と現在の相鉄バス(、内で改めて開業)は全くの無関係である。 詳細は「」および「」を参照 6月には社名を 神奈川中央交通に変更した。 1953年には本社を平塚市に移転した。 沿線住民や利用者からは、この時期から「神奈中」という通称で呼ばれるようになった。 本項でも、以下神奈川中央交通を「神奈中」と表記する。 高度成長期 [ ] 1960年代・団地輸送の増強と拡大 [ ] 1950年代後半に入ると、人口増加地域である神奈中エリアの通勤需要は増加の一途を辿る。 特に沿線の鉄道輸送の必要性が高くなっていた ことから、(昭和28年)にとを結ぶ路線を15分ヘッドで運行し、急行便も新設した。 その後、までの鉄道と並行する路線も同様に運行便数の充実を図り 、さらに各鉄道駅から住宅地への路線を新設して鉄道との連携輸送を行った。 同様に人口が増加していた小田急沿線からの路線も拡充し 、町田地区では道路改良と共に次々と路線新設を行った ほか、宮ヶ瀬()や青根(相模原市緑区)などの山間集落にも路線を展開した。 までの3年間に導入した車両数は126台となり 、約90系統が新設されている。 (昭和33年)には京王との相互乗り入れという形態で東京都内にも路線拡大を展開 、やへも乗り入れた。 一方、横浜市内ではやとの路線免許申請の競合が多くなった が、頃からは各社で申請前に協議することになり 、には3社で運輸協定を結んだ ため、以後競願による認可の遅れという事態は回避されることになった。 詳細は「」を参照 これらの路線規模の拡大と共に営業拠点の新設も行われ、からの5年間で233台もの車両増備が行われた。 以降は、町田・横浜地区並びに小田急沿線での大規模団地造成と共に大幅な輸送力増強を迫られた。 これに対応するべく車両の増備が急速に進められ、に路線バスの保有台数は1,000台を超え 、営業所を郊外へ移転すると同時に敷地面積も拡大するという手法がとられた。 この時期、神奈中では関連事業の拡大にも着手している。 4月にはにを建設 、これにあわせて同年8月17日には神奈中商事を設立した。 からはスーパーマーケット「」を開業し、沿線各地への店舗展開を行った ほか、クリーニング業にも着手した。 また、7月からはの建設を進め、最盛期には沿線に11店舗にまで拡大した。 から不動産業にも進出 、・などで宅地分譲を行った。 日本初の整理券方式ワンマンバス [ ] このように輸送力増強に追われる中、要員不足が顕在化することとなった。 特に車掌の採用難が厳しくなった ことから、当時都市部の一部路線で行われていたを進める事になった。 しかし、ワンマン化自体はにで実施されていた が、それまでワンマン化されていた路線は均一運賃体系の路線が主で、多区間運賃制路線では申告制前払いとしたところもあった。 しかし、神奈中の大多数の路線のように運賃区間の多い路線での多区間運賃制へのワンマン化事例は当時存在せず、運賃収受の確実化を図る必要があった。 そこで、乗車停留所を明確にするために、乗車時にを取り、乗客は降車時に整理券と照合して運賃を支払うという「整理券方式」のワンマンバスを導入する事になり、1962年より試験的に運賃区界数2区間の路線でワンマン化が開始された。 この時の整理券はボール紙 で 、前扉付近に整理券ホルダーを設置した。 以後、神奈中の乗車方法は前乗り前降りが基本となる。 その後も機器の開発を進め、1964年4月には運賃区界数5区間の路線でもワンマン化が行われた が、この時には色分けされたプラスチック板の整理券を乗車時にボタンを押して受け取る方法 となり、さらに同年10月には運賃区界数8区間の路線にも導入された。 それを受けて、より伊勢原と茅ヶ崎の2営業所で本格的なワンマン化を開始した。 にはロール紙に1枚ずつ番号を印刷してカットする機構が開発され 、運賃区界数にかかわらずワンマンバスの運行が可能になったことから一気にワンマン化を促進し、同年には山間部の一部路線を除いてほぼ全路線がワンマン化された。 日本では多区間運賃制路線でのワンマン化は神奈中が初 であり、会社の規模としては急速かつ広範囲にワンマン化が進められたが、監督官庁から安全性を危惧する意見があり、狭隘な道路では待避所やカーブミラーの設置を進めると共に 、見通しの悪い踏切などでは自社で交通整理要員を配置して対処した。 また、当時はワンマン化に反対するバス事業者が多く、他社の労働組合からワンマンバス導入展開にクレームもあり 、労使共に説得したこともあるという。 しかし、ワンマン化は時代の趨勢であり、以後整理券方式のワンマンバスは日本全国に拡大され、乗降ドアの違いなどはあるものの、日本のバスにおいて標準的な運賃支払い方式となった。 神奈中においては、5月のとを結ぶ路線を最後に、完全ワンマン化を達成している。 1970年代・さらなる輸送力増強 [ ] になると、既に開発の進んだ鉄道沿線から離れた外縁部へも宅地化が進むことになった。 に入居を開始したでは、ニュータウン鉄道の開通まではバスに通勤輸送が委ねられることとなり 、神奈中と京王が輸送を担当した。 さらに都心から離れた厚木・伊勢原・秦野・平塚においても住宅地の造成が進み 、路線と車両増強を繰り返した結果、小田急線・東海道本線沿線各駅のバス路線の集積度はきわめて高くなった。 また、による送迎が行われている企業や学校での車両代替に着目し 、以降は特定バス事業にも着手した。 運行や車両整備はバス事業者が行うが、運行形態やバスのカラーリングなどは顧客側で決定するというもので、積極的にセールスを行ったことによって特定輸送の運行規模はその後大幅に拡大され 、その後の神奈中のバス事業の基幹の1つに位置付けられている。 には山間部の路線において停留所以外でも乗降が可能なの採用も開始した。 関連事業においては、ボウリング場の乱立による競争の激化で経営が悪化、5月までに一部の店舗を除いて撤退することになった が、用途のなくなった建物の有効活用としてスイミングスクールの運営を1976年10月から開始し 、これをきっかけとしてテニススクールやフィットネススタジオなど、スポーツ事業への参入も開始した。 また、不動産業では沿線外の宅地分譲も行うこととなり 、からまでに ・ ・ ・ での宅地分譲を行っている。 また、市街地の再開発などにあわせて、自社用地に建設したビルを使用した賃貸業務も拡大させている。 この他、老朽化した営業所建屋を改築した際に生じた空きスペースを利用して 、食堂業へ進出することとなり 、10月24日からは「」(当時)と業務提携を行うことによってラーメン屋の営業も開始している。 日本初の割増料金を適用した深夜バス [ ] 神奈中の深夜バス路線の例(本厚木駅24時35分発鳶尾団地行き) ベッドタウンの外延化と共に、利用者からは路線バスをもっと遅くまで走らせることに対する要望が強くなっていた。 神奈中においても例外ではなく、5月には入居が開始されてから間もない鶴川団地の住民より、最終バスを延長するように申し入れがあった。 これが日本初ではじめて割増料金を適用したである。 当日の第1便は8名の利用者よりも報道陣が目立った状態 で、運賃設定などに反発した一部の住民が、会員制の「自主バス」を運行したり 、運賃制度について大学教授・利用者代表と会社役員がNHK番組で論戦を行う などの動きもあったが、路線拡充や深夜バス運賃の据え置き や引き下げ により深夜バスに移行した ため、までに「自主バス」は廃止となった。 運輸省でもバスの終車延長には積極姿勢を見せ、1970年12月には「大都市周辺部の深夜バス運行について」という通達を出した。 しかし、深夜バスは、不規則労働となる乗務員に手当てを支払った上で採算性が確保できるかどうかの判断が、事業者によって分かれる。 このため、関東地方に限っても深夜バスを運行する事業者が大幅に増加するのは深夜の交通機関の確保について運輸省が再度勧告を出した以降である。 深夜バスの採算性を認めた神奈中においては、深夜バスの運行系統は年毎に増加し、東京都内の全事業者を合わせた深夜バスの系統数が約50系統となったの時点で、神奈川県内では既に神奈中だけで50系統以上の深夜バスが運行されていた。 1980年代・さらに続く拡大傾向 [ ] に入ると、日本のバス事業全体の傾向としてと道路渋滞による走行環境の悪化と利用者減少に見舞われるが、神奈中の営業エリアは人口増加が続き、バス利用者も増加した。 人口増加や企業・学校の郊外移転などで、鉄道からのフィーダー輸送の役割が求められたためである。 1980年代以降は沿線に大学の新設や移転などが続いたため、通学輸送の増強も行われる事になった。 既に1971年には相模原市にが移転していたが、1980年代初頭には相模原地区における輸送の要となっていた。 復元された薪バス「三太号」 に会社創立60周年を迎えたが、この時に先人達の苦労を伝えるという意味で 薪バス「」を復元した。 薪バスは沿線各地で展示なども行われた。 同年、平塚市の本社の改築が終了したが、それまで本格的ながないという声が地元からあった ため、本社に併設されたの地下にレストランもオープンさせた。 また、にはデジタル式を 、(昭和60年)には大型方向幕を導入する など、路線車両のサービス改善にも積極的に取り組んだ。 特に(昭和62年)4月には一挙に300台もの新車導入が行われ 、同年5月には全車両の冷房化を達成した。 にはそれまですべてを人手に頼っていたバスダイヤの作成を自動化すべく、バスダイヤ自動作成システム「AIDIA」も稼動開始し、日本のバス業界の注目を集めた。 からは遊技場(パチンコ店)経営にも着手した ほか、(平成2年)にはにゴルフ場「中伊豆グリーンクラブ」をオープンさせている。 また、当初は社有地の有効活用として進出した食堂業については、事業拡大のため用地の購入や賃貸による出店を行うことになり 、1983年6月には沿線外への店舗展開も開始された。 ラーメン屋の名称は、1989年3月17日から「くるまやラーメン」に名称変更された。 また、・・などとの提携による出店も開始されている。 事業区域内の大半の路線が多区間運賃制であり 、どの区間にも対応させる目的で金種別に19種類ものを発売していた が、すべての利用者に満足できるものではなく 、また後方業務も複雑になっていた。 これを解消するため、神奈中はプリペイドカード式回数乗車券(バスカード)の導入を決定した。 初期のカードリーダー 当時、バスカードは一部の均一運賃制路線での導入例はあったが、多区間運賃制の路線に対応したシステムは存在しなかったため、システムを新規に構築する必要があった。 にと共同でシステム開発に着手、1987年より伊勢原の路線バス15台にて実用化を前提とした試験を開始 、この結果を受けて1988年より「神奈中バスカード」の運用を開始した。 これは多区間運賃制路線では日本初のバスカード導入事例であり 、1990年には全車両での導入を達成している。 システム開発と導入にあたって、運輸省より「昭和63年度バス交通活性化補助」を受けているが、バスカード導入で補助対象になったのも日本で初めてである。 同時期にはやでもバスカードシステムが導入されており 、この後バスカードシステムを導入するバス事業者は増加してゆくことになる。 また、神奈中バスカードはその後へ発展解消していく事になるが、当初は神奈中のバスカードに採用されていたシステムとバス共通カードを導入していたバス事業者のバスカードのシステムが異なっていたため、バス共通カードが完全に導入されるまではバス共通カードを使用できない車両が存在した が、一方でカードの割引率などは神奈中バスカードにおいて設定されたものがバス共通カードでもそのまま踏襲されており、の「バス利用特典サービス」の特典バスチケットにもその金額は引き継がれている。 新しいバスサービスの展開 [ ] 一方、同じく神奈川県をテリトリーとする(現・)は1986年、夜行高速バス「」の運行を始める。 この路線の成功をきっかけとして、日本ではブームの如く夜行高速バス路線が開設されることになった。 神奈中もターミナルとして地元の横浜と町田に着目し 、(平成元年)からとの共同運行により、横浜と奈良を結ぶ夜行高速バスの運行を開始した。 同年中には京都・大阪・和歌山・広島への路線を開設 、1990年にはを開設した。 1989年末からは深夜急行バスの運行も開始している。 バス復権に向けて [ ] 神奈中ハイヤーに移管された貸切バス しかし、ここまで順調に規模を拡大してきた神奈中も、バブル経済崩壊後の不況の波から逃れることはできなかった。 に年間輸送人員が3億2百万人に達したのをピークとして 、以降はバス利用者数は減少傾向となった。 神奈中沿線に製造業が多いこともあり、消費低迷は製造業での業務縮小を招いた。 さらに少子化による通学需要の減少も作用し、路線バス利用者は年毎に減少してゆく。 これに対応するべく、の路線バス車両はすべて中型車での導入となり 、同年には町田・平塚・戸塚営業所に置かれていた貸切・観光バス部門の大半を子会社のに移管した。 その後、に神奈川県の第三セクター・の経営悪化に伴い同社の株式を取得の上子会社化、 同社の新横浜営業所とし、に県観光は神奈中ハイヤー観光バスに称号を変更、更に神奈中ハイヤーの貸切バス部門(町田・平塚・戸塚)を神奈中ハイヤー観光バスに移管した上で、にに改称した。 なお、この間の2月には小田急グループ自体の事業再編の一環として、旧の東京観光営業所(町田市鶴間)を神奈中ハイヤーで譲受し、野津田車庫に置かれていた自社の町田営業所と統合の上、旧箱根登山観光の営業所に移転している。 関連事業においては、それまで「くるまやラーメン」のフランチャイズとして展開していたものを2000年に提携解消し、「らーめん花楽」として独自の店舗展開を行うことになった。 また、1999年からはビデオ・CDレンタル事業(のフランチャイズ)も開始した。 その一方で、これまでの神奈中にはなかった施策もいくつか行われている。 ミニバス展開 [ ] 1997年に導入された小型バス「湘南ロコ号」 神奈中は元々大型車が中心で、狭隘路線など限定された範囲で中型車が導入されていた状態であった。 これは、幅2m程度の小型車ではワンマン運行に適した車両が少なかったことによる。 しかし、住民からの路線開設要望が多い路線については、リアエンジンの小型バスが販売開始となった事を機に、10月から3路線で小型バスによる路線の運行を開始した。 一方、の藤が岡団地では、駅からの途中に急坂がある上に住民の高齢化が進んでおり、路線バス運行の要望が高くなっていた。 神奈中では路線開設に向けて検討した結果、小型バスを使用すれば運営が可能と結論づけ 、5月より団地循環の路線を開設した。 団地内では約100m毎に停留所を設置、バス車内には住民が自由に使用できるコミュニティボードを設置する など、と同様の設定ではあるが、自治体からの補助は得ていない。 使用する車両には「湘南ロコ号」と愛称が付けられた。 以後、同様のミニバス路線がいくつか開設されている。 地域分社化 [ ] 分離子会社の車内に設けられた車内売店(2008年3月31日付で終了) 一方で、にが秦野地区から撤退することになり、その受け皿としてが設立された。 これを母体として、1997年からは相模原地区において同社への移管を行ったのを皮切りに、新たに地域毎に分離子会社の設立と管理委託などを進め、運行コストの低減を図った。 また、移管された路線の大半では不採算路線の増収策として車内で物品販売も行われ 、マスコミにも「車内売店のあるバス」として話題を提供した。 販売品目にが加わった際には売店の設置された各車両を米穀小売販売業者の店舗として神奈川県知事に登録していた。 これと並行して不採算路線の整理も進められる事になり、までに極端に乗車率の低い路線は廃止された。 日本初の環境定期券導入とスヌーピーバス [ ] この頃、問題がクローズアップされていた折、神奈中でも環境問題に取り組むことになった。 基本的にはマイカー通勤からバス通勤への移行を呼びかけるものであるが、ただ呼びかけるだけではバス会社の都合と受け止められる可能性を考慮し 、バス会社側でも新しい運賃制度を導入することが必要と考えられた。 スヌーピーバス 検討の結果、において導入されている環境定期券制度の導入を行うことになった。 これは通勤定期券を所持している利用者と同伴の家族が土休日に神奈中の一般路線を利用する際には1回の乗車が現金100円になるというものであるが、制度の導入だけではなく、広告塔に相当するものが必要と考えられた。 そこで、知名度が高く他社が使用していないキャラクターを選定することになり 、アメリカで環境問題について使用されているが選ばれた。 版権を持つ法人にも「環境保全が目的」と認められ、格段の配慮があったという。 こうして、1997年の日本で初となる環境定期券制度導入と同時に「スヌーピーバス」が運行開始された。 スヌーピーバスは2年間で40台が導入され、まで運行された他、一時期はでも運行されている。 潜在的需要の発掘 [ ] 1997年夏には、これからバスを利用する世代となるであろう児童層に着目し、路線バスの利用方法を覚えてもらうという趣旨 で「ちびっこ50円キャンペーン」を開始した。 現金払いの場合は一般路線の全路線で小児運賃50円となるというもので、当初は長期休暇とのみの実施であったが、多い時には1日1万3千人もの利用がある など一定の効果が認められた事から、後年すべての土曜・休日に適用を拡大している。 また、高齢者向けの施策としては、よりに65歳以上の運賃を100円とするサービスを行った後、6月より「かなちゃん手形」の発売を開始した。 これは、初めに購入するパスを安価に設定 、パスを提示した場合は乗車1回につき運賃を区間にかかわらず100円とするもので、1回毎の運賃を安価に設定することで乗車回数を増やす事を目的とした施策である。 1日1万2千人の利用があるという。 当初は車内でも発売していた。 これと同時に、一般路線の全線に有効な「」の発売も開始している。 21世紀に向けた新展開 [ ] 横浜市交通局から引き継いだ路線「11系統」 、神奈中では田村車庫・からへ向かう空港連絡バスの運行を開始、好調となった ため、以後町田・相模大野・港南台・辻堂・藤沢の各駅から羽田空港・を結ぶ路線も運行を開始した。 一方、夜行高速バスでは乗車率が高いにも拘らずコスト割れする路線もあり 、生活路線でない赤字路線の運行を続ける理由はないとの見地から 、広島・和歌山・奈良への路線は廃止され、盛岡への路線はの単独運行となった。 その他の路線は子会社の運行コストであれば存続可能と判断され 、に移管された。 後にに再移管されている。 以降は、他バス事業者からの路線譲受も行われた。 2004年2月には、横浜市交通局からの路線移譲について申し入れがあった ことから、2005年から2008年にかけて段階的に11系統を譲受した。 また、相模鉄道からも同じ時期に同様の申し入れがあったため 、こちらも2006年から2008年にかけて4系統を譲受している。 さらに、2006年には「横浜市生活交通バス路線維持制度」の対象となる15系統について公募が行われたが 、そのうち3系統については2007年から横浜市交通局に代わって運行を開始した。 「かなch. 」のモニター からは、茅ヶ崎・辻堂駅発着の一部路線で自転車をバスに搭載するサービスが開始された。 自転車を搭載可能な路線バスは前例がある が、バスの前面にを設置し、自転車をバスの前面に積載する方式は日本初の導入例である。 10月1日より、の路線バス50台の運転席後方にモニターを設置し、ニュース・天気予報・広告などを放映する「かなch. 」というサービスを開始した。 関連事業においては、2004年からは温浴施設(「」)の運営に参入する一方で 、スーパーマーケット「神奈中ストア」は2007年9月30日をもって全店舗閉鎖となり 、同時期にバス車内における物品販売も終了となっている。 連節バスと新たな公共交通の模索 [ ] 通勤・通学路線においては、新しいタイプの公共交通の模索も進められた。 と藤沢キャンパスを結ぶ路線は、朝のバス待ち行列が250人近く並ぶ有様で、通常のバスでは捌ききれない状況であった。 また、駅前広場の状況もにより一般車の乗り入れ規制や交通指導員の配置なども行われていたが、通常のバスによるこれ以上の増発は困難な状況であった。 このため、には藤沢市が中心となって新たな公共交通システムを導入するための検討委員会が設立され 、道路交通の遠隔化やバリアフリー化、さらに交通不便地域でのミニバスによるフィーダー路線運行によるマイカー抑制や環境保全などを目標と定めた。 その前提として、1台あたりの定員の多いを基幹路線に導入することになった。 藤沢市で導入された連節バス「ツインライナー」 ち201 日本において連節バスを製造していたは当時既にバス車体製造から撤退しており 、が制定されていたため床面地上高を550mm以下に抑える必要もあったことから、輸入車を導入することになり、のが日本総代理店となる製を導入する事になった。 これは日本の道路運送車両法により定められた連節バスの構造要件には合致しない車両 であったが、自治体及び警察の協力も得られたことから特別に認可され 、より「ツインライナー」と命名された、日本では初めての導入となるノンステップ連節バスが運行を開始した。 本路線を基幹路線とし、慶應義塾大学で「ツインライナー」に接続し、ミニバスで周辺地区を循環する支線バスによる交通網の拡大も行われた。 規制緩和への行動力 [ ] これに続き、は朝方通勤時のバス利用者が多いへの通勤路線に連節バスの導入を検討し、には独自の補助金制度を定めた。 しかし、この時には藤沢市で導入されていたセントロライナーが日本向け車両の供給を中止しており 、車種選定を改めて行うことになった。 町田市で導入された連節バス「ツインライナー」 ま201 神奈中ではに対して、日本での連節バス製造の可能性について打診した が、三菱ふそうは日本での製造は困難と回答し、代わりにグループのが製造するの導入支援を行うことになった。 受注にあたり、欧州規格のままの車体幅2. 55mで扉を設置しないという日本の道路運送車両法による保安基準をさらに超える仕様 での製造という条件があった が、神奈中では藤沢市での連節バス運行実績を基に独自で基準緩和を働きかけ 、より厚木市内でも連節バスの運行が開始された。 日本国内で欧州規格そのままの路線バス車両導入は初めての事例である。 これらの基準緩和に対する神奈中の行動力には、三菱ふそう関係者も大いに刺激を受けたという。 神奈中では、日本全国でも連節バスの導入が広まる事を期待しており 、連節バス導入を検討する他県の自治体に対して連節バスの貸し出し・実証実験運行や展示・試乗会への協力を行っている。 2008年8月には新潟市へ 、2009年10月には浜松市への貸し出しが行われた。 連節バスはから、藤沢市と厚木市に引き続き、町田市内でも運行が開始。 東京都内の一般路線で連節バスが運行される初のケースとなった。 その後、2018年には藤沢市で新たに2路線の運行を開始した。 乗合バス事業の再編へ [ ] 先述の通り、1996年の湘南神奈交バス設立以降順次進められてきた、神奈交バス5社への一部路線移管および運行管理の委託だったが、エリアの特性に応じた事業環境や効率化・最適化などを考慮し、この従来までの体勢を一新することが、に行われた取締役会において決議された。 効力は2017年1月1日 で、バス事業をエリアごとに 神奈川中央交通(神奈川中央交通+横浜神奈交バス、相模神奈交バス町田営業所を含む)、 神奈川中央交通東(藤沢神奈交バス+相模神奈交バス)、 神奈川中央交通西(湘南神奈交バス+津久井神奈交バス)の3社にそれぞれ吸収合併し再編、これにより従来の 神奈交バス5社(湘南、藤沢、横浜、相模、津久井)は消滅した。 再編の概要は、以下の表の通りである。 2016年12月26日のリリースで再編後の営業所が一部計画変更の上公表され、相模神奈交バス相模原営業所(峡の原車庫)が「橋本営業所(車番略称:「も」)」へ、相模神奈交バス厚木営業所(上荻野車庫)が「厚木北営業所(車番略称:「き」)」へ変更された。 その後、より大和・相模原営業所が新たに神奈川中央交通東に加わった。 再編前の営業所名 再編前の事業者 再編後の事業者 再編後の営業所名 備考 あ 厚木営業所(及川、下荻野操車所) 神奈川中央交通 神奈川中央交通 あ 厚木営業所 い 伊勢原営業所 神奈川中央交通 い 伊勢原営業所 現在の事業者は神奈川中央交通西 お (横浜営業所 舞岡操車所) 横浜神奈交バス 舞岡営業所 横浜神奈交バス お 舞岡営業所 2015年4月現在、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり)。 現在は全面解除 さ 相模原営業所(麻溝操車所) 神奈川中央交通 さ 相模原営業所 せ 綾瀬営業所 神奈川中央交通 せ 綾瀬営業所 た 多摩営業所 神奈川中央交通 た 多摩営業所 ち 茅ヶ崎営業所 神奈川中央交通 ち 茅ヶ崎営業所 と 戸塚営業所 神奈川中央交通 と 戸塚営業所 や (大和営業所 中山操車所) 横浜神奈交バス 中山営業所 横浜神奈交バス な 中山営業所 2015年4月現在、神奈川中央交通より全面受託 現在は全面解除 ま 町田営業所 相模神奈交バス 町田営業所 神奈川中央交通 相模神奈交バス ま 町田営業所 2015年4月現在、相模神奈交バスへ一部委託 や 大和営業所(鶴間操車所) 神奈川中央交通 や 大和営業所 2015年4月現在、鶴間操車所の一部を藤沢神奈交バスへ委託(神奈交自社路線あり) よ 横浜営業所 神奈川中央交通 よ 横浜営業所 相模神奈交バス 菅生営業所 相模神奈交バス 神奈川中央交通 東 菅生営業所 川崎市交通局を全面受託 平成29年3月26日 より、受託営業所を菅生からへ変更 した。 あ (厚木営業所 上荻野操車所) 相模神奈交バス 厚木営業所 相模神奈交バス き 厚木北営業所 2015年4月現在、神奈川中央交通より全面受託 ふ (茅ヶ崎営業所 藤沢操車所) 藤沢神奈交バス 藤沢営業所 藤沢神奈交バス ふ 藤沢営業所 2015年4月現在、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり) さ (相模原営業所 峡の原操車所) 相模神奈交バス 相模原営業所 相模神奈交バス も 橋本営業所 2015年4月現在、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり) や 藤沢神奈交バス 大和営業所 藤沢神奈交バス や 大和営業所 2015年4月現在、神奈川中央交通より鶴間操車場の一部を受託 (神奈交自社路線あり) つ (相模原営業所 三ヶ木操車所・城山操車所) 津久井神奈交バス 津久井営業所 津久井神奈交バス 神奈川中央交通 西 つ 津久井営業所 2015年4月現在、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり) は (伊勢原営業所 秦野操車所) 湘南神奈交バス 秦野営業所 湘南神奈交バス は 秦野営業所 2015年4月現在、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり) ひ 伊勢原営業所 平塚操車所 湘南神奈交バス 平塚営業所 神奈川中央交通 湘南神奈交バス ひ 平塚営業所 2015年4月現在、湘南神奈交バスへ一部委託(神奈交自社路線あり) バス事業 [ ] 路線バス [ ] 菫平局前バス停(神奈川県平塚市)- 神奈川県内及び東京都南多摩地域を中心に、神奈川県・東京都・山梨県に路線を持ち、2011年1月の時点で約700路線を運行している。 1960年代以降は当時収益性の高かった貸切バス事業の増強を抑え 、路線バス事業を中心とした経営に徹し 、1989年時点では全営業収入の79. 1987年のインタビュー記事では、1つの路線に複数事業者が参入することは「客足が落ちた時に先に逃げた方が勝ちで、責任逃れが出来る」という理由により、決して好ましいことではないとしていた。 ほぼ全車での販売を実施している ほか、一時期は収支改善のための努力として各神奈交バスの委託中型車に売店スペースを設置していた。 なお、傘など一部を除き、車内物販についてはをもって廃止となった。 将来の催しや施設が出来ることを見越し、採算度外視で運行している路線が2011年1月の時点で10路線ほど存在する。 これらの路線は免許維持路線と称されており 、廃止は考えられていない。 一般路線の詳細についてはの記事を参照のこと。 乗降方式 [ ] 町田営業所の前面行先表示。 中乗り前降り導入後は『中乗り』もしくは『先払』と表示される ワンマン化以後、乗降時の事故防止と運賃収受の適正化の観点から 、乗客の指向が鉄道駅などの一点に集中している路線や時間帯 、また均一運賃区間の路線などを除き 、乗降ともに前扉を使用する「前乗り前降り」方式を基本としていた。 しかし、利用者の要望やバリアフリー対応という観点から、中扉から乗車して前扉から降車する「中乗り前降り」方式の検討を進め 、2006年3月から伊勢原営業所管内で「中乗り前降り」方式の実証実験を開始した。 その後事故や問題などは発生しなかったことから本格導入に移行した。 神奈中では、停留所付近のバリアフリー整備など関係機関の協力が得られ次第、この乗降方式を拡大したい、としており 、2012年3月24日から茅ヶ崎営業所管内 、同年10月29日から伊勢原営業所秦野操車所(湘南神奈交バス秦野営業所を含む)管内 、2013年6月24日から平塚営業所(湘南神奈交バス平塚営業所を含む)管内 、同年10月27日から相模原営業所(相模神奈交バス相模原営業所・津久井神奈交バスを含む)管内、 2014年3月24日から厚木営業所(相模神奈交バス厚木営業所を含む)管内 、同年9月24日より綾瀬営業所管内及び茅ヶ崎営業所藤沢操車所(藤沢神奈交バス藤沢営業所を含む)管内 、2015年3月23日から戸塚営業所管内 、2016年3月22日からは大和営業所(藤沢神奈交バス大和営業所を含む)管内(一部の路線を除く) 、2017年3月21日からは多摩営業所管内及び町田営業所管内(一部の路線を除く)でも「中乗り前降り」方式へ変更された。 また、横浜市内均一運賃の区間を多く持つ横浜営業所・舞岡営業所(旧舞岡操車所・横浜神奈交バス舞岡営業所)・中山営業所(旧横浜神奈交バス中山営業所)では、対キロ路線も含む全路線で「前乗り中降り」の運賃先払い方式を採用している。 そのため、現在は営業所・路線ごとに乗降方式が混在している。 乗り継ぎ [ ] 路線再編に伴い、一部の停留所を発着する路線で乗り継ぎ割引を行っている。 原当麻駅、北里大学病院・北里大学、光が丘一丁目、上溝、小田急相模原駅、相武台前駅: 乗り継ぎ割引対象系統の指定停留所間を利用する場合に限る。 2003年12月の旧相模原市内における路線再編のため、2008年11月より開始。 割引額は大人100円、小児50円。 現金、PASMO及びSuica、回数券での支払いに限る。 1台目のバス降車時に乗務員へ乗り継ぐ旨を申告し、運賃を支払い「バス乗り継ぎ乗車証」を受け取り、2台目のバス降車時に「バス乗り継ぎ乗車証」を提示し、割引運賃を支払う。 田名バスターミナル: 乗り継ぎ割引対象系統の指定停留所間をPASMO及びSuicaで利用する場合に限る。 2014年4月1日の田名バスターミナル開業に伴う路線再編のため、同日より開始。 割引額は大人100円、小児50円。 1台目のバス降車時にPASMO・Suicaを使用して運賃全額を支払い、降車後60分以内に2台目のバスへPASMO・Suicaを使用して乗車した場合に限り適用。 二宮駅南口、押切(押切・塔台橋を含む): 乗り継ぎ割引対象系統の停留所からPASMO及びSuicaで乗車した場合に限る。 2016年3月26日の平塚駅北口~二宮駅南口~国府津駅線の路線再編のため、同日より開始(2017年3月31日に終了予定)。 割引額は大人170円、小児85円。 1台目のバスの降車時にPASMO・Suicaを使用して運賃全額を支払い、降車後60分以内に2台目のバスへPASMO・Suicaを使用して同一バス停から乗車した場合に限り適用。 なお、以下のように乗車する場合、1台目のバス降車時に乗務員へバスを2回乗り継ぐ旨を申告すると、3台目用の「バス乗り継ぎ乗車証」を受け取ることができる。 国道1号線経由 平塚駅北口方面~二宮駅南口で乗り継ぎ~押切(押切・塔台橋を含む)で乗り継ぎ~国府津駅、比奈窪、橘団地方面。 指差呼称 [ ] 夜行高速バス運行開始初期の車両(あ701) 深夜急行バスについてはとを参照。 かつては神奈中本体で6路線の夜行高速バスを運行していた。 その後、採算性の悪化により廃止や神奈交バスへの移管を経て、会社による単独運行や他系統への統合が行われた。 路線自体は存続しているが、神奈中では予約・発券業務のみを担当している。 そのため現在は昼行高速バスと空港連絡バスのみ運行している。 夜行高速バス [ ] 横浜・町田 - 奈良線() と共同運行。 神奈中では初の夜行高速バスであると同時に、神奈川県下においても初の夜行高速バス路線である。 1989年2月28日に運行開始 、1991年からはまで延長 、1993年11月4日からは経由となる。 2008年9月30日限りで神奈中は撤退し 、翌10月1日からはに統合。 横浜・町田 - 大阪線() 1989年3月23日から運行開始した路線で、との共同運行。 1991年5月11日からは横浜側の起点を本郷車庫へ変更。 1999年10月1日からは本厚木経由となり 、同時にダブルデッカーを導入。 2000年11月15日から湘南神奈交バスに移管 、さらに2008年6月16日からは横浜神奈交バスに移管。 2009年5月31日限りで神奈中グループは撤退し 、後述する横浜・町田 - 京都線と統合。 横浜・町田 - 京都線() 西日本ジェイアールバスとの共同運行 により、1989年7月20日から運行開始。 1999年10月1日からは本厚木経由となり 、同時にダブルデッカーを導入。 2000年11月15日から湘南神奈交バスに移管 、さらに2008年6月16日からは横浜神奈交バスに移管。 2009年5月31日限りで神奈中グループは撤退し 、前述の横浜・町田 - 大阪線と統合。 横浜・町田 - 和歌山線() との共同運行 により、1989年12月22日から運行開始。 1992年6月30日からは本厚木経由となる。 1998年3月から神奈中が撤退し 、と統合。 横浜・町田 - 広島線() との共同運行により 、1989年12月22日から運行開始 、1993年11月4日からは本厚木経由となる。 神奈中の歴史上では最長距離の路線であったが、1997年10月に廃止。 1990年7月5日より運行開始した路線で、との共同運行。 神奈中の夜行高速バスでは初めて本厚木発着となった路線で 、その後他の夜行高速バスも本厚木を停車地に追加した。 検討段階から交通ジャーナリストのが市場調査などで直接的に関わっており 、盛岡での開業初日のテープカットでは鈴木も招待されていた。 当初、岩手県側では岩手県交通との2社が参入を希望したが、その後両社間の調整で別路線への参入を条件にジェイアールバス東北は本路線への参入を見送ることになった。 他の路線と異なりが担当していた が、車両更新時には三菱エアロクィーンIに代替されると同時にに移管された。 後に神奈中よりに運行を移管されたが、限りで神奈中は撤退、岩手県交通の単独運行となった が、3月31日に廃止。 昼行高速バス [ ] 田村車庫・本厚木 - 新横浜線 2006年11月17日より運行開始。 2008年限りで廃止。 相模大野・町田・南町田 - ・線(アクアラインバス) との共同運行で 、2012年12月13日より運行開始。 毎日1往復(両社が0. 5往復ずつ)、朝は木更津方面、夕は相模大野・町田方面が運行される。 よりに停車。 同年12月16日より木更津駅西口まで延長。 南町田・町田・橋本 - ・線 との共同運行で 、より運行開始。 毎日1往復、朝は河口湖方面、夕は橋本・町田方面が運行される。 富士急側は2017年4月1日よりから富士急湘南バスに運行移管。 2017年7月1日より南町田駅に停車。 藤沢・辻堂・本厚木 - 富士急ハイランド・河口湖駅線 富士急湘南バスとの共同運行で 、2015年8月10日より運行開始。 毎日1往復、朝は河口湖方面、夕は本厚木・辻堂・藤沢方面が運行される。 富士急側は2017年4月1日より富士急山梨バスから富士急湘南バスに運行移管。 アクアラインバスとして使用される車両(さ854) 空港連絡バス [ ] 羽田空港発着 [ ] 田村車庫・本厚木発着 とので 、1999年6月14日より運行開始。 神奈中側は2016年8月16日より湘南神奈交バス(現:神奈川中央交通西)に運行移管。 は、から停車。 相模大野・町田・南町田発着 京浜急行バス との共同運行で 、2001年8月7日より運行開始。 2017年7月1日より一部便が南町田駅に停車。 戸塚・港南台発着 神奈中側では(現:神奈川中央交通)が運行を担当、京浜急行バス との共同運行で 、2003年7月18日より運行開始。 当初は港南台駅発着のみであったが、2004年12月1日より一部便が戸塚駅東口まで延長。 2015年4月より一部便が東戸塚駅東口・上永谷駅に停車。 海老名発着 京浜急行バス・との共同運行。 2012年3月30日より運行開始。 神奈中側は2016年8月16日より湘南神奈交バス(現:神奈川中央交通西)に運行移管。 成田空港発着 [ ] 田村車庫・本厚木-成田空港線の車両(ひ852) 橋本・相模大野・町田・南町田発着 との共同運行で 、2000年6月20日より運行開始。 当初は・発着であったが、2004年12月16日より一部便が南口まで延長。 神奈中側は2016年8月16日より一部を湘南神奈交バス(現:神奈川中央交通西)に運行移管。 2017年7月1日より一部便が南町田駅に停車。 田村車庫・本厚木発着 京成バス との共同運行で 、2001年6月14日より運行開始。 神奈中側は2016年8月16日より湘南神奈交バスに運行移管。 茅ヶ崎・藤沢・戸塚発着 成田空港交通との共同運行で 、2007年3月22日より運行開始。 当初は・発着であったが、2009年3月1日より茅ヶ崎駅まで延長。 2016年4月1日より京成バス運行便がに移管された。 神奈中側は2016年8月16日より湘南神奈交バス(現:神奈川中央交通西)に運行移管。 2016年10月1日より成田空港交通の単独運行化。 貸切バス [ ] 特定バスに使用される車両の例(あ303) 神奈中の特定旅客事業(特定バス)は、1975年にの運行を受託したことが始まりである。 その後、企業送迎や学校スクールバスの自家用車両の代替に着目し 、再雇用者によるコスト低減や運行計画・車体デザインの受け入れ態勢などを整備した上で 、専用のパンフレットまで作成してセールスを行った。 この結果、顧客が大幅に拡大し、神奈中の事業の柱の1つにまでなった。 他の事業に使用される車両と異なり、特定輸送バス事業における車種や車両仕様、外装デザインはさまざまである が、これは特定輸送は顧客の要望が反映されるためである。 例としては、着手のきっかけとなった東京都教育委員会のスクールバスにおいて、他の地区にあわせての貸切バス塗装が施されていた事例 や、伊勢原営業所の福祉施設送迎用車両で(定員6名・リフトつき)が採用されていた事例 などが挙げられる。 事業所 [ ] この節は更新が必要とされています。 この節には古い情報が掲載されています。 編集の際に新しい情報を記事にさせてください。 反映後、このタグは除去してください。 ( 2017年1月) 統合により神奈川中央乗合自動車が発足した1944年6月16日の時点では、以下の営業所が存在した。 東海道乗合自動車の営業所 弘明寺 ・戸塚 ・平塚 ・中野 ・町田 旧・藤沢自動車の営業所 藤沢 ・茅ヶ崎 ・厚木 旧・秦野自動車の営業所 秦野 旧・伊勢原自動車の営業所 伊勢原 その後、同年9月16日には茅ヶ崎営業所を平塚営業所に統合した ほか、相模鉄道のバス事業譲り受けに伴い、同年11月28日に上溝営業所が発足している。 戦後、1952年2月23日に鶴間営業所が開設された ことに伴い、町田営業所は鶴間営業所の出張所となった。 1954年には弘明寺営業所の業務を横浜市南区笹下町に新設された横浜営業所に移転 、1958年6月25日には町田営業所が開設され 、逆に鶴間営業所は町田営業所の出張所となった。 同年9月22日には、上溝営業所が移転の上相模原営業所に改称している。 1960年には中野営業所を津久井営業所に改称した。 1960年代以降、輸送力の増強に伴う車両の増加に対応するために、営業所を郊外へ新設や移転を行い、同時に敷地面積も拡大するという手法がとられた。 まず1962年には厚木営業所上荻野出張所(当時)・戸塚営業所長後出張所(当時)が開設され 、翌1963年4月20日には戸塚営業所を戸塚駅前から郊外(横浜市戸塚区中田町、現 立場ターミナル停留所)に移転 、同年5月10日には舞岡営業所が新設された ほか、1963年12月25日には横浜営業所本郷出張所が竣工 、1964年8月15日には平塚営業所から分離して 茅ヶ崎営業所が設立された。 なお、命令系統の明確化を目的として 、1962年以降は各営業所は運輸部所属部門から社長直轄の事業所に変更された。 1965年に車両数が1000台を超えると、さらに郊外への移転が進められた。 1966年6月10日に秦野営業所 が移転、1968年には平塚営業所田村操車所が竣工 、1969年には町田営業所が移転 、1970年には町田営業所から鶴間操車所が分離して大和営業所が発足 、1971年には相模原営業所峡の原車庫が開設され 、1972年には厚木営業所も移転した。 1973年には貸切業務が平塚・戸塚の2営業所に統合された ほか、戸塚営業所長後操車所を藤沢営業所に 、津久井営業所の橋本操車所を相模原営業所へそれぞれ移管した。 1988年12月24日からは藤沢営業所から分離するかたちで 綾瀬市吉岡に綾瀬営業所が開設され 、藤沢営業所長後操車所は廃止された。 2001年7月29日には多摩営業所が開設された。 2005年4月16日からは、藤沢営業所は茅ヶ崎営業所藤沢操車所に 、津久井営業所・城山操車所2005年4月16日よりそれぞれ相模原営業所三ヶ木操車所・相模原営業所城山操車所)に 、秦野営業所は2008年5月16日より伊勢原営業所秦野操車所に 、舞岡営業所は2011年10月16日より横浜営業所舞岡操車所に変更された。 各地区の神奈交バスへの全面的な管理委託が行われたことによるもので、神奈川中央交通本体としての営業所機能は廃止された。 その後の会社再編により神奈交バス5社は消滅し、次の通り再編された。 旧 横浜神奈交バスの営業所:・を神奈川中央交通に移管。 旧 相模神奈交バスの営業所:相模原(相模原営業所峡の原操車所)・厚木(厚木営業所上荻野操車所)を神奈川中央交通 東に移管しそれぞれ・に名称を変更し、は神奈川中央交通の営業所に一本化された。 旧 藤沢神奈交バスの営業所:・を神奈川中央交通 東に移管。 旧 湘南神奈交バスの営業所:・を神奈川中央交通 西に移管。 旧 津久井神奈交バスの営業所:を神奈川中央交通 西に移管。 また、上記の再編に続きには、神奈川中央交通の営業所であった・・の各営業所が神奈川中央交通 東に移管された。 には、神奈川中央交通の営業所であったが神奈川中央交通 西に移管された。 なお、2009年6月からは、それまで社長直轄事業所であった各営業所は、運輸営業部に所属する部門に変更された。 各営業所の特徴として、乗務員の休憩室と事務室の仕切りがなく 、事務員が多忙の際には休憩中の乗務員が外部からの問い合わせ電話を受けることもある という点が挙げられる。 営業所 [ ] 営業所名後ろの括弧内の平仮名及び英字は営業所を略記する際の記号。 個別の路線については各営業所及び操車所の項目を参照のこと。 ( あ)・( き) -• ( い) - 神奈川県• ( は) - 神奈川県• ( さ) - 神奈川県• ( も) - 神奈川県相模原市• ( つ) - 神奈川県相模原市緑区• ( せ) - 神奈川県• ( た) -• ( ち) - 神奈川県• ( ふ) - 神奈川県• ( と) - 神奈川県• ( ひ) - 神奈川県• ( ま) - 東京都• ( や) - 神奈川県• ( な) - 神奈川県横浜市• ( よ) - 神奈川県横浜市• ( お) - 神奈川県横浜市 廃止・改称・移管された営業所・操車所 [ ] この節は更新が必要とされています。 この節には古い情報が掲載されています。 編集の際に新しい情報を記事にさせてください。 反映後、このタグは除去してください。 ( 2017年8月)• - 神奈川県横浜市(に移転の上横浜営業所に改称 )• - 神奈川県相模原市(に移転の上相模原営業所に改称 )• - 神奈川県(廃止 )• 藤沢営業所長後操車所 - 神奈川県藤沢市(現 長後駅前サービスセンター。 営業所機能は綾瀬営業所に移行 )• 藤沢営業所用田操車所 - 神奈川県綾瀬市(1988年廃止。 営業所機能は綾瀬営業所に移行 )• 横浜営業所笹下操車所 - 神奈川県横浜市(廃止。 営業所機能は管轄の本郷操車所に移転)• 神奈中ハイヤー観光バス 新横浜営業所 - 神奈川県横浜市港北区(2004年廃止)• 元は県の第三セクター 神奈川県観光の営業所。 同じ神奈中ハイヤー観光バス(当時)の平塚・町田・戸塚営業所へ統合し廃止。 詳細はを参照。 - 神奈川県藤沢市(2005年4月16日に茅ヶ崎営業所へ統合し廃止、操車所化 )• - 神奈川県(2005年4月16日に相模原営業所へ統合し廃止、操車所化 )• 津久井営業所城山操車所 - 神奈川県津久井郡(2005年4月16日に相模原営業所に移管 )• 神奈中観光 戸塚営業所 - 神奈川県横浜市戸塚区(2006年廃止)• 先立った小田急グループ内の事業再編で、2002年に旧・箱根登山観光バス東京営業所を統合し、野津田車庫から旧箱根登山観光の車庫へ移転していた当時の神奈中観光 町田営業所(町田市鶴間。 現・東京営業所)と2006年に統合し廃止。 詳細はを参照。 なお、現在も車庫は現存し、神奈川中央交通戸塚営業所 上矢部操車所として休憩や待機で使用している。 - 神奈川県秦野市(2008年5月16日に伊勢原営業所へ統合し廃止、操車所化 )• 神奈中観光 平塚営業所 - 神奈川県平塚市(2008年改称。 現在の神奈川営業所)• 神奈中観光 町田営業所 - 東京都町田市(2008年改称。 現在の東京営業所)• - 神奈川県横浜市戸塚区(2011年10月16日に横浜営業所へ統合し廃止、操車所化) なお、藤沢・津久井・秦野・舞岡については、子会社への全面委託化に伴う 操車所化であり、それぞれ神奈交バスの営業所として現存していた。 また、事業再編の項での先述通り、舞岡については2017年の事業再編で再び神奈川中央交通の営業所となった。 神奈川中央交通東・神奈川中央交通西・神奈中観光の営業所 [ ] この節は更新が必要とされています。 この節には古い情報が掲載されています。 編集の際に新しい情報を記事にさせてください。 反映後、このタグは除去してください。 ( 2017年8月) 記号は各社の自社所有車両に使用される(受託車両には用いない)。 なお、所在地に併記した営業所名は、各神奈交・観光の営業所が所在する神奈中本体の営業所・操車所を表す。 ( か)• - 神奈川県平塚市(平塚営業所田村操車所)• - 神奈川県秦野市(伊勢原営業所秦野操車所)• ( FK)• - 神奈川県大和市(大和営業所鶴間操車所)• - 神奈川県藤沢市(茅ヶ崎営業所藤沢操車所)• ( SK)• - 神奈川県相模原市緑区(相模原営業所峡の原操車所)• - 神奈川県厚木市(厚木営業所上荻野操車所)• - 東京都町田市(町田営業所)• ( T-)• - 神奈川県相模原市緑区(相模原営業所三ヶ木操車所)• 津久井営業所城山操車所 - 神奈川県相模原市緑区(相模原営業所城山操車所)• ( YK)• - 神奈川県横浜市戸塚区(横浜営業所舞岡操車所)• - 神奈川県横浜市緑区(大和営業所中山操車所)• 東京営業所( M-) - 東京都町田市• 神奈川営業所( H-) - 神奈川県平塚市(平塚営業所八幡操車所) なお、この他に以下の子会社が限定的に路線バスを運行している。 (神奈川県海老名市。 神奈中タクシーホールディングス、子会社)• やまとんGOのうち、中央林間西側地域・深見地域・桜ヶ丘地域の3ルートを運行(同じ大和市コミュニティバスの やまとんGO相模大塚地域および のろっと北部・南部ルートは神奈川中央交通大和営業所が担当) 企画乗車券 [ ]• かなちゃん手形• 65歳以上の利用者限定で購入でき、手形を呈示することで一般路線バスを本来の運賃に関係なく1乗車100円 深夜バスは200円 で利用できる。 3か月3500円、6か月5900円、1年10800円である。 一日乗車券• 神奈川中央交通の一般路線バスが乗り放題になるフリー乗車券。 ICカードと磁気券の2種類があり、ICカードは当日のみ使用可能。 大人1050円、小児530円。 車両 [ ] 本節では便宜上、大型車のうち全長が10. 5mから10. 9mの車両を「標準尺車」、全長が9mから10. 5m未満の車両を「短尺車」、全長11m級の車両を「長尺車」と標記する。 車両史 [ ] 創業期の車両 [ ] 神奈中の前身となる事業者の1つである鶴屋商会では、や、などの輸入車両が使用された記録が残っている。 戦時中から終戦直後 [ ] 1940年10月になると、石油消費規制が強化されたことに伴い、保有車両の7割がされた。 さらに、1941年8月には液体燃料配給停止の措置がとられたため、保有車両の全車両が代用燃料化されることになった。 当初は代用燃料は木炭と薪が使用されていた。 神奈川県内では清川村が良質の木炭の産地であった。 地元民からは「木炭を特別に配給するからダイヤの完全運行をしてほしい」という依頼もあったという。 ところが、1945年に入ると県内産木炭の入荷が途絶え 、やむを得ず福島県から鉄道輸送によって木炭を入手することになった。 しかし、神奈川県産の木炭と比べるとガス発生量は少なかったという。 その福島県産の木炭さえも入手が難しくなり、最終的にはほぼ薪に頼る状態となった。 薪については、代用燃料導入当初は、ガス発生にも適する状態のよく乾燥された良質の薪が入手できていた が、1944年頃からは乾燥が不十分な状態のままで入荷することになった。 薪の産地は丹沢の森林地帯で 、トラックや座席を撤去したバスで足柄上郡三保村まで直接取りに行っていたという。 終戦直後になると、薪の加工工場の生産能力が間に合わず、1946年には渋沢に薪生産工場を設けて自社生産を行った。 燃料以外の保守部品も不足しており、エンジンオイルは鉱物油・植物油・魚油を混合したものを使用し 、しかも一度使用したオイルは再生の上配給に回された。 窓ガラスが破れた場所には板が張られ 、雨漏りの補修もままならず 、雨の日には車内で乗客が破れた傘をさしている光景も見られたという。 なお、空襲を避けるため、横浜市内の路線を担当する戸塚営業所では全車両に装甲車に見えるようなカムフラージュを施して営業していたという。 戦後の復興 [ ] 戦後、稼動車両を早期に増強しないと収入が見込めない状態であった。 しかし、バスはシャーシが割り当てられたものの架装すべき車体がない状態であった。 また、部品を他の車両に流用したままになっていた遊休車両もあった。 そこで、秦野町(当時)にある神中自動車工業秦野工場を買収し、秦野工場として自社で車両整備を行うことになり 、1947年から秦野工場として本格的に業務が開始された。 同工場で再生された車両は、自製のボンネット周りに外観上の特徴があった。 また、戦後の貸切バス再開に伴い、1936年式のフォードの内装を改装した貸切バス車両を2台導入したが 、これも秦野工場で再生された。 秦野工場は各営業所の付属工場の整備が進んだに閉鎖された が、戦後の車両復興に大きく貢献した。 ディーゼルバス導入から高度成長期へ [ ] 1948年10月には、初のディーゼルバスとしていすゞ・BX91型が5台導入された。 翌1949年に導入された車両からは、路線バス車両のカラーリングについて、ベース色がクリーム色に変更された。 1963年には、清川村の札掛へ乗り入れる路線が開設された が、この路線に導入された車両は、当時の神奈中としては唯一のマイクロバスであった。 高度成長期は輸送力増強に対応するため、道路環境が整備されているとは限らなかったにもかかわらず、高度成長期からまでの神奈中で導入される車両の大半は長尺車であった。 車両数もに見られるように増加の一途を辿り、特に厚木営業所では1985年度に所属台数が200台を超えている。 1980年代以降の車両概説 [ ] 半ばに神奈川三菱ふそう自動車販売が傘下となってからは三菱ふそう製車両の導入が多くなり 、2005年時点では9割以上が三菱ふそう車となっている。 相模原・多摩・戸塚・平塚・町田・横浜など、大型路線車のほとんど全車が三菱ふそう車で占められている営業所も多数存在する。 いすゞ製の車両は綾瀬・茅ヶ崎・藤沢・大和の各営業所に多く 、日野製の大型車両はハイブリッド車と一部のブルーリボンII以外は全車両が伊勢原営業所に配置され 、日産ディーゼルは主に厚木・平塚・秦野の各営業所に配置された。 各メーカーの車両とも、1990年以降はノンステップバスなど一部の短尺車を除き標準尺車のみの導入に統一されている。 狭隘路線や閑散路線には中型車も導入されており、こちらもかつては4メーカーから導入していたが、日野製の中型車は2009年までに日産ディーゼルの中型車は2011年に全廃となり、現在は三菱ふそう製といすゞ製のみの在籍となっている。 製の車両までは6年から8年程度(長くても10年程度)で廃車されるケースが多かった が、近年は使用年限を延長しており 、2017年時点で最も古い車両は2001年式である。 日産ディーゼル車についても富士重工および製で導入されていた が、2010年後半以降は三菱ふそうからのOEM車種であるスペースランナーAを導入していた。 日野・ポンチョ(ま175) 撮影:町田バスセンター 自らが所属する営業所長から各運転士に対して乗務車両を任命し、運転士はその車両の専属乗務や簡単な車両管理などを行う「担当車制」を採用している。 運転士の手入れにより、使用年限の途中での車体更新は行なわれていないにもかかわらず 、経年車でも美しく保たれている車両が多い。 2012年の時点では神奈川中央交通本体における車両の保有台数は約2100台で 、これは日本最多保有台数である。 路線車両の仕様 [ ] ノンステップバスの導入はより積極的に推進している。 標準尺車と短尺車を導入している。 当初はノンステップバスには専用のカラーリング()を採用していたが、以降は一般車と同じデザインに変更されている。 三菱車においてはエアロスターを増備しているが、から2009年前半までは一部を除いて日産ディーゼルからの車種であるエアロスター-S(AA系)を導入していた。 なお、通常の路線車は1998年からアイドリングストップが標準に 、2001年からはワンステップバスが標準となった。 2002年7月25日からは、後窓に後方視界確保のための広角レンズ設置が開始された。 行先表示器が白色LED化された車両 大型方向幕は1985年9月から採用され 、5月13日からLED行先表示器の導入が開始され 、方向幕の車両も2004年頃の改造開始から3年程度でLED表示器に載せ変えた。 これにより、路線開設や廃止などによる幕交換やほこりなどで汚れた幕の清掃などの負担が大幅に軽減された。 8月31日からは白色の新型行先表示器を搭載した車両が導入され、今後は全営業所で順次導入予定。 また、路線バスの車内放送は長らく8トラテープを使用していたが、2005年10月23日より製音声合成装置の導入が開始された。 出庫時に運行ダイヤを設定することによって、LED式行先表示器・運賃表示器・整理券発行器・カードリーダーが集中制御できるようになった。 の新車より仕様で導入されている。 これは同社を通じて購入することによりコストを抑えながら短期間で大量の更新が行えるようになっている。 このため、床面処理・ドア配置や空調装備品などは小田急グループのバス事業者共通の仕様となっている。 2015年中盤の導入車から大型車はのQKG-MP38FK、中型車はの SDG-LR290J1或いはSDG-LR290J2、小型車はといったノンステップ化への統一や神奈中独自の仕様であった運賃幕や出入口幕の廃止に伴い、2014年中盤の新車から神奈中独自の仕様が消滅しつつある。 2009年7月以降の導入車は吊り手が三角になった 特徴的な仕様 [ ] バス専業としては日本最大の事業者だけに1年あたりの導入車両数が多く、その結果「神奈中仕様」とも言える特注仕様が存在する。 後ヒンジ式前扉 1979年まで、折戸の前扉が通常とは逆の後ろ側に開く後ヒンジ式だった。 運賃支払い方法表示窓 1980年代から、車両前面の向かって右側の窓下 に設置された「運賃支払い方法表示窓」が設けられた。 尚、一時期江ノ電バスでも使用されたことがあった。 2014年度からこの表示窓を廃止し、一部いすゞ・日野製車ではステッカーに変更される車両も登場したが、ステッカーは2018年前半までとなった。 大型バンパー 2000年導入車までは前後のバンパーは大型の仕様が標準となっていた が、これはバンパーをフロントガラスの清掃の際に使用するステップと兼用させるためであった。 長尺車 かつて三菱にホイルベース5. 8mで全長が11m級の車両(長尺車) を特注し、これをMP218-Nとしてメーカーに追加で型式認定させた程の力を持つ。 しかし、を最後に長尺車の導入は終了し 、以後は標準尺車をメインに導入されている。 また、には全長9m・幅2. 3m級の中型車両を大量に導入している。 2014年中旬のMP38導入以降はノンステップバスは短尺車、2015年度以降は全車ノンステップの短尺車で統一されている。 新ステップ車 1992年9月25日から試用開始し 、1994年から2000年にかけて導入された標準床車両は全て前扉に製の可動式ステップを設置した「新ステップ車」となっている。 これはさらに床の低い車両の導入や観光バスなどで見られる補助ステップでは、新興住宅地に多い急坂では車体と路面の接触の可能性があったため 、乗降性の改善策として、・・との共同開発により導入された。 この「新ステップ」は横浜市交通局・・など、他の事業者にも波及している。 しかし、2017年に『つ605』を最後に新ステップ車は神奈中から消滅した。 詳細は「」を参照 車両塗装 [ ] 名称は一般的に呼ばれているものであり、正式なものではない。 一部にラッピングのものも含まれる。 一般路線車の標準色 [ ] 1949年の新車から採用された。 当初は下部の赤色が波形になっており、前面などにも差異があったが、1987年から直線的なデザインに変更された。 波形デザインの車両は1999年6月30日に廃車となった「さ154」が最後であった。 2004年からは正面の社紋が「かなちゅう」「かなこう」ロゴマークに変更された。 2012年6月1日より神奈中グループのブランドマークが制定され 、路線バス車両の前面、側面、後面に青色で「Kanachu」と書かれたブランドマークの貼り付けが順次行われている。 ツインライナー色(あ201) 貸切色 [ ] 旧来の貸切色は、1953年6月に導入された車両から導入された 、白地に赤と青の塗り分け。 貸切・観光バス用車両や、一部の路線バス車両・特定輸送車両等に用いられた。 2013年現在でも、旧貸切色そのままあるいは簡略化(特定色)したデザインで、企業・学校・養護学校等の特定輸送車両に用いられている。 1989年には、スーパーハイデッカー車の導入とともに、ブルーイエローと共通する新デザインの貸切色が採用された が、1997年以降は順次小田急グループ統一デザインに変更された。 なお、車体のロゴ表記は、神奈中ハイヤー時代は Kanachu Hire 、神奈中観光となってからの車体表記は Kanachuで、いずれも神奈中本体の所属車両とは異なっている。 町田営業所所属のリフト車色(ま197) かなみんラッピングバス [ ] (平成26年)より各営業所(藤沢・秦野・厚木・津久井・相模原の神奈交委託も含む)に順次導入された、神奈川中央交通公式キャラクター かなみんのラッピングバス。 車体デザインは、横浜みなとみらい地区が描かれた桃色、海水浴するかなみんが描かれた青色、登山するかなみんが描かれた緑色、住宅街が描かれた水色の4種類が存在し、それぞれその地域を所管する営業所にあったイメージのものが導入されている。 2019年に全車ラッピングが剥がされ、同年導入の新車に新デザインの塗装がされている。 また、このかなみんラッピングバスでは、前面の行先表示器左側へ「かなみん」ステッカー(「みんくる」・「ノッテちゃん」・「きゅんた」ステッカーと同様のもの )を貼り付けており、車内の座席もかなみんが描かれた仕様となっている。 しかしながら、『かなちゃん号』とは違い、コスト削減の為にラッピングで施されている。 2019年以降の新デザインでは、ラッピング施工車が2015年標準仕様ノンステップの為、同位置にはベビーカーステッカーの貼り付けがなされており、「かなみん」ステッカーの貼り付けは一代限りとなった。 その他 [ ] YAMATE LINER 茶色の濃淡にロゴが入る。 4月により移管された舞岡営業所11系統用に登場。 後に11系統にはノンステップ車を運用する事になり、それまで11系統で使用していたワンステップ車は3台を除き11系統の運用を外れ、それらの車両は塗色はそのままでロゴのみが'KANACHU-BUS'に書き換えられたものとなっている。 なお、同塗装の車両は11系統の他に、60系統、保土ヶ谷駅東口発着の77系統、保06系統でも運用される。 自転車ラックバス 前面がオレンジ、側面がオレンジと白のツートンカラー。 「BICYCLE CARRIER」のロゴも施されている。 この他、「湘南めぐみが丘」色、町田市民バスまちっこ(町18・町28系統)色や、各自治体から受託運行しているコミュニティバスの専用色などがある。 数字部分については多少例外はあるものの、基本的には以下のルールで附番されている。 1~299:親会社保有の路線車 ミニバス・コミュニティバスなどの特殊な車両は、営業所によっては201、202…などのきりの良い番号から附番される場合もある。 301~399:特定車(学校・企業・病院などの契約輸送用)• 501~599:貸切車(特定車と同様に契約輸送用)• 601~699:元神奈交車両• 850~899:空港路線用 廃車や転出の際には、基本的に、代替される新車または転入車へ番号が引き継がれる。 増車の際には欠番となっている番号を振ったり、減車の際にはその番号を欠番にすることがあるほか、減車台数が多い時には番号の整理を行うことがある。 バス車内には、運転席上に表示された正式な社番とは別に、用の「車両番号」が表示されている。 なお、神奈中バスロケーションシステムのモバイル版では、現在乗車しているバスの車両番号を入力する事で、その先の各停留所の到着予想時刻を参照したり、で送信する事が可能である。 広報 [ ] (平成26年)に神奈川中央交通の公式マスコットキャラクターとして「かなみん」が制定された。 乗客や地域住民に親しみを持ってもらうことを目的とし、神奈川中央交通の略称「神奈中(かなチュー)」からをモチーフにしたキャラクターとなっている。 名前募集には4,842件の応募が寄せられた。 グループ会社 [ ] 連結子会社 [ ] バス [ ]• 神奈川中央交通東:乗合、特定、貸切、運行管理受託• 神奈川中央交通西:乗合、特定、運行管理受託 その他 [ ] グループでの資材一括調達、かなちゅうクリーニング、の経営など。 神奈中タクシーホールディングス ・の経営統合を目的として2009年9月に設立された。 神奈中スポーツデザイン グループ内の娯楽施設・神奈中スイミング等の経営。 アドベル 広告代理業、清掃業 平塚・秦野におけるホテル事業 自動車整備業 自動車販売業 らーめん花樂の運営、各種店舗フランチャイズ経営 グループ企業のシステム・サーバー管理、ソフトウェア製作など 総合ビルメンテナンス 神奈中相模ヤナセ 輸入自動車販売 過去の子会社 [ ]• :乗合、特定、貸切、運行管理受託• :乗合、特定、運行管理受託• :乗合、運行管理受託• :乗合、運行管理受託• :乗合、運行管理受託• :貸切 持分法適用関連会社 [ ]• データ [ ] 大株主の状況(2019年3月31日現在) [ ] 神奈川中央交通は、小田急電鉄の持分法適用関連会社である。 株式会社 - 45. 株式会社(常任代理人:株式会社) - 4. 株式会社 - 1. 株式会社(退職給付信託口) - 1. 三井住友信託銀行株式会社(常任代理人:日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社)- 1. - 相武自動車株式会社設立。 当時の横浜市大岡地区では乗合自動車を始める者が乱立し、競争が繰り広げられていた。 この無益な競争に終止符を打つべく、関係者が同社を設立し整理統合を行った。 - 金沢自動車運輸より路線承継(滝頭 - 杉田 - 瀬戸 - 間)。 7月 - (創業者)が社長に就任。 11月 - 鶴屋商会(5月創業、 - 間の乗合自動車を運営)の大木敏行が買収。 杉田 - 逗子間を湘南乗合自動車へ譲渡(現在ののルーツ)。 12月 - 鶴屋商会及び戸塚自動車商会(戸塚 - 岡津間)を合併。 - 相武鶴屋自動車株式会社に商号を変更。 5月 - 東京横浜電鉄(現在の)に買収され、同社の傘下に入る。 - 中央相武自動車を合併、 東海道乗合自動車株式会社に商号変更。 - 同じ東横傘下の関東乗合自動車及びの一部路線を譲受。 2月 - 秦野自動車(1921年8月設立、 - 平塚間、秦野 - 間他)を合併。 4月 - 東京急行電鉄、神奈川県下の陸上交通統制の趣旨に基づき、伊勢原自動車及び藤沢自動車を買収。 - 東海道乗合自動車は伊勢原自動車及び藤沢自動車を合併。 - 神奈川中央乗合自動車株式会社に商号を変更。 - 及び江ノ島電気鉄道の乗合自動車事業を譲受(3月に譲渡契約を締結。 江ノ電バスはこれで消滅)。 11月 - ・事業を相模中央交通に譲渡。 6月1日 - 東京急行電鉄の再編成に伴い、同社より分離・新発足した小田急電鉄の傘下会社になる。 1949年• 5月 - に上場。 6月20日 - 江ノ島電気鉄道に一部路線を譲渡(江ノ電バスの復活)。 藤沢駅 - 七里ヶ浜 - 鎌倉駅間、藤沢駅 - - 辻堂駅間(旧来の江ノ電路線) 藤沢駅 - 深沢 - 鎌倉駅間、鎌倉駅 - - 日野 - 間、大船駅 - 飯島 - 戸塚駅裏口間• - 相模中央交通を合併してハイヤー・タクシー事業を再び兼業する。 - 神奈川中央交通株式会社に商号を変更。 昭和30年代に平塚駅から伊勢原市大山までトロリーバスの運行を計画したことがあったが、道路事情の悪さから道路を管理する神奈川県が難色を示し、中止となった。 2月1日 - 伊勢原営業所・茅ヶ崎営業所の管内全路線でを開始。 多区間運賃路線での整理券方式によるワンマン化は日本では初めて。 - - 鶴川団地線に日本初のを運行開始。 当時は運賃は3倍 、定期券は利用不可であった。 4月 - ハイヤー・タクシー事業をに譲渡。 5月 - ヤビツ峠線のワンマン化に伴い、全路線のワンマン化が終了。 - (現・相模原市)の路線でを初めて設定。 以後順次導入路線を拡大。 - 路線バス車両にデジタル式の導入開始。 - 路線バス車両に冷房車の導入を開始。 9月9日 - 路線バス車両に大型方向幕の導入を開始。 - 開業60周年を記念し、薪バス「三太号」を復元。 4月1日 - 全系統にを附番。 横浜市内の均一運賃区間において、共通回数券を導入。 3月3日 - 一般路線バスの塗装を変更。 4月 - ギャラリーバスの運行開始。 全社で26台導入し、すべての営業所に配置された。 一般公募により、同年7月に「カナちゃん号」と命名された。 5月29日 - 路線バス全車両が冷房車となった。 - 多区間運賃制の路線バスでは日本初となるバスカードシステムを平塚・伊勢原・秦野の各営業所で導入開始。 2月28日 - 夜行高速バス運行開始。 12月22日 - 深夜急行バス運行開始。 - 横浜・舞岡・戸塚の各営業所での導入を最後に全路線へのバスカードシステム導入完了。 9月25日 - と共同で、従来のツーステップバスをペースに前扉のステップにリフト機器を取り付けた新ステップ車の試作車が5台運行開始。 3月にも10台の試作車が投入された。 から量産車を投入し、までの大型車と中型車全車に取り付けた。 4月1日 - 並びに事業を神奈中ハイヤーに譲渡 (現在の)。 4月1日 - 一部路線並びに事業をに譲渡。 1997年 - 環境保護キャンペーンの一環として「スヌーピーバス」の運行を開始。 同時に日本初の環境定期券制度を導入。 6月30日 - 相模原所属のさ154号車が廃車。 これにより波形デザインの旧塗装車が全廃。 11月21日 - 一部路線・事業をに譲渡。 2000年10月18日 - 一部路線・事業をに譲渡。 4月1日 - 一部路線・事業を並びにに譲渡。 12月 - 横浜担当の全線が前乗り・運賃先払いとなったため、整理券発行機が撤去された。 - 2代目となるギャラリーバスが運行を開始。 各営業所に1台ずつ配置。 愛称は「かなちゃん号」を踏襲。 初代はこの日限りで引退。 - 藤野台団地 - 相模湖線の廃止で、一般路線はから撤退。 8月 - 「スヌーピーバス」の運行終了。 車両はそのまま貸切兼用として運用。 - 内全路線(厚木営業所は全路線)でを利用したの運用を開始。 - 湘南台駅 - 慶應義塾大学で「ツインライナー」運行開始。 同時にGPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始。 - ()から一部路線の移譲開始。 - 横浜営業所の支払い方式を両替式から釣銭方式に変更。 - 舞岡営業所の支払い方式を両替式から釣銭方式に変更。 - 横浜市営バスから一部路線を移譲される。 - 横浜市営バスから一部路線を完全移譲される(同年にも実施)。 - 伊勢原営業所管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。 - 発着路線でGPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始。 - 昼行高速バス「線」の運行を開始。 - 藤野町の相模原市合併に伴い、藤野町営バス路線を子会社の津久井神奈交バスが譲受。 これにより神奈中撤退区間が復活。 - 相模原・多摩・町田の各営業所管内及び大和営業所の町田市内乗入路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始。 - 戸塚営業所の全路線とツインライナーにて運用開始。 - と共管の連絡バス、 - - - 成田空港を運行開始。 - 横浜市営バスから一部路線を移譲される。 12月9日 - 茅ヶ崎・綾瀬の各営業所の全路線と藤沢神奈交バス 藤沢 にてPASMO運用開始。 1月20日 - 多摩・町田の各営業所の全路線にてPASMO運用開始。 - 厚木バスセンター - 厚木アクスト線にツインライナー導入。 同時に同路線にての運用開始。 - 横浜市営バスから一部路線を移譲される。 - 大和営業所と藤沢神奈交バス(大和)の全路線にてPASMO運用開始。 - 昼行高速バス「新横浜駅線」を廃止。 - のオムニバスタウン事業の一環として、新潟市でツインライナーの試乗会が開催された。 - 相模鉄道から同社バス細谷戸線を委譲される。 - 相模原営業所と相模神奈交バス(相模原)・津久井神奈交バスの全路線にてPASMO運用開始。 - 横浜・舞岡各営業所及び横浜神奈交バスの全路線にてPASMO運用開始。 - 平塚営業所と湘南神奈交バス(平塚)の全路線にてPASMO運用開始。 - 厚木営業所の全路線にてPASMO運用開始。 3月15日 - 伊勢原営業所と湘南神奈交バス(秦野)の全路線にてPASMO運用開始。 これにより、夜間高速バス、成田空港線、羽田空港線を除いた全営業所の一般路線にてPASMOの利用可能となった。 - 茅ヶ崎営業所の一部路線にて自転車ラックバスの実証実験を開始( - 8月31日)。 - 秦野市内および座間市内への乗入路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始。 - 横浜市内全路線および藤沢市内の一部路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始。 7月31日 - バス共通カードの取り扱いを終了。 - 藤沢・綾瀬・茅ヶ崎・平塚・伊勢原営業所管内の路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始。 - 相模神奈交バスがよりの運行管理を受託。 自社子会社が神奈川中央交通本体以外の運行管理を受託するのは初となる。 - 茅ヶ崎営業所管内(藤沢操車所を除く)全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。 - 町田バスセンター - 山崎団地センター間でツインライナー導入。 - 伊勢原営業所秦野操車所管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。 - PASMO、など交通系ICカード全国相互利用サービス開始。 - 平塚営業所(湘南神奈交バスを含む)管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。 - 相模原営業所(相模神奈交バス相模原営業所・津久井神奈交バスを含む)管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。 - 厚木営業所(相模神奈交バス厚木営業所を含む)管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。 4月1日 - 消費税増税に伴い運賃を改定し、10円単位の現金運賃と1円単位のICカード運賃の2種類の運賃を設定するようになった。 9月24日 - 綾瀬営業所・茅ヶ崎営業所藤沢操車所管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。 3月23日 - 戸塚営業所管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」「前乗り・中降り」から「中乗り・前降り」に変更。 7月 - 7月以降から新車導入は全車ノンステップバスに統一される。 - 大和営業所(藤沢神奈交バス大和営業所を含むが中山操車所を除く)管内のうち、横04・90系統を除く全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」「前乗り・中降り」から「中乗り・前降り」に変更。 - 神奈中の再編に伴い神奈交バスが消滅した。 - 多摩営業所・町田営業所管内のうち、鶴01、08、10、11、13、26、町13(朝の山崎団地センター発のみ)を除く全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」・「前乗り・中降り」から「中乗り・前降り」に変更。 - 神奈中の再編に伴い伊勢原営業所の事業者が神奈川中央交通西へと変更。 営業所別所属台数推移 [ ] 特定車・高速車を含み、貸切車・教習車は含まない。 営業所名 1970年9月 1981年12月 1986年3月 1991年3月 1997年11月 2001年3月 2005年10月 2011年3月 備考 あ 厚木 116 163 205 237 232 202 191 188 い 伊勢原 61 79 86 97 104 96 100 193 お 舞岡 108 132 137 154 156 146 179 189 さ 相模原 102 160 174 192 195 233 162 233 2017年12月16日 神奈川中央交通東に移行 せ 綾瀬 105 138 120 131 124 1988年12月24日開設 た 多摩 81 95 90 2001年7月29日開設 ち 茅ヶ崎 70 84 84 89 100 88 92 196 つ 津久井 61 67 70 77 86 65 55 2005年4月16日に相模原に統合 と 戸塚 121 170 179 188 189 166 196 193 は 秦野 85 99 112 123 132 120 121 2008年5月16日に伊勢原に統合 ひ 平塚 97 127 137 153 169 169 188 176 ふ 藤沢 91 129 160 91 101 96 103 2005年4月16日に茅ヶ崎に統合 ま 町田 97 144 185 204 208 163 182 173 や 大和 78 98 114 127 127 124 139 195 よ 横浜 80 112 121 138 142 126 108 108 合計 1167 1564 1663 1975 2079 1995 2042 2058 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• の表記による。 現代でいうのこと()。 鉄道の「硬券」と同様のもの。 通常運賃を20円から30円に改定する際に通常運賃の2倍に変更したため、深夜運賃は60円のままとなった。 定期券の場合は通常運賃の支払いで利用可能に変更された。 逆に、他社のバス共通カード取扱車においては神奈中バスカードを利用することはできなかった。 これは神奈川県では初の夜行高速バス路線となった。 2004年まではにより登録が義務付けられており、米の販売には必ず県知事への登録が必要だったため、車内の売店をスーパーマーケット「神奈中ストア」の店舗扱いとすることで対応し、車内にも登録証が掲示されていた。 3か月券は3,250円、6か月券は5,400円、1年券は9,850円(2014年3月31日までは3か月券は3,000円、6か月券は5,000円、1年券は9,000円)。 発売金額は大人1,030円、小児520円(2014年3月31日までは大人1,000円、小児500円)で、空港リムジンバス、深夜急行バス、一部のコミュニティバスを除く各線で利用可能。 当初はスクラッチ式の乗車券を発売していたが、現在は一部の駅前を除くサービスセンターで磁気式の乗車券を発売している。 2011年12月19日からICカード「PASMO」または「Suica」を利用した1日フリー乗車券の発売が開始され、ICカードに発売金額がチャージされていれば車内でも乗務員に申告の上で購入できるようになった(交通系ICカード全国相互利用開始後も発売できるICカードは「PASMO」または「Suica」のみとなる)• 例えば、1999年に制定された構造用件では第1軸と第3軸が同一の軌跡を辿る事とされたが、セントロライナーでは第3軸にはステアリング機構がないため、必然的に第1軸と第3軸の軌跡は異なる。 日本の道路運送車両の保安基準第二条において最大車体幅は2. 5mと定められている他、第二十六条では定員30名以上の車両には非常口扉の設置が義務付けられている。 岩手県交通の車両は引き続き神奈中厚木営業所に入庫。 ただし、京急車は、 田村車庫には乗り入れない。 戦時中から1948年8月までは事業を中断していた()• 舞岡営業所は神奈川中央交通の営業所に復帰した。 大和営業所については、この時点では旧藤沢神奈交バスの営業所(現在の大和営業所鶴間操車所)のみ神奈川中央交通東に移管された。 この際に大和営業所は神奈川中央交通東の営業所に一本化されたが、旧神奈川中央交通の営業所と旧藤沢神奈交バスの営業所(2017年1月1日付で神奈川中央交通東に移管済)では営業所の名称が異なる体制となり、前者は単に「大和営業所」であるが後者は「大和営業所 鶴間操車所」となった。 の記述によれば、厚木・横浜・戸塚・舞岡の各営業所に配置されているギャラリーバス「カナちゃん号(初代)」も長尺車だった。 によると、1985年3月31日の時点で199台、1986年3月31日の時点で205台となっていた。 の表によれば、2005年10月31日時点での神奈中本体のいすゞ路線車は238台で、このうち茅ヶ崎の配置数は58台、藤沢が39台、大和が32台、綾瀬が47台。 中山操車所開設後は大和のいすゞ大型路線車のほとんどが中山操車所配置となった。 の表によれば、2005年10月31日時点での神奈中本体の日野路線車は45台で、このうち21台が伊勢原に配置されている。 また、によれば、1991年から2004年までの日野製大型路線車は伊勢原にしか配置されていない。 ただし、高速路線車および貸切車(一部を除く)では三菱ふそうバス製造に一本化されるまでは当時の三菱自動車工業名古屋製作所大江工場製で導入していた。 ただし、中型車では1999年導入のエルガミオ以降は純正車体で導入されている。 ごく一部を除き英語表記は行われていない。 回送は英語表記された表示をしており、表記内容は「OUT OF SERVICE」である。 ではセイフティウィンドーが標準装備されている部分。 運賃収受が前払いか後払いかを表示するためのもので、一部車を除き幕式になっている。 ただし、1987年に26台が導入されたギャラリーバス「カナちゃん号」に限っては設置されていなかった。 三菱ふそう・エアロスター、P-MP218P改。 その後、やなどでも導入例が見られたが、ニューエアロスターでは設定されなくなった。 ごく短期間、現行の塗り分けに決まるまで車体前面上部に赤色が掛かるなど細部に変遷が見られた。 「かなちゅう」ロゴマークは「Kanachu」ブランドマークに貼り替えられているが、2003年までに導入された車両の正面の社紋は残し、前面以外に「Kanachu」ブランドマークを貼り付けしている。 各社の色は、湘南が黄橙、横浜が濃い青、藤沢が淡い青、相模が明るい青緑、津久井が深緑。 神奈中の車両では "Kanagawa Chuo AIR EXPRESS SALOON" となるのに対し、横浜神奈交バスの車両では "Yokohama Kanako Bus AIR EXPRESS SALOON" となっていた。 これらの事業者は一般車両にもステッカーが貼られているが、神奈中ではラッピングバスのみの貼り付けとなっている。 2001年の多摩営業所開設時に同所へ転出車が大量発生した際の相模原営業所での事例などが該当する。 システム上では神奈中・神奈交委託車の区別はされておらず、神奈交委託車の頭の0番(や 05等)は入力しなくても表示される。 但し、在来車の塗り変えは行われなかった。 塗り変えるより車両置き換えの方が早く終了するためとされている。 但し、日野中型車を除くU-車は全車改造扱いで平成6年排出ガス規制適合 KC- 車に移行された以降の(富士架装車)、車も改造扱いとなる。 後に再度取り付けられ、現在はカバーで覆われている。 1989年3月時点での台数は91台()。 2001年7月29日開設時点での台数()。 1988年12月24日に綾瀬を分離したため台数が減少。 1988年3月時点での台数は165台()。 出典 [ ]• 2012年4月19日閲覧。 2012年4月19日閲覧。 ただし、有史上では深夜バスの運行はこれよりも古くからおこなわれており、例として1953年8月にによって大阪~池田・宝塚および大阪~京都間を結ぶ深夜バスが運行を開始している。 も参考のこと。 日本語 PDF プレスリリース , 神奈川中央交通, 2011年9月30日 , 2012年1月11日閲覧。 2006年2月13日. 2012年5月2日閲覧。 - 神奈川中央交通(企業に関する情報) 2015年3月27日• - 神奈川中央交通(企業に関する情報) 2016年12月26日• - 川崎市交通局 2015年10月30日• - 神奈川中央交通(採用情報) 2016年6月5日、「川崎市交通局井田営業所(高津区明津)管理受託(予定)」と記載。 (第2神奈川北版): p. 2011年1月29日• 日本語 PDF プレスリリース , 神奈川中央交通, 2012年3月5日 , 2012年4月26日閲覧。 日本語 PDF プレスリリース , 神奈川中央交通, 2012年9月28日 , 2012年9月29日閲覧。 日本語 PDF プレスリリース , 神奈川中央交通, 2012年5月21日 , 2013年6月25日閲覧。 日本語 PDF プレスリリース , 神奈川中央交通, 2013年9月17日 , 2013年11月18日閲覧。 神奈川中央交通 2014年2月17日• 神奈川中央交通 2014年8月15日• 神奈川中央交通 2015年2月20日• 神奈川中央交通 2016年2月19日• 神奈川中央交通 2017年3月17日• 2016年7月4日閲覧。 神奈川中央交通• - 神奈川中央交通・2018年7月13日リリース• 交通新聞社 : p. 1992年10月6日• 神奈川中央交通. 2012年4月25日閲覧。 PDF プレスリリース , 神奈川中央交通, 2011年9月3日 , 2012年1月11日閲覧。 ウィキメディア・コモンズには、 と に関連するカテゴリがあります。 書籍 [ ]• 神奈川中央交通株式会社創立90周年記念行事準備委員会『神奈川中央交通九十年史』神奈川中央交通、2011年。 神奈川中央交通株式会社創立80周年記念行事準備委員会『神奈川中央交通八十年史』神奈川中央交通、2001年。 神奈川中央交通株式会社70周年記念行事準備委員会『神奈川中央交通七十年史』神奈川中央交通、1991年。 神奈川中央交通株式会社60周年記念行事準備委員会『神奈川中央交通六十年史』神奈川中央交通、1982年。 神奈川中央交通社史編集委員会『神奈川中央交通五十年史』神奈川中央交通、1971年。 『高速バス大百科』、1989年。 鈴木文彦『新版・高速バス大百科』中央書院、1991年。 鈴木文彦『日本のバス年代記』、1999年。 鈴木文彦『路線バスの現在・未来』グランプリ出版、2001年。 鈴木文彦『路線バスの現在・未来 PART2』グランプリ出版、2001年。 森彰英『小田急グループの未来戦略』、1988年。 『・23 神奈川中央交通』BJエディターズ、1997年。 『バスジャパン・ハンドブックシリーズR・57 神奈川中央交通』BJエディターズ、2006年。 雑誌記事 [ ]• 飯田辰彦「我奮戦せり 神奈中バス黒字始末記」『』第726号、、1987年9月、 104-105頁。 鈴木敏「乗合バスへのカードシステム導入とバス交通活性化について」『』第9号、バス・ジャパン刊行会、1988年7月、 50-52頁、。 鈴木文彦「深夜バスの発展と現状」『バス・ジャパン』第8号、バス・ジャパン刊行会、1988年4月、 42-45頁、。 鈴木文彦「普及の兆しを見せるバスカード その現状と展望」『』第2号、ぽると出版、1988年11月、 45-48頁、。 鈴木文彦「私の取材メモ 指差喚呼はどこへ」『』第533号、鉄道ジャーナル社、2011年3月、 116頁。 高橋俊哉「深夜バス ハナ金ウォッチング」『バス・ジャパン』第8号、バス・ジャパン刊行会、1988年4月、 46-48頁、。 日本バス友の会、鈴木文彦「Bus 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定期券について

かなちゅう 定期

概要 [ ] を中心に、、北西部、、などの路線を担当する。 このうち、主に東京都町田市内と長津田駅北口の各発着路線、横04、90系統およびコミュニティバス、特定・貸切輸送などは大和営業所が直接担当するものの、それ以外の管轄路線(主に海老名市、座間市、大和市、横浜市の路線)は、神奈川中央交通東に管理委託、または神奈川中央交通東が路線の免許を保有していたが、に大和営業所も神奈川中央交通東に移管された。 これにより、大和営業所が直接担当していた路線もそれ以外の直轄路線も神奈川中央交通東に管理委託された。 神奈川中央交通東の営業所としては最も運行範囲が広く、東は横浜駅西口、西は相武台下駅・座間四ツ谷、南はいちょう団地、北はこどもの国駅・東玉川学園四丁目が営業エリアの端部である。 また、の起点の横浜駅・終点の海老名駅のどちらにも乗り入れている。 大和営業所管轄の操車所は2つあり、営業所が置かれる 鶴間操車所のほか、神奈川県座間市座間二丁目に 座間操車所があり、主に座間市方面の路線が待機で使用する(車両配置なし)。 以前は 横浜市 も中山操車場として大和営業所が管轄したが、現在は独立している。 沿革 [ ]• (45年) - 大和営業所開設。 (2年) - 管内でバスカード利用開始。 (平成6年) - 管内でに対応。 (平成17年) - を横浜市寺山町745-45に開設。 (平成19年)• 4月1日 - より121系統( - 西口)を全便移管される。 10月1日 - 横浜市営バスより1系統(西口 - - )を全便移管される。 (平成20年)• - 運用開始。 - より旭30・31を全便移管、境30・瀬31として運行開始。 (平成21年) - 付近の経路を変更。 (平成22年) - 横浜市内の路線でGPSによるを導入。 (平成24年)• 3月 - 管内で一部路線、中山操車所を除き前乗り前降りに乗車変更。 - 高01を新設、間24・和02を廃止。 (平成27年) - 中山操車所を横浜市白根町967-2に移転し 、中山操車所と・中山駅・鶴ヶ峰駅を結ぶ路線を新設。 (平成28年)• - 横04・間01・90系統と中山操車所管轄の路線を除き、乗降方法を「中乗り・前降り」運賃後払い方式に変更。 また、同日付で町71系統(町田BC - 青葉台駅 - 中山駅北口)を廃止し、青葉台駅を境に町73・90系統の2つの路線に分割された。 - 下記の通り、管内の9か所の停留所で名称を変更。 (平成29年)• - 神奈川中央交通グループの乗合バス事業再編に伴い 、中山操車所(中山営業所)を 神奈川中央交通直営の に変更し、大和営業所から分離。 - 神奈川中央交通グループの乗合バス事業再編に伴い 、神奈川中央交通大和営業所を神奈川中央交通直営の営業所から、神奈川中央交通東へ管理委託する形へ変更。 再編前の神奈川中央交通東・大和営業所は神奈川中央交通東・大和営業所 鶴間操車所に変更。 これに伴い大和営業所全体が神奈川中央交通東の営業所となった。 (平成30年)• - イオンモール座間開業に伴うダイヤ改正と、下記の通り停留所名称変更を実施。 2010年1月15日までは町73を中心に町70・町72(既に廃止、を参照)・町75の各系統が混ざる形だったが、2010年1月16日のダイヤ改正で町73・町74・町75・町94の各系統を中心に運行する形になり、その他の系統は朝のみ運行されることになった。 さらに、2014年8月31日の改正では長津田駅北口バスロータリーの供用開始に伴い路線再編を実施し、同ロータリーに乗り入れる町77を新設し、長津田駅(南口)および青葉台駅発着の町72・町73は廃止され、町70は十日市場駅行きのみの運行に変更された。 町田バスセンター・ターミナルから成瀬コミュニティセンター前(旧:成瀬高校前 )停留所まで、各系統を合わせて毎時4本程度(土休日は毎時3本程度)の運行となる。 町70は十日市場駅発着の系統。 後述する廃止された町71や町73の区間便や出入庫的な性格を持っており、かつては2時間に1本程度の運行があり、併せて毎時1本程度(町73・町75などと合わせて毎時4 - 5本程度)だったが、2014年8月31日のダイヤ改正で町田バスセンター発十日市場駅行きのみが休日朝に片道1本運行されるようになり、2016年10月16日の改正では本数を変えずに町田バスセンター行きのみの運行に変更された。 町73は、かつては成瀬街道方面の路線の主力として運行され、過去には毎時2本以上が確保されていたものの、町75などへの短縮振替もあり末期では毎時1本程度の運行となっていた。 2014年8月31日の改正で1度廃止されたが、2016年3月22日のダイヤ改正で町71(後述)が廃止されたため、その代替として平日朝1往復のみの運行で復活した。 町74・町93・町94の各系統は成瀬台方面へと向かう。 ただし、町田から成瀬台へは主にが担当する町76(あけぼの病院前・三ッ又経由、毎時2 - 3本程度)が担っており、こちらは毎時1本程度の運行となる。 なお、朝夕は薬科大学を経由しない町74、日中は薬科大学経由の町94で運行され、薬科大学止まりの町93は通学時間帯のごく少数のみ。 町75は成瀬駅発着の系統。 町73の区間便としての性格が強く、2000年代初頭まではさほど多く運行されておらず、特に休日の運行はほとんどなかった。 しかし、後の渋滞対策で町73の運行本数が減少するのと引き換えに増発が続き、2013年現在は平日は毎時2本程度、土休日は毎時1本となっている。 町77は町73を短縮した路線で長津田駅北口発着の系統。 運行本数は概ね町73時代を踏襲しており1時間に1 - 2本運転しているが、町田発の始発便は朝5時台と早くなっている。 なお、町77の系統番号は過去に(廃止)の番号として使用されていたため、本系統は2代目となる。 町92は、町田市街地からほど近い高ヶ坂団地への路線で、本数も毎時2本程度確保されている。 これは、高ヶ坂団地と町田市街地の間に、芹ヶ谷川の侵食による深い谷戸(渓谷)があり起伏に飛んだ地形で、徒歩や自転車などでの行き来はやや辛く、乗客数が見込める事が理由として考えられる。 なお、終点の高ヶ坂団地には折返所がなく、常駐する警備員の誘導でバス停前のT字路を使って方向転換する。 なお、町田から成瀬街道方面の路線は、現在は神奈中バスが運行する上記の各系統のみであるが、2011年8月末まではが運行するもあり、町田 - 中恩田橋間で町70 - 町73の各系統と経路が重複していた。 こちらも元々は頻発していた。 日中は、毎時2本程度運行の町83および町85が中心となり、毎時1本程度運行の町87・町84と合わせて毎時6本程度の運行されている。 以前は町87を中心に運行されたが、町田辻(旧:長津田辻 )停留所から下鶴間停留所までの短距離の間に、交通量の多い町田街道・・()・246号旧道・16号旧道(八王子街道)などとの交差・合流が連続しており、慢性的な渋滞で通過が困難になる場合がある事、また利用の中心が概ね町田BC - 町谷原付近である事から、比較的短距離の町83・85が増便され、長距離の町87は減便されつつある。 なお、出入庫は必ずしも町87で行われる訳ではなく、国道246号線経由で直接すずかけ台駅やつくし野駅、成瀬駅、長津田駅などへ回送し、そこから町田街道経由あるいは成瀬街道経由の路線バスとして町田バスセンター・ターミナルへ向かうものがある。 町82は、つきみ野駅・・南林間駅・鶴間駅東口経由大和駅西口までの長距離路線(町80)を短縮し、町田側のみ存続し運転しているもの。 元々1日5本程度と運行本数は少なかったが、2016年10月のダイヤ改正で平日3本、土日祝2本に減便された。 なお、町82の系統番号は過去に(廃止)の番号として使用されていたため、本系統は2代目となる。 の有効区間は、町田バスセンター・ターミナル - 坂下停留所(町田市鶴間)まで。 金森郵便局前交差点で町田街道から(藤沢街道)に入り、その後国道16号線を通って南町田グランベリーパーク駅(北口)へ向かう。 2016年12月19日に途中の(鶴間町谷通り)の開通に伴って経路変更を実施し、途中に南町田四丁目停留所を新設した。 さらに、2017年4月1日には南町田駅北口広場の使用開始に伴い、正面口から北口への乗り入れに再度経路変更(停留所名は南町田駅のまま)した。 路線開設当初は途中に狭隘路があった為、2017年3月まで専用の中型車が用いられていた。 神奈中本体の中型車は町89用に用意された3台のみであるため、検査や故障等の場合には神奈川中央交通東委託の中型車が代走する場合があった。 前述の南町田駅北口への乗り入れ開始にあわせて、従来の中型車から大型車に車両が変更された。 なお、2019年10月1日に南町田駅は「南町田グランベリーパーク駅」と改称されたが、バス停留所名についてはが開業するに改称され、同時に途中の熊野神社前停留所が「南町田北」に改称された。 平日土曜の日中および休日はつくし野駅発着を中心に、朝夕は成瀬駅発着を中心に運転される。 つ01・成01は、最も基本となる成瀬台への路線。 成04はこれをこどもの国駅まで延伸した路線で、の道路整備進展に伴って新設された。 以前は平日・土曜日中につ01・成01・成04がそれぞれ1本ずつの毎時3本程度、休日日中はつ01・成04が1本ずつの毎時2本程度運行されていたが、2017年2月16日の改正でダイヤが全体的に見直され、減便傾向となった。 成05は、平日朝方に一部存在する薬科大学経由の成瀬台線で、往路のみ運行。 2014年のダイヤ改正で設定された。 以前はつくし野駅まで運行するつ02系統(こちらは往復運行。 詳細は後述)が存在したが、2017年2月16日のダイヤ改正で廃止され、成瀬駅発の成05系統に一本化された。 つ03・成02は、成瀬台へ行かず東玉川学園四丁目へ向かう路線。 但し、成瀬台線と比べると本数は少なく、以前はつくし野駅発が毎時1本程度、成瀬駅発は主に通学時間帯の運行だったが、2017年2月16日につくし野駅発が平日4本、土日2本となり、成瀬駅発は毎時1本程度に変更された。 成03は、成瀬駅からの南西部、とも程近い新興住宅街を経由し、こどもの国駅へ向かう路線。 毎時1本程度運行される。 運行開始当初は、こどもの国駅まで向かった後、そのまま現・成04の経路をなぞるように走り、横浜市内に設置された成04専用の成瀬台停留所(現在の駒狩公園前停留所付近)まで運行されていた。 その後の道路整備や住宅造成の発展に伴い、成04を新設し、奈良経由の成03はこどもの国駅止まりに変更された。 なお、下長津田経由の津02は2003年度に廃止されている(2014年8月新設の津02は別路線)。 2017年4月1日から町田辻から南町田駅(現・南町田グランベリーパーク駅)まで延伸 し、その路線延伸に伴って南町田グランベリーパーク駅方面の町田辻バス停は交通規制の関係で通過することになった。 途中に狭隘路があるため、原則として中型車で運行される。 系統 運行区間 市02 長津田駅 - 下長津田 - 恩田住宅 - 休日1本のみ運行で、主にを走行する。 長津田駅北口発着 [ ] 長津田駅北口を走る神奈中バス 系統 運行区間 津02 北口 - 堀の内 - 北 - 奈良三丁目 - 成瀬台 津04 長津田駅北口 - 堀の内 - あかね台北 - 奈良三丁目 の長津田駅北口ロータリー開設に伴い新設された路線で、長津田駅の北西側にあるとのへの路線。 あかね台地区の一部区間では、本路線の新設以前は神奈中・東急の2社共同運行で、現在は東急バス単独で運行するも同一経路を走行する。 通勤通学に主眼を置いた路線で長津田駅方面は5時台 - 17時台、成瀬台方面は10時台 - 23時台の運行である。 また、には奈良三丁目発着の津04が新設された。 平日朝夕のみ運行する。 系統 運行区間 津03 長津田駅北口 - 堀の内 - 中恩田橋 - 松風台 - 津02と同じく長津田駅北口ロータリー開設に伴い新設された路線。 東急バスとの共同運行を解消した青55系統を長津田駅北口発着としたような路線で、堀の内 - 青葉台駅間は同系統と同一経路となる。 概ね1時間に1本程度の運行であるが、日中に2 - 4時間程度運行されない時間帯がある。 なお、経路上の大半は横浜市の均一運賃エリア内であるため、前乗り中降り・前払い方式の東急バスの路線と並行するが、本路線は中乗り前降り・後払い方式を採用しているため、バスの前面にはこの旨を知らせる垂れ幕が貼られている。 青葉台駅発着路線 [ ] 系統 運行区間 90 - 前 - 山谷みどり台 - 北口 神奈中バスとしては、2014年8月31日に新設された系統である。 2016年3月22日に廃止されたのうち、青葉台駅 - 中山駅北口間は本系統に代替されている。 平日朝2往復のみの運行であるが、同一経路でのとのが頻繁に運行されている。 全区間で3社局共通定期券の取り扱いがあり 、横浜市営バス運行便と東急バス運行便のほか、神奈中バス運行便でも共通定期券で乗車可能。 なお、大和営業所が管轄する系統は「中乗り前降り・運賃後払い方式」が基本であるが、本系統と後述のに限り「 前乗り中降り・運賃先払い方式」が採用されている。 並行する町87などとは異なり、国道246号の新道を経由する。 20時以降の夜間に運転される。 2017年4月1日に南町田駅北口広場の使用開始に伴い、南町田駅北口への乗り入れに経路変更(停留所名は南町田駅のまま)された。 原則として中型車で運行される。 三ツ境駅・瀬谷駅発着路線 [ ] 系統 運行区間 瀬01 - 竹村町 - 八幡神社前 瀬03 瀬谷駅 - 竹村町 - 八幡神社前 - マークスプリングス 間14 瀬谷駅 - 竹村町 - 八幡神社前 - 鶴間車庫 - 鶴間駅東口 間15 北口 - 相沢 - 瀬谷駅 - 竹村町 - 八幡神社前 - 鶴間車庫 - 鶴間駅東口 瀬01は間14の区間便で、八幡神社前には折返場がないため、付近のの側道とガード下をラケット状に折り返し、側道の反対側で小休止する。 瀬03は2003年7月1日に新設。 間14・15は鶴間駅と瀬谷駅・三ツ境駅を結ぶ。 需要の多くは瀬谷駅 - 八幡神社前間に集中しており、この区間を運行する瀬01の方が若干本数が多い。 間15は平日1本のみで、同駅では往復の経路が異なる。 系統 運行区間 境30 三ツ境駅北口 - 中丸 - 相沢 - 細谷戸第1 - 細谷戸第3 - 細谷戸第5 瀬31 瀬谷駅 - 相沢 - 細谷戸第1 - 細谷戸第3 - 細谷戸第5 この2つの系統は、2008年8月16日に相模鉄道(現:)より移譲された。 相鉄時代の系統番号は、境30が旭30、瀬31が旭31であった。 いずれも2008年4月20日までは細谷戸第3が終点だった。 なお、境30系統は平日日中のみの運行。 鶴間駅・大和駅・高座渋谷駅発着路線 [ ] 鶴ヶ峰駅・横浜駅西口方面 [ ] 1989年頃の横04 や25 系統 運行区間 間01 東口 - 鶴間車庫 - 下鶴間 - 亀甲山 - 大貫橋 - 川井宿 - 今宿 - 横04 鶴間駅東口 - 鶴間車庫 - 下鶴間 - 亀甲山 - 大貫橋 - 川井宿 - 今宿 - 鶴ヶ峰駅 - 前 - 梅の木 - 和田町 - 洪福寺 - 前 - 西口 の鶴間駅から主にを経由し旭区の、およびその先の西口までを結ぶ系統。 前述のと同じく「 前乗り中降り・運賃先払い方式」が採用されているが、この2つの系統は乗車区間により運賃が異なるため、乗車時に目的地の停留所を乗務員に告げて運賃を支払う。 横浜駅西口発着の横04系統は以前は毎時2本以上運行されていたが、同年にから(横浜駅西口 - 鶴ヶ峰駅 - )が移譲された際に一部便を5系統へ振り替え、毎時1本程度の運行に変更された。 その後、のダイヤ改正により平日ダイヤのほとんどの便と土曜ダイヤの全便が鶴ヶ峰駅発着の間01系統へ振り替えられ 、横04系統の運行は平日の早朝1往復のみとなった。 このダイヤ改正に伴い、間01系統についてはと共同で管轄するようになった。 「亀甲山」停留所は、とでは「亀甲山」と表記されるのに対し、神奈川中央交通では長らく「亀の甲山」と表記していたが、に入り神奈中でも「亀甲山」表記に変更となっている。 なお、2008年2月12日以降「亀甲山」を通る横浜市営バスの路線は存在しない。 平日日中のみ病院構内に乗り入れる。 他の時間は市役所市立病院バス停を利用する。 いちょう団地停留所は、折返所位置の関係からの停留所(泉区内)とは異なり、を挟んで西隣の「保育所前」停留所と同位置(大和市内)に設置されているが、横浜市扱いのため、大和市にも関わらず横浜市の福祉券は利用可能である。 2012年12月16日のダイヤ改正で高01が新設され、同時に間24、和02が廃止、和06も平日に大和駅行き1便のみにまで大幅減便(大和駅発は廃止)となり、いちょう団地側の「上和田」停留所が「上和田南」に改称されている。 ちなみに間13・間16・間17の鶴間駅 - 大和駅間の経路は、大和駅の到着が西口・東口の両方があるがそれ以外は全く同じである。 イオンモールの開業に先立ち、3日前の同年にダイヤ改正を実施し、従来より存在している小02・林03の各系統に加え、小03(2代目 )・小05・林05の各系統が追加された。 小03系統は、小02系統をイオンモール座間経由にしたもので、平日夜間のみ運行され、当初は南林間駅行きの片方向のみだったが、2019年9月2日より小田急相模原駅行きの運行も開始された。 小05系統は、小田急相模原駅とイオンモール座間の間を途中停留所無停車で結ぶ。 2018年7月1日のダイヤ改正でイオンモール方面の林05系統は並行する林03系統に振り替えられ、南林間駅方面の片方向のみの運行に変更された。 イオンモール座間の停留所は、同年3月13日のダイヤ改正以前は 「日産」という名称になっており 、その名の通り停留所周辺にはの店舗「カレスト座間店」があるほか、まではのが存在していた。 海老名駅発着路線 [ ] 系統 運行区間 海03 東口 - 国分 - 望地 - 海08 海老名駅東口 - 国分 - 望地 - - 相模大塚 - 鶴間駅(西口) 海10 海老名駅東口 - 国分 - 上今泉 - - 立野台 - 海03・海08は海老名駅東口から相鉄線の南側のエリアを行く路線である。 運行本数が少なく、海03は70分に1本程度、海08は平日、土休日とも早朝の海老名駅東口行き、夜間の鶴間駅行き各1本のみの運行となっている。 海10は国分から座間駅に向かい、座間駅から台04と同じ経路で相武台前駅に至る路線。 平日朝夕は1時間に2本程度、平日日中と土休日は1時間に1本程度の運行である。 相武台下駅・相武台前駅発着路線 [ ] 系統 運行区間 下02 - - 立野台 - 栗原前 - 北口 綾76 相武台前駅 - 上小池 - 栗原交番前 - さがみ野駅北口 台04 相武台前駅 - 立野台 - 座間駅 - 新田宿中央 - 座間四ツ谷 台12 相武台前駅 - 小池大橋 - ひばりが丘一丁目 - 南林間駅 下02・綾76は(下02のみ)・とを短絡する路線の一つ。 綾76はかつての単独路線であったが、2003年3月31日に綾瀬営業所管内の長27が廃止されたのにあわせて当営業所が相鉄バスとの共同運行路線として参入、その後2006年1月22日付で相鉄バスが撤退したことで神奈中の単独運行になった。 しかし、相鉄バス撤退後も境30・瀬31とは異なり、系統番号の頭文字が相鉄バス綾瀬営業所を示す「綾」のままである。 運行本数は1時間に2本程度であるが終車がやや早めとなっている。 下02は前述の長27と一緒に廃止された長28(長後駅西口 - 相武台下駅)の座間市側を存続させ、綾76と同じくさがみ野駅北口発着に改めたもの。 こちらも運行本数は少ない。 台04は日中は1時間に1本運行される。 上述の海10と相武台前駅 - 座間市役所 - 座間駅間で同じ経路を運行しており、台04と合わせて概ね30分に1本の間隔になるよう調整されている。 台12も1時間に1本の運行で、小田急小田原線と江ノ島線の駅同士をショートカットする路線である。 かつては綾瀬営業所の管轄であった。 コミュニティバス [ ] 町田市金森地区コミュニティバス「かわせみ号」 [ ] 「」も参照 、現行の「成瀬駅ルート」が運行開始。 が担当する「まちっこ」に続く町田市のコミュニティバスである。 神奈川中央交通と町田市および金森地区コミュニティバス運行協議会の3者にて運営される。 町田市民バス「まちっこ」とは異なり、赤字である場合を除いて原則として町田市からの補助金がないため、通常の神奈中の運賃制度をとっており、・、カナちゃん手形などが使用できる。 町田市では、バス停留所ポールなどの調達は事業者・路線を問わず一括して市が行い、試験運行中は補助金が交付されるものの、原則として各コミバス路線は独立した採算制度を採っており、本格運行開始までにまたは運行中であっても、収入が運行維持の最低ラインに届かず赤字が継続する場合は路線廃止となる場合がある。 なお、も「」の愛称で、神奈川中央交通も受託しているが、こちらはと綾瀬営業所が担当している。 かわせみ号の路線 [ ] 現行路線(成瀬駅ルート) [ ]• からは南中学校東経由が新設され、以降は日中の一部便がこの新ルートで運行されるようになった。 廃止路線(町田駅ルート) [ ]• 町田駅と金森団地を結ぶ循環路線。 町田駅ルートは、折返所のない町田駅南口へのアプローチのため、境橋を渡り内の鹿島神社付近を経由するが、相模原市内に停留所はなかった。 また、この区間に存在する「町田駅南」交差点が土休日の日中時間帯に限り直進禁止となる ため、土休日ダイヤの場合、南口へ行かず市営駐車場入口(JR町田駅ターミナル口の裏口となる)を起終点とし、付近の道路をラケット型に折り返して運行していた。 試験運行開始後、一定期間が経過しても運行に必要な最低限の収入が得られないこと、比較的近い経路の一般路線(町89)が存在することから、に廃止となった。 かわせみ号の車両 [ ] 黄色い専用塗装の小型が使用され、2007年の運行開始時にの(PA-ME17DF)を2台購入(や158・159)。 3月から現行車両の(2ドアロングボディ)に代替開始され、ME1台(や159)がポンチョ(や160)に置き換えられた。 翌2月には残りのME1台(や158)もポンチョ(や159)に置き換えられ、新型車両への代替が完了した。 かわせみ号の歴史 [ ]• - 成瀬駅ルート運行開始。 専用車両を2台購入。 - 町田駅ルート試験運行開始。 専用車両を1台追加購入。 3月1日 - 町田駅ルートでダイヤ改正、途中に停留所を2か所増設。 - 町田駅ルートでダイヤ改正、大幅減便となる。 - 町田駅ルート廃止、余剰車両を町田営業所に転属。 - 乗降方法を、前乗り前降り運賃前払い方式から、中乗り前降り運賃後払い方式に変更。 - 70歳以上の利用者割引制度が変更されて運賃100円となり、が利用できなくなる。 3月 - 新型車両への代替開始。 - 成瀬駅ルートに「南中学校東経由」を新設。 2月 - 新型車両への代替完了。 大和市コミュニティバス「のろっと」「やまとんGO」 [ ] 「」を参照 廃止・移管路線 [ ] 近年のにより、多数の路線が廃止・移管されている。 なお、停留所の名称は路線廃止当時の名称で記述する。 廃止路線 [ ]• 横06:横浜駅西口 - 鶴ヶ峰 - 今宿 廃止年月日不明。 1996年に台08へ変更した。 なお「亀の甲山」停留所は、2014年に表記が変更され現在は「亀甲山」となっている(以降も同様)。 町71:町田BC・町田TM - 熊野神社前 - 成瀬高校前 - 堀の内 - 中恩田橋 - 田奈駅 - 青葉台営業所前 - 青葉台駅 - 青葉台営業所前 - 山谷みどり台 - 中山駅北口 町73と・を組み合わせたような路線(歴史的には町71が先に開設)で、末期は平日朝に1往復のみ運行されていた。 かつてのダイヤでは休日1便のみ中山大橋経由ではなく「都橋経由」となる系統が設定されていたが、実際は他の便と同じく中山大橋経由で運行されていたようで、「都橋経由」は2010年のダイヤ改正で正式に廃止となった。 中山大橋経由についても、2016年3月22日の中乗り方式への変更に合わせ、町73と90系統に系統分割される形で廃止となった。 神奈中バスではほとんどの路線で乗降方法・運賃支払い方法が前乗りまたは中乗り前降り・運賃後払い、もしくは前乗り中降り・運賃前払いのいずれかで統一されているが、本系統は町田BC側が前乗り前降り・運賃後払い、中山駅北口側が前乗り中降り・運賃前払いと、青葉台駅を境に乗降方法・運賃支払い方法が異なっていた。 町71で青葉台駅を越えて乗車する場合は、次の手順で利用する必要があった。 町田BC方面から青葉台駅を越えて中山駅北口方面へ乗車する場合は、前扉から乗車して整理券を取り(起点から1区間は整理券は取らずに中扉から乗車)、青葉台駅到着時に乗車停留所から降車停留所までの運賃を支払う。 降車時は中扉から降車する。 中山駅北口方面から青葉台駅を越えて町田BC方面へ乗車する場合は、前扉から乗車して乗務員に青葉台駅より先へ行く旨を伝え、降車停留所を告げて運賃を支払う。 降車時は前扉から降車する(降車時は運賃支払いは不要だが、乗車時の支払い運賃を超えて乗り越した場合は乗り越した分の運賃を改めて支払う)。 なお、「成瀬高校前」停留所は、2016年12月19日に名称が「成瀬コミュニティセンター前」に変更された (以降も同様)。 町72:町田BC・町田TM - 熊野神社前 - 成瀬高校前 - 堀の内 - 中恩田橋 - 田奈駅 - 長津田駅 長津田駅北口ロータリーの新設に伴う路線再編で、2014年8月31日に廃止された。 町77:町田BC・町田TM - 成瀬高校前 - 十日市場駅 - 若葉台中央 現在の町77系統とは別の系統。 1986年に新設された「」で、休日のみの運行だった。 町80:町田BC・町田TM - 町谷原 - つきみ野駅 - 中央林間駅 - 南林間駅東口 - 市役所 - 市立病院 - 大和駅西口 前述の町82系統に短縮された。 町81:町田BC・町田TM - 金森 - つくし野駅 - 長津田駅 2003年10月4日廃止。 町82:町田BC・町田TM - 長津田辻 - 岡部谷戸 - 長津田駅 現在の町82系統とは別の系統。 町田BC - 長津田辻を短縮し、津01・02に変更した。 「長津田辻」停留所は、2016年12月19日に名称が「町田辻」に変更された (以降も同様)。 町86:町田BC・町田TM - 長津田辻 - 瀬谷駅 1999年に廃止された。 町90:町田BC・町田TM - 境橋 - 相模大野駅 - 豊町 - 小田急相模原駅 - 国立相模原病院 1999年11月20日廃止。 過去には町田駅南口発着の時期があり、末期は国立相模原病院発の片道のみ運行されていた。 つ02:つくし野駅 - 柳谷戸 - 成瀬駅 - 昭和薬科大学 2008年2月12日廃止。 つ02:つくし野駅 - 柳谷戸 - 成瀬駅 - 昭和薬科大学 - ポプラヶ丘前 - 成瀬台 前述の成05と同様に、薬科大学を経由して成瀬台を結ぶ路線。 当初は、つ03の一部として成瀬台発つくし野駅行の片道のみ設定されたものだが、2014年のダイヤ改正で往復運行化され、この際つ02系統に改められた。 なお「つ02」という系統番号は、2008年2月まで昭和薬科大学止まりとして設定されていたことがあるため2代目となるが、2017年2月16日のダイヤ改正で系統が再度廃止された。 津02:長津田駅 - 下長津田 - 長津田辻 2003年4月1日廃止。 津03:長津田駅 - 玄海田 - 公園前 現在中山営業所が運行する40系統の前身となる系統で、2001年12月17日に新設された。 2002年8月1日に若葉台中央へ延伸され、横浜市営バスとの共同運行の40系統となった。 青55:青葉台駅 - 松風台 - 中恩田橋 - 堀の内 - あかね台 との共同運行を行っていた系統で、2014年8月31日に神奈中としては廃止された。 東急バスは運行を継続している。 林11:南林間駅 - つきみ野一丁目 - (国道16号) - 谷口 - 境橋 - 町田BC・町田TM• 町90と同じく町田駅南口発着の時期が存在しており、かつ末期は南林間駅発の片道運行だった。 間02:鶴間駅東口 - 車庫前 - 下鶴間 - 亀の甲山 - 福泉寺前 - 中山駅 2008年2月12日廃止。 「車庫前」停留所は、2016年12月19日に名称が「鶴間車庫」に変更された (以降も同様)。 間03:鶴間駅東口 - 亀の甲山 - 今宿 - 鶴ヶ峰駅 廃止年月日不明。 「東名横浜インター」停留所は、名称が変更され現在は「東名横浜町田インター」となっている。 間06:鶴間駅東口 - 車庫前 - 長津田辻 - 後谷戸 - 長津田駅 2003年10月4日廃止。 間18:鶴間駅東口 - 大和駅西口 - いちょう団地 廃止年月日不明。 間22:鶴間駅 - 南林間駅 - 小松原 - 座間 - 相武台前駅 - 新田宿中央 - 座間四ッ谷 2002年11月16日廃止。 間24:鶴間駅東口 - 市役所 - 市立病院 - 大和駅 - 桜株 - 上和田団地 - いちょう団地• 和02:大和駅 - 桜株 - いちょう団地 高01の運行開始と同時に運行系統の整理が行われ、2012年12月15日に廃止された。 和04:大和駅 - 上瀬谷通信隊 廃止年月日不明。 小01:小田急相模原駅 - 小松原入口 - 鶴間原 - 大和学園 - 南林間駅 2002年11月16日廃止。 小03:小田急相模原駅 - 国立相模原病院 - 麻溝台• 小07:小田急相模原駅 - 国立相模原病院 1999年11月20日廃止。 この2つの系統は現在はが運行すると重複していた。 なお、廃止当時は相模原営業所が峡の原(はけのはら)操車所(現在の)しかなく、麻溝操車所は存在しなかったため、現存する小04系統とともに大和営業所が運行を担当していた。 台03:相武台前駅 - 座間 - 入谷駅入口 - 座間四ッ谷• 台05:相武台前駅 - 座間中央病院 - 立野台 - 座間駅 - 相武台下駅• 台07:相武台前駅 - 座間 - 新田宿中央 - 座間四ッ谷• 台08:座間四ッ谷 - 新田宿中央 - 座間 - 相武台前駅 - 鶴間原 - 代官山 - 車庫前 以上の4系統は、2002年11月16日の海老名・座間方面系統の大改編の際に廃止された。 台09:相武台前駅 - 広野台 - 南林間駅 - 鶴間駅• 台11:相武台前駅 - 日産座間工場 いずれも1990年代に廃止された。 下01:相武台下駅 - 座間駅 - 立野台 - 座間中央病院 2002年11月16日に新設されたが、2005年2月16日に廃止された短命系統。 海04:かしわ台駅 - 望地 - 国分 - 海老名駅 - 中新田小学校 - 有馬高校• 海05:海老名駅 - 中新田小学校 - 有馬高校• 海06:海老名駅西口 - 今泉 - ロックラー前 - 座間四ツ谷• 海07:海老名駅 - 今泉 - (新道) - 鶴間駅• 海13:海老名駅 - 国分 - 座間駅入口 - 座間 - 相武台下駅• 海14:海老名駅西口 - 今泉 - ロックラー前 - 座間四ツ谷 - 入谷駅入口 - 座間 - 相武台前駅 以上の6系統は2002年11月16日廃止。 海老名・座間方面の路線を中心に大改編が行われ、路線バスが運行されなくなった区間が多数出た。 移管路線 [ ] 町田営業所へ移管 [ ]• 町12:町田TM・町田BC - 木曽南団地 と共管だったが、その後移管した。 町76:町田BC - 市役所前 - 成瀬台 への委託に伴い、町田営業所へ移管。 相模原営業所へ移管 [ ]• 小04: - - - (現:麻溝台入口) - (現:北里大学病院・北里大学)• 小06:小田急相模原駅 - 豊町 - 北口• 大58:相模大野駅北口 - 豊町 - 小田急相模原駅 - 国立相模原病院 以上の3系統はへ移管。 小06・大58は廃止された町90の区間便であった。 大58はすでに廃止されている。 中山営業所へ移管 [ ] 2017年1月1日の神奈中グループ再編により、へ移管された路線。 間01: - 今宿 - 川井宿 - 大貫橋 - 亀甲山 - 下鶴間 - 鶴間車庫 - 東口• 05:西口 - 前 - 洪福寺 - 和田町 - 梅の木 - 鶴ヶ峰駅 - 今宿 - 川井宿 - 大貫橋 - 若葉台近隣公園前 -• 115:鶴ヶ峰駅 - 今宿 - 川井宿 - 大貫橋 - 若葉台近隣公園前 - 若葉台中央• 峰02:鶴ヶ峰駅 - 今宿 - 川井宿 - 大貫橋 - 若葉台近隣公園前 - 若葉台中央 - 郵便局前 -• 横52:横浜駅西口 - 浅間町車庫前 - 洪福寺 - 和田町 - 梅の木 - 鶴ヶ峰駅 - 今宿 - 川井宿 - 三保橋 -• 中53:鶴ヶ峰駅 - 今宿 - 川井宿 - 三保橋 - 中山駅• 05:鶴ヶ峰駅 - 今宿 - 都岡辻 -• 05:鶴ヶ峰駅 - 今宿• 峰03:鶴ヶ峰駅 - 下白根橋 - 千丸台団地 - 白山高校 -• 62:横浜駅西口 - 洪福寺 - 和田町 - 梅の木 - 前 - 千丸台団地(急行)• 横51:横浜駅西口 - 洪福寺 - 和田町 - 梅の木 - 鴨居町 - 前 - 中山駅• 01:横浜駅西口 - 松本 - 三ツ沢西町 - 岡沢町 - 梅の木 - 鴨居町 - 緑車庫前 - 中山駅• 01:中山駅 - 緑車庫前 - 鴨居町 - 竹山団地• 116:北口 - - 亀甲山 - 大貫橋 - 若葉台近隣公園前 - 若葉台中央• 116:三ツ境駅北口 - 西部病院前 - 亀甲山 - 大貫橋 - 地区公園 - 若葉台中央• 境21:三ツ境駅北口 - 西部病院前 - 亀甲山 - 大貫橋 - 若葉台近隣公園前 - 若葉台中央 - 郵便局前 - 十日市場駅• 23:十日市場駅 - 郵便局前 - 若葉台中央• 121:前 - 八反橋 - 羽沢団地前 - 三枚町 - 川島住宅 - 和田町 - 洪福寺 - 西口• 鴨02: - 白山中央 - 白山高校 - 中山車庫• 56:鴨居駅 - 鴨居町 - 竹山団地• 119:鴨居駅 - 鴨居町 - 新井町 - 西谷駅前 - 和田町 - 峯小学校前• 中50:中山駅北口 - 貝の坂 - 川和町 -• 中54:中山駅 - 三保橋 - 三保中央• 中55:中山駅 - 境 - 長坂谷公園南 - 中山車庫(急行、記載停留所のみ停車)• 40:長津田駅 - 玄海田 - 霧が丘公園前 - 若葉台近隣公園前 - 地区公園 - 若葉台中央• 40:長津田駅入口 - 玄海田 - 霧が丘公園前 - 若葉台近隣公園前 - 地区公園 - 若葉台中央• 南01:南町田駅 - 東名横浜町田インター - 若葉台近隣公園前 - 若葉台中央 車両 [ ] 一般路線車は大型車と中型車である。 一般路線用の大型車については、以外に以前は(とのほか、製の車体を架装した車両もあった)、(と)、(富士重工業製車体のみで、西日本車体工業製はなかった)の3メーカーの車両が所属していた時期もあったが、中山操車所(2017年1月1日以降は)に転出したか、当営業所で直接廃車が進められたことにより、現在は所属車両がなくなっている。 大型車は、のとが所属する。 比率はノンステップバスのほうがやや多い。 車体は製がほとんどであるが、ノンステップバスに2台のみ製のが存在する。 また大和営業所全体再編前の神奈川中央交通東時代には、2017年3月までは、神奈川中央交通東の前身であるが新車で導入したエアロスターワンステップバスが2台所属しており、会社再編時に車体表記類の変更はあったものの、最後まで藤沢神奈交バスのオリジナルカラーを維持していたのが特徴であった。 中型車は、ノンステップバスとワンステップバスを中心に、ワンステップバスも少数所属する。 なおエルガミオはほどんどが車両であるが、ノンステップバスに1台のみの車がある。 2017年4月までは、用にエルガミオが3台所属していたが、同系統の使用車両が他の系統と共通の大型車になったことに伴い、全車が他の営業所に転出した。 と、にそれぞれ1台ずつ転属している。 時代は(パラサイン)最大の240段、段間ピッチが300mで、方向幕の巻きの長さは70メートルを超えることが同社の公式サイトでも紹介されている。 10月より、一般路線車の一部において新型の白色LED行先表示器を搭載する改造が順次進められた。 行先表示にLEDを採用した際には、方向幕に記載していた「共通定期券取扱車」の表示が省略された。 また、や企業等輸送用に特定輸送用・貸切輸送用車両も所属している。 2016年2月19日、神奈川中央交通(2016年2月19日閲覧)• 2016年03月11日、神奈川中央交通(2016年3月20日閲覧)• 2016年12月26日、神奈川中央交通(2016年12月26日閲覧)• 2017年12月12日、神奈川中央交通(2017年12月20日閲覧)• 神奈川中央交通• 2015年09月15日、神奈川中央交通(2015年10月27日閲覧)• 町田市 2020年2月5日. 2020年3月23日閲覧。 バスマップ. 2020年3月23日閲覧。 神奈川中央交通発行の路線情報紙「くる~ず」29号の記述による。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• - 町田市公式サイト.

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かなちゅう 定期

略称 神奈中(かなちゅう) Kanachu 神奈交(銘柄略称) 本社所在地 〒254-0811 八重咲町6番18号 : 設立 (10年) 事業内容 旅客自動車運送事業、不動産業他 代表者 堀康紀() 資本金 31億6千万円 発行済株式総数 6300万株 売上高 単体536億80百万円、連結1155億25百万円 (2017年3月期) 営業利益 単体39億81 百万円、連結68億10百万円 (2017年3月期) 純利益 単体28億14百万円、連結39億77百万 (2017年3月期) 純資産 単体312億59百万円、連結510億36百万円 (2017年3月期) 総資産 単体1015億18百万円、連結1489億57百万円 (2017年3月期) 従業員数 単体3,101人、連結7,729人 (2017年3月31日現在) 決算期 3月31日 主要株主 45. 通称は「 神奈中(かなちゅう)バス」。 のうちの一社で、神奈川県バス協会と東京バス協会の双方に加盟している。 のである。 概要 [ ] 東日本では最大のバス事業者で 、バス専業の事業者としても日本一の規模であり 、日本のバス業界のリーダー的存在とされている。 臨海部や北東部、、足柄・箱根を除くの大部分の地域と・・などのを中心にやの運行を行っているほか、東京駅・新宿駅からのや、・へのを運行する。 かつては横浜・町田・本厚木などから各地やへの路線の運行も行っていた()。 近年では都市間高速バスの運行にも力を入れている。 歴史 [ ] 本節では、主にバス事業の歴史を中心として、関連事業についても適宜記述する。 関連事業についてはの節も、車両の歴史はの節を参照。 創業期 [ ] 現在の神奈川中央交通が主な営業エリアとしている中央部に乗合自動車が走り始めたのは、に佐藤某 が設立した合資会社による、とを結ぶ幌つき自動車による路線の開設に端を発する。 これに続くように、には相陽自動車が車両3台で秦野と平塚を結ぶ路線の運行を開始している。 しかし、乗合馬車や人力車の方が安かったこと や、道路が悪く運転技術も未熟だった こともあり、いずれも1年程度で廃業となっている。 後の好景気により、内ではまず賃貸自動車営業 が開始され、続いて兼営で乗合自動車の運行が開始された。 頃から個人営業による乗合自動車業が設立されはじめ 、当時市街地として発展していたを中心に、複数の乗合自動車が激しい乗客争奪戦を行った が、無益な競争をやめて整理統合する機運が高まり 、6月5日に大岡町を拠点として 相武自動車が設立された。 これが神奈川中央交通の直接的な起源である。 に伊勢原自働車運輸が平塚とを結ぶ路線 、1921年に秦野自動車が秦野と平塚を結ぶ路線の運行をそれぞれ開始した。 同年に大谷仁三郎がとを結ぶ路線などの運行を開始し 、厚木町の有力者は厚木と横浜を結ぶ路線を開設したのち、に設立された中央相武自動車に営業譲渡 した。 ほかに片瀬自動車商会が厚木とを、鶴屋自動車商会が厚木と戸塚を、結ぶ路線を開業するなど、に10数社がバス事業を設立している。 の鉄道駅との宿場町を結んで開設された路線が目立つ一方、におけるバス営業は、に原町田乗合自動車がと、と小野路を結ぶ路線を開業させた。 自主統合の流れ [ ] 小規模なバス事業者の乱立は、結果的に競合による疲弊を招き 、資本力のある事業者が小規模事業者を買収し合併することで、事業規模を拡大すると共に無益な競合を解消する気運が現れ始めた。 こうした自主的な統合という方向性は、1931年に公布されたの目的である「交通企業の合理化と交通事業の統制」にも叶うものであった。 に、の伊勢原自働車運輸が同じく伊勢原を拠点としていたサンエキ自動車と合併して伊勢原サンエキ自動車と改称 して、に伊勢原自動車へ社名を変更した。 に江之島自動車、片瀬自動車商会、鵠沼自動車が合併して設立 された藤沢自動車は、藤沢近辺にとどまらず、厚木・津久井方面まで沿線事業者と合併の上規模を拡大した 結果、に、営業キロが約300で車両数約60台を有する大手事業者 となり、の傘下 となる。 に東京新宿に拠点を置くが原町田乗合自動車を合併 し、またの相武自動車は鶴屋商会と戸塚自動車商会を合併して翌年に相武鶴屋自動車と改称した。 この相武鶴屋自動車はにの傘下に入り、すでに東横傘下に入っていた中央相武自動車をに合併して 東海道乗合自動車と改称し、主に東海道本線沿線へ路線を展開 した。 にやはり東横系となっていた関東乗合自動車の町田営業所を継承 し、に同じく東横系となっていた秦野自動車を合併した ほか、やはり東横傘下になっていたの2路線を譲受した。 その一方、藤沢自動車と競合するは自社のを擁護するため 、1935年に大谷仁三郎の個人経営だった橋本・渕野辺から田名にいたる路線を譲受 し、1936年に愛高自動車商会の厚木と上溝を結ぶ路線を買収し、沿線を自社バス路線の営業エリアとした。 この時期までに譲受されたバス事業の概要は以下の通りである。 中央相武自動車 (大正12年)3月設立。 - 厚木間の乗合自動車を運営。 の傘下会社である目黒自動車運輸が買収したが、1936年10月に東横が玉電を傘下に収めた事に伴い、(昭和12年)8月に同社も東横の傘下に入った。 詳細は「」および「」を参照 戦時統合へ [ ] 戦時体制に入ると、の公布により、バス事業者は極力統合する方向となった。 に東京横浜電鉄は京浜電気鉄道(現在の)と小田急電鉄(現・、)を統合して東京急行電鉄(東急)となっていたが、東急はに藤沢自動車の経営権を京王電気軌道から譲受して傘下に収めた上で 、伊勢原自動車を買収した。 さらに同年中には、東海道乗合自動車の経営にも東急が参加している。 一方、1942年には陸運統制令に基づく通牒により強制統合が進められる事となったが、この時に神奈川県では横浜市・相模・地区外という3ブロックに分けられることとなった。 この時、町田地区は東京の調整区域から外されて相模ブロックに編入されることになった。 相模ブロックの統合主体は東海道乗合自動車が選定され 、に藤沢自動車と伊勢原自動車を合併、 神奈川中央乗合自動車が成立した。 「」も参照 この時期までに統合されたバス事業の概要は以下の通りである。 伊勢原自動車 3月に伊勢原自働車運輸として設立。 1928年2月サンエキ自動車(設立)と合併し、伊勢原サンエキ自動車と改称。 9月伊勢原自動車と商号を変更。 周辺事業者を悉く統合。 1938年3月には秦野自動車より平塚 - 二宮間と平塚 - 須賀間を譲受していた。 藤沢自動車 1931年に江之島自動車・片瀬自動車商会・鵠沼自動車が統合して設立。 以来、県央地区(・・)の事業者を悉く買収・併合して統合。 1937年6月、京王電気軌道(現在のの母体)に買収され、同社傘下となる。 9月、八王子中央自動車(11月開業。 (現・)久保沢向原 - 旭町間)の合併で、南は藤沢 - 平塚から厚木・を経て北は八王子 - 上野原までに至る神奈川県を縦断する路線網を築き上げた。 1935年、大谷仁三郎経営の - - 田名間と田名 - 間の乗合自動車業を承継して開業。 1936年、愛甲自動車商会より上溝 - 厚木間の路線を譲受。 1941年、東京横浜電鉄の傘下に入り、1943年、神中鉄道(現在のの母体)を吸収合併するが、1944年、本来の鉄道路線である - 間が国家買収される(現在のJR)。 従って同社は現在の相鉄と同一企業であるが、この時神奈中に編入されたバス路線と現在の相鉄バス(、内で改めて開業)は全くの無関係である。 詳細は「」および「」を参照 6月には社名を 神奈川中央交通に変更した。 1953年には本社を平塚市に移転した。 沿線住民や利用者からは、この時期から「神奈中」という通称で呼ばれるようになった。 本項でも、以下神奈川中央交通を「神奈中」と表記する。 高度成長期 [ ] 1960年代・団地輸送の増強と拡大 [ ] 1950年代後半に入ると、人口増加地域である神奈中エリアの通勤需要は増加の一途を辿る。 特に沿線の鉄道輸送の必要性が高くなっていた ことから、(昭和28年)にとを結ぶ路線を15分ヘッドで運行し、急行便も新設した。 その後、までの鉄道と並行する路線も同様に運行便数の充実を図り 、さらに各鉄道駅から住宅地への路線を新設して鉄道との連携輸送を行った。 同様に人口が増加していた小田急沿線からの路線も拡充し 、町田地区では道路改良と共に次々と路線新設を行った ほか、宮ヶ瀬()や青根(相模原市緑区)などの山間集落にも路線を展開した。 までの3年間に導入した車両数は126台となり 、約90系統が新設されている。 (昭和33年)には京王との相互乗り入れという形態で東京都内にも路線拡大を展開 、やへも乗り入れた。 一方、横浜市内ではやとの路線免許申請の競合が多くなった が、頃からは各社で申請前に協議することになり 、には3社で運輸協定を結んだ ため、以後競願による認可の遅れという事態は回避されることになった。 詳細は「」を参照 これらの路線規模の拡大と共に営業拠点の新設も行われ、からの5年間で233台もの車両増備が行われた。 以降は、町田・横浜地区並びに小田急沿線での大規模団地造成と共に大幅な輸送力増強を迫られた。 これに対応するべく車両の増備が急速に進められ、に路線バスの保有台数は1,000台を超え 、営業所を郊外へ移転すると同時に敷地面積も拡大するという手法がとられた。 この時期、神奈中では関連事業の拡大にも着手している。 4月にはにを建設 、これにあわせて同年8月17日には神奈中商事を設立した。 からはスーパーマーケット「」を開業し、沿線各地への店舗展開を行った ほか、クリーニング業にも着手した。 また、7月からはの建設を進め、最盛期には沿線に11店舗にまで拡大した。 から不動産業にも進出 、・などで宅地分譲を行った。 日本初の整理券方式ワンマンバス [ ] このように輸送力増強に追われる中、要員不足が顕在化することとなった。 特に車掌の採用難が厳しくなった ことから、当時都市部の一部路線で行われていたを進める事になった。 しかし、ワンマン化自体はにで実施されていた が、それまでワンマン化されていた路線は均一運賃体系の路線が主で、多区間運賃制路線では申告制前払いとしたところもあった。 しかし、神奈中の大多数の路線のように運賃区間の多い路線での多区間運賃制へのワンマン化事例は当時存在せず、運賃収受の確実化を図る必要があった。 そこで、乗車停留所を明確にするために、乗車時にを取り、乗客は降車時に整理券と照合して運賃を支払うという「整理券方式」のワンマンバスを導入する事になり、1962年より試験的に運賃区界数2区間の路線でワンマン化が開始された。 この時の整理券はボール紙 で 、前扉付近に整理券ホルダーを設置した。 以後、神奈中の乗車方法は前乗り前降りが基本となる。 その後も機器の開発を進め、1964年4月には運賃区界数5区間の路線でもワンマン化が行われた が、この時には色分けされたプラスチック板の整理券を乗車時にボタンを押して受け取る方法 となり、さらに同年10月には運賃区界数8区間の路線にも導入された。 それを受けて、より伊勢原と茅ヶ崎の2営業所で本格的なワンマン化を開始した。 にはロール紙に1枚ずつ番号を印刷してカットする機構が開発され 、運賃区界数にかかわらずワンマンバスの運行が可能になったことから一気にワンマン化を促進し、同年には山間部の一部路線を除いてほぼ全路線がワンマン化された。 日本では多区間運賃制路線でのワンマン化は神奈中が初 であり、会社の規模としては急速かつ広範囲にワンマン化が進められたが、監督官庁から安全性を危惧する意見があり、狭隘な道路では待避所やカーブミラーの設置を進めると共に 、見通しの悪い踏切などでは自社で交通整理要員を配置して対処した。 また、当時はワンマン化に反対するバス事業者が多く、他社の労働組合からワンマンバス導入展開にクレームもあり 、労使共に説得したこともあるという。 しかし、ワンマン化は時代の趨勢であり、以後整理券方式のワンマンバスは日本全国に拡大され、乗降ドアの違いなどはあるものの、日本のバスにおいて標準的な運賃支払い方式となった。 神奈中においては、5月のとを結ぶ路線を最後に、完全ワンマン化を達成している。 1970年代・さらなる輸送力増強 [ ] になると、既に開発の進んだ鉄道沿線から離れた外縁部へも宅地化が進むことになった。 に入居を開始したでは、ニュータウン鉄道の開通まではバスに通勤輸送が委ねられることとなり 、神奈中と京王が輸送を担当した。 さらに都心から離れた厚木・伊勢原・秦野・平塚においても住宅地の造成が進み 、路線と車両増強を繰り返した結果、小田急線・東海道本線沿線各駅のバス路線の集積度はきわめて高くなった。 また、による送迎が行われている企業や学校での車両代替に着目し 、以降は特定バス事業にも着手した。 運行や車両整備はバス事業者が行うが、運行形態やバスのカラーリングなどは顧客側で決定するというもので、積極的にセールスを行ったことによって特定輸送の運行規模はその後大幅に拡大され 、その後の神奈中のバス事業の基幹の1つに位置付けられている。 には山間部の路線において停留所以外でも乗降が可能なの採用も開始した。 関連事業においては、ボウリング場の乱立による競争の激化で経営が悪化、5月までに一部の店舗を除いて撤退することになった が、用途のなくなった建物の有効活用としてスイミングスクールの運営を1976年10月から開始し 、これをきっかけとしてテニススクールやフィットネススタジオなど、スポーツ事業への参入も開始した。 また、不動産業では沿線外の宅地分譲も行うこととなり 、からまでに ・ ・ ・ での宅地分譲を行っている。 また、市街地の再開発などにあわせて、自社用地に建設したビルを使用した賃貸業務も拡大させている。 この他、老朽化した営業所建屋を改築した際に生じた空きスペースを利用して 、食堂業へ進出することとなり 、10月24日からは「」(当時)と業務提携を行うことによってラーメン屋の営業も開始している。 日本初の割増料金を適用した深夜バス [ ] 神奈中の深夜バス路線の例(本厚木駅24時35分発鳶尾団地行き) ベッドタウンの外延化と共に、利用者からは路線バスをもっと遅くまで走らせることに対する要望が強くなっていた。 神奈中においても例外ではなく、5月には入居が開始されてから間もない鶴川団地の住民より、最終バスを延長するように申し入れがあった。 これが日本初ではじめて割増料金を適用したである。 当日の第1便は8名の利用者よりも報道陣が目立った状態 で、運賃設定などに反発した一部の住民が、会員制の「自主バス」を運行したり 、運賃制度について大学教授・利用者代表と会社役員がNHK番組で論戦を行う などの動きもあったが、路線拡充や深夜バス運賃の据え置き や引き下げ により深夜バスに移行した ため、までに「自主バス」は廃止となった。 運輸省でもバスの終車延長には積極姿勢を見せ、1970年12月には「大都市周辺部の深夜バス運行について」という通達を出した。 しかし、深夜バスは、不規則労働となる乗務員に手当てを支払った上で採算性が確保できるかどうかの判断が、事業者によって分かれる。 このため、関東地方に限っても深夜バスを運行する事業者が大幅に増加するのは深夜の交通機関の確保について運輸省が再度勧告を出した以降である。 深夜バスの採算性を認めた神奈中においては、深夜バスの運行系統は年毎に増加し、東京都内の全事業者を合わせた深夜バスの系統数が約50系統となったの時点で、神奈川県内では既に神奈中だけで50系統以上の深夜バスが運行されていた。 1980年代・さらに続く拡大傾向 [ ] に入ると、日本のバス事業全体の傾向としてと道路渋滞による走行環境の悪化と利用者減少に見舞われるが、神奈中の営業エリアは人口増加が続き、バス利用者も増加した。 人口増加や企業・学校の郊外移転などで、鉄道からのフィーダー輸送の役割が求められたためである。 1980年代以降は沿線に大学の新設や移転などが続いたため、通学輸送の増強も行われる事になった。 既に1971年には相模原市にが移転していたが、1980年代初頭には相模原地区における輸送の要となっていた。 復元された薪バス「三太号」 に会社創立60周年を迎えたが、この時に先人達の苦労を伝えるという意味で 薪バス「」を復元した。 薪バスは沿線各地で展示なども行われた。 同年、平塚市の本社の改築が終了したが、それまで本格的ながないという声が地元からあった ため、本社に併設されたの地下にレストランもオープンさせた。 また、にはデジタル式を 、(昭和60年)には大型方向幕を導入する など、路線車両のサービス改善にも積極的に取り組んだ。 特に(昭和62年)4月には一挙に300台もの新車導入が行われ 、同年5月には全車両の冷房化を達成した。 にはそれまですべてを人手に頼っていたバスダイヤの作成を自動化すべく、バスダイヤ自動作成システム「AIDIA」も稼動開始し、日本のバス業界の注目を集めた。 からは遊技場(パチンコ店)経営にも着手した ほか、(平成2年)にはにゴルフ場「中伊豆グリーンクラブ」をオープンさせている。 また、当初は社有地の有効活用として進出した食堂業については、事業拡大のため用地の購入や賃貸による出店を行うことになり 、1983年6月には沿線外への店舗展開も開始された。 ラーメン屋の名称は、1989年3月17日から「くるまやラーメン」に名称変更された。 また、・・などとの提携による出店も開始されている。 事業区域内の大半の路線が多区間運賃制であり 、どの区間にも対応させる目的で金種別に19種類ものを発売していた が、すべての利用者に満足できるものではなく 、また後方業務も複雑になっていた。 これを解消するため、神奈中はプリペイドカード式回数乗車券(バスカード)の導入を決定した。 初期のカードリーダー 当時、バスカードは一部の均一運賃制路線での導入例はあったが、多区間運賃制の路線に対応したシステムは存在しなかったため、システムを新規に構築する必要があった。 にと共同でシステム開発に着手、1987年より伊勢原の路線バス15台にて実用化を前提とした試験を開始 、この結果を受けて1988年より「神奈中バスカード」の運用を開始した。 これは多区間運賃制路線では日本初のバスカード導入事例であり 、1990年には全車両での導入を達成している。 システム開発と導入にあたって、運輸省より「昭和63年度バス交通活性化補助」を受けているが、バスカード導入で補助対象になったのも日本で初めてである。 同時期にはやでもバスカードシステムが導入されており 、この後バスカードシステムを導入するバス事業者は増加してゆくことになる。 また、神奈中バスカードはその後へ発展解消していく事になるが、当初は神奈中のバスカードに採用されていたシステムとバス共通カードを導入していたバス事業者のバスカードのシステムが異なっていたため、バス共通カードが完全に導入されるまではバス共通カードを使用できない車両が存在した が、一方でカードの割引率などは神奈中バスカードにおいて設定されたものがバス共通カードでもそのまま踏襲されており、の「バス利用特典サービス」の特典バスチケットにもその金額は引き継がれている。 新しいバスサービスの展開 [ ] 一方、同じく神奈川県をテリトリーとする(現・)は1986年、夜行高速バス「」の運行を始める。 この路線の成功をきっかけとして、日本ではブームの如く夜行高速バス路線が開設されることになった。 神奈中もターミナルとして地元の横浜と町田に着目し 、(平成元年)からとの共同運行により、横浜と奈良を結ぶ夜行高速バスの運行を開始した。 同年中には京都・大阪・和歌山・広島への路線を開設 、1990年にはを開設した。 1989年末からは深夜急行バスの運行も開始している。 バス復権に向けて [ ] 神奈中ハイヤーに移管された貸切バス しかし、ここまで順調に規模を拡大してきた神奈中も、バブル経済崩壊後の不況の波から逃れることはできなかった。 に年間輸送人員が3億2百万人に達したのをピークとして 、以降はバス利用者数は減少傾向となった。 神奈中沿線に製造業が多いこともあり、消費低迷は製造業での業務縮小を招いた。 さらに少子化による通学需要の減少も作用し、路線バス利用者は年毎に減少してゆく。 これに対応するべく、の路線バス車両はすべて中型車での導入となり 、同年には町田・平塚・戸塚営業所に置かれていた貸切・観光バス部門の大半を子会社のに移管した。 その後、に神奈川県の第三セクター・の経営悪化に伴い同社の株式を取得の上子会社化、 同社の新横浜営業所とし、に県観光は神奈中ハイヤー観光バスに称号を変更、更に神奈中ハイヤーの貸切バス部門(町田・平塚・戸塚)を神奈中ハイヤー観光バスに移管した上で、にに改称した。 なお、この間の2月には小田急グループ自体の事業再編の一環として、旧の東京観光営業所(町田市鶴間)を神奈中ハイヤーで譲受し、野津田車庫に置かれていた自社の町田営業所と統合の上、旧箱根登山観光の営業所に移転している。 関連事業においては、それまで「くるまやラーメン」のフランチャイズとして展開していたものを2000年に提携解消し、「らーめん花楽」として独自の店舗展開を行うことになった。 また、1999年からはビデオ・CDレンタル事業(のフランチャイズ)も開始した。 その一方で、これまでの神奈中にはなかった施策もいくつか行われている。 ミニバス展開 [ ] 1997年に導入された小型バス「湘南ロコ号」 神奈中は元々大型車が中心で、狭隘路線など限定された範囲で中型車が導入されていた状態であった。 これは、幅2m程度の小型車ではワンマン運行に適した車両が少なかったことによる。 しかし、住民からの路線開設要望が多い路線については、リアエンジンの小型バスが販売開始となった事を機に、10月から3路線で小型バスによる路線の運行を開始した。 一方、の藤が岡団地では、駅からの途中に急坂がある上に住民の高齢化が進んでおり、路線バス運行の要望が高くなっていた。 神奈中では路線開設に向けて検討した結果、小型バスを使用すれば運営が可能と結論づけ 、5月より団地循環の路線を開設した。 団地内では約100m毎に停留所を設置、バス車内には住民が自由に使用できるコミュニティボードを設置する など、と同様の設定ではあるが、自治体からの補助は得ていない。 使用する車両には「湘南ロコ号」と愛称が付けられた。 以後、同様のミニバス路線がいくつか開設されている。 地域分社化 [ ] 分離子会社の車内に設けられた車内売店(2008年3月31日付で終了) 一方で、にが秦野地区から撤退することになり、その受け皿としてが設立された。 これを母体として、1997年からは相模原地区において同社への移管を行ったのを皮切りに、新たに地域毎に分離子会社の設立と管理委託などを進め、運行コストの低減を図った。 また、移管された路線の大半では不採算路線の増収策として車内で物品販売も行われ 、マスコミにも「車内売店のあるバス」として話題を提供した。 販売品目にが加わった際には売店の設置された各車両を米穀小売販売業者の店舗として神奈川県知事に登録していた。 これと並行して不採算路線の整理も進められる事になり、までに極端に乗車率の低い路線は廃止された。 日本初の環境定期券導入とスヌーピーバス [ ] この頃、問題がクローズアップされていた折、神奈中でも環境問題に取り組むことになった。 基本的にはマイカー通勤からバス通勤への移行を呼びかけるものであるが、ただ呼びかけるだけではバス会社の都合と受け止められる可能性を考慮し 、バス会社側でも新しい運賃制度を導入することが必要と考えられた。 スヌーピーバス 検討の結果、において導入されている環境定期券制度の導入を行うことになった。 これは通勤定期券を所持している利用者と同伴の家族が土休日に神奈中の一般路線を利用する際には1回の乗車が現金100円になるというものであるが、制度の導入だけではなく、広告塔に相当するものが必要と考えられた。 そこで、知名度が高く他社が使用していないキャラクターを選定することになり 、アメリカで環境問題について使用されているが選ばれた。 版権を持つ法人にも「環境保全が目的」と認められ、格段の配慮があったという。 こうして、1997年の日本で初となる環境定期券制度導入と同時に「スヌーピーバス」が運行開始された。 スヌーピーバスは2年間で40台が導入され、まで運行された他、一時期はでも運行されている。 潜在的需要の発掘 [ ] 1997年夏には、これからバスを利用する世代となるであろう児童層に着目し、路線バスの利用方法を覚えてもらうという趣旨 で「ちびっこ50円キャンペーン」を開始した。 現金払いの場合は一般路線の全路線で小児運賃50円となるというもので、当初は長期休暇とのみの実施であったが、多い時には1日1万3千人もの利用がある など一定の効果が認められた事から、後年すべての土曜・休日に適用を拡大している。 また、高齢者向けの施策としては、よりに65歳以上の運賃を100円とするサービスを行った後、6月より「かなちゃん手形」の発売を開始した。 これは、初めに購入するパスを安価に設定 、パスを提示した場合は乗車1回につき運賃を区間にかかわらず100円とするもので、1回毎の運賃を安価に設定することで乗車回数を増やす事を目的とした施策である。 1日1万2千人の利用があるという。 当初は車内でも発売していた。 これと同時に、一般路線の全線に有効な「」の発売も開始している。 21世紀に向けた新展開 [ ] 横浜市交通局から引き継いだ路線「11系統」 、神奈中では田村車庫・からへ向かう空港連絡バスの運行を開始、好調となった ため、以後町田・相模大野・港南台・辻堂・藤沢の各駅から羽田空港・を結ぶ路線も運行を開始した。 一方、夜行高速バスでは乗車率が高いにも拘らずコスト割れする路線もあり 、生活路線でない赤字路線の運行を続ける理由はないとの見地から 、広島・和歌山・奈良への路線は廃止され、盛岡への路線はの単独運行となった。 その他の路線は子会社の運行コストであれば存続可能と判断され 、に移管された。 後にに再移管されている。 以降は、他バス事業者からの路線譲受も行われた。 2004年2月には、横浜市交通局からの路線移譲について申し入れがあった ことから、2005年から2008年にかけて段階的に11系統を譲受した。 また、相模鉄道からも同じ時期に同様の申し入れがあったため 、こちらも2006年から2008年にかけて4系統を譲受している。 さらに、2006年には「横浜市生活交通バス路線維持制度」の対象となる15系統について公募が行われたが 、そのうち3系統については2007年から横浜市交通局に代わって運行を開始した。 「かなch. 」のモニター からは、茅ヶ崎・辻堂駅発着の一部路線で自転車をバスに搭載するサービスが開始された。 自転車を搭載可能な路線バスは前例がある が、バスの前面にを設置し、自転車をバスの前面に積載する方式は日本初の導入例である。 10月1日より、の路線バス50台の運転席後方にモニターを設置し、ニュース・天気予報・広告などを放映する「かなch. 」というサービスを開始した。 関連事業においては、2004年からは温浴施設(「」)の運営に参入する一方で 、スーパーマーケット「神奈中ストア」は2007年9月30日をもって全店舗閉鎖となり 、同時期にバス車内における物品販売も終了となっている。 連節バスと新たな公共交通の模索 [ ] 通勤・通学路線においては、新しいタイプの公共交通の模索も進められた。 と藤沢キャンパスを結ぶ路線は、朝のバス待ち行列が250人近く並ぶ有様で、通常のバスでは捌ききれない状況であった。 また、駅前広場の状況もにより一般車の乗り入れ規制や交通指導員の配置なども行われていたが、通常のバスによるこれ以上の増発は困難な状況であった。 このため、には藤沢市が中心となって新たな公共交通システムを導入するための検討委員会が設立され 、道路交通の遠隔化やバリアフリー化、さらに交通不便地域でのミニバスによるフィーダー路線運行によるマイカー抑制や環境保全などを目標と定めた。 その前提として、1台あたりの定員の多いを基幹路線に導入することになった。 藤沢市で導入された連節バス「ツインライナー」 ち201 日本において連節バスを製造していたは当時既にバス車体製造から撤退しており 、が制定されていたため床面地上高を550mm以下に抑える必要もあったことから、輸入車を導入することになり、のが日本総代理店となる製を導入する事になった。 これは日本の道路運送車両法により定められた連節バスの構造要件には合致しない車両 であったが、自治体及び警察の協力も得られたことから特別に認可され 、より「ツインライナー」と命名された、日本では初めての導入となるノンステップ連節バスが運行を開始した。 本路線を基幹路線とし、慶應義塾大学で「ツインライナー」に接続し、ミニバスで周辺地区を循環する支線バスによる交通網の拡大も行われた。 規制緩和への行動力 [ ] これに続き、は朝方通勤時のバス利用者が多いへの通勤路線に連節バスの導入を検討し、には独自の補助金制度を定めた。 しかし、この時には藤沢市で導入されていたセントロライナーが日本向け車両の供給を中止しており 、車種選定を改めて行うことになった。 町田市で導入された連節バス「ツインライナー」 ま201 神奈中ではに対して、日本での連節バス製造の可能性について打診した が、三菱ふそうは日本での製造は困難と回答し、代わりにグループのが製造するの導入支援を行うことになった。 受注にあたり、欧州規格のままの車体幅2. 55mで扉を設置しないという日本の道路運送車両法による保安基準をさらに超える仕様 での製造という条件があった が、神奈中では藤沢市での連節バス運行実績を基に独自で基準緩和を働きかけ 、より厚木市内でも連節バスの運行が開始された。 日本国内で欧州規格そのままの路線バス車両導入は初めての事例である。 これらの基準緩和に対する神奈中の行動力には、三菱ふそう関係者も大いに刺激を受けたという。 神奈中では、日本全国でも連節バスの導入が広まる事を期待しており 、連節バス導入を検討する他県の自治体に対して連節バスの貸し出し・実証実験運行や展示・試乗会への協力を行っている。 2008年8月には新潟市へ 、2009年10月には浜松市への貸し出しが行われた。 連節バスはから、藤沢市と厚木市に引き続き、町田市内でも運行が開始。 東京都内の一般路線で連節バスが運行される初のケースとなった。 その後、2018年には藤沢市で新たに2路線の運行を開始した。 乗合バス事業の再編へ [ ] 先述の通り、1996年の湘南神奈交バス設立以降順次進められてきた、神奈交バス5社への一部路線移管および運行管理の委託だったが、エリアの特性に応じた事業環境や効率化・最適化などを考慮し、この従来までの体勢を一新することが、に行われた取締役会において決議された。 効力は2017年1月1日 で、バス事業をエリアごとに 神奈川中央交通(神奈川中央交通+横浜神奈交バス、相模神奈交バス町田営業所を含む)、 神奈川中央交通東(藤沢神奈交バス+相模神奈交バス)、 神奈川中央交通西(湘南神奈交バス+津久井神奈交バス)の3社にそれぞれ吸収合併し再編、これにより従来の 神奈交バス5社(湘南、藤沢、横浜、相模、津久井)は消滅した。 再編の概要は、以下の表の通りである。 2016年12月26日のリリースで再編後の営業所が一部計画変更の上公表され、相模神奈交バス相模原営業所(峡の原車庫)が「橋本営業所(車番略称:「も」)」へ、相模神奈交バス厚木営業所(上荻野車庫)が「厚木北営業所(車番略称:「き」)」へ変更された。 その後、より大和・相模原営業所が新たに神奈川中央交通東に加わった。 再編前の営業所名 再編前の事業者 再編後の事業者 再編後の営業所名 備考 あ 厚木営業所(及川、下荻野操車所) 神奈川中央交通 神奈川中央交通 あ 厚木営業所 い 伊勢原営業所 神奈川中央交通 い 伊勢原営業所 現在の事業者は神奈川中央交通西 お (横浜営業所 舞岡操車所) 横浜神奈交バス 舞岡営業所 横浜神奈交バス お 舞岡営業所 2015年4月現在、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり)。 現在は全面解除 さ 相模原営業所(麻溝操車所) 神奈川中央交通 さ 相模原営業所 せ 綾瀬営業所 神奈川中央交通 せ 綾瀬営業所 た 多摩営業所 神奈川中央交通 た 多摩営業所 ち 茅ヶ崎営業所 神奈川中央交通 ち 茅ヶ崎営業所 と 戸塚営業所 神奈川中央交通 と 戸塚営業所 や (大和営業所 中山操車所) 横浜神奈交バス 中山営業所 横浜神奈交バス な 中山営業所 2015年4月現在、神奈川中央交通より全面受託 現在は全面解除 ま 町田営業所 相模神奈交バス 町田営業所 神奈川中央交通 相模神奈交バス ま 町田営業所 2015年4月現在、相模神奈交バスへ一部委託 や 大和営業所(鶴間操車所) 神奈川中央交通 や 大和営業所 2015年4月現在、鶴間操車所の一部を藤沢神奈交バスへ委託(神奈交自社路線あり) よ 横浜営業所 神奈川中央交通 よ 横浜営業所 相模神奈交バス 菅生営業所 相模神奈交バス 神奈川中央交通 東 菅生営業所 川崎市交通局を全面受託 平成29年3月26日 より、受託営業所を菅生からへ変更 した。 あ (厚木営業所 上荻野操車所) 相模神奈交バス 厚木営業所 相模神奈交バス き 厚木北営業所 2015年4月現在、神奈川中央交通より全面受託 ふ (茅ヶ崎営業所 藤沢操車所) 藤沢神奈交バス 藤沢営業所 藤沢神奈交バス ふ 藤沢営業所 2015年4月現在、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり) さ (相模原営業所 峡の原操車所) 相模神奈交バス 相模原営業所 相模神奈交バス も 橋本営業所 2015年4月現在、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり) や 藤沢神奈交バス 大和営業所 藤沢神奈交バス や 大和営業所 2015年4月現在、神奈川中央交通より鶴間操車場の一部を受託 (神奈交自社路線あり) つ (相模原営業所 三ヶ木操車所・城山操車所) 津久井神奈交バス 津久井営業所 津久井神奈交バス 神奈川中央交通 西 つ 津久井営業所 2015年4月現在、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり) は (伊勢原営業所 秦野操車所) 湘南神奈交バス 秦野営業所 湘南神奈交バス は 秦野営業所 2015年4月現在、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり) ひ 伊勢原営業所 平塚操車所 湘南神奈交バス 平塚営業所 神奈川中央交通 湘南神奈交バス ひ 平塚営業所 2015年4月現在、湘南神奈交バスへ一部委託(神奈交自社路線あり) バス事業 [ ] 路線バス [ ] 菫平局前バス停(神奈川県平塚市)- 神奈川県内及び東京都南多摩地域を中心に、神奈川県・東京都・山梨県に路線を持ち、2011年1月の時点で約700路線を運行している。 1960年代以降は当時収益性の高かった貸切バス事業の増強を抑え 、路線バス事業を中心とした経営に徹し 、1989年時点では全営業収入の79. 1987年のインタビュー記事では、1つの路線に複数事業者が参入することは「客足が落ちた時に先に逃げた方が勝ちで、責任逃れが出来る」という理由により、決して好ましいことではないとしていた。 ほぼ全車での販売を実施している ほか、一時期は収支改善のための努力として各神奈交バスの委託中型車に売店スペースを設置していた。 なお、傘など一部を除き、車内物販についてはをもって廃止となった。 将来の催しや施設が出来ることを見越し、採算度外視で運行している路線が2011年1月の時点で10路線ほど存在する。 これらの路線は免許維持路線と称されており 、廃止は考えられていない。 一般路線の詳細についてはの記事を参照のこと。 乗降方式 [ ] 町田営業所の前面行先表示。 中乗り前降り導入後は『中乗り』もしくは『先払』と表示される ワンマン化以後、乗降時の事故防止と運賃収受の適正化の観点から 、乗客の指向が鉄道駅などの一点に集中している路線や時間帯 、また均一運賃区間の路線などを除き 、乗降ともに前扉を使用する「前乗り前降り」方式を基本としていた。 しかし、利用者の要望やバリアフリー対応という観点から、中扉から乗車して前扉から降車する「中乗り前降り」方式の検討を進め 、2006年3月から伊勢原営業所管内で「中乗り前降り」方式の実証実験を開始した。 その後事故や問題などは発生しなかったことから本格導入に移行した。 神奈中では、停留所付近のバリアフリー整備など関係機関の協力が得られ次第、この乗降方式を拡大したい、としており 、2012年3月24日から茅ヶ崎営業所管内 、同年10月29日から伊勢原営業所秦野操車所(湘南神奈交バス秦野営業所を含む)管内 、2013年6月24日から平塚営業所(湘南神奈交バス平塚営業所を含む)管内 、同年10月27日から相模原営業所(相模神奈交バス相模原営業所・津久井神奈交バスを含む)管内、 2014年3月24日から厚木営業所(相模神奈交バス厚木営業所を含む)管内 、同年9月24日より綾瀬営業所管内及び茅ヶ崎営業所藤沢操車所(藤沢神奈交バス藤沢営業所を含む)管内 、2015年3月23日から戸塚営業所管内 、2016年3月22日からは大和営業所(藤沢神奈交バス大和営業所を含む)管内(一部の路線を除く) 、2017年3月21日からは多摩営業所管内及び町田営業所管内(一部の路線を除く)でも「中乗り前降り」方式へ変更された。 また、横浜市内均一運賃の区間を多く持つ横浜営業所・舞岡営業所(旧舞岡操車所・横浜神奈交バス舞岡営業所)・中山営業所(旧横浜神奈交バス中山営業所)では、対キロ路線も含む全路線で「前乗り中降り」の運賃先払い方式を採用している。 そのため、現在は営業所・路線ごとに乗降方式が混在している。 乗り継ぎ [ ] 路線再編に伴い、一部の停留所を発着する路線で乗り継ぎ割引を行っている。 原当麻駅、北里大学病院・北里大学、光が丘一丁目、上溝、小田急相模原駅、相武台前駅: 乗り継ぎ割引対象系統の指定停留所間を利用する場合に限る。 2003年12月の旧相模原市内における路線再編のため、2008年11月より開始。 割引額は大人100円、小児50円。 現金、PASMO及びSuica、回数券での支払いに限る。 1台目のバス降車時に乗務員へ乗り継ぐ旨を申告し、運賃を支払い「バス乗り継ぎ乗車証」を受け取り、2台目のバス降車時に「バス乗り継ぎ乗車証」を提示し、割引運賃を支払う。 田名バスターミナル: 乗り継ぎ割引対象系統の指定停留所間をPASMO及びSuicaで利用する場合に限る。 2014年4月1日の田名バスターミナル開業に伴う路線再編のため、同日より開始。 割引額は大人100円、小児50円。 1台目のバス降車時にPASMO・Suicaを使用して運賃全額を支払い、降車後60分以内に2台目のバスへPASMO・Suicaを使用して乗車した場合に限り適用。 二宮駅南口、押切(押切・塔台橋を含む): 乗り継ぎ割引対象系統の停留所からPASMO及びSuicaで乗車した場合に限る。 2016年3月26日の平塚駅北口~二宮駅南口~国府津駅線の路線再編のため、同日より開始(2017年3月31日に終了予定)。 割引額は大人170円、小児85円。 1台目のバスの降車時にPASMO・Suicaを使用して運賃全額を支払い、降車後60分以内に2台目のバスへPASMO・Suicaを使用して同一バス停から乗車した場合に限り適用。 なお、以下のように乗車する場合、1台目のバス降車時に乗務員へバスを2回乗り継ぐ旨を申告すると、3台目用の「バス乗り継ぎ乗車証」を受け取ることができる。 国道1号線経由 平塚駅北口方面~二宮駅南口で乗り継ぎ~押切(押切・塔台橋を含む)で乗り継ぎ~国府津駅、比奈窪、橘団地方面。 指差呼称 [ ] 夜行高速バス運行開始初期の車両(あ701) 深夜急行バスについてはとを参照。 かつては神奈中本体で6路線の夜行高速バスを運行していた。 その後、採算性の悪化により廃止や神奈交バスへの移管を経て、会社による単独運行や他系統への統合が行われた。 路線自体は存続しているが、神奈中では予約・発券業務のみを担当している。 そのため現在は昼行高速バスと空港連絡バスのみ運行している。 夜行高速バス [ ] 横浜・町田 - 奈良線() と共同運行。 神奈中では初の夜行高速バスであると同時に、神奈川県下においても初の夜行高速バス路線である。 1989年2月28日に運行開始 、1991年からはまで延長 、1993年11月4日からは経由となる。 2008年9月30日限りで神奈中は撤退し 、翌10月1日からはに統合。 横浜・町田 - 大阪線() 1989年3月23日から運行開始した路線で、との共同運行。 1991年5月11日からは横浜側の起点を本郷車庫へ変更。 1999年10月1日からは本厚木経由となり 、同時にダブルデッカーを導入。 2000年11月15日から湘南神奈交バスに移管 、さらに2008年6月16日からは横浜神奈交バスに移管。 2009年5月31日限りで神奈中グループは撤退し 、後述する横浜・町田 - 京都線と統合。 横浜・町田 - 京都線() 西日本ジェイアールバスとの共同運行 により、1989年7月20日から運行開始。 1999年10月1日からは本厚木経由となり 、同時にダブルデッカーを導入。 2000年11月15日から湘南神奈交バスに移管 、さらに2008年6月16日からは横浜神奈交バスに移管。 2009年5月31日限りで神奈中グループは撤退し 、前述の横浜・町田 - 大阪線と統合。 横浜・町田 - 和歌山線() との共同運行 により、1989年12月22日から運行開始。 1992年6月30日からは本厚木経由となる。 1998年3月から神奈中が撤退し 、と統合。 横浜・町田 - 広島線() との共同運行により 、1989年12月22日から運行開始 、1993年11月4日からは本厚木経由となる。 神奈中の歴史上では最長距離の路線であったが、1997年10月に廃止。 1990年7月5日より運行開始した路線で、との共同運行。 神奈中の夜行高速バスでは初めて本厚木発着となった路線で 、その後他の夜行高速バスも本厚木を停車地に追加した。 検討段階から交通ジャーナリストのが市場調査などで直接的に関わっており 、盛岡での開業初日のテープカットでは鈴木も招待されていた。 当初、岩手県側では岩手県交通との2社が参入を希望したが、その後両社間の調整で別路線への参入を条件にジェイアールバス東北は本路線への参入を見送ることになった。 他の路線と異なりが担当していた が、車両更新時には三菱エアロクィーンIに代替されると同時にに移管された。 後に神奈中よりに運行を移管されたが、限りで神奈中は撤退、岩手県交通の単独運行となった が、3月31日に廃止。 昼行高速バス [ ] 田村車庫・本厚木 - 新横浜線 2006年11月17日より運行開始。 2008年限りで廃止。 相模大野・町田・南町田 - ・線(アクアラインバス) との共同運行で 、2012年12月13日より運行開始。 毎日1往復(両社が0. 5往復ずつ)、朝は木更津方面、夕は相模大野・町田方面が運行される。 よりに停車。 同年12月16日より木更津駅西口まで延長。 南町田・町田・橋本 - ・線 との共同運行で 、より運行開始。 毎日1往復、朝は河口湖方面、夕は橋本・町田方面が運行される。 富士急側は2017年4月1日よりから富士急湘南バスに運行移管。 2017年7月1日より南町田駅に停車。 藤沢・辻堂・本厚木 - 富士急ハイランド・河口湖駅線 富士急湘南バスとの共同運行で 、2015年8月10日より運行開始。 毎日1往復、朝は河口湖方面、夕は本厚木・辻堂・藤沢方面が運行される。 富士急側は2017年4月1日より富士急山梨バスから富士急湘南バスに運行移管。 アクアラインバスとして使用される車両(さ854) 空港連絡バス [ ] 羽田空港発着 [ ] 田村車庫・本厚木発着 とので 、1999年6月14日より運行開始。 神奈中側は2016年8月16日より湘南神奈交バス(現:神奈川中央交通西)に運行移管。 は、から停車。 相模大野・町田・南町田発着 京浜急行バス との共同運行で 、2001年8月7日より運行開始。 2017年7月1日より一部便が南町田駅に停車。 戸塚・港南台発着 神奈中側では(現:神奈川中央交通)が運行を担当、京浜急行バス との共同運行で 、2003年7月18日より運行開始。 当初は港南台駅発着のみであったが、2004年12月1日より一部便が戸塚駅東口まで延長。 2015年4月より一部便が東戸塚駅東口・上永谷駅に停車。 海老名発着 京浜急行バス・との共同運行。 2012年3月30日より運行開始。 神奈中側は2016年8月16日より湘南神奈交バス(現:神奈川中央交通西)に運行移管。 成田空港発着 [ ] 田村車庫・本厚木-成田空港線の車両(ひ852) 橋本・相模大野・町田・南町田発着 との共同運行で 、2000年6月20日より運行開始。 当初は・発着であったが、2004年12月16日より一部便が南口まで延長。 神奈中側は2016年8月16日より一部を湘南神奈交バス(現:神奈川中央交通西)に運行移管。 2017年7月1日より一部便が南町田駅に停車。 田村車庫・本厚木発着 京成バス との共同運行で 、2001年6月14日より運行開始。 神奈中側は2016年8月16日より湘南神奈交バスに運行移管。 茅ヶ崎・藤沢・戸塚発着 成田空港交通との共同運行で 、2007年3月22日より運行開始。 当初は・発着であったが、2009年3月1日より茅ヶ崎駅まで延長。 2016年4月1日より京成バス運行便がに移管された。 神奈中側は2016年8月16日より湘南神奈交バス(現:神奈川中央交通西)に運行移管。 2016年10月1日より成田空港交通の単独運行化。 貸切バス [ ] 特定バスに使用される車両の例(あ303) 神奈中の特定旅客事業(特定バス)は、1975年にの運行を受託したことが始まりである。 その後、企業送迎や学校スクールバスの自家用車両の代替に着目し 、再雇用者によるコスト低減や運行計画・車体デザインの受け入れ態勢などを整備した上で 、専用のパンフレットまで作成してセールスを行った。 この結果、顧客が大幅に拡大し、神奈中の事業の柱の1つにまでなった。 他の事業に使用される車両と異なり、特定輸送バス事業における車種や車両仕様、外装デザインはさまざまである が、これは特定輸送は顧客の要望が反映されるためである。 例としては、着手のきっかけとなった東京都教育委員会のスクールバスにおいて、他の地区にあわせての貸切バス塗装が施されていた事例 や、伊勢原営業所の福祉施設送迎用車両で(定員6名・リフトつき)が採用されていた事例 などが挙げられる。 事業所 [ ] この節は更新が必要とされています。 この節には古い情報が掲載されています。 編集の際に新しい情報を記事にさせてください。 反映後、このタグは除去してください。 ( 2017年1月) 統合により神奈川中央乗合自動車が発足した1944年6月16日の時点では、以下の営業所が存在した。 東海道乗合自動車の営業所 弘明寺 ・戸塚 ・平塚 ・中野 ・町田 旧・藤沢自動車の営業所 藤沢 ・茅ヶ崎 ・厚木 旧・秦野自動車の営業所 秦野 旧・伊勢原自動車の営業所 伊勢原 その後、同年9月16日には茅ヶ崎営業所を平塚営業所に統合した ほか、相模鉄道のバス事業譲り受けに伴い、同年11月28日に上溝営業所が発足している。 戦後、1952年2月23日に鶴間営業所が開設された ことに伴い、町田営業所は鶴間営業所の出張所となった。 1954年には弘明寺営業所の業務を横浜市南区笹下町に新設された横浜営業所に移転 、1958年6月25日には町田営業所が開設され 、逆に鶴間営業所は町田営業所の出張所となった。 同年9月22日には、上溝営業所が移転の上相模原営業所に改称している。 1960年には中野営業所を津久井営業所に改称した。 1960年代以降、輸送力の増強に伴う車両の増加に対応するために、営業所を郊外へ新設や移転を行い、同時に敷地面積も拡大するという手法がとられた。 まず1962年には厚木営業所上荻野出張所(当時)・戸塚営業所長後出張所(当時)が開設され 、翌1963年4月20日には戸塚営業所を戸塚駅前から郊外(横浜市戸塚区中田町、現 立場ターミナル停留所)に移転 、同年5月10日には舞岡営業所が新設された ほか、1963年12月25日には横浜営業所本郷出張所が竣工 、1964年8月15日には平塚営業所から分離して 茅ヶ崎営業所が設立された。 なお、命令系統の明確化を目的として 、1962年以降は各営業所は運輸部所属部門から社長直轄の事業所に変更された。 1965年に車両数が1000台を超えると、さらに郊外への移転が進められた。 1966年6月10日に秦野営業所 が移転、1968年には平塚営業所田村操車所が竣工 、1969年には町田営業所が移転 、1970年には町田営業所から鶴間操車所が分離して大和営業所が発足 、1971年には相模原営業所峡の原車庫が開設され 、1972年には厚木営業所も移転した。 1973年には貸切業務が平塚・戸塚の2営業所に統合された ほか、戸塚営業所長後操車所を藤沢営業所に 、津久井営業所の橋本操車所を相模原営業所へそれぞれ移管した。 1988年12月24日からは藤沢営業所から分離するかたちで 綾瀬市吉岡に綾瀬営業所が開設され 、藤沢営業所長後操車所は廃止された。 2001年7月29日には多摩営業所が開設された。 2005年4月16日からは、藤沢営業所は茅ヶ崎営業所藤沢操車所に 、津久井営業所・城山操車所2005年4月16日よりそれぞれ相模原営業所三ヶ木操車所・相模原営業所城山操車所)に 、秦野営業所は2008年5月16日より伊勢原営業所秦野操車所に 、舞岡営業所は2011年10月16日より横浜営業所舞岡操車所に変更された。 各地区の神奈交バスへの全面的な管理委託が行われたことによるもので、神奈川中央交通本体としての営業所機能は廃止された。 その後の会社再編により神奈交バス5社は消滅し、次の通り再編された。 旧 横浜神奈交バスの営業所:・を神奈川中央交通に移管。 旧 相模神奈交バスの営業所:相模原(相模原営業所峡の原操車所)・厚木(厚木営業所上荻野操車所)を神奈川中央交通 東に移管しそれぞれ・に名称を変更し、は神奈川中央交通の営業所に一本化された。 旧 藤沢神奈交バスの営業所:・を神奈川中央交通 東に移管。 旧 湘南神奈交バスの営業所:・を神奈川中央交通 西に移管。 旧 津久井神奈交バスの営業所:を神奈川中央交通 西に移管。 また、上記の再編に続きには、神奈川中央交通の営業所であった・・の各営業所が神奈川中央交通 東に移管された。 には、神奈川中央交通の営業所であったが神奈川中央交通 西に移管された。 なお、2009年6月からは、それまで社長直轄事業所であった各営業所は、運輸営業部に所属する部門に変更された。 各営業所の特徴として、乗務員の休憩室と事務室の仕切りがなく 、事務員が多忙の際には休憩中の乗務員が外部からの問い合わせ電話を受けることもある という点が挙げられる。 営業所 [ ] 営業所名後ろの括弧内の平仮名及び英字は営業所を略記する際の記号。 個別の路線については各営業所及び操車所の項目を参照のこと。 ( あ)・( き) -• ( い) - 神奈川県• ( は) - 神奈川県• ( さ) - 神奈川県• ( も) - 神奈川県相模原市• ( つ) - 神奈川県相模原市緑区• ( せ) - 神奈川県• ( た) -• ( ち) - 神奈川県• ( ふ) - 神奈川県• ( と) - 神奈川県• ( ひ) - 神奈川県• ( ま) - 東京都• ( や) - 神奈川県• ( な) - 神奈川県横浜市• ( よ) - 神奈川県横浜市• ( お) - 神奈川県横浜市 廃止・改称・移管された営業所・操車所 [ ] この節は更新が必要とされています。 この節には古い情報が掲載されています。 編集の際に新しい情報を記事にさせてください。 反映後、このタグは除去してください。 ( 2017年8月)• - 神奈川県横浜市(に移転の上横浜営業所に改称 )• - 神奈川県相模原市(に移転の上相模原営業所に改称 )• - 神奈川県(廃止 )• 藤沢営業所長後操車所 - 神奈川県藤沢市(現 長後駅前サービスセンター。 営業所機能は綾瀬営業所に移行 )• 藤沢営業所用田操車所 - 神奈川県綾瀬市(1988年廃止。 営業所機能は綾瀬営業所に移行 )• 横浜営業所笹下操車所 - 神奈川県横浜市(廃止。 営業所機能は管轄の本郷操車所に移転)• 神奈中ハイヤー観光バス 新横浜営業所 - 神奈川県横浜市港北区(2004年廃止)• 元は県の第三セクター 神奈川県観光の営業所。 同じ神奈中ハイヤー観光バス(当時)の平塚・町田・戸塚営業所へ統合し廃止。 詳細はを参照。 - 神奈川県藤沢市(2005年4月16日に茅ヶ崎営業所へ統合し廃止、操車所化 )• - 神奈川県(2005年4月16日に相模原営業所へ統合し廃止、操車所化 )• 津久井営業所城山操車所 - 神奈川県津久井郡(2005年4月16日に相模原営業所に移管 )• 神奈中観光 戸塚営業所 - 神奈川県横浜市戸塚区(2006年廃止)• 先立った小田急グループ内の事業再編で、2002年に旧・箱根登山観光バス東京営業所を統合し、野津田車庫から旧箱根登山観光の車庫へ移転していた当時の神奈中観光 町田営業所(町田市鶴間。 現・東京営業所)と2006年に統合し廃止。 詳細はを参照。 なお、現在も車庫は現存し、神奈川中央交通戸塚営業所 上矢部操車所として休憩や待機で使用している。 - 神奈川県秦野市(2008年5月16日に伊勢原営業所へ統合し廃止、操車所化 )• 神奈中観光 平塚営業所 - 神奈川県平塚市(2008年改称。 現在の神奈川営業所)• 神奈中観光 町田営業所 - 東京都町田市(2008年改称。 現在の東京営業所)• - 神奈川県横浜市戸塚区(2011年10月16日に横浜営業所へ統合し廃止、操車所化) なお、藤沢・津久井・秦野・舞岡については、子会社への全面委託化に伴う 操車所化であり、それぞれ神奈交バスの営業所として現存していた。 また、事業再編の項での先述通り、舞岡については2017年の事業再編で再び神奈川中央交通の営業所となった。 神奈川中央交通東・神奈川中央交通西・神奈中観光の営業所 [ ] この節は更新が必要とされています。 この節には古い情報が掲載されています。 編集の際に新しい情報を記事にさせてください。 反映後、このタグは除去してください。 ( 2017年8月) 記号は各社の自社所有車両に使用される(受託車両には用いない)。 なお、所在地に併記した営業所名は、各神奈交・観光の営業所が所在する神奈中本体の営業所・操車所を表す。 ( か)• - 神奈川県平塚市(平塚営業所田村操車所)• - 神奈川県秦野市(伊勢原営業所秦野操車所)• ( FK)• - 神奈川県大和市(大和営業所鶴間操車所)• - 神奈川県藤沢市(茅ヶ崎営業所藤沢操車所)• ( SK)• - 神奈川県相模原市緑区(相模原営業所峡の原操車所)• - 神奈川県厚木市(厚木営業所上荻野操車所)• - 東京都町田市(町田営業所)• ( T-)• - 神奈川県相模原市緑区(相模原営業所三ヶ木操車所)• 津久井営業所城山操車所 - 神奈川県相模原市緑区(相模原営業所城山操車所)• ( YK)• - 神奈川県横浜市戸塚区(横浜営業所舞岡操車所)• - 神奈川県横浜市緑区(大和営業所中山操車所)• 東京営業所( M-) - 東京都町田市• 神奈川営業所( H-) - 神奈川県平塚市(平塚営業所八幡操車所) なお、この他に以下の子会社が限定的に路線バスを運行している。 (神奈川県海老名市。 神奈中タクシーホールディングス、子会社)• やまとんGOのうち、中央林間西側地域・深見地域・桜ヶ丘地域の3ルートを運行(同じ大和市コミュニティバスの やまとんGO相模大塚地域および のろっと北部・南部ルートは神奈川中央交通大和営業所が担当) 企画乗車券 [ ]• かなちゃん手形• 65歳以上の利用者限定で購入でき、手形を呈示することで一般路線バスを本来の運賃に関係なく1乗車100円 深夜バスは200円 で利用できる。 3か月3500円、6か月5900円、1年10800円である。 一日乗車券• 神奈川中央交通の一般路線バスが乗り放題になるフリー乗車券。 ICカードと磁気券の2種類があり、ICカードは当日のみ使用可能。 大人1050円、小児530円。 車両 [ ] 本節では便宜上、大型車のうち全長が10. 5mから10. 9mの車両を「標準尺車」、全長が9mから10. 5m未満の車両を「短尺車」、全長11m級の車両を「長尺車」と標記する。 車両史 [ ] 創業期の車両 [ ] 神奈中の前身となる事業者の1つである鶴屋商会では、や、などの輸入車両が使用された記録が残っている。 戦時中から終戦直後 [ ] 1940年10月になると、石油消費規制が強化されたことに伴い、保有車両の7割がされた。 さらに、1941年8月には液体燃料配給停止の措置がとられたため、保有車両の全車両が代用燃料化されることになった。 当初は代用燃料は木炭と薪が使用されていた。 神奈川県内では清川村が良質の木炭の産地であった。 地元民からは「木炭を特別に配給するからダイヤの完全運行をしてほしい」という依頼もあったという。 ところが、1945年に入ると県内産木炭の入荷が途絶え 、やむを得ず福島県から鉄道輸送によって木炭を入手することになった。 しかし、神奈川県産の木炭と比べるとガス発生量は少なかったという。 その福島県産の木炭さえも入手が難しくなり、最終的にはほぼ薪に頼る状態となった。 薪については、代用燃料導入当初は、ガス発生にも適する状態のよく乾燥された良質の薪が入手できていた が、1944年頃からは乾燥が不十分な状態のままで入荷することになった。 薪の産地は丹沢の森林地帯で 、トラックや座席を撤去したバスで足柄上郡三保村まで直接取りに行っていたという。 終戦直後になると、薪の加工工場の生産能力が間に合わず、1946年には渋沢に薪生産工場を設けて自社生産を行った。 燃料以外の保守部品も不足しており、エンジンオイルは鉱物油・植物油・魚油を混合したものを使用し 、しかも一度使用したオイルは再生の上配給に回された。 窓ガラスが破れた場所には板が張られ 、雨漏りの補修もままならず 、雨の日には車内で乗客が破れた傘をさしている光景も見られたという。 なお、空襲を避けるため、横浜市内の路線を担当する戸塚営業所では全車両に装甲車に見えるようなカムフラージュを施して営業していたという。 戦後の復興 [ ] 戦後、稼動車両を早期に増強しないと収入が見込めない状態であった。 しかし、バスはシャーシが割り当てられたものの架装すべき車体がない状態であった。 また、部品を他の車両に流用したままになっていた遊休車両もあった。 そこで、秦野町(当時)にある神中自動車工業秦野工場を買収し、秦野工場として自社で車両整備を行うことになり 、1947年から秦野工場として本格的に業務が開始された。 同工場で再生された車両は、自製のボンネット周りに外観上の特徴があった。 また、戦後の貸切バス再開に伴い、1936年式のフォードの内装を改装した貸切バス車両を2台導入したが 、これも秦野工場で再生された。 秦野工場は各営業所の付属工場の整備が進んだに閉鎖された が、戦後の車両復興に大きく貢献した。 ディーゼルバス導入から高度成長期へ [ ] 1948年10月には、初のディーゼルバスとしていすゞ・BX91型が5台導入された。 翌1949年に導入された車両からは、路線バス車両のカラーリングについて、ベース色がクリーム色に変更された。 1963年には、清川村の札掛へ乗り入れる路線が開設された が、この路線に導入された車両は、当時の神奈中としては唯一のマイクロバスであった。 高度成長期は輸送力増強に対応するため、道路環境が整備されているとは限らなかったにもかかわらず、高度成長期からまでの神奈中で導入される車両の大半は長尺車であった。 車両数もに見られるように増加の一途を辿り、特に厚木営業所では1985年度に所属台数が200台を超えている。 1980年代以降の車両概説 [ ] 半ばに神奈川三菱ふそう自動車販売が傘下となってからは三菱ふそう製車両の導入が多くなり 、2005年時点では9割以上が三菱ふそう車となっている。 相模原・多摩・戸塚・平塚・町田・横浜など、大型路線車のほとんど全車が三菱ふそう車で占められている営業所も多数存在する。 いすゞ製の車両は綾瀬・茅ヶ崎・藤沢・大和の各営業所に多く 、日野製の大型車両はハイブリッド車と一部のブルーリボンII以外は全車両が伊勢原営業所に配置され 、日産ディーゼルは主に厚木・平塚・秦野の各営業所に配置された。 各メーカーの車両とも、1990年以降はノンステップバスなど一部の短尺車を除き標準尺車のみの導入に統一されている。 狭隘路線や閑散路線には中型車も導入されており、こちらもかつては4メーカーから導入していたが、日野製の中型車は2009年までに日産ディーゼルの中型車は2011年に全廃となり、現在は三菱ふそう製といすゞ製のみの在籍となっている。 製の車両までは6年から8年程度(長くても10年程度)で廃車されるケースが多かった が、近年は使用年限を延長しており 、2017年時点で最も古い車両は2001年式である。 日産ディーゼル車についても富士重工および製で導入されていた が、2010年後半以降は三菱ふそうからのOEM車種であるスペースランナーAを導入していた。 日野・ポンチョ(ま175) 撮影:町田バスセンター 自らが所属する営業所長から各運転士に対して乗務車両を任命し、運転士はその車両の専属乗務や簡単な車両管理などを行う「担当車制」を採用している。 運転士の手入れにより、使用年限の途中での車体更新は行なわれていないにもかかわらず 、経年車でも美しく保たれている車両が多い。 2012年の時点では神奈川中央交通本体における車両の保有台数は約2100台で 、これは日本最多保有台数である。 路線車両の仕様 [ ] ノンステップバスの導入はより積極的に推進している。 標準尺車と短尺車を導入している。 当初はノンステップバスには専用のカラーリング()を採用していたが、以降は一般車と同じデザインに変更されている。 三菱車においてはエアロスターを増備しているが、から2009年前半までは一部を除いて日産ディーゼルからの車種であるエアロスター-S(AA系)を導入していた。 なお、通常の路線車は1998年からアイドリングストップが標準に 、2001年からはワンステップバスが標準となった。 2002年7月25日からは、後窓に後方視界確保のための広角レンズ設置が開始された。 行先表示器が白色LED化された車両 大型方向幕は1985年9月から採用され 、5月13日からLED行先表示器の導入が開始され 、方向幕の車両も2004年頃の改造開始から3年程度でLED表示器に載せ変えた。 これにより、路線開設や廃止などによる幕交換やほこりなどで汚れた幕の清掃などの負担が大幅に軽減された。 8月31日からは白色の新型行先表示器を搭載した車両が導入され、今後は全営業所で順次導入予定。 また、路線バスの車内放送は長らく8トラテープを使用していたが、2005年10月23日より製音声合成装置の導入が開始された。 出庫時に運行ダイヤを設定することによって、LED式行先表示器・運賃表示器・整理券発行器・カードリーダーが集中制御できるようになった。 の新車より仕様で導入されている。 これは同社を通じて購入することによりコストを抑えながら短期間で大量の更新が行えるようになっている。 このため、床面処理・ドア配置や空調装備品などは小田急グループのバス事業者共通の仕様となっている。 2015年中盤の導入車から大型車はのQKG-MP38FK、中型車はの SDG-LR290J1或いはSDG-LR290J2、小型車はといったノンステップ化への統一や神奈中独自の仕様であった運賃幕や出入口幕の廃止に伴い、2014年中盤の新車から神奈中独自の仕様が消滅しつつある。 2009年7月以降の導入車は吊り手が三角になった 特徴的な仕様 [ ] バス専業としては日本最大の事業者だけに1年あたりの導入車両数が多く、その結果「神奈中仕様」とも言える特注仕様が存在する。 後ヒンジ式前扉 1979年まで、折戸の前扉が通常とは逆の後ろ側に開く後ヒンジ式だった。 運賃支払い方法表示窓 1980年代から、車両前面の向かって右側の窓下 に設置された「運賃支払い方法表示窓」が設けられた。 尚、一時期江ノ電バスでも使用されたことがあった。 2014年度からこの表示窓を廃止し、一部いすゞ・日野製車ではステッカーに変更される車両も登場したが、ステッカーは2018年前半までとなった。 大型バンパー 2000年導入車までは前後のバンパーは大型の仕様が標準となっていた が、これはバンパーをフロントガラスの清掃の際に使用するステップと兼用させるためであった。 長尺車 かつて三菱にホイルベース5. 8mで全長が11m級の車両(長尺車) を特注し、これをMP218-Nとしてメーカーに追加で型式認定させた程の力を持つ。 しかし、を最後に長尺車の導入は終了し 、以後は標準尺車をメインに導入されている。 また、には全長9m・幅2. 3m級の中型車両を大量に導入している。 2014年中旬のMP38導入以降はノンステップバスは短尺車、2015年度以降は全車ノンステップの短尺車で統一されている。 新ステップ車 1992年9月25日から試用開始し 、1994年から2000年にかけて導入された標準床車両は全て前扉に製の可動式ステップを設置した「新ステップ車」となっている。 これはさらに床の低い車両の導入や観光バスなどで見られる補助ステップでは、新興住宅地に多い急坂では車体と路面の接触の可能性があったため 、乗降性の改善策として、・・との共同開発により導入された。 この「新ステップ」は横浜市交通局・・など、他の事業者にも波及している。 しかし、2017年に『つ605』を最後に新ステップ車は神奈中から消滅した。 詳細は「」を参照 車両塗装 [ ] 名称は一般的に呼ばれているものであり、正式なものではない。 一部にラッピングのものも含まれる。 一般路線車の標準色 [ ] 1949年の新車から採用された。 当初は下部の赤色が波形になっており、前面などにも差異があったが、1987年から直線的なデザインに変更された。 波形デザインの車両は1999年6月30日に廃車となった「さ154」が最後であった。 2004年からは正面の社紋が「かなちゅう」「かなこう」ロゴマークに変更された。 2012年6月1日より神奈中グループのブランドマークが制定され 、路線バス車両の前面、側面、後面に青色で「Kanachu」と書かれたブランドマークの貼り付けが順次行われている。 ツインライナー色(あ201) 貸切色 [ ] 旧来の貸切色は、1953年6月に導入された車両から導入された 、白地に赤と青の塗り分け。 貸切・観光バス用車両や、一部の路線バス車両・特定輸送車両等に用いられた。 2013年現在でも、旧貸切色そのままあるいは簡略化(特定色)したデザインで、企業・学校・養護学校等の特定輸送車両に用いられている。 1989年には、スーパーハイデッカー車の導入とともに、ブルーイエローと共通する新デザインの貸切色が採用された が、1997年以降は順次小田急グループ統一デザインに変更された。 なお、車体のロゴ表記は、神奈中ハイヤー時代は Kanachu Hire 、神奈中観光となってからの車体表記は Kanachuで、いずれも神奈中本体の所属車両とは異なっている。 町田営業所所属のリフト車色(ま197) かなみんラッピングバス [ ] (平成26年)より各営業所(藤沢・秦野・厚木・津久井・相模原の神奈交委託も含む)に順次導入された、神奈川中央交通公式キャラクター かなみんのラッピングバス。 車体デザインは、横浜みなとみらい地区が描かれた桃色、海水浴するかなみんが描かれた青色、登山するかなみんが描かれた緑色、住宅街が描かれた水色の4種類が存在し、それぞれその地域を所管する営業所にあったイメージのものが導入されている。 2019年に全車ラッピングが剥がされ、同年導入の新車に新デザインの塗装がされている。 また、このかなみんラッピングバスでは、前面の行先表示器左側へ「かなみん」ステッカー(「みんくる」・「ノッテちゃん」・「きゅんた」ステッカーと同様のもの )を貼り付けており、車内の座席もかなみんが描かれた仕様となっている。 しかしながら、『かなちゃん号』とは違い、コスト削減の為にラッピングで施されている。 2019年以降の新デザインでは、ラッピング施工車が2015年標準仕様ノンステップの為、同位置にはベビーカーステッカーの貼り付けがなされており、「かなみん」ステッカーの貼り付けは一代限りとなった。 その他 [ ] YAMATE LINER 茶色の濃淡にロゴが入る。 4月により移管された舞岡営業所11系統用に登場。 後に11系統にはノンステップ車を運用する事になり、それまで11系統で使用していたワンステップ車は3台を除き11系統の運用を外れ、それらの車両は塗色はそのままでロゴのみが'KANACHU-BUS'に書き換えられたものとなっている。 なお、同塗装の車両は11系統の他に、60系統、保土ヶ谷駅東口発着の77系統、保06系統でも運用される。 自転車ラックバス 前面がオレンジ、側面がオレンジと白のツートンカラー。 「BICYCLE CARRIER」のロゴも施されている。 この他、「湘南めぐみが丘」色、町田市民バスまちっこ(町18・町28系統)色や、各自治体から受託運行しているコミュニティバスの専用色などがある。 数字部分については多少例外はあるものの、基本的には以下のルールで附番されている。 1~299:親会社保有の路線車 ミニバス・コミュニティバスなどの特殊な車両は、営業所によっては201、202…などのきりの良い番号から附番される場合もある。 301~399:特定車(学校・企業・病院などの契約輸送用)• 501~599:貸切車(特定車と同様に契約輸送用)• 601~699:元神奈交車両• 850~899:空港路線用 廃車や転出の際には、基本的に、代替される新車または転入車へ番号が引き継がれる。 増車の際には欠番となっている番号を振ったり、減車の際にはその番号を欠番にすることがあるほか、減車台数が多い時には番号の整理を行うことがある。 バス車内には、運転席上に表示された正式な社番とは別に、用の「車両番号」が表示されている。 なお、神奈中バスロケーションシステムのモバイル版では、現在乗車しているバスの車両番号を入力する事で、その先の各停留所の到着予想時刻を参照したり、で送信する事が可能である。 広報 [ ] (平成26年)に神奈川中央交通の公式マスコットキャラクターとして「かなみん」が制定された。 乗客や地域住民に親しみを持ってもらうことを目的とし、神奈川中央交通の略称「神奈中(かなチュー)」からをモチーフにしたキャラクターとなっている。 名前募集には4,842件の応募が寄せられた。 グループ会社 [ ] 連結子会社 [ ] バス [ ]• 神奈川中央交通東:乗合、特定、貸切、運行管理受託• 神奈川中央交通西:乗合、特定、運行管理受託 その他 [ ] グループでの資材一括調達、かなちゅうクリーニング、の経営など。 神奈中タクシーホールディングス ・の経営統合を目的として2009年9月に設立された。 神奈中スポーツデザイン グループ内の娯楽施設・神奈中スイミング等の経営。 アドベル 広告代理業、清掃業 平塚・秦野におけるホテル事業 自動車整備業 自動車販売業 らーめん花樂の運営、各種店舗フランチャイズ経営 グループ企業のシステム・サーバー管理、ソフトウェア製作など 総合ビルメンテナンス 神奈中相模ヤナセ 輸入自動車販売 過去の子会社 [ ]• :乗合、特定、貸切、運行管理受託• :乗合、特定、運行管理受託• :乗合、運行管理受託• :乗合、運行管理受託• :乗合、運行管理受託• :貸切 持分法適用関連会社 [ ]• データ [ ] 大株主の状況(2019年3月31日現在) [ ] 神奈川中央交通は、小田急電鉄の持分法適用関連会社である。 株式会社 - 45. 株式会社(常任代理人:株式会社) - 4. 株式会社 - 1. 株式会社(退職給付信託口) - 1. 三井住友信託銀行株式会社(常任代理人:日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社)- 1. - 相武自動車株式会社設立。 当時の横浜市大岡地区では乗合自動車を始める者が乱立し、競争が繰り広げられていた。 この無益な競争に終止符を打つべく、関係者が同社を設立し整理統合を行った。 - 金沢自動車運輸より路線承継(滝頭 - 杉田 - 瀬戸 - 間)。 7月 - (創業者)が社長に就任。 11月 - 鶴屋商会(5月創業、 - 間の乗合自動車を運営)の大木敏行が買収。 杉田 - 逗子間を湘南乗合自動車へ譲渡(現在ののルーツ)。 12月 - 鶴屋商会及び戸塚自動車商会(戸塚 - 岡津間)を合併。 - 相武鶴屋自動車株式会社に商号を変更。 5月 - 東京横浜電鉄(現在の)に買収され、同社の傘下に入る。 - 中央相武自動車を合併、 東海道乗合自動車株式会社に商号変更。 - 同じ東横傘下の関東乗合自動車及びの一部路線を譲受。 2月 - 秦野自動車(1921年8月設立、 - 平塚間、秦野 - 間他)を合併。 4月 - 東京急行電鉄、神奈川県下の陸上交通統制の趣旨に基づき、伊勢原自動車及び藤沢自動車を買収。 - 東海道乗合自動車は伊勢原自動車及び藤沢自動車を合併。 - 神奈川中央乗合自動車株式会社に商号を変更。 - 及び江ノ島電気鉄道の乗合自動車事業を譲受(3月に譲渡契約を締結。 江ノ電バスはこれで消滅)。 11月 - ・事業を相模中央交通に譲渡。 6月1日 - 東京急行電鉄の再編成に伴い、同社より分離・新発足した小田急電鉄の傘下会社になる。 1949年• 5月 - に上場。 6月20日 - 江ノ島電気鉄道に一部路線を譲渡(江ノ電バスの復活)。 藤沢駅 - 七里ヶ浜 - 鎌倉駅間、藤沢駅 - - 辻堂駅間(旧来の江ノ電路線) 藤沢駅 - 深沢 - 鎌倉駅間、鎌倉駅 - - 日野 - 間、大船駅 - 飯島 - 戸塚駅裏口間• - 相模中央交通を合併してハイヤー・タクシー事業を再び兼業する。 - 神奈川中央交通株式会社に商号を変更。 昭和30年代に平塚駅から伊勢原市大山までトロリーバスの運行を計画したことがあったが、道路事情の悪さから道路を管理する神奈川県が難色を示し、中止となった。 2月1日 - 伊勢原営業所・茅ヶ崎営業所の管内全路線でを開始。 多区間運賃路線での整理券方式によるワンマン化は日本では初めて。 - - 鶴川団地線に日本初のを運行開始。 当時は運賃は3倍 、定期券は利用不可であった。 4月 - ハイヤー・タクシー事業をに譲渡。 5月 - ヤビツ峠線のワンマン化に伴い、全路線のワンマン化が終了。 - (現・相模原市)の路線でを初めて設定。 以後順次導入路線を拡大。 - 路線バス車両にデジタル式の導入開始。 - 路線バス車両に冷房車の導入を開始。 9月9日 - 路線バス車両に大型方向幕の導入を開始。 - 開業60周年を記念し、薪バス「三太号」を復元。 4月1日 - 全系統にを附番。 横浜市内の均一運賃区間において、共通回数券を導入。 3月3日 - 一般路線バスの塗装を変更。 4月 - ギャラリーバスの運行開始。 全社で26台導入し、すべての営業所に配置された。 一般公募により、同年7月に「カナちゃん号」と命名された。 5月29日 - 路線バス全車両が冷房車となった。 - 多区間運賃制の路線バスでは日本初となるバスカードシステムを平塚・伊勢原・秦野の各営業所で導入開始。 2月28日 - 夜行高速バス運行開始。 12月22日 - 深夜急行バス運行開始。 - 横浜・舞岡・戸塚の各営業所での導入を最後に全路線へのバスカードシステム導入完了。 9月25日 - と共同で、従来のツーステップバスをペースに前扉のステップにリフト機器を取り付けた新ステップ車の試作車が5台運行開始。 3月にも10台の試作車が投入された。 から量産車を投入し、までの大型車と中型車全車に取り付けた。 4月1日 - 並びに事業を神奈中ハイヤーに譲渡 (現在の)。 4月1日 - 一部路線並びに事業をに譲渡。 1997年 - 環境保護キャンペーンの一環として「スヌーピーバス」の運行を開始。 同時に日本初の環境定期券制度を導入。 6月30日 - 相模原所属のさ154号車が廃車。 これにより波形デザインの旧塗装車が全廃。 11月21日 - 一部路線・事業をに譲渡。 2000年10月18日 - 一部路線・事業をに譲渡。 4月1日 - 一部路線・事業を並びにに譲渡。 12月 - 横浜担当の全線が前乗り・運賃先払いとなったため、整理券発行機が撤去された。 - 2代目となるギャラリーバスが運行を開始。 各営業所に1台ずつ配置。 愛称は「かなちゃん号」を踏襲。 初代はこの日限りで引退。 - 藤野台団地 - 相模湖線の廃止で、一般路線はから撤退。 8月 - 「スヌーピーバス」の運行終了。 車両はそのまま貸切兼用として運用。 - 内全路線(厚木営業所は全路線)でを利用したの運用を開始。 - 湘南台駅 - 慶應義塾大学で「ツインライナー」運行開始。 同時にGPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始。 - ()から一部路線の移譲開始。 - 横浜営業所の支払い方式を両替式から釣銭方式に変更。 - 舞岡営業所の支払い方式を両替式から釣銭方式に変更。 - 横浜市営バスから一部路線を移譲される。 - 横浜市営バスから一部路線を完全移譲される(同年にも実施)。 - 伊勢原営業所管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。 - 発着路線でGPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始。 - 昼行高速バス「線」の運行を開始。 - 藤野町の相模原市合併に伴い、藤野町営バス路線を子会社の津久井神奈交バスが譲受。 これにより神奈中撤退区間が復活。 - 相模原・多摩・町田の各営業所管内及び大和営業所の町田市内乗入路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始。 - 戸塚営業所の全路線とツインライナーにて運用開始。 - と共管の連絡バス、 - - - 成田空港を運行開始。 - 横浜市営バスから一部路線を移譲される。 12月9日 - 茅ヶ崎・綾瀬の各営業所の全路線と藤沢神奈交バス 藤沢 にてPASMO運用開始。 1月20日 - 多摩・町田の各営業所の全路線にてPASMO運用開始。 - 厚木バスセンター - 厚木アクスト線にツインライナー導入。 同時に同路線にての運用開始。 - 横浜市営バスから一部路線を移譲される。 - 大和営業所と藤沢神奈交バス(大和)の全路線にてPASMO運用開始。 - 昼行高速バス「新横浜駅線」を廃止。 - のオムニバスタウン事業の一環として、新潟市でツインライナーの試乗会が開催された。 - 相模鉄道から同社バス細谷戸線を委譲される。 - 相模原営業所と相模神奈交バス(相模原)・津久井神奈交バスの全路線にてPASMO運用開始。 - 横浜・舞岡各営業所及び横浜神奈交バスの全路線にてPASMO運用開始。 - 平塚営業所と湘南神奈交バス(平塚)の全路線にてPASMO運用開始。 - 厚木営業所の全路線にてPASMO運用開始。 3月15日 - 伊勢原営業所と湘南神奈交バス(秦野)の全路線にてPASMO運用開始。 これにより、夜間高速バス、成田空港線、羽田空港線を除いた全営業所の一般路線にてPASMOの利用可能となった。 - 茅ヶ崎営業所の一部路線にて自転車ラックバスの実証実験を開始( - 8月31日)。 - 秦野市内および座間市内への乗入路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始。 - 横浜市内全路線および藤沢市内の一部路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始。 7月31日 - バス共通カードの取り扱いを終了。 - 藤沢・綾瀬・茅ヶ崎・平塚・伊勢原営業所管内の路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始。 - 相模神奈交バスがよりの運行管理を受託。 自社子会社が神奈川中央交通本体以外の運行管理を受託するのは初となる。 - 茅ヶ崎営業所管内(藤沢操車所を除く)全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。 - 町田バスセンター - 山崎団地センター間でツインライナー導入。 - 伊勢原営業所秦野操車所管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。 - PASMO、など交通系ICカード全国相互利用サービス開始。 - 平塚営業所(湘南神奈交バスを含む)管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。 - 相模原営業所(相模神奈交バス相模原営業所・津久井神奈交バスを含む)管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。 - 厚木営業所(相模神奈交バス厚木営業所を含む)管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。 4月1日 - 消費税増税に伴い運賃を改定し、10円単位の現金運賃と1円単位のICカード運賃の2種類の運賃を設定するようになった。 9月24日 - 綾瀬営業所・茅ヶ崎営業所藤沢操車所管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」から「中乗り・前降り」に変更。 3月23日 - 戸塚営業所管内全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」「前乗り・中降り」から「中乗り・前降り」に変更。 7月 - 7月以降から新車導入は全車ノンステップバスに統一される。 - 大和営業所(藤沢神奈交バス大和営業所を含むが中山操車所を除く)管内のうち、横04・90系統を除く全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」「前乗り・中降り」から「中乗り・前降り」に変更。 - 神奈中の再編に伴い神奈交バスが消滅した。 - 多摩営業所・町田営業所管内のうち、鶴01、08、10、11、13、26、町13(朝の山崎団地センター発のみ)を除く全路線の乗降方法を「前乗り・前降り」・「前乗り・中降り」から「中乗り・前降り」に変更。 - 神奈中の再編に伴い伊勢原営業所の事業者が神奈川中央交通西へと変更。 営業所別所属台数推移 [ ] 特定車・高速車を含み、貸切車・教習車は含まない。 営業所名 1970年9月 1981年12月 1986年3月 1991年3月 1997年11月 2001年3月 2005年10月 2011年3月 備考 あ 厚木 116 163 205 237 232 202 191 188 い 伊勢原 61 79 86 97 104 96 100 193 お 舞岡 108 132 137 154 156 146 179 189 さ 相模原 102 160 174 192 195 233 162 233 2017年12月16日 神奈川中央交通東に移行 せ 綾瀬 105 138 120 131 124 1988年12月24日開設 た 多摩 81 95 90 2001年7月29日開設 ち 茅ヶ崎 70 84 84 89 100 88 92 196 つ 津久井 61 67 70 77 86 65 55 2005年4月16日に相模原に統合 と 戸塚 121 170 179 188 189 166 196 193 は 秦野 85 99 112 123 132 120 121 2008年5月16日に伊勢原に統合 ひ 平塚 97 127 137 153 169 169 188 176 ふ 藤沢 91 129 160 91 101 96 103 2005年4月16日に茅ヶ崎に統合 ま 町田 97 144 185 204 208 163 182 173 や 大和 78 98 114 127 127 124 139 195 よ 横浜 80 112 121 138 142 126 108 108 合計 1167 1564 1663 1975 2079 1995 2042 2058 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• の表記による。 現代でいうのこと()。 鉄道の「硬券」と同様のもの。 通常運賃を20円から30円に改定する際に通常運賃の2倍に変更したため、深夜運賃は60円のままとなった。 定期券の場合は通常運賃の支払いで利用可能に変更された。 逆に、他社のバス共通カード取扱車においては神奈中バスカードを利用することはできなかった。 これは神奈川県では初の夜行高速バス路線となった。 2004年まではにより登録が義務付けられており、米の販売には必ず県知事への登録が必要だったため、車内の売店をスーパーマーケット「神奈中ストア」の店舗扱いとすることで対応し、車内にも登録証が掲示されていた。 3か月券は3,250円、6か月券は5,400円、1年券は9,850円(2014年3月31日までは3か月券は3,000円、6か月券は5,000円、1年券は9,000円)。 発売金額は大人1,030円、小児520円(2014年3月31日までは大人1,000円、小児500円)で、空港リムジンバス、深夜急行バス、一部のコミュニティバスを除く各線で利用可能。 当初はスクラッチ式の乗車券を発売していたが、現在は一部の駅前を除くサービスセンターで磁気式の乗車券を発売している。 2011年12月19日からICカード「PASMO」または「Suica」を利用した1日フリー乗車券の発売が開始され、ICカードに発売金額がチャージされていれば車内でも乗務員に申告の上で購入できるようになった(交通系ICカード全国相互利用開始後も発売できるICカードは「PASMO」または「Suica」のみとなる)• 例えば、1999年に制定された構造用件では第1軸と第3軸が同一の軌跡を辿る事とされたが、セントロライナーでは第3軸にはステアリング機構がないため、必然的に第1軸と第3軸の軌跡は異なる。 日本の道路運送車両の保安基準第二条において最大車体幅は2. 5mと定められている他、第二十六条では定員30名以上の車両には非常口扉の設置が義務付けられている。 岩手県交通の車両は引き続き神奈中厚木営業所に入庫。 ただし、京急車は、 田村車庫には乗り入れない。 戦時中から1948年8月までは事業を中断していた()• 舞岡営業所は神奈川中央交通の営業所に復帰した。 大和営業所については、この時点では旧藤沢神奈交バスの営業所(現在の大和営業所鶴間操車所)のみ神奈川中央交通東に移管された。 この際に大和営業所は神奈川中央交通東の営業所に一本化されたが、旧神奈川中央交通の営業所と旧藤沢神奈交バスの営業所(2017年1月1日付で神奈川中央交通東に移管済)では営業所の名称が異なる体制となり、前者は単に「大和営業所」であるが後者は「大和営業所 鶴間操車所」となった。 の記述によれば、厚木・横浜・戸塚・舞岡の各営業所に配置されているギャラリーバス「カナちゃん号(初代)」も長尺車だった。 によると、1985年3月31日の時点で199台、1986年3月31日の時点で205台となっていた。 の表によれば、2005年10月31日時点での神奈中本体のいすゞ路線車は238台で、このうち茅ヶ崎の配置数は58台、藤沢が39台、大和が32台、綾瀬が47台。 中山操車所開設後は大和のいすゞ大型路線車のほとんどが中山操車所配置となった。 の表によれば、2005年10月31日時点での神奈中本体の日野路線車は45台で、このうち21台が伊勢原に配置されている。 また、によれば、1991年から2004年までの日野製大型路線車は伊勢原にしか配置されていない。 ただし、高速路線車および貸切車(一部を除く)では三菱ふそうバス製造に一本化されるまでは当時の三菱自動車工業名古屋製作所大江工場製で導入していた。 ただし、中型車では1999年導入のエルガミオ以降は純正車体で導入されている。 ごく一部を除き英語表記は行われていない。 回送は英語表記された表示をしており、表記内容は「OUT OF SERVICE」である。 ではセイフティウィンドーが標準装備されている部分。 運賃収受が前払いか後払いかを表示するためのもので、一部車を除き幕式になっている。 ただし、1987年に26台が導入されたギャラリーバス「カナちゃん号」に限っては設置されていなかった。 三菱ふそう・エアロスター、P-MP218P改。 その後、やなどでも導入例が見られたが、ニューエアロスターでは設定されなくなった。 ごく短期間、現行の塗り分けに決まるまで車体前面上部に赤色が掛かるなど細部に変遷が見られた。 「かなちゅう」ロゴマークは「Kanachu」ブランドマークに貼り替えられているが、2003年までに導入された車両の正面の社紋は残し、前面以外に「Kanachu」ブランドマークを貼り付けしている。 各社の色は、湘南が黄橙、横浜が濃い青、藤沢が淡い青、相模が明るい青緑、津久井が深緑。 神奈中の車両では "Kanagawa Chuo AIR EXPRESS SALOON" となるのに対し、横浜神奈交バスの車両では "Yokohama Kanako Bus AIR EXPRESS SALOON" となっていた。 これらの事業者は一般車両にもステッカーが貼られているが、神奈中ではラッピングバスのみの貼り付けとなっている。 2001年の多摩営業所開設時に同所へ転出車が大量発生した際の相模原営業所での事例などが該当する。 システム上では神奈中・神奈交委託車の区別はされておらず、神奈交委託車の頭の0番(や 05等)は入力しなくても表示される。 但し、在来車の塗り変えは行われなかった。 塗り変えるより車両置き換えの方が早く終了するためとされている。 但し、日野中型車を除くU-車は全車改造扱いで平成6年排出ガス規制適合 KC- 車に移行された以降の(富士架装車)、車も改造扱いとなる。 後に再度取り付けられ、現在はカバーで覆われている。 1989年3月時点での台数は91台()。 2001年7月29日開設時点での台数()。 1988年12月24日に綾瀬を分離したため台数が減少。 1988年3月時点での台数は165台()。 出典 [ ]• 2012年4月19日閲覧。 2012年4月19日閲覧。 ただし、有史上では深夜バスの運行はこれよりも古くからおこなわれており、例として1953年8月にによって大阪~池田・宝塚および大阪~京都間を結ぶ深夜バスが運行を開始している。 も参考のこと。 日本語 PDF プレスリリース , 神奈川中央交通, 2011年9月30日 , 2012年1月11日閲覧。 2006年2月13日. 2012年5月2日閲覧。 - 神奈川中央交通(企業に関する情報) 2015年3月27日• - 神奈川中央交通(企業に関する情報) 2016年12月26日• - 川崎市交通局 2015年10月30日• - 神奈川中央交通(採用情報) 2016年6月5日、「川崎市交通局井田営業所(高津区明津)管理受託(予定)」と記載。 (第2神奈川北版): p. 2011年1月29日• 日本語 PDF プレスリリース , 神奈川中央交通, 2012年3月5日 , 2012年4月26日閲覧。 日本語 PDF プレスリリース , 神奈川中央交通, 2012年9月28日 , 2012年9月29日閲覧。 日本語 PDF プレスリリース , 神奈川中央交通, 2012年5月21日 , 2013年6月25日閲覧。 日本語 PDF プレスリリース , 神奈川中央交通, 2013年9月17日 , 2013年11月18日閲覧。 神奈川中央交通 2014年2月17日• 神奈川中央交通 2014年8月15日• 神奈川中央交通 2015年2月20日• 神奈川中央交通 2016年2月19日• 神奈川中央交通 2017年3月17日• 2016年7月4日閲覧。 神奈川中央交通• - 神奈川中央交通・2018年7月13日リリース• 交通新聞社 : p. 1992年10月6日• 神奈川中央交通. 2012年4月25日閲覧。 PDF プレスリリース , 神奈川中央交通, 2011年9月3日 , 2012年1月11日閲覧。 ウィキメディア・コモンズには、 と に関連するカテゴリがあります。 書籍 [ ]• 神奈川中央交通株式会社創立90周年記念行事準備委員会『神奈川中央交通九十年史』神奈川中央交通、2011年。 神奈川中央交通株式会社創立80周年記念行事準備委員会『神奈川中央交通八十年史』神奈川中央交通、2001年。 神奈川中央交通株式会社70周年記念行事準備委員会『神奈川中央交通七十年史』神奈川中央交通、1991年。 神奈川中央交通株式会社60周年記念行事準備委員会『神奈川中央交通六十年史』神奈川中央交通、1982年。 神奈川中央交通社史編集委員会『神奈川中央交通五十年史』神奈川中央交通、1971年。 『高速バス大百科』、1989年。 鈴木文彦『新版・高速バス大百科』中央書院、1991年。 鈴木文彦『日本のバス年代記』、1999年。 鈴木文彦『路線バスの現在・未来』グランプリ出版、2001年。 鈴木文彦『路線バスの現在・未来 PART2』グランプリ出版、2001年。 森彰英『小田急グループの未来戦略』、1988年。 『・23 神奈川中央交通』BJエディターズ、1997年。 『バスジャパン・ハンドブックシリーズR・57 神奈川中央交通』BJエディターズ、2006年。 雑誌記事 [ ]• 飯田辰彦「我奮戦せり 神奈中バス黒字始末記」『』第726号、、1987年9月、 104-105頁。 鈴木敏「乗合バスへのカードシステム導入とバス交通活性化について」『』第9号、バス・ジャパン刊行会、1988年7月、 50-52頁、。 鈴木文彦「深夜バスの発展と現状」『バス・ジャパン』第8号、バス・ジャパン刊行会、1988年4月、 42-45頁、。 鈴木文彦「普及の兆しを見せるバスカード その現状と展望」『』第2号、ぽると出版、1988年11月、 45-48頁、。 鈴木文彦「私の取材メモ 指差喚呼はどこへ」『』第533号、鉄道ジャーナル社、2011年3月、 116頁。 高橋俊哉「深夜バス ハナ金ウォッチング」『バス・ジャパン』第8号、バス・ジャパン刊行会、1988年4月、 46-48頁、。 日本バス友の会、鈴木文彦「Bus 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