松永 久秀。 松永久秀/吉田鋼太郎

松永久秀 【 戦国武将 人物解説と年表 】

松永 久秀

1533年頃? 32歳頃 に、 の被官・ の右筆 書記 として仕えたとされるが、やがて合戦でも能力を発揮するようになる。 1540年に、三好長慶が連歌田を円福寺、西蓮寺、東禅坊の各連衆に寄進する内容の書状に、松永久秀の名が見られるのが初見。 1542年には三好勢の指揮官とし出陣した記録が見られる。 弟・松永長頼は早くから三好家の先鋒を務めるほどの名将だった。 松永久秀の正室は、三好長慶の娘で、1543年、嫡男・松永久通が誕生。 1548年には三好長慶が主君・細川晴元に反旗を翻して、13代将軍・ らを近江へ追放するなど、武家政権として京都を支配してい行く中、松永久秀は三好長逸と共に公家や寺社との交渉役・仲介役として頭角を現した。 1549年12月には、 から贈り物も受けている。 このように、三好長慶に従い三好家の家宰となり、1551年には、等持寺を攻めた細川晴元勢の ・香西元成らを、弟の松永長頼と共に打ち破っている 相国寺の戦い が、相国寺の塔頭・伽藍などは焼失した。 1553年、三好長慶が畿内を平定すると、摂津・ 主となった。 1556年には奉行にも就任し、弾正忠に任官されたが、同年、丹波の数掛山城・波多野秀親を攻めるも三好政勝・香西元成に背後から奇襲を受け敗走。 この時、三好家に協力していた八木城主・内藤国貞 丹波守護代 が討死するのを見て、弟の松永長頼は、内藤国貞の娘を娶って、内藤家の名跡を継いでいる。 1558年5月、足利義輝・細川晴元が近江から京都へ進軍すると、松永久秀は吉祥院に布陣し、弟の内藤長頼、三好一門衆の三好長逸、伊勢貞孝、公家の高倉永相と共に洛中にて抵抗したのち、将軍山城と如意ヶ嶽で足利義輝・細川晴元と戦闘となった。 その後、11月に和睦が成立すると、1559年3月に で三好長慶が花見を開催。 谷宗養、三好義興、寺町通昭、斎藤基速、立入宗継、細川藤賢らと共に松永久秀も参加している。 この頃、松永久秀の右筆である の朝敵の赦免を嘆願。 正親町天皇の勅免を受けた上に河内守にも任官されている。 1559年5月の河内遠征後に残党狩りを口実に大和国へ侵攻し、8月8日に滝山城から大和北西の に本拠を移した。 1560年には三好長慶の嫡男・三好義興と共に、和睦している将軍・足利義輝から相伴衆に任じられ、従四位下・弾正少弼に叙位・任官。 こうして足利義輝の元に出仕する機会も多くなった。 そして、興福寺を破って大和国を平定し、11月に信貴山城に4階櫓の天守閣を造営するまでの権勢となる。 もちろん、三好家の家中では一番の出世頭だ。 1561年3月、将軍・足利義輝が三好義興の邸宅に御成して歓待を受けた際には、松永久秀が足利義輝に太刀を献上し、足利義輝の側近達を接待した。 このように、三好家側として接待する一方で、具足の進上、足利義輝らへの食事の配膳、食事中の足利義輝に酒を注ぐなど「相伴衆」としての仕事も務め、三好家と将軍家の間を取り持つ重要な役割を担った。 同じ、1561年11月、三好義興と共に、六角義賢と対した「将軍地蔵山の戦い」に参戦した他、1562年には六角義賢と結んだ河内の畠山高政を打ち破って、紀伊へ追放。 9月には、三好長慶に逆らった幕府 の執事・伊勢貞孝、伊勢貞良の父子を討伐。 そして、大和国人・十市遠勝を降伏させ、大和・山城の国境付近に を築城し移住した。 天守閣を持つ城は、この多聞山城が日本で初めてとされる。 壁は白壁、屋根は瓦葺で、石垣も用いられ、塁上に長屋形状の櫓が築かれたのは「 」の始まりだ。 1563年12月14日、家督を嫡男・松永久通 21歳 に譲ったが、以後も変わらぬ活躍を続けた。 松永久秀は としても名が通っており、大和国や堺、京の豪商や著名人を招き、多聞山城で幾度かの茶会が行われている。 現在も伝わる茶道流派の三千家 表千家・裏千家・武者小路千家 の祖、千宗旦の父親である千少庵 の養子 の実父が松永久秀であるという説が有力視されている。 一方で主君・三好長慶は、弟の 、 、嫡男・三好義興と、相次いで有力人物が亡くなり、権力を縮小していた。 十河一存や三好義興は、松永久秀が暗殺したとする説もあるが、最近の研究では十河一存の死因は落馬、三好義興は病死とされている。 1564年5月9日、三好長慶の弟・ も亡くなり、三好家の実力者は のみとなり、ついに三好長慶も7月4日に死去。 以後は、三好三人衆 三好長逸・ ・岩成友通 と共に、三好長慶の甥・三好義継を担いで三好家を支える形を取ったが・・。 1565年5月19日、嫡男の松永久通と三好義継・三好三人衆が軍勢を率いて、室町御所の足利義輝を襲撃し殺害 永禄の変。 一般的には、松永久秀が首謀したとも言われるが、この時、松永久秀は大和国にいて関与していなかった事が分かってきた。 しかし、将軍・足利義輝の殺害は容認し、僧になっていた覚慶 を擁立して、将軍の威光を操ろうとしていたとも考えられる。 1565年8月2日、丹波の弟・内藤長頼が に敗れて討死すると、やがて畿内の主導権争いとなり、三好三人衆と松永久秀は対立。 11月16日に三好義継を担いだ三好三人衆と松永久秀は断交となり、三好家は内乱状態となった。 なお、1565年か1566年頃、三好三人衆らと争っていた松永久秀は、日本ではじめて「クリスマス」を理由に休戦を命じた、クリスマス休戦を実施したとある。 の記録によると、松永勢と三好三人衆に属する武将、約70名が堺の街に集まったとされていますが、真偽のほどは不明です。 1566年、三好三人衆側に一門衆の三好康長や安宅信康らが味方し、 を第14代将軍に据え、松永久秀は三好家の中で孤立した。 しかし、1566年2月に、畠山高政・安見宗房と同盟を結び、 とも連携し、三好義継の居城・高屋城を攻撃したが、三好三人衆は同盟している大和の の加勢も受けて反撃し、2月17日、堺近郊の上芝で合戦となった 上芝の戦い。 挟み撃ちを受けた松永ヒ素秀・畠山高政は敗退し、多聞山城に退却したが、体制を建て直し再び5月に出陣。 しかし、高屋城から討って出た三好三人衆に、堺の街も包囲されたため、松中久秀は5月30日に逃亡。 留守中の多聞山城は松永久通が守ったが、松永久秀は数ヶ月間、行方をくらました。 このように劣勢に立たされた松永久秀であったが、翌年の1567年2月16日に、三好三人衆側の三好義継が、松永久秀を頼って出奔。 その後、4月7日には、堺から信貴山城に復帰。 すぐさま、三好三人衆が大和を攻め長期戦となったがせ、三好三人衆が陣所としていた を奇襲攻撃し打ち破ると、畿内の主導権を回復した。 この時の東大寺大仏殿の戦いでは、松永久秀が大仏殿に火を放ち焼失させたとされるが、ルイス・フロイスの「日本史」によるとば、三好三人衆側のキリシタンが放火したともある。 なお、この時点で、松永久秀の味方は畠山高政や根来衆、箸尾高春らだけで、畿内と四国を基盤とする三好三人衆側とははまだ大きな差があり、劣勢であった為、6月29日には信貴山城の戦いで、信貴山城が陥落している。 この劣勢を挽回すべく考えたのが「 に上洛してもらう」事で、1566年から とは連絡を取っていた。 そして、 の戦いで勝利した織田信長は1568年9月に足利義昭を擁立して上洛すると、松中久秀は三好義継・松永久通らと共にいち早く織田家に降伏。 人質を差し出しただけでなく、名茶器「九十九髪茄子」 つくもなす を織田信長に献上。 松永久秀の利用価値を認めた織田信長は、兄の仇の為、反対した足利義昭の直臣に加え、大和一国は「切り取り次第」とされた。 織田信長はすぐさま、三好三人衆を駆逐し、畿内は織田家に平定された。 更に織田信長は10月に、家臣の ・ ・ ら20000の軍勢を大和に送り、松永久秀を支援させると、筒井順慶は劣勢となり没落した。 一段落した12月24日に、松永久秀は の織田信長を訪ねて「不動国行の刀」などを献上している。 1570年にには、織田信長の 討伐に参陣。 の裏切りで、織田勢は撤退した際には、近江・ 領主の を説得して味方につけて、織田信長の窮地を救っている。 1570年11月からは、織田家と三好三人衆の和睦交渉役も務めたが、この際、娘を織田信長の養女とした上で、人質に差し出して和睦を成立させた。 その後、本願寺顕如の 攻めにも、織田勢として加わったが、この頃、足利義昭に寝返ったと考えられ、信長包囲網を形成するにあたり、1571年の時点で甲斐の との書状やり取りも見られる。 そして、1572年、松永久秀は、三好義継、三好三人衆と共に織田信長に謀反を起こし、1573年4月には武田信玄が京を目指したが、その西上途中で死去し、武田勢は撤退。 7月には足利義昭が の戦いで、織田勢に敗れて追放され、11月、三好義継も佐久間信盛に攻められ敗死した 若江城の戦い。 12月末には織田勢に多聞山城が包囲された為、多聞山城を明け渡して松永久秀は織田信長に降伏。 三好義継は若江城の戦いで敗れて自刃に追い込まれ、三好三人衆も敗れて壊滅した。 多聞山城主には、 に次いで が城主となったようである。 織田信長は裏切者に対して厳しく臨んだ為、本来であれば命を取られてもおかしくないのだが、松永久秀の利用価値を優先させ、1574年1月に岐阜城にて織田信長に謁見し裏切りを許され、筒井順慶も織田信長に服属した。 しかし、大和の支配権は、織田信長の腹心である に奪われてしまった。 以後、松永久秀は石山本願寺戦 石山合戦 を任されていた佐久間信盛の与力に加わったが、目立った動きは無かった。 松永久通も竜王寺山城主として佐久間信盛の配下となっている。 塙直政が本願寺顕如との戦いで討死したものの、次なる大和の支配者が宿敵・筒井順慶となり、 の監督のもと多聞山城を破却するなどした為、奈良の統治者を自認する松永久秀は面白くなかったようだ。 1577年8月17日、 、 、石山本願寺などの反・織田勢力と呼応して、天王寺砦を焼き払い、本願寺攻めの陣から無断で離脱。 再び、織田信長に背いて、大和・信貴山城に8000で籠城し「城名人」「近世式城郭建築の租」と呼ばれる松永久秀は、信貴山城の改修工事を開始した。 の織田信長は使者・松井友閑を派遣し、理由を問いただそうとしたが、松永久秀は会おうともしなかったと言う。 これに憤慨した織田信長は、嫡男・ を総大将に明智光秀、細川藤孝、佐久間信盛、羽柴秀吉、丹羽氏勝、そして筒井順慶を主力として加えた40000の大軍を送り込み、10月には信貴山城を包囲。 支城の片岡城は織田勢5000の攻撃を受け、海老名友清、森正友などが討死。 一番槍は細川藤孝の子・ 15歳 と細川興元 13歳 兄弟。 織田信長は松永久秀が所有している名器・平蜘蛛茶釜を差し出せば助命すると促したが、松永久秀は「平蜘蛛の釜と我らの首と2つは、信長公にお目にかけようとは思わぬ。 粉々に打ち壊すことにする」と返答。 このため、織田信長のもとに人質で出されていた孫の2人 14歳と12歳 は京都六条河原で処刑された。 落ち延びて九州博多で質屋を開業し、豪商となった者がいるとも言われる。 本願寺顕如に援軍を求める使者として城を出た森好久が加賀鉄砲衆200を引き連れて、信貴山城へ帰還したが、元々筒井順慶の家臣だった森好久は内通しており、200の鉄砲衆も筒井順慶の家来であった。 10月10日からの総攻撃の際、その鉄砲衆は天守に近い三の丸付近に火を放った事で、籠城していた軍勢は味方に裏切者が出たとして、もはや戦う力を失い、逃亡するものも続出した。 この時、松永久秀は平蜘蛛 こてんみょうひらぐも を天守で叩き割り 一説には茶釜に爆薬を仕込んでの自爆 爆死。 享年68。 子の松永久通も自害した。 享年35。 安土城の天守のモデルとも言われている信貴山城の四層の天守櫓は失われた。 平蜘蛛釜の蓋は飛んで行って、古田重然と言う男が拾ったとも。 日本の歴史上、初めて死因に爆死と書かれたのは松永久秀である。 松永久秀の遺骸は、ライバルであった筒井順慶によって、に葬られました。 織田信長が に紹介した際に「この老人は全く油断ができない。 彼の三悪事は天下に名を轟かせた。 一つ目は三好氏への暗殺と謀略。 二つ目は将軍暗殺。 三つ目は東大寺大仏の焼討である。 常人では一つとして成せないことを三つも成した男だ。 」と言う事からもわかるように、悪名高い松永久秀であるが、美男子で立振る舞いの優雅な教養人であったとされ、領国では善政を敷いて民に名君として慕われていたという。 実は誠実だったのではないかと思える行動も取っており、謎の多い人物である。 さて、一説に松永久通の子。 彦兵衛 一丸 は逃れたとされ、その系統の子孫から太平洋戦争初期にマレー沖海戦でイギリス東洋艦隊を壊滅させた航空隊指揮官として名高い松永貞市海軍中将 子は松永市郎海軍大尉 で、さらにiモードの産みの親である松永真理がいる。 また、お笑いコンビ爆笑問題の太田光の妻・太田光代 爆笑問題が所属する芸能事務所「株式会社タイタン」の代表取締役社長 の旧姓は松永光代といい、彼女もまた松永久秀の子孫であるとの事。

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松永久秀(松永弾正)の死因がヤバイ!?平蜘蛛茶釜爆死の戦国武将

松永 久秀

天我独尊 松永久秀 【圧参】 声:藤原啓治 武器:宝刀・火薬 属性:炎 タイプ:バランス 移動速度:普通 自らが欲するものを得るためには手段を選ばず、他者を踏みにじる事すら何とも思わない人物。 初期パラメーター 体力:3200 攻撃力:380 防御力:250 バサラゲージ:20000 ガマン値:100 ガード耐久値:250 失神耐久値:200• 特徴 やや癖のある遠隔攻撃が得意で、広範囲の敵の群れを焦土に変えることも可能。 火薬を敵に付着させ、各種火炎系攻撃にガードクラッシュの連爆を付加できる。 バランスタイプでありながらパワータイプに近しいパラメータを持つ。 ボタンを長押しすると、その時間に応じて火薬の散布範囲を広げられる。 虚空 『こくう』 初期習得 火薬を撒きながら通常攻撃を繋ぐことができる。 1段ごとに火薬撒きのモーションは全て異なる。 通常攻撃7段目で火薬を撒いた時と撒かなかった時で8段目の攻撃が変わる。 火薬を撒いた直後に他の固有技を使用すると、その技の火薬を撒くモーションをキャンセルできる。 通常攻撃以外から繋げて出す時は火薬を撒かずに着火斬りを行う。 劫火 『ごうか』 初期習得、Lv15 刀で地面を擦る段階まで固有技ボタンを押し続けていると他の行動ができなくなり、炎の道の調整をする状態になる。 炎の道はスティックである程度操作でき、固有技ボタンを放すと道の先が爆発する。 火薬まみれの敵は道に触れただけで爆発するが、そうじゃないどちらの状態でも道の先までしっかり押し込んで締めの爆発を当てられる。 ダウンしている敵を起こすことができる。 空中特殊でもできるので場に応じて。 進行不能な物に当たるとそれに沿うが、角に3つ集めても1つしか当たらない。 長押ししなければ刀を擦った瞬間から回避・ダッシュ・ジャンプで動作を省略可能になり、炎の道は最大距離まで伸びるので遠距離攻撃として、雑魚殲滅として有用。 指を鳴らして爆破した後の隙も回避・ダッシュ・ジャンプで省略できる。 入力しっ放しにしてれば最速のタイミングでやってくれる。 無響、葬炉の爆破も同様である。 これも他の固有技に繋ぐことでその固有技の火薬を撒くモーションをキャンセルできるが、タイミングが固有技によって異なる。 虚空なら火薬を撒き終えて刀を動かしてから地面を擦るまで。 と、長押しして爆破した後。 昇華は火薬を撒いた瞬間から。 出が早いので相性が良いが撒いた火薬は消えてしまう。 無響 『むひびき』 初期習得 前進部分にダメージはあまりないが触れた敵はよろけ、盾や葛籠を破壊する。 これも他の固有技に繋ぐことでその固有技の火薬を撒くモーションをキャンセルできるが、タイミングは斬撃の後。 突進中ではできない。 少なからず前進するので、至近距離でのキャンセルは回避で一旦下がるか空中特殊を使おう。 空中特殊の斬撃も火薬を付着させ、斬撃の後に固有技へ繋ぐことでその固有技の火薬を撒くモーションをキャンセルできる。 突進中は回避、ダッシュでキャンセルすると走るより素早く移動できる。 最悪追加入力しなければキャンセルなしで連発するだけでも走るより速い。 昇華 『しょうか』 Lv5、Lv25、Lv40 火薬を撒くモーションは全方位だが射程が短く結構無防備なので、他の固有技から繋いで省略することを推奨する。 最大レベルになると火柱の持続時間が驚異的。 ガードされてもそこに火薬を撒けば連爆で崩せる。 火柱は固有奥義やバサラ技を使用すると消えるので注意。 (「塵晦」は掴むと消える) 葬炉 『そうろ』 Lv10 短押しで遠距離、長押しで近距離を爆破するという、有り触れた操作と逆なので慣れがいる。 遠距離で爆破すると手前に吹き飛ばし、近距離で爆破すると奥に吹き飛ばす。 その距離が丁度互いの発生位置なので交互に出せばお手玉ができる。 固有技・改 景品交換(天貨メダル800枚) 前方の敵に向けて火薬を散布した後、その相手に導火線を巻き付けて時間差で爆破する。 ボタンを長押しすると、その時間に応じて火薬の散布範囲を広げられる。 火薬撒き動作の直後にキャンセルポイントがあり、各種固有技(同技含む)や回避・ジャンプでキャンセルができる。 また、点火をキャンセルして劫火に繋ぐと発生する炎の道が5本に増える。 特殊仕様としてこの技で火薬を撒いた場合に限り、 距離に関わらず連爆が発生する。 昇華の火柱がヒットしている敵にはこの技で火薬を撒く度に連爆が起きる。 火柱ヒット中にこの技を連発すればダメージを大きく稼げる。 焔界葬炉の場合は発動させた直後にこの技で火薬を撒き、着火を回避等でキャンセルすれば連爆の後乗せが可能。 焔界状態でも直で火薬を撒けるようになることから、火薬撒きから各種固有技キャンセル発動で武将のガードも割りやすい。 この技による点火は距離を問わないため、火薬撒きを連発した後に離れた位置から火薬状態の敵を一斉に起爆するといった使い方もできる。 焔界中にこの技の最大溜めを発動すると、 効果時間を1回につき約12秒間延長できる。 使い方次第では専用銘無しでも常時焔界状態にし続けることも。 固有奥義 奥義名 習得Lv 説明 ちりつごもり 塵晦 20 敵の首元をつかんで爆破し、強烈なダメージを与える 周囲の敵にもダメージ くろまがつ 黒禍 30 ばら撒いた火薬を一箇所に集め、 凄まじい大爆発を引き起こす ほむらい 焔界 35 大量の火薬を撒き散らして着火、あたりを火の海と化す 一定時間各種攻撃が強化される 塵晦 『ちりつごもり』 Lv20 掴み技のため有効射程が短く、掴み技だが防御されるし崩し効果もない。 さらに掴んでいる間は無敵ではないし、秒換算の威力なら簡単な立ち回りで確実に命中させられる黒禍の方が高い。 連爆で宙を舞う敵を高さによっては掴めるが、届かないなら空中攻撃で叩き落として連爆が続く内に掴みたい。 待っていても一応ゆっくり降りてくる。 掴んでる間、防御力次第ではあるが雑魚程度の攻撃なら耐える。 しかし、武将相手だと厳しいので戦友指令で黙らせておきたい。 爆破した敵は崩れ落ちるが、ここで再び掴むことができガードされるまで大体3度ほど連続で掴める。 連爆で浮かない高重量の武将には、ガード不能の安定したダメージを出せるが掴めない武将は掴めない。 掴みの成否に関わらず、動作後に虚空へ繋ぐことで火薬撒きを省略して着火斬りが可能。 ちなみに挑発も虚空にしか繋げられない。 黒禍 『くろまがつ』 Lv30 発生まで時間がかかるが連爆で宙を舞わせてれば十分間に合う。 最悪昇華の火柱が防御されてる状態で使っても、爆破がしっかり崩して吹き飛ばす。 発動時火柱は消えてしまうが、撒いた火薬が足止めになる。 範囲は広い方だが背後までは届かない。 目には見えないが、爆破前に劫火の火の道同様に壁に沿って移動していて、壁に向かって使うと自分中心の爆発になる。 『宴』では技を入力した瞬間に技の発生保証が出るが(解放でキャンセルしても爆発が起きる)、今作での発生保証は松永が拳を握りしめてからになった。 焔界 『ほむらい』 Lv35、Lv45、Lv50 一定時間 約25秒間 各技の性能などを変化させる。 虚空と固有奥義以外で火薬を付着させられなくなる点に注意。 通常攻撃• 全てが着火斬りになり、攻撃力が上昇し、3段目から敵を浮かせる。 馬上攻撃も見た目着火斬りになるが着火効果は無い。 火薬を撒くモーションが自動的に省略される。 炎の道が5本に増加する。 斬撃が火薬付着ではなく着火になり、攻撃力が上昇する。 火薬を撒くモーションが自動的に省略される。 目の前で渦のように回り中心で爆発する。 キャンセルポイントが短縮される。 短押しで奥から手前に向かって、長押しで手前から奥に向かって爆発が二つ追加される。 この技を使うと「昇華」は消えるが「黒禍」は消えないので事前に使用しておくのを勧める。 ・・・のだが最速で使用しても「この世は死海だ・・・」あたりで「黒禍」が爆発してしまい、その後解除されてしまうことがしばしば。 戦友にフォローしてもらおう。 また焔界が発生するタイミングも火薬に着火してから。 火薬がまかれている瞬間ではないので注意。 火薬撒きから他の固有技に連携できるが大きな意味は無い。 連爆を後乗せすることで火力と殲滅力を底上げするのが強力。 4では後乗せしにくくなっていたが、固有技・改によって後乗せが再び可能になった。 劫火の後に固有技・改で連爆を後乗せすることで、前方広範囲の雑魚を一気に殲滅することができるようになった。 「昇華」で拘束した武将 特に重量級 に連爆を後乗せし封殺出来る強さも健在である。 銘は六道極を優先して付けよう。 敵別対処法• 焔界状態なら空中葬炉連発も優秀。 群がっているなら対雑魚同様固有技・改キャンセル劫火や焔界状態で空中葬炉。 劫火はボタンを連打してると無響の斬りが発生する前にキャンセルしてしまい、遅いと火薬撒きが発生してしまう。 永久ループ。 バサラ技で回避されない。 壁に達すれば継続が難しくなる。 焔界時限定永久ループ。 バサラ技で回避されない。 火柱ヒット中に後ろ向きで劫火、虚空で同技補正を切ってから再び塵晦で掴む。 連爆を乗せると火柱から押し出されるので注意。 焔界時限定永久ループ。 バサラ技で回避されない。 忠勝には不可。 バサラ技 通常「不(な)くし足る美の生(しょう)じや湧出(ようで)! 梟の身を震わせよ…」 粋 「焔(ほむ)り篝(かが)れよ誕生火…! 朗々(ろうろう)たるや、弾正歌(だんじょうか)…!」 戯画「梟雄二羽(きょうゆうにわ)を嗜(たしな)みたまえ…! 」 射程が通常攻撃と同等で移動距離も少なく、戦友指令はご法度。 壁際や陣大将相手には最後に高速移動しながら斬る攻撃が操作不能で思いきり外しやすい。 爆破は多分当たると思うがとにかく扱いが難しい。 爆破は背後に発生し自分より前にいる敵には一切当たらない。 敵が真横にいれば〆の爆発は当たる。 また、〆の爆発では火薬付着の有無に関係なく連爆が発生する。 前方に敵がいた場合終了後の硬直が長いこともあり乱戦ではエア袋叩きから本番入りすることも珍しくない。 使用後「焔界」状態になる。 「焔界」がかなり潰されやすい技なのでモード移行する際は代わりにこちらを使用するのもアリ。 ただしこちらでモード移行した際は「焔界」よりも持続時間が短いので注意。 威力自体はかなり高く 特に〆の爆発 、付けている銘によっては武将が一発で沈む。 小ネタ• ちなみにこれは『英雄外伝』の時に固有技「劫火」で使用していた着火モーション。 固有奥義「塵晦」を使用した時、「卿から生じるものは…」に続く爆破後のセリフが掴んだ対象に応じて4種類に変化する。 「眩き一筋の光だ」 、、、、、、、上級武士(太刀・豪槍どちらでも)• 「闇か。 まぁ、無いよりはいい」 、、、、、、、、• 「ひどくありふれているな」 、、、、、、、、、、• 「何も無いのか。 先に言いたまえ」 、、、、、、、、、、、、宮本武蔵、忍兵• 上4つの内からランダム。 掴む度にセリフが変わる。 雑兵、モブ武将(但し上記の上級武士は例外)• 彼の所持する武器の名は日本神話などに登場する宝剣と同じだが、彼がそれらを一体どこから、そして誰から奪ったのかは判明していない。 第1武器の「十束剣」は日本神話で長剣を示す際に使われた一般名詞であり、後述する「布都御魂」と「蛇之麁正」も十束剣に含まれる。 第2武器の「波加勢流多知」は古事記の一節に登場する単語で、この一節は奈良県の石上神宮に「六叉の鉾」として伝えられた「七支刀(ななつさやのたち・しちしとう)」について記したものとされる (ゲーム中のグラフィックも、刀身から枝分かれするように六つの枝刃が伸びた七支刀の特徴を再現している)。 「布都御魂」及び「蛇之麁正(別名:天羽々斬。 ヤマタノオロチを退治した剣)」は神器・草薙の剣と並んで「神代三剣」と呼ばれる神話上の剣である。 コメント Name:• ドラマルートのラストは、画面の前のプレイヤーよりも久秀の方が内心ハラハラしてると思う。 -- 2019-09-25 水 10:44:03• 「不足の美」とか茶会とか本当のオトナの贅沢を知っている豪の者と言った所か。 偉そうな長文コメでスマソ -- L 2017-11-03 金 08:39:18• ただし成金趣味でもなく、考えなしに贅沢を尽くすのは先生ならきっと「平凡で底の浅い欲望」とバッサリ切り捨てるのが想像できる。 -- L 2017-11-03 金 08:38:08• 凡庸なモノ、ありきたりな価値観が嫌いで、聖邪貴賤賢愚強弱大小を問わず貴重なモノ、珍しくて秀逸なモノが大好きなおじさま。 要は根っからのブルジョワ気質。 -- L 2017-11-03 金 08:37:43• そう言えば今回、三好三人集が居ないですね。 個人的には松永よりも死神殿が好きなので、残念です。 -- 2017-04-06 木 20:35:30• 通常攻撃の速さと範囲広がらないかな? 希望 -- 2016-12-11 日 11:07:55• 銘の組み合わせ教えてください。 専用は必要? -- 2016-11-22 火 21:31:46• 信長との絡みがないのが残念だ・・・ -- 2015-09-07 月 08:21:18• DLCコスが凄く似合う。 黒のロングコートにサングラスで黒幕感に溢れている貫禄というか。 -- 2015-09-06 日 08:31:54• オズウェル・E・スペンサーの衣装着た南部晴政とのやり取りが見たかった。 -- 2015-09-10 木 14:14:50• ステップ遅くなったなぁ。 と思ってたら敵の松永さんのステップ速すぎてファ!?となった。 遅く感じるのはプレイヤー視点から見てるからかな? -- 2015-09-01 火 18:30:26• この人の魅力は何があっても悪を貫いてる事だな。 毛利や明智のように誰かと出会う事によってキャラ崩壊したり穏やかになったりしない。 これからもずっと根っからの悪であり続けてほしい。 -- 2015-08-28 金 11:35:44• 信長も終始悪やで。 そういやBASARAでは信長との絡みが殆ど無いのは残念だな。 (史実と同じく元々は織田軍に居たみたいだけど) -- 2015-09-02 水 04:07:17• いや、信長には濃姫と蘭丸が…… -- 2015-09-02 水 20:42:04• 信長様魔王モードだけど、宴だったら松永ストーリーでこれでもかというほど絡んでたよね。 あと信長様は終始悪ではない気がする。 宴天海ストーリーは光秀の最大の理解者であったり、2蘭丸ストーリーは人間味溢れたおじ様って印象だった。 濃姫様や4でもそうだけど家康への固有台詞とかも良かったよね -- 2015-09-03 木 06:22:23• 宴でそんなに信長と絡みあったっけ?ストーリーラス面が本能寺だったのは覚えてるけど。 キャラによって接し方は変わるけどポジションとしては終始悪で間違いないと思う。 -- 2015-09-04 金 05:13:43• 焔界の効果時間は約20秒だが、固有技改の使用で延長が可能。 延長時間はタメの段階と出し切りか途中キャンセルかで変化。 タメなし:出し切り 約4秒、途中キャンセル 約2秒。 タメ1:出し切り 約5秒、途中キャンセル 約2秒。 最大タメ:出し切り 約16秒、途中キャンセル 約12秒。 -- 2015-08-22 土 20:51:59• 罰天が宮本武藏の時の塵晦どの台詞を言うの? -- 2015-08-20 四 23:49:46• 「「何もないのか、先に言いたまえ」でした -- 2015-08-27 木 22:54:23• 焔界でもないのに五列劫火が出せてしかも連爆後のせ可能って・・・固有技改のおかげで宴よりも爽快感あるわ -- 2015-08-18 火 02:39:30• 千利休の時の塵晦どの台詞を言うの? -- 2015-08-15 土 11:33:26• 確か眩き一筋の光だったはず -- 2015-08-15 土 22:40:26• 上の解説では六道極を優先と書いてあったけど打札とどっちが良いんだろう?単純に火力を求めるなら打札の方が良い気がするんだけど。 -- 2015-08-12 水 04:25:17• 打札付ければそれなりに強さを感じれますかね? -- 2015-08-10 月 15:15:19• 黒禍の中に入って固有技改最大タメするとなんか気持ちよくなる -- 2015-08-08 土 11:14:56• ところで昇華って空中発動出来るようになった意味あるの?葬炉と違って発動内容違うから使い道がよくわからん -- 2015-08-07 金 20:31:24• 戦友交代した時の焔界状態の見た目がカッコイイ 個人的に画面メラメラよりこっちの方が良い -- 2015-08-07 金 17:42:06 Show recent 20 comments. 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松永久秀 【 戦国武将 人物解説と年表 】

松永 久秀

いずれにせよ高い身分の出自ではなかったようです。 久秀は天文2年(1533年)頃から室町幕府の管領・細川氏の重臣であった に祐筆として仕え、以後は合戦へも従軍したとされています。 久秀は天文18年(1549年)に主君・三好長慶が細川晴元や室町幕府13代将軍・ を京から追放したことに伴い、公家や寺社との仲介役を務めました。 その後、主君・長慶が畿内の事実上の覇者となると、その下で評価を得ていた久秀は、やがて三好家を取り仕切きる立場の家宰となりました。 また同時に大和一国を支配地として領し、ほぼ大名と同様の権勢を誇りました。 翌永禄8年(1565年)5月に久秀の息子・久通と主君・義継、三好三人衆が兵を率いて上洛すると、 将軍・足利義輝を殺害しました。 通説では久秀が将軍殺しの実行者と語られることあるようですが、この時久秀は大和にあり実行には加わっていません。 但し、指示や教唆の可能性もあり、首謀者であった可能性もあるようです。 やがて久秀は畿内の派遣を巡って三好三人衆と争うようになり、三好家内部での抗争が激化していきました。 東大寺大仏殿 焼き討ち 久秀は永禄10年(1567年)に主君・義継を味方につけると、同年4月に大阪の堺から信貴山城に戻りました。 これを受けて三好三人衆は大和へと兵を進めました。 久秀はこの合戦において三好三人衆が陣を置いていた東大寺を攻め、このに勝利を収めました。 このときに大仏殿が焼失したことから、久秀の悪行に数えられていますが、三好三人衆勢と久秀勢のどちらが火をかけたのかは定かではないようです。 翌永禄11年(1568年)6月に三好三人衆が久秀勢の信貴山城を陥落させたことで、久秀は窮地に陥り多聞山城へ籠城すると織田信長に協力を求めました。 久秀は信長に対して名物茶器である「」を贈ることで、室町幕府の有力者としての地位を得て、大和国の正式な支配権を得ました。 信長は三好三人衆を畿内から排除すると、三好勢が擁立していた足利義栄が急死したこもあり義昭を15代将軍に奉じ、ここに畿内の実権は信長が掌握することになりました。 信長への反逆 しかし元亀3年(1572年)久秀は旧主・三好義継や敵であった三好三人衆ら手を組むと信長に対して兵を挙げました。 この謀反には将軍・義昭の信長包囲に応えたという側面もありました。 一時は包囲網によって窮地に追い込まれた信長でしたが、翌元亀4年(1573年)4月に包囲網の要であったが陣中で没し、武田勢が領国への撤退を始めたことで反撃にでました。 同年7月には義昭が信長に敗れて京を追放され、同年11月には三好義継も信長勢に敗れました。 更に同年12月に織田勢は久秀の多聞山城を包囲したため、勝ち目のないことを悟った久秀は信長に降伏しました。 なんとか処断を免れた久秀は以後は信長に臣従することになりました。 再度の反逆 しかし久秀は、天正5年(1577年)に上杉謙信や毛利輝元、石山本願寺らの信長の対抗勢力と結んで再び信長に背きました。 居城の信貴山城に籠城した久秀に対して、信長は使者を使わして翻意を促しましたが久秀はこれを受け入れませんでした。 カテゴリー• 123• 591• 163• 1,407• 153• 800• 585• 166• 175• 140• 133• 107• 558• 101•

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