シンディ ローパー 仙台。 シンディ・ローパー、4年ぶりの来日公演決定! 仙台・東京・名古屋など全6都市で開催

シンディ・ローパー10月に来日決定、デビュー35周年ツアー

シンディ ローパー 仙台

昨晩、前編をアップしてから寝たんですが、今朝起きて仕事しようかと思いPCに向かったところ、Windows Update がかかったみたいでリブートしてやがりました。 あー、途中まで進めてたデータ収集、保存してなかったわー。 はじめからやりなおしだわー。 おまけに会社のサーバがシステム障害で仕事できないわー。 不幸の連鎖はここまで続いてたかー。 ファイアー、アイスストーム、ダイヤキュート、ブレインダムドくらいの連鎖だわー。 しゃあないから後編でも書くとしますか。 はあ、、、。 前編 来る時は国道4号線を使ったんですが、帰りは東北自動車道を使うことにしようとナビを高速、有料道路使用可に設定。 おーし。 帰るぞー。 あれ?何故かナビは4号線方面ではなく、東に誘導しようとしてきます。 仙台東部道路ってのを使えと言ってきています。 なるほど。 東北道ではなく、常磐道を使えということね。 嫌だね。 東北道で帰りたいんだよ。 しかしナビは頑なに常磐道を使えと。 うーん。 常磐道ってほとんど使ったことがないんですが、よく考えると千葉に帰る分にはたしかに常磐道の方が近いし、首都高速も使わなくて安上がりか。 じゃあ常磐道を使ってみますか。 ここから本格的に不幸が始まりますよ。 結構4号南下してから方向転換を決めたので、給油してから岩沼ICから乗りました。 このあたりは常磐道なのか仙台東部道路なのかよくわかりませんが、1車線道路。 ガラガラだったので問題はなかったのですが、なぜガラガラか? それが問題でした、、、、。 案内板に「南相馬~常磐富岡緊急工事のため通行止め」と。 高速乗る前に気づけばよかったんですが、そのへんの地理は全く知らず。 まあ常磐道ってこたあ6号沿いだろ、一区間や二区間くらいは高速下りて6号走ってもいいや。 くらいの意識でとりあえず南相馬まで行くことにしました。 南相馬ICでETCレーンではなく、一般用の料金レーンへ行って道路状況を聞くことにしました。 あのー、迂回はどう行けばいいんですか? 「とりあえずETCカード出して」 はい。 これカードです。 で、迂回道路はどう、、、? 「6号行って」 6号にはどうやって行けばいいんですか? 「信号右行って」 次はどこから乗ればいいんですか? 「常磐富岡」 その常磐富岡とやらはどこから乗れるんですか? 「6号」 ずいぶん不愛想なおっさんです。 なんかむかついたんで、それだけ聞いて6号に向かうことにしました。 まだ23時なんで、割引もなく通常料金取られました。 まあその常磐富岡ってところでこういう迂回したときの料金について聞いてみるか。 で、言われたとおりに信号を右に行くとコンビニがあったんでトイレ休憩。 コーヒー買って、念のため店員のおばちゃんに6号ってこっちですよね? と確認したところ、あー、そっちなんですけど、2つ目のセブンイレブンを右折して、6個目の信号を左に行って、しばらくしたら6号線にぶつかりますよ、だって。 遠いやん。 ややこしいやん。 ICのおっさんもうちょっとましな説明せいや!おばちゃんに礼言って、仲間にLINEで状況報告したあと常磐富岡に向かいました。 「おうちに帰るまでがシンディ・ローパーだよ。 校長先生に言われたでしょ? 気を付けてお帰り」と言われてたんで、ちまちま報告というか、ひでえめに会ったwwwと笑いを取りに。 他人のちょっとした不幸って笑えるじゃないですか。 だが、友人Nよ。 君のバイクから落っこちて肋骨2本折って肺も凹んだ、ってのは笑える不幸じゃないからね。 バイクも廃車って笑えないからね。 まあ、おばちゃんの言うとおりに進んで6号線に出て南下。 30分くらい走ったあたりで、交通誘導の警備員のおっちゃんに止められました。 工事の片側通行かな? と思ったんですが、こっちに来て、と合図されたんで路肩に止めて、なになにどしたん? と聞いてみたんですよ。 そしたらね、ここから富岡までは四輪以外は通行止め、だって。 なにそれ? 四輪のみOKってどゆこと? なんしか通す訳には行かないから高速使うか迂回路行って。 だって。 高速が駄目だからこっちに来たんですよ俺は。 まあ迂回するぶんには構わないんで、どう行けばいいか教えてもらえます? 南相馬まで戻れ? 俺、南相馬で高速降りたんですよ? とりあえず迂回地図をもらって見てみると、福島県の中央あたりまで行って迂回。 100キロコース。 なんじゃそりゃあっ!おっちゃんを問い詰めてもしゃあないんで、南相馬方面へ引き返し、途中のコンビニでまた不幸のLINEを仲間に流します。 12時前にも関わらず、すぐにレス返ってきました。 待ってろ、今対策考えてやる、と心強いメッセージが。 ありがてえありがてえ。 笑いを取りに行っただけのつもりなのに、夜更けまであーだこーだと色々調べてくれました。 持つべきものは友人だなあ。 で、通行止めの理由は東日本大震災による放射能のせい。 四輪はまあ良いとして、バイクや自転車、徒歩は健康に影響が出るかもしれん、ってことだそうです。 またもっと近い迂回路は道路が復旧していない可能性がある、とのこと。 そういうことか。 あれからもう8年も経つのにまだこんなに影響があるんだ、、、。 私、3. 11のときは岩手にいたんですが、内陸部だったので3日ほど停電したくらいで被害はそれほどうけてません。 また、徐々にですが岩手の沿岸部分は復興しつつあります。 なんでもう地震に関する意識はほぼなかったんです。 地元の人、こりゃ大変だわ。 一日でも早い復興をお祈りしております。 さて、迂回路ですが山道です。 明かりとか看板とかないからわかりづらいよーと警備員のおっちゃんに言われてたんで、どうするか悩みます。 高速道路の工事は朝5時に終わるからそれまで待った方がいいんでね? と友人からアドバイスもらいましたが、勝負をかけて迂回路回ってみることにしました。 友人はこのあたりの地理に詳しいので散々止められましたが、まあなんとかなるやろ、と。 で、夜の峠をRallyで攻めることに。 こういうところは早朝にカタナできたかったなあ。 地図とナビを頼りに迂回路の折り返し地点まできました。 ここからは県道でなく国道になります。 で、地理看板があったのでよく見てみると福島まで20キロと。 迂回地点までは少なくとも50キロはあるのに、東北自動車道のほうが近いところまできてるやん。 ここでもう一回地図とナビに相談です。 磐越自動車道近くに通ってる! このルートが最寄だわ。 これ使って帰ろ! 常磐富岡まで迂回ならば、迂回の料金が割引になるはずなんですが、この時点で夜2時過ぎてます。 割引のことは諦めてとっとと帰ろう。 ここからの分は深夜割引対象だしもういいや。 というわけで田村IC 多分 から高速に乗ることにしました。 ただ、ガソリンが心もとない。 高速に乗る前に給油するのは鉄則なんですが、スタンドなんか開いてねえ。 まあSAで給油すりゃええやろ、と安易に考え磐越道INです。 ほとんど交通量ないですね。 時間も時間ですし。 で、早速SA見つけて給油することに、、、。 高速道路のガソリンスタンド、夜閉まるの? うわ、やっちまった、、、。 磐越終わって常磐道に入ればガソリンスタンドも開いていると思われますが、そこまで持つか? 思わず緩むスロットル。 時速80キロ位の燃費走行でなんとか常磐道までたどり着きましたがガソリンメーター点滅です。 これが点滅するってことはあと1リットルちょいしか残量ないことになります。 高速道路でガス欠なんぞ最悪ですので、泣く泣く最寄りのICで降りました。 で、係の人にスタンドの場所を聞こうと高速事務所に入ってみると、寝てやがる。 おっちゃん寝てやがる。 ノックしてもしもーし! ってのを何回か繰り返してやっと起きてくれました。 ここから4キロ位のところに24時間スタンドあるよって。 あー、助かった。 4キロなら楽勝でガソリン持ちます。 一安心して、何気に、ほんと何気に腕時計ちらっとのぞいてみると3時45分。 高速道路の深夜割引は午前0時から4時の間にIC内にいることで適用されます。 つまり15分以内に給油して戻ってこなきゃ通常料金になってしまう訳です。 全速ダッシュです。 給油して、お手洗いも我慢して大急ぎでICに戻りETCレーン通過。 時計を見ると午前4時01分。 駄目でした。 通常料金です。 あーっもうっ! やってらんねえっ! しょぼくれて高速を走ると10キロほど先にガソリンスタンド付きのSAが。 もったやん。 ガソリンここまでならもったやん。 あまりの間抜けさに疲れがどっと出てきましたわ。 で、高速をひた走るわけですが、Rally、6速で全開くれても高速で一発免停になるようなスピードはでません。 250ccとしてそれでいいのか? で、そこまで回すと燃費ガタ落ちになります。 リッター21キロ。 つまりは、高速走るとRallyは200キロ走れません。 航続距離が魅力なのにそれかい? カタナよりはましですけど、そんな大差ないやん。 おまけにしんどいし。 何回も何回もお手洗いによってなんとか7時に帰宅。 疲れた。 なんかシンディ・ローパーの余韻は全て吹っ飛びましたね。 結局その日は整骨院には行ったもののあとは寝っぱなし。 1日潰れました。 なんで行き下道で10時間なのに帰りは高速使って10時間なんですかね? 以上、シンディ・ローパー24時でした。

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CYNDI LAUPER シンディ・ローパー

シンディ ローパー 仙台

1953年6月22日、米ニューヨーク生まれの歌手、女優。 デビュー・アルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』は、アメリカだけで450万枚、全世界では800万枚という驚異的なセールスを記録。 1stシングル「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」から、「タイム・アフター・タイム」、「シー・バップ」、「オール・スルー・ザ・ナイト」とデビュー作から4曲連続トップ5入りした初の女性ソロ・アーティストとなる。 続いて、映画『グーニーズ』のサントラに参加。 シングル「グーニーズはグッド・イナフ」も全米10位のヒットを記録。 1986年、2ndアルバム『トゥルー・カラーズ』を発表。 このアルバムからも「トゥルー・カラーズ」「チェンジ・オブ・ハート」「ホワッツ・ゴーイン・オン」といったシングル・ヒットを生んだ。 陽気で活力あふれる個性的な歌声で人気を博し、弾けるポップスからロマンティックなバラードまで歌いこなす。 80年代女性エンタテイナー歌手として、印象深い成果を残した。 また、映画やミュージカル女優としても活躍。 グラミー賞とともにエミー賞やトニー賞の受賞経験もある。 2005年には米国の同性愛者やその家族や友達を支援する団体PFLAGの「Stay Close Campaign」に姉妹で初参加。 2011年、キャリア初となるブルース・アルバム『メンフィス・ブルース』を発表。 グラミー賞にノミネートされた。 また大の親日家としても知られており、2011年の東日本大震災の際には多くの来日公演が中止となる中、日本ツアーを敢行。 日本のファンを勇気づけてくれた。 さらに翌2012年、2015年にもツアーを行い、2013年には夏フェス(サマソニ)に参加した。 2016年、オリジナル・アルバムとしては5年振り、初のカントリー・アルバム『ディトゥアー ~回り道~』をリリース。 2019年10月、4年振りとなる来日公演が決定!80年代から活躍を続け、音楽界で最も愛されるアイコンのひとり、シンディのデビュー35周年を祝うアニバーサリー・ツアーをお見逃しなく! お気に入り登録.

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シンディ ローパー 仙台

シンディ・ローパーのデビュー30周年を祝うスペシャル・コンサート<シンディ・ローパー30周年アニヴァーサリー・セレブレーション・ジャパン・ツアー>の仙台公演が、1月18日(日)仙台サンプラザにて行われた。 シンディ・ローパーの仙台公演は1995年に同会場で行なわれた公演以来20年振りのことだ。 東日本大震災から約1年後、ツアーの合間を縫って2012年3月5日に石巻の小学校などを訪問して以来の宮城県訪問となった。 シンディ御一行が仙台に到着したのは1月17日、この日は阪神淡路大震災からちょうど20年目となる日だった。 その時もいち早く自ら「チャリティダイヤル」を設置し募金活動を実施、1996年の節分には、阪神淡路大震災の復興を願って、神戸の生田神社で行われる節分祭に参加するために来日を果たしている。 2011年3月11日の東日本大震災当日シンディは日本に降り立ち、その後ツアーを敢行し、会場では募金活動も行なった。 なぜそこまで日本のためにしてくれるのか…後のインタビューでこう語っていた。 「私は音楽には癒しの力があると思っています。 もしかしたら、その(震災の)ことを少し忘れられるかも知れない。 ほんの少しの時間だけれど。 そして気分が少し晴れるかも知れない。 そしてまた現実に戻るわけですが、以前ほど辛くないかもしれない。 私はいつも音楽に助けられてきました。 ホテルに到着後、雪の中を歩きまわる。 某有名店では牛タン、牛タン・シュウマイ、牛タン・ギョウザなどを美味しそうに食べていた。 バンドメンバーにも食べてもらおうと「ずんだ餅」も購入。 ライヴ当日の仙台は、前日の雪模様から一転、強い風が吹きつけるものの、空は突き抜ける様な青さ。 完全ソールド・アウト超満員の仙台サンプラザの場内だが、シンディの登場を今か今かと待つ会場は、緊張感すら漂う静けさ。 しかし、シンディがあっと驚く形で登場すると、総立ち、そしていきなり最高潮に。 シンディのライヴ第一声は「コンバンハ、ゲンキー? センダーイ!」。 デビュー・アルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』からアルバム曲順通りではないものの、「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」「タイム・アフター・タイム」「シー・バップ」「オール・スルー・ザ・ナイト」といった大ヒット曲を含む全10曲中9曲を披露、「トゥルー・カラーズ」などの名曲とともに全15曲を歌い上げた。 この日最も一番象徴的だったのが、シンディが日本語で歌う「忘れないわ」だ。 2012年のツアーでも歌われていたこの歌は、シンディが最も仙台で歌いたかった曲だった。 元々はデビュー前NYのピアノバー「MIHO」で働いていたときに歌っていた曲でオリジナルはペギー・マーチという、史上最年少全米No. 1記録を持つ女性歌手の大ヒット曲(1968年に来日した時にレコーディングし1969年1月にリリース。 作詞山上路夫、作曲三木たかし)である。 2012年に行なわれた日本外国特派員協会の記者会見でも、シンディは世界へ向けてこう語っていた。 「大震災は大変悲しい出来事でした。 でもみんな前へ進もうとしています。 「日本のことを忘れないで」と皆にいいたいのです。 忘れて欲しくないのです。 愛を送ることを忘れて欲しくないのです。 被災地に友だちがいたら連絡してあげてください。 そうすると「忘れていないよ」ということが伝わるのです。 支えてくれているという気持ちが伝わるのです」 「みなさんのことをいつも思っているわ」という彼女が歌に込めたメッセージ。 <ワスレナイワ アナタヲ アイスルヒトヨ ワスレナイワ…>と日本語で一生懸命歌うシンディの姿に、客席では多くの方々が涙していた。 そして、「忘れないわ」に続けて歌ったのが名曲「タイム・アフター・タイム」。 この曲に託したメッセージも、言葉にする以上に会場中の皆さんの心に伝わったようである。 もしも進むべき道が見えなくなっても、あなたはきっと私を見つけるわ もしあなたが倒れそうになったら私が受けとめる、あなたを待ってるわ いつでも、何度でも 「センダーイ、ゲンキー?」と言ってアンコールで登場すると、「上を向いて歩こう」を少し披露。 自分のスマートフォンに入れた歌詞を見ながら日本語で頑張って歌うシンディ。 その姿に観客の皆さんも協力して、みんなで一緒に歌いあげる。 最後の曲は「トゥルー・カラーズ」。 この日はバックのキーボードもいつもは彼女自身が弾くダルシマーもなく、たった一人、完全なるアカペラで歌いあげる。 すべての装飾を一切省いた「トゥルー・カラーズ」はまさに美しく感動的。 最後のフレーズ<like a rainbow…>を会場中で歌いあげ、ショーは静かに終了した。 20年振りの仙台公演は、今回のツアーの中で最も一体感を感じるものだった。 そして、言葉で語るよりも、想いを「歌」に託したかのようなシンディの姿がとても印象的なライヴだった。 シンディ・ローパーのデビュー30周年を祝うスペシャル・コンサート<シンディ・ローパー30周年アニヴァーサリー・セレブレーション・ジャパン・ツアー>はいよいよファイナル東京公演を残すのみ。 1月20日(火)7年振りの日本武道館公演は19時からスタートだ。 photo by 田浦ボン <シンディ・ローパー30周年アニヴァーサリー・セレブレーション・ジャパン・ツアー>2015年1月18日(日)仙台公演@サンプラザホール 1. Into the Nightlife イントゥ・ザ・ナイトライフ(『Bring Ya To The Brink』) 8. Sex Is In the Heel セックス・イン・ザ・ヒール(ミュージカル『Kinky Boots』) ・忘れないわ 9. Hat Full Of Stars ハット・フル・オブ・スターズ(『Hat Full Of Stars』) 13. Shine シャイン(『Shine』) 14. Change Of Heart チェンジ・オブ・ハート(『True Colors』) 15. True Colors トゥルー・カラーズ(『True Colors』).

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