クジラ アタマ の 王様。 伊坂幸太郎さん『クジラアタマの王様』

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クジラ アタマ の 王様

製菓会社の広報部員「岸」は、ヒット商品への異物混入事件が起きたため、謝罪会見の準備に追われていた。 そのさなか、会議室で眠りに落ちた彼は、何かと戦っているような夢をみる。 ある日、彼のもとに都議会議員の「池野内征爾」が〝夢の中で会った〟と近づいてくる。 続いて、世間で人気のダンスグループのメンバー「小沢ヒジリ」までが、〝同じ夢の中にいた〟と言い出して……。 それまで何の接点もなかった3人の日常が、〝夢〟を媒介に大きく動き始める。 ハシビロコウに導かれ、「岸」たちは二つの世界を救えるのか。 この小説で一番気になった登場人物がいるんですが……。 「部長」です。 めちゃくちゃ、脇役じゃないですか(笑)。 ああいう上司がいた経験があるんですか? 僕も会社員だったんですけど、社会人になってびっくりしたのは、本当に漫画に出てくるような嫌な人っているんだなあ、ということでして(笑)。 「本当に仕事サボる人いるんだ」とか、「仕事を他人に押し付けて、平気なんだ」とか。 そういうことが念頭にありました。 この本のテーマはそこにはないんですけどね。 あと、謝罪会見のスリリングさを書きたいというのはあって、言っちゃいけないことを「もうどうでもいい!」みたいにしゃべっちゃう、とかそういう展開を考えていたんですけど、その肉付け的なところは、過去の会社員時代の経験を参考にしているんですよね。 サラリーマンパートをどうしたら面白くできるかわからなくて。 参考書的に、池井戸潤さんの小説を読んだりして。 「七つの会議」とか。 前から池井戸さんの本、読んでたんですけど、だから今回は、新商品が売れた喜び、というのを小説の初っぱなにやっちゃったりしているんですよね(笑)。 あと、さっきも言ったように、会社員の部分は自分の会社員時代のことを思い出して、実際はあんなことはなかったですけど、いたら嫌だなとか、あと、仕事ができる人ほど仕事が増えていく法則とか、そういう、理不尽なことを思い出しながら書きました。 単純に「部長」との対比で書いていたんですけど。 真面目な人の希望の星、みたいな(笑)。 単純に、お子さんが微妙な年齢の時に、仕事をしているのは大変だなあ、とよく思うので。 お父さんもそうですけど、熱を出して呼び出しもあるじゃないですか。 だから、単純に子どものことをやりながら、会社でも苦労している人を出したかったんですよね。 売れた商品の担当者が、そういう子育ても仕事も頑張っている人だったら良いなあ、という思いからあんな感じに(笑)。 女の人の描き方がよく分からないので、というか男の人のこともよく分からないんですけど(笑)、だいたいこういう感じになってしまうんですよね。 ああ、ありましたね。 僕も阿部さんも自分たちの好きなものを詰め込んで小説を書いていたんですけど、急に、「女の人が読んでも面白いのかな?」ってオロオロしはじめちゃって(笑)。 そういうのは考え出すと、もうよく分からなくなっちゃいますね。 ここがしっかりリアルだから、この小説の「仕掛け」が生きているというか。 漫画部分はけっこうファンタジーだから、小説部分はリアルなもので押し通しているんですよ。 だから比較的、現実でも起きそうな、会社のこととか、猛獣とか、インフルエンザとかを描いています。 これは昔からやってみたかったことで。 アクションって小説で表現するのは難しいんですよ。 頑張って描写しただけ、になっちゃうというか。 「だったら映像にした方が早いじゃん」と思っちゃうんですよね。 カーチェイスなんかも、頑張って書くことはできるけど、映像があるならその方が迫力あるよねと。 だから昔から、小説の中に漫画が入ってきたらいいなと思っていて、でもそこに日本の漫画みたいなのが入るのも違うなと。 もっとシンプルで、図っぽいものがいいなと思ってたんですけど。 迫力が出すぎてしまって、小説とは違うものになっちゃいそうな気がするんですよ。 できれば、止まった絵で見せたい。 同じような絵が続くと、時間の流れが見えたりもしますし。 小説では難しいところを絵で表現してもらう。 今までは小説で頑張って書いていたんですけど、一回ぐらいはこういうズルをしてもいいのかな、と(笑)。 それで昼はサラリーマンの現実的な日常で、夜になると、僕は「モンスターハンター」ってゲームが好きだったから(笑)、そういうゲームの世界にいくっていう話を(編集者と)していて。 そこからどうするかが大変で。 ライトノベルでは、しばらくブームになっています。 これ、伊坂幸太郎の異世界転生もの、として受け止めてもらえますかね(笑)。 僕の場合「スイカに塩」じゃないですけど、一方を異世界にすると、もう一方はサラリーマンとか働いている人にしたくなっちゃうんですよね。 「剣と魔法の世界」と反対側にあるのは、「満員通勤電車の世界」というようなイメージで。 そしたら、ここかあ、と。 読者は異世界ものだと思って読んだら、いきなり製菓会社の話が来ますからね。 どういう層の読者に向かって書いているのか、自分でも分からないです(笑)。 「モダンタイムス」は漫画とコラボしていますし、「キャプテンサンダーボルト」では阿部和重さんと文体まで混交させていました。 今回はどういう位置づけなんでしょうか。 本当をいうと、コラボレーションにはあんまり興味がないんですよ。 矛盾してしまうようなんですけど、小説は一人のこぢんまりした世界だと思っているんですよ。 ただ、たまたま依頼が結構あったんですよね。 「SOSの猿」の五十嵐大介さんとか、ミュージシャンの斉藤和義さんとか。 自分の尊敬するアーティストだから、「それはぜひ!」と受ける感じで。 でも、実際にやっていることは、自分の小説を書くことだけ、なんですよ。 「ガソリン生活」で寺田克也さんに挿絵を描いてもらう、というのと同じで。 やってることは、一人で小説を書くだけ、という。 違うのが「キャプテンサンダーボルト」で、僕の中では唯一、あれだけなんですよ。 自信を持って誰かと小説を作った、二人でしかこの小説はできなかった!というのは。 本来は一人でしか作れないものを二人で完成させたということで、あれはすごいものができたと今も思っていますし、ほかの人たちが真似できるなら、やってみてほしい、とさえ思うというか。 「クジラアタマの王様」は、それとも別の立ち位置といいますか。 明らかに僕の小説に「入ってもらっている」ので、他のコラボレーションとも違うんですよね。 自分の小説をより良くするために、力を貸してもらった感じで。 絵を描いている川口澄子さんのことは担当の編集者が教えてくれて。 頼んだら、色んなアイデアを出してくれて、感激しました。 僕が書きたい世界を絵の担当として全部表現してくれて、ありがたかったです。 そうなんですよ。 ただ、「こうしたらわくわくする本になるのでは!」という思いだけで作ったんですけど、今になって、「ずるじゃないのかな。 自分で描いているわけじゃないし」と不安になってきたりして(笑)。 挿絵と何が違うのか自分なりに分析すると、挿絵は、小説に存在する物や出来事を絵にしているんですよね。 ワンシーンを再現している。 でも今回は、小説部分にはないところを描いていて、コミックはコミックで完結してるので、それは違うところですよね。 「ここに挿入しますけど、いいですか」と聞かれて「あ、いいですね!」という部分も(笑)。 もちろん最終的にはそれをみて「どうしましょうか」というので考えて決めたんですけど。 川口さんはこちらから何かを提案したら、100%、120%ぐらいの感じで「これはどうですか」と応えてくれて、とても心強かったです。 イラストは基本的にはファンタジー世界を描いているじゃないですか。 でも、あるパートだけ現実側の場面を表現しているんです。 それは川口さんのアイデアで。 「どこかで、絵と小説の役割を逆転させてみませんか」と言われて、面白いなあって。 だいたいこういう夢の話を書くと、「胡蝶の夢」と思われそうなので、もう、正々堂々と、「はい、胡蝶の夢です」と言える話にしちゃおうかな、と(笑)。 小説パートだけでも成立するんですけど、コミックパートがあると、より広がりますよね。 コミックパートがファンタジーじゃないですか。 その分、現実パートに、非現実的な要素がないんですよ。 僕の小説にはだいたい超能力とか、怖い悪者とか、国家的なシステムとか出てくるんですけど、今回は、出てこなくて。 だから敵の作り方が難しくて。 動物が脱走したとか、ウィルスとか、別に悪者ではないじゃないですか。 悪者がでてこないという意味では新鮮で、描いていて、結構、やりがいがあったというか、楽しかったです。 コミックがなかったら、たぶん、現実的なことだけでは書けなかったかもしれません。 そうそう。 「ガソリン生活」だって車の視点っていうギミックがあるから書けた。 そういう過剰なものがないと書けないんですよね。 近作の「フーガはユーガ」は、過酷な家庭に育った双子が入れ替わりながら不条理に立ち向かう小説でした。 まあ、ワンパターンなんですよ(笑)。 昔、井上ひさしさんが「チルドレン」のことを「この作品のテーマはなりすましだね」と言ってくれて、そんなつもりはなかったんですけど、そうも読めるんですよね。 たぶん、そういうのが好きなんです。 そういう振り幅はどう決めているんですか。 この作品は結構、エンターテインメントですよね。 最初からは決めていないです。 「フーガはユーガ」も最初はあの双子も仲良し家族の設定だったんですよね。 ただ、書きはじめると、「それでいいのかな?」とか悩んだり、いろんな要素が入ってきちゃって。 実は、僕は子どもが生まれた頃から、いい人が死ぬ小説は書かないようになったんですよね。 殺し屋とか悪いことした人は死んじゃうんですけど。 それ以外の、いい人は、まあ、いい人の定義も難しいですけれど、とにかく、ひどい目にあっても生きてはいるんですよ。 僕自身、自分や親しい人の死が本当に恐ろしいですし。 ただ、「フーガはユーガ」は、その恐ろしいことを、まあ、小説の中でだけですけど、乗り切れるような語り方をふっと思いついちゃったので、そういう方向で完成させたくなっちゃって、そのせいもあって少し暗い雰囲気の作品なんですよね。 だからあれは特例、という感じで、一方の「クジラアタマの王様」はいつも以上に明るい、というか、健全というか、NHKの子ども番組でもいけそうな(笑)。 そうなのかな、文体は僕は一つしかないのであんまり変えられないんですけど、あんまり悪い人が出てこないせいかなあ。 裏で動いている政治家は情報として出てくるだけだから、目に見えないし。 「善対悪対悪」という構図もそうですけど。 善も悪もなかなか判別できないですけど、本当に悪いのは誰なんだろう、その本当に悪い人をやっつけたい、みたいな思いがあるんですよね。 ただ、今回は動物のトラブルにしても、誰も悪くないから、結構めずらしいかな。 部長も、まあ憎めないじゃないですか。 マスコミや政治家も、いいのか悪いのかわからないですし。 たまにはこういう、健全なエンターテインメントもいいのかな、という気がします。 毒っ気がないというか。 頑張ってせいぜい、「部長」ですもん、毒が(笑)。 担当編集者が、向こうの世界はどうなんだ、ハシビロコウの狙いは何なんだって、すごく気にしてくれて。 僕は何も考えてないので(笑)。 ハシビロコウも、西洋とも東洋ともつかない鳥で、何となく選んでいたぐらいで。 世界観は最後の頃に決めたんです。 僕は構造とディテールがあればいいじゃんっていう気持ちが相変わらず強くって。 でも、やっぱり読者は納得感がほしいですもんね。 ああ、そうだったの、って。 例えば、お菓子を詰める段ボールの商品名と、中身の商品が違っていたというエピソードも作中に描かれています。 思い込みがあって、それに気づかない、という。 これにかぎらず、先入観を覆したいというか、そういう話ばかり小説で書いている気がします。 僕が先入観を持ってしまうからかなあ。 実際に、情報と感情のバランスというのはあって、同じようなことをしても、世間の反応が変わったりする。 どうなるかわからない。 そういうのは盛り込みたくなっちゃうんですよね。 「モダンタイムス」のころに、「インターネットに書いてあったら、嘘でも本当になっちゃのうでは?」という話を書いていて、思えばまだ当時はフェイクニュースとかそういう言葉もなかった気がするんですけど、そういうのが怖いし、興味があるんですよね。 本人が「俺はAなんだ!」と言っても、「ネットに書いてあるからBでしょ」とみんなが思うかもしれない、というのが怖くて。 僕はだいたい、何も分からないし、だいたいのことが怖いので(笑)。 ただ、インターネットを使う人たち、僕たちも、昔に比べて学んできているじゃないですか。 デマについてや情報の扱いについても、「これはまずいパターンだよね」とか「嘘かもしれないよね」とか、学習していたり。 昔、恐れていたほど、無法地帯ではないような気もしますし。 一方でネットの自由がなくなるという人もいて、難しいですよね。 ただまあ、すごく悲観する必要もないような気もしますよね。 と言いつつ、僕はまあ、怖いんですけど(笑)。

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伊坂幸太郎『クジラアタマの王様』感想【待望の書き下ろし長編小説】|【雑記ブログ】いちいちくらくら日記

クジラ アタマ の 王様

本のあとがきでも書きましたが、動きのある場面を今まで小説で表現してきて、これをコミック的なもので表現するとどうなるのか、小説とコミックがつながっていくような、そういう読書体験を自分自身、味わってみたいと思っていました。 例えば、アクションシーンを小説で書いてもその面白さを文章で伝えるのはそう簡単ではありません。 カーチェイスなんてその最たるもので、映像のカーチェイスをそのまま小説として書き起こしても、映像で受け取る情報ほどの面白さには正直かなわないんですよね。 だから、小説で書くなら比喩的な表現や異なるアプローチからの工夫が必要だと思っているんですが、一度くらい、アクションを表現するのが得意な「絵」の力を借りて表現してみたい気持ちがありまして。 基本的には、どういう絵を描いてほしいのかを、僕と編集者で考えて、川口さんに依頼するという形でした。 絵の部分だけ読んでも意味はわからないけれど、そこが小説とどうからんでくるのかを楽しんでいただければ、と工夫したつもりです。 そう言えば、今作は、小説で描いているパートはいたって普通の現実なんです。 殺し屋もギャングも死神も出てきませんし、今までの作品を思い返してみても、突飛なものが出てこない作品って意外に少ないんですが、今回は、かなり現実的な要素で完結するエンターテインメントになったんですよね。 その分、絵のパートがファンタジー的な要素を担ってくれているので、それによって作品全体のバランスがとれたかな、と。 あと、中盤で、ある危機をどう乗り切るか、と考えていた時、いつもとは違って、「絵で説明するからこそ面白い」ものを意識したんですよね。 普段だったら、リアリティからするとどうなんだろう、と悩んで、もう少し現実的な展開を考えるんですが、「せっかく絵を使うんだから目で楽しめるものがいいな」「単純に絵を入れただけというのでは面白くないな」と思って、絵だからこそ表現できるものを入れたかったんです。 あの顛末はだからこそなんです。 もし小説で書いていたら、もっと別の、「見た目の面白さ」ではなく「展開のアイディア」を重視したと思います。 最初にこの小説を考えたとき、異物混入と謝罪会見を書いてみたいなって思ったんですよ。 そこから展開を考えていったら、思いのほか現実的な事件になりまして。 現実の中でのエンターテインメントを書くには苦労も工夫もありました。 『SOSの猿』は株の話でシステムエンジニアだったから書けたけど……会社員のドラマでどうやったら盛り上がるんだろう、と悩んじゃって、池井戸潤さんの企業小説と、広報部門の人向けのマニュアル本を事前に読んだりして(笑)。 製菓会社、記者会見、動物、火事……といった僕らしくないリアルな要素だけで物語を組み立てて、それを僕らしく書いたという点が、ある意味で今までの作品との相違点とも言えるのかもしれません。 僕は変化球が好きで、スローカーブとか、落ちる球とか、消える魔球とか。 でも今回は、まっすぐな球を僕らしく投げた。 川口さんのイラストがあったから書ききれたということもあるかも。 どうなんでしょう(笑)。 現場の人が困っているのに、上の人だけは呑みにわっしょいわっしょいと帰るという図ってありそうじゃないですか。 それが嫌だな、と思っていたのでそういうのを書きたくなったのかもしれません。 一方で、何か大変な案件を抱えているのか、会議室からいかにも難しい顔をして出てくる人とかいますよね。 そういう対比が個人的に気になって、そういうのをそのまま書いただけなんですよね。 あと、正直なところ、テレビ番組の影響でお菓子の売り上げがあんなに変わるわけがないよな、とか、さすがに番組で流れないんじゃないかな、とか自分でも思う部分はあるんですよね。 ですので、ああいったところは、フィクション用のデフォルメという感じです。 会社が何か不祥事を起こして記者会見を開いたときのマスコミの反応だったり、それに対する世の中の風潮だったり、直接の暴力ではなく目に見えない悪意って怖いですよね。 だからそれも書きたかった。 まあ、せっかくフィクションなので、頑張っている人が報われてほしい、という気持ちもあったんですが。 ちなみに、記者会見後にお客様からの電話の嵐がやってくる場面の比喩の飛行機部分とか、実はもっと凝っていたんです(笑)。 かなり削っちゃいましたが、あのような場面を書くのが好きなんですよね。 今回だったら、主要な登場人物が3人なので、それぞれ1、2、3文字にしようと思って。 岸君は、僕が応援している楽天イーグルスの岸孝之投手にちなんでいます。 でも、もともと岸さんは西武のピッチャーだったから、それを使うのは西武ファンに怒られちゃうかな、と気になりつつ 笑 、一文字だから使いたいなあ、と。 3文字の池野内議員は、岸がさっぱりしている分、逆に字画を多くしたかった。 でもきっと選挙で闘うには不利ですよね(笑)。 小沢ヒジリは、はじめは、小沢ハルクって書いていたんですけど、やっぱり楽天イーグルスの、外野手だった聖澤諒選手が引退しちゃって寂しかったので、急遽、一括変換で「ハルク」を「ヒジリ」に変更して(笑)。 あ、ちなみに「欧州フジワラ」は会心の命名ですね。 もっと活躍してほしかったんですけど(笑)。 上白石 怒涛の伏線回収が毎回楽しみです。 どの程度展開を考えてから書き始めますか? 伊坂 あまり先の先までは考えず、全体の一割くらいを思い描いたら、書きはじめちゃうことが多いです。 そこまで書いたら次の展開を考える形で、七割くらい書いたところでラストシーンが思い浮かぶケースが多い気がします。 上白石 ふたりきりで語り合うとしたらどのキャラクターとがいいですか? 伊坂 あまり登場人物に思い入れがないので、「語り合いたい!」という気持ちにならないのですが(申し訳ないです!)、『夜の国のクーパー』に出てきた主人公に、あの場所で起きたことをあれこれ聞きたい気はします。 上白石 筆が止まることは? その時はどう打開しますか? 伊坂 デビューして最初の十年は、筆が止まるということもなくひたすら前に前に書き進めていけていたのですが、それ以降くらいからは、少し書いては立ち止まって、「これでいいのかなあ」「もう書きたくないなあ」と思うことが増えました。 打開策としては、編集者と話し合ったり、映画を観たり、もしくは詰まっている場面を全部やめちゃったりすることが多いです。 上白石 伊坂さんの書かれる会話が大好きなので、戯曲や脚本も読んでみたいです! 伊坂 そんなふうに言ってもらえてうれしいです。 ただ、僕の書く会話文は、子どもの頃に観た洋画の会話が根っこにある気がするので、文章として読む分には楽しめても、そのまま日本の役者さんが口にすると、どこか漫画的になってしまうような怖さもあります。 なので、いいものが書ける自信がありません! 上白石 執筆する時のルーティンはありますか? 伊坂 コーヒーを飲むくらいですかね。 上白石 ご自身を映していると感じるキャラクターはいますか? 伊坂 『オーデュボンの祈り』の伊藤君や『アヒルと鴨のコインロッカー』の椎名、『チルドレン』の武藤君などの、傍観者的な一般の人はたいがい、自分に近いかもしれません。 『クジラアタマの王様』の岸君もそうですね。 「平凡な自分が、奇妙な冒険に巻き込まれたら」と考えて、大学生の時に書きはじめて、今の作風が出来上がったような気がします。 上白石 ずばり伊坂さんにとってのバイブルは? 伊坂 バイブル、と呼べるほど何度も読み返したり、指針にしたりするものはないのですが、僕の小説のスタイルは、宮部みゆきさんの短編「サボテンの花」を読んだ時の感動から生まれているので(「こういうお話を僕も書きたい!」と思いました)、強いて言えば、それかもしれません。 上白石 登場人物の名前が印象的です。 名付けのこだわりはありますか? 伊坂 名前に関してはかなり気をつけているので、印象的と言われるのはありがたいです。 僕自身が小説を読んでいる時に、「これ、誰だっけ?」と悩むことが多かったため(笑)、そういうストレスが減るように、なるべくその人のイメージが浮かびやすい名前を考えたくなります。 「蝉」や「鯨」、「蜜柑/檸檬」などもそうですし、あとは、奇抜な名前の人ばかりが出てくると、それはそれで印象がぼやけるため、平凡な名前の人も配置することが多いです。 ただ、氏名のうち、「氏」はどうにかなるのですが、「名」のほうは同じようなものしか思いつかず困ります。 上白石 タイトルはどの段階で、どうやって決めるのですか? 伊坂 タイトルはとても大事で、書きはじめる時に見つかっているのがベストです。 なかなか決まらないと、あまり書く気も起きず、結局、進めることができません。 すんなり決まらないと難航することが多いです。 たとえば『ホワイトラビット』の時は、「動物の名前を入れたい」「ミステリーっぽいタイトルにしたい」という思いだけがあって、はじめは「ウルフ」を入れたかったんですが、どういう単語を絡めてもギャグっぽくなってしまい諦めました。 『クジラアタマの王様』もずいぶん悩みまして、「漢字四文字にしたいな」と思っていて、途中で、「来夢来人(ライムライト)」というのを提案したんですが、いろんな人から、「スナックの店名しか思い浮かばないからやめたほうが……」と言われました。 上白石 伊坂さんのユーモアが好きです。 お好きな芸人さんはいらっしゃいますか? 伊坂 芸人に限らず、僕にとってのヒーローはダウンタウンさんで、いろんな意味で大きな影響を受けている気がします。 松本人志さんの作る映画もすごいと思っています。 もちろんほかの芸人さんたちも好きなのですが、DVDが出るたびに買ってしまうのは、サンドウィッチマン、東京03、バイキングの三組です。 上白石 どんな音楽を聴かれますか? 音楽を聴きながら執筆することはありますか? 伊坂 昔ながらの、シンプルなロックバンドとかが好きなのですが、最近はうるさいものをあまり聴かなくなってきて、「年をとってきたんだな」と感じます。 初稿の時(白紙に文章を書いていく時)には音楽を聴くことが多いのですが、それを推敲する時には絶対に聴きません。 上白石 仙台でいちばんお好きな場所はどこですか? 伊坂 昔、霊屋下(おたまやした)という地域に住んでいまして、そこの広瀬川沿いの河川敷はとても好きです。 上白石 いつも冷静なイメージがあります。 テンションが上がるのはどんな時ですか? 伊坂 ぜんぜん冷静じゃないです。 息子の部活動の応援とかしている時はテンションが高いと思います。 上白石 朝型ですか? それとも夜型ですか? 伊坂 会社員だった時と同じように、朝起きて、外に出て仕事をして、夕方には家に帰ってくるような感じです。 上白石 伊坂さんご自身が、伊坂ファンに薦める作家さんは? 伊坂 難解さに逃げることなく(つまり読みやすく)、小説としてすばらしいという意味では、佐藤正午さん、絲山秋子さんや津村記久子さんを多くの人に読んでほしい気がします。 また僕のミステリー的な部分の原点は、島田荘司さんや連城三紀彦さん、そして新本格と呼ばれる作家さんたちの諸作品です。 たとえば、法月綸太郎さんの『密閉教室』『誰彼』『ふたたび赤い悪夢』『一の悲劇』『二の悲劇』などは非常に興奮して読んだ思い出があります。 上白石 締め切りには強いですか? 伊坂 まったくもって弱いです。 「締め切りに間に合わせないと!」という心配から、不本意なものを世に出してしまいそうな予感があるので、基本的には、締め切りのある仕事は引き受けないことにしています。 上白石 描かれる女性がみんな魅力的です。 単刀直入に失礼します、伊坂さんの好きな女性のタイプは!? 伊坂 女性の登場人物を書くのは苦手なので、魅力的と言ってもらえるとほっとします。 好きな女性のタイプというわけではないのですが、男性でも女性でも、他者を馬鹿にしたり、「自分さえ良ければそれでいい」と考えたりする人は苦手です。 上白石 すばらしい作品を、夢中になれる時間を、いつもありがとうございます。 一冊読み終えるたびに、心の引き出しが三つ四つ増える感覚があります。 どうかお身体を大切に、作品を書き続けてください。 いちファンとして心待ちにしています! 伊坂 ありがとうございます。 この仕事をいつまでできるのかな、新作をいつまで生み出せるのかな、と心配になることが多いのですが、もう少し頑張ろうと思います!.

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今読むべき、クジラアタマの王様~自分が戦う場所と、ウイルスという見えない敵のこと|繭|note

クジラ アタマ の 王様

タイトルで「は?」と思うが、この「クジラアタマ」は最後に「え、そうなの!?」という形で伏線が回収される。 主人公は、製菓会社に勤めているサラリーマン、「岸」。 クレーム対応については上司の評価も高い彼だったが、部署が変わり、平穏な日々を過ごすはずだった。 ある1本のクレーム電話と、ある日訪ねてきた男、池野内との出会いをきっかけに、岸の人生は変わっていく…という表現が、果たしてあっているのかどうか。 この話で大きくは、 「夢での戦い」、「大衆の善と自分の善」、「大衆心理の妙」が読みどころだと思う。 夢での自分の戦いが、現実の自分とリンクする 自分の人生を切り開くのは紛れもなく自分なのだが、果たして 「どこの自分か」。 これは1つのテーマだ。 この話では、 「夢の中の自分の戦い」が大きなカギを握っている。 話の中心を担う、サラリーマン・岸にせよ、議員・池野内にせよ、アイドル・小沢にせよ、夢の中で戦い、その勝敗が現実にリンクしている(と考えている)。 だから、夢の中の自分が勝てば、現実の自分はうまく物事を進められるし、夢の中の自分がまければ、現実の自分にもなんらかのトラブルが起こる。 これは結局、「どこでがんばるか?」に通じている話だな、と感じる。 すごく小さい話で言うと、例えば仕事でがんばっていたらプライベートもうまくいくとか。 いろんな自分がいろんな場面でがんばっていて、そのがんばりがおもいがけないところで、思いがけないものを運び込んでいくような。 だけど、 結局どこの自分であれ、目の前のことに対して全力で取り組まなければ、何の道も開けない。 どこかの自分への他人任せでは、道は開けない。 大衆の善と自分の善を天秤にかけることと、大衆心理を描く妙 この話の中で、少し前の新型コロナの時のような描写をされている場面がある。 発行は2019年7月なので、まったくコロナはリンクしていないのだが。 「病気に感染した人」をまるで「犯人探し」のように人々が探し、いたずらに傷つけるところ。 それがトラウマとなって、いろんな人生が方向づけれる可能性があること。 ここは本当に今とリンクしているから、 きっとこれからの日本でも、起こってくるのだろうな、と感じた。 言わずもがな、新型コロナが世界に与えている影響は大きい。 早く鎮静化することを、「新型コロナとの戦い」をどうにか勝利に持ち込むことを、 「大衆の善」として多くの人が願い、動いているはずだ。 でも、もしかしたら。 そんな風に考えて、行動選択の基準を「大衆の善」ではなく「自分の善」にしている人がいたら、本当に怖いな、と感じた。 まぁ、一時のマスク転売ヤーさんとかは、まさにこの類ですね。 タイトルとは少しずれるのだけど、この本を読みながら、 何が人の人生を動かすかは本当にわからないな、と感じた。 例えば今、在宅やテレワークなどで仕事を回す人がいて、それで不都合はあれども稼働している現実があれば、新型コロナが落ち着いた後はそういった環境整備が整い、別の働き方が切り開かれるかもしれない。 センバツ野球が中止になったことで、オリンピックが延期になったことで、今様々な大会が中止になっている。 夏の甲子園が中止になったら、3年生の高校球児が受ける影響は、精神的に計り知れないだろうし、プロを目指している球児にとっては、プロ入りへの影響も出ているだろう。 それは、野球に限らず、サッカーでも、陸上でも、バスケットボールでも…同じことが、今日もどこかで起きている。 同様に様々な大会が中止になっていて、それぞれの道で頑張ってきた人たちが、大きな影響を受けている。 もちろん、それを運営する側にとっても。 生活レベルにおいても、これだけ大きな影響がある。 人の人生が、今日も左右されている。 だからどうか、 この出来事がきっかけで左右された人生の行き先が、いつかはプラスの、前向きなものであってほしい、と、願ってしまう。 さて、「大衆心理」の話に戻ろう。 そして、この話は映像映えするアクション系ジャンルだ。 こんな文章がある。 人間を動かすのは、理屈や論理よりも、感情だ。 同じ罪を犯した人に対しても、感情が左右すれば、まったく違う罰を平気で与える。 理由は後からつける。 パニックを起こすのも感情だが、罪を大目に見ようというムードを生み出すのも感情、というわけだ。 自分にとっての都合の悪いものを、たとえばウイルスにとっての免疫めいたものを、1つずつ排除させ、その免疫がなくなったところを見計らって本性を出し、襲い掛かってくる。 そういった目論見を想像することはできた。 伊坂幸太郎のすごいな、と思うところは、 どこかリアルで、どこか現実味がないテイストを上手に溶け合わせて、ハラハラさせる展開に巻き込んでいくところだと思う。 現実味を生んでいるのは、主人公たちを取り巻いていく「 大衆心理の動き」のリアリティではないだろうか。 伊坂幸太郎作品の中での位置づけとしては、 「火星に住むつもりかい?」がかなり近い。 こちらも「平和警察」「ヒーロー」など、どこか現実味がなく、でも近い将来現実でありそうな小説。 真実や信念を持つ人々が追い込むのは、いつだって「大衆」。 そんな気なくコントロールされて、そんな気なく人々を追い詰める「大衆」。 その使い方が、絶妙だなぁ、と心から思う。 ズレた人たちのあたたかな心 そんな、コントロールされた「大衆」から主人公たちに手を差し伸べるのは、伊坂幸太郎作品では、 いつだってちょっと変な人たちだ。 特に、 池野内議員の妻は、まさに 「伊坂幸太郎アクション系作品の女」という感じがする。 女優で言うなら竹内結子。 (完全にゴールデンスランバーとかスキャンダル専門弁護士QUEENのイメージ)もしくは貫地谷しほり。 癖が強くて、「いや、ありえんだろう」という型破りなことをしても悪びれない強さとあっけらかんとした強さがある。 自分の目で見て、自分の信念で動く人は、癖があって味があって強い。 そして、あたたかい。 アクション系映像映えエンターテイメント小説。 いろんな意味で、今読んでほしい小説 NO.

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