カメハメハ 大王 右手。 ハワイ王朝主要人物家系図

カメハメハ大王(1世)のハワイ統一

カメハメハ 大王 右手

18世紀末までのハワイの歴史は、ポリネシアの島々との交流はあったものの、国際政治 といえるようなものではなく、ハワイという小さな島々の中で繰り広げられた歴史でした。 しかし、1779年、クック船長の来航にはじまる西洋諸国との接触によって、ハワイの 歴史は、世界史の一部として位置づけられることになりました。 「世界」を前にして、ハ ワイ史上はじめての統一王朝を築いたのがカメハメハ大王なのです。 ここでは、ハワイが 統一に至った道のりについて簡単に解説します。 1780年頃、実はハワイ島とカウアイ島以外全ての島は、マウイの大王カヘキリによっ てほぼ統一がなされていました。 一方、ハワイ島はリロア王直系のカラニオプウ王がしっ かりと押さえ、カヘキリのマウイ島に、隙あらば攻め込もうと狙っていた状況でした。 ただ、当時すでに、マウイの王室とハワイの王室は血縁的にはつながっており、カラニオ プウの妻カローラも、大王カヘキリの妹だったのです。 1782年、カラニオプウ王が死去します。 彼はフラが好きで、庶民にも人望があった王 でしたが、遺言で、王権は息子のキワラオに、守護神クーカイリモクは甥のカメハメハに 渡されました。 キワラオは、自分よりもはるかに身分が低いカメハメハが、重要な宗教儀 式を仕切るのが面白くありません。 カメハメハを警戒して軍勢を集めたりもしますが、そ の年のうちにカメハメハによって返り討ちに会い、滅ぼされてしまいます。 しかし、カメハメハがいきなりカラニオプウの後継者としてハワイ全土を手に入れられた わけではありません。 キワラオの没後、ハワイ島は、カウの大酋長ケオウア、ヒロの大酋 長ケアウエ、そしてコナのカメハメハによって3つに分裂してしまったのです。 この様子をマウイ島から窺っていた大王カヘキリ。 彼はハワイ島に密偵を送り込み、3人 に巧みに干渉して3人の共倒れを狙います。 まんまとその狙いに乗ってしまったのがケオ ウア。 彼はヒロに攻め込み、ケアウエを滅ぼしてしまうのです。 しかしカメハメハは違いました。 カヘキリの計略を察知すると、逆にマウイ島に侵攻した のです。 (1790年)。 マウイ島イアオ渓谷でカメハメハは大勝利を収めましたが、ハ ワイ島でケオウアが不穏な動きをしていることを察知し、ハワイ島に軍を返します。 とこ ろが、ここでケオウアを不幸が襲います。 キラウエア近傍を進軍中だったケオウア軍に、 キラウエア火山の大噴火が襲うのです。 ほとんどの兵士が進軍中そのままの姿で溶岩に呑 みこまれて石になってしまいました。 現在でも固まった溶岩の上に「裸足の足跡」を見る ことができます。 この事件で、カメハメハは女神ペレを味方につけていると評判になります。 そして、1791 年、ハワイ統一を祈願して建てられたプウコホラの神殿で、ケオウアは酋長の身でありな がら、生贄として捧げられてしまったのです。 1794年、ついに大酋長カヘキリが老衰で亡くなりました。 この日が来るのを心待ちに していたカメハメハは一気にマウイ島めがけて攻めあがります。 守るのはカヘキリの長男 カラニクプレ。 しかし、彼はカメハメハの敵ではなく、1795年2月、オアフ島ヌアヌ パリの戦いで撃破され、カメハメハはその足で、ホノルルに「ハワイ王朝樹立」を宣言し たのです。 カメハメハのハワイ統一のあゆみ 1796年、まだ勢力下になかったカウアイ島の酋長カウムアリイに対して、カメハメハ は15000人の大兵力で攻撃を仕掛けます。 しかしこのときは大暴風雨が吹き荒れ、軍 勢はちりぢりになってしまいました。 1803年、仕切りなおしでさらに増強した軍勢で カウアイ島に向かいますが、ほぼ同時にハワイ諸島中にペストが大流行。 戦争どころでは なくなって侵攻断念します。 このように、不思議な力に守られたカウアイ島でしたが、1810年、アメリカ人ウイン シップ兄弟を仲介役としてカウアイに使者を送り、平和裏に恭順をうながしました。 カウ ムアリイはホノルルをおとずれて恭順の意を示し、カウアイとニイハウは、ハワイ王国の 一部として、そのままカウムアリイが治めることとなったのです。 カメハメハは、実は語学にも堪能で、当時来航してきたイギリス人たちを先生として、た ちまち英語を話すようになったと言われています。 カメハメハの有名なブレーンとしては、 フェアアメリカン号でやってきたアイザック・デイビス、エレノア号でやってきたジョン・ ヤング、クックに同行してきたときと合わせて2度目の来航となったバンクーバーなどが います。 カメハメハの圧倒的な強さは、彼らを通じて装備をすすめた近代兵器によるとこ ろも大きいようです。 余談ですが、カメハメハの母、ケクイアポイワは、単身でマウイに滞在中に身篭り、その 子供として生まれたのがカメハメハだとされています。 その話が本当であれば、カメハメハの 本当の父は、宿敵マウイの大王カヘキリということになってしまうのです。

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ハワイ州に3つあるキングカメハメハの銅像には違いがある?

カメハメハ 大王 右手

カメハメハ大王像は、1819年にハワイ諸島を統一して ハワイ王国を建国した初代国王の「カメハメハ1世」の像です。 この時は、カウアイ島とニイハウ島はカメハメハ大王の手中には入ってませんが、後に2島は全面戦争を避けるためにカメハメハ大王に平和的に移譲され、1810年に8島全ての統一が成されました。 カメハメハ大王は、身長が2メートル近かったとも言われる大柄な体格に恵まれ、パワーのみならず、優れた外交感覚の持ち主。 そんなカメハメハ大王の像は、 ハワイに3体、それ以外にもう1体の合計4体もあるのです。 1体の方が有り難みが増しそうなものですが、 なぜ何体もあるのか? その理由と、ハワイでカメハメハ大王像に会える場所をご紹介します。 関連記事• カメハメハ大王像の場所 それぞれの銅像のモデルはカメハメハ大王ではなく別人! なぜなら、カメハメハ大王の実際の写真は1枚も残っておらず、肖像画が数点残っているだけだからです。 なので、 それぞれの像は顔が違うのでよくご覧くださいね。 オアフ島ホノルル ダウンタウン このカメハメハ大王像は、1883年、7代目の王であるカラカウアの戴冠式と同日に建立され、カウラカウア大王が除幕しました。 この カメハメハ大王像は2体目というのは有名な話です。 1体目は、1778年にキャプテン・クックがハワイ諸島を発見してから100周年を記念して、翌年にイタリアでオリジナル像が制作されパリで鋳造。 船で南米のチリをぐるっと周ってハワイに運ばれてくる途中、嵐に遭い、南大西洋のホーン岬付近で 船ごと沈没してしまいました。 その後、2体目が作られ建立されたのが、現在のカメハメハ大王像です。 台座の銅版画(レリーフ) 大王像の土台の四辺には、 カメハメハ大王の生涯の主な出来事を表した4枚の銅版画がはめ込まれています。 カメハメハ大王が定めた法律「すべての老人、女性、および子供が、自由に旅ができ、路傍で安全に休息できるようにする」。 !!! 四方の台座の銅版画(レリーフ)の解説はここにあります。 背後にある建物は? カメハメハ大王像の背後にある宮殿のような建物は何でしょう? 海外テレビドラマ「HAWAII FIVE-0」では、ファイブオーの本部という設定になっていますが、あくまでもドラマの設定。 実際は「 アリイオラニ・ハレ」と呼ばれる、 ハワイ王国の国会議事堂や裁判所として使われていた建物です。 もともとは カメハメハ5世の宮殿として設計された建物で、 ハワイ王国時代の歴史的建造物です。 カメハメハ大王時代の裁判、昔のホノルルの町の模型、 ハワイ州最高裁判所の部屋や司法歴史博物館など、見応えあります。 見学は自由ですので、是非、カメハメハ大王像とともに訪れてみてくださいね。 行き方 The Bus:ワイキキから2・13番バス ワイキキトロリー:レッドライン「カメハメハ大王像」下車 JTB電気バス:ダウンタウンルート「カメハメハ大王像」下車 LeaLeaトロリー:ワード/カカアコ/ダウンタウン・ライン「カメハメハ大王像」下車 レンタカー:駐車場はイオラニ宮殿内か付近のパーキングメーターに駐車 ハワイ島カパアウ 船ごと沈んでしまった最初につくられたカメハメハ大王像は、その後、海底から引き上げられました。 そして、 カメハメハ大王の生誕地とされているハワイ島のノースコハラにある カパアウという町に建立されました。 こうして海底から生まれ故郷に戻れたことに、目に見えないパワーを感じてしまいます。 ホノルルのダウンタウンではなくこちらに来たかったのかも。 鮮やかな黄色のガウンをまとって、 黒目が入っている像は、カパアウのカメハメハ像だけです。 観光客もほとんどいなくて、静かなのんびりした町です。 こうして、この町を初代のカメハメハ大王像は見守っています。 場所 ハワイ島ヒロ ハワイ島のヒロはハワイの第二の都市でもあり、カメハメハ大王が初めて政権を設立した町です。 このカメハメハ大王像は、ヒロ湾を見渡すように立っています。 高さ4. 2mと他のカメハメハ大王像より背が高く、1963年イタリアの鋳造場で造られました。 もともとこの像は、カウアイ島のプリンスヴィル株式会社が、ホテル内に設置しようとしたのですが「 カウアイ島は一度もカメハメハ大王に征服されたことはない」と島住民の大反対に。 そこで、プリンスヴィル株式会社はハワイ島に寄付し、1997年6月に現在のところに建立されました。 ヒロにはストリートの名前にも「KAMEHAMEHA」があります。 ワシントンDCの国立彫像ホール アメリカの首都ワシントンDCのキャピトルヒル(日本の国会議事堂のような場所)には、全米50州の歴史的な人物の像が展示されています。 ハワイ州を代表して展示されているのは当然のことながら。 この像は、ホノルルダウンタウンにある2体目の大王像のレプリカです。 そして、ハワイ州を代表してもう1名、も展示されています。 カメハメハ大王の肖像画 にて こちらの肖像画と、4体のカメハメハ像を比べると、雰囲気やお顔はまったく別人。 本物のカメハメハ大王は肖像画が近いそうです。 そりゃそうですね、3体の銅像は別人がモデルですから。 銅像は上半身が裸に近く、いかにもたくましい南の国の大王という雰囲気ですが、肖像画の衣装は、 白いシャツと赤いベスト、黄色のリボンスカーフを首に巻いています。 だからといって、カメハメハ大王は 欧米人のようになろうとすることはありませんでした。 欧米のものを積極的に取り入れながらも、決してハワイの伝統や心、文化を失うことはなく、 ハワイの伝統を非常に大切にしたリーダーだったのです。 伝統を重視することで、ひとつのまとまりのある集団としてハワイは団結できたのではないでしょうか。 カメハメハ大王の歌「南の島のハメハメハ」 日本でカメハメハ大王が有名になった理由は、おそらくこの歌「 南の島のハメハメハ大王」ではないかと思います。 その頃からぼんやりと、南の島にはハワイがあるんだなぁと知るのです。 今でも歌えますし、同級生も歌えるはず。 注目したいのは歌のタイトルと歌詞は「 ハメハメハ」! あれ?「 カメハメハ」ではないのか? カメハメハ大王が生まれた頃のハワイ社会には、 文字がなく口承で受け継がれるので、「 カメハメハ」でも「 ハメハメハ」でも正解です。 文字になった歴史的な資料は存在していないので、カメハメハ大王の正確な出生の記録も残っていません。 カメハメハ大王のお土産 ABCストアーでミニチュアを見つけました。 50州25セント記念硬貨のハワイ州の硬貨です。 普通に流通していますのでおつりで25セントを受け取ったときはチェックしてみてくださいね。 スーベニア・ペニーです。 こちらはイオラニ宮殿の中の売店に、硬貨を記念メダルに加工するスーベニアメダルマシンがあります。 キング・カメハメハ・デー 毎年、6月11日はカメハメハ大王の功績を称える「 キングカメハメハデー」という ハワイ州の祝日です。 銅像は数日前からレイで飾られ、パレードなどセレモニーも開催されます。 時期的にもとてもおすすめのシーズンですので、6月初旬のハワイ旅行はいかがでしょうか。 カメハメハ大王は、ハワイ王国の基礎を築いた人物です。 当時の日本は江戸時代の後期。 有能な統治者であったカメハメハ大王は、優れた外交力で西洋諸国と友好な関係を保ちながらも、ハワイの伝統と文化を大事に守ったのでした。

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童謡・唱歌 南の島のハメハメハ大王 歌詞

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もくじ• あれ?歌詞はハメハメハ大王?カメハメハ大王? Google検索したら、ハメハメハ大王としか出てこない。 えー 記憶ではどうしてもカメハメハな気がする。 カメハメハで習った気がする。 ドラゴンボールで上書きされた?いやいやいや。 昔からハメハメハだった? 納得できずに調べてみました。 それでもやっぱり作曲当時からハメハメハ この曲の正式名称は「南の島のハメハメハ大王」。 旧題では「ハメハメハ大王」。 1976年にNHK『みんなのうた』に採用されました。 というわけで、 作曲当時からハメハメハ大王が正解でした! やっぱりかめはめ波のイメージで上書きされてしまったようです。 カメハメハ大王はハワイの実在の王様。 作曲者の伊藤アキラさんがカメハメハ、という響きを気に入って、ちょっともじってハメハメハ大王と名付けたらしいです。 ハメハメハ大王はカメハメハ大王の友達、という裏設定があるそうです。 南の島のハメハメハ大王の歌詞は結構ヒドイ JASRACとかかわりたくないので、歌詞が気になる方は「南の島のハメハメハ大王 歌詞」で検索してください。 いっぱい出てきます。 1番はロマンティックで素敵だけど、2番以降はどう聞いてもディスってるようにしか聞こえない・・・ 奥さんは基本的に寝てるし、子供は学校嫌いだし、名前つける意味ない社会に聞こえるし。 これは実名でカメハメハ大王にしたら国際問題になりかねないですね。 歌詞がうろ覚えだったダンナは 「雨が降っても風が吹いてもお休みなんだぜーうらやましすぎるだろ。 だから発展しないんだけど。 」 とか申しておりました。 社会制度的に雨が降ったり風が吹いたら休みだと思ってたんですね。 偏見にもほどがある。 この歌、「南の島」への偏見イメージを強めちゃったのではないでしょうか。 南の島の人たち、こんなんじゃないよ! カメハメハ大王ってどんな人? カメハメハ大王はハワイを作った王様です。 1810年に初めてハワイ諸島を統一。 初代国王になりました。 ほんとに偉大。 Wikipediaによれば、カメハメハは、ハワイの言葉でカ・メハメハ、 孤独な人、静かな人の意味。 なんだか「南の島のハメハメハ大王」のイメージとは違いすぎますね。 古い文献ではハメハメハと書かれているものもあるとのこと。 カメハメハ大王像の実際のモデルは別人 切り絵を作ったときには「カメハメハ大王」だと思い込んでいたので「カメハメハ大王」と検索して出てきたカメハメハ大王像の写真を参考にしました。 ハワイ島にも3体あり、ミニチュア増はおみやげ用としても人気があるそうで、以前にも見たことがあったんです。 でもこの像、ただのイケメンをモデルにしたものなんだとか! 像を立てた当時の王様、第7代ハワイ国王デイヴィッド・カラカウアが「宮廷の中から選んだ、特に見た目が美しい男性」をモデルにして作らせたんだそうです。 今やあんなに有名なのに。 まとめ 南の島の大王の歌の正式名称は、 昔から 南の島のハメハメハ大王でした。 カメハメハ大王は、ハワイを統一した実在の人物。 カメハメハ大王の名前に インスパイアされて生まれたのがハメハメハ大王の歌です。 全然関係ないですが、私が幼稚園の頃、友達から「ハワイで泳いだ」と聞いてハワイって名前のプールがあるんだと思い込んでいました。 子どもってとんでもない勘違いしますね。 お子様には遠い南の国のおはなしなんだよ、と教えてあげてください。

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